第55話 ファーストコンタクト

 そこは南の森のすぐ手前だった。かつては森の入り口だったが、建材のために木を伐り出し続けた結果、今ではすっかり森の外となった場所だ。


《あそぼー!》

「;54D&*z!」

「リキ、お前はじっとしてるんだ」

「なんだこれ」


 かけつけてみればそこには、黒い肌を持つ少年と、それに飛びかかろうとうずうずしているリキと、さらにそれを抑えているバンパ兄貴の姿があった。

 兄貴たちから少し離れたところでは、リンがまっすぐ森のほうを睨んでいる。


「兄貴、一体何があったんだ?」


 何があったかを聞かずともおおよそのところは察せられたが、俺はとにかく兄貴に声をかけた。


「ギーロ、よく来てくれた! この男が森から現れたのだが、何を言っているかわからないんだ。お前の力を借りたい」


 俺に気づいた兄貴は、すぐさま俺を手招きした。

 その理由である黒い肌の少年は、ひどく怯えた様子でリキを気にしている。


 そう、黒い肌だ。全裸で隠すものがないので、よくわかる。上から下まで黒い。

 と言っても真っ黒というわけではなく、いわゆるネグロイドと言われて普通の日本人が想像する姿とは少し違う。雰囲気としては、ネグロイドとモンゴロイドのハーフくらいだろうか。

 だとしたら、彼は赤道直下ではなくもう少しだけ北……エジプト北部やアラビア周辺の地域に住んでいた種族なのかもしれない。


 ただいずれにせよ、俺たちアルブスより、また黒アルブスより黒いことには変わりない。少年は明らかに俺たちとは違う。


 何より、人種からして違うと思う。

 なぜなら、少年の耳は――かつて見慣れた丸い形をしていたのだから。


 その耳を見た瞬間、俺は息を飲んだ。


 ――ホモ・サピエンス! まさか、まさかここで出会うことになろうとは!


 俺の胸に、感動とも戦慄とも似た感覚が去来する。

 喜んでいるのか、忌避感を覚えたのか、俺にもよくわからない。不思議な感覚だった。


 もちろん、彼がサピエンスではない可能性はある。

 しかしなぜかはわからないが、俺にはサピエンスだという確信があった。まったく根拠はないが、そうに違いないという確信が。


 だからこそ俺は息を飲んだ。

 けれどもこの驚きは、一旦しまっておこう。恐らく誰にも完全には理解してもらえないし、今ここであらわにしても意味がない。


「……わかった。でもその前に……えーっと、爺さん、ガッタマ!」

「なんじゃ?」

「おう、どないした?」


 なので一拍だけ間を置いて気持ちを切り替えると、後ろに振り返った。

 そこには頼れる義理の家族。人垣の一部になっていたディテレバ爺さんとガッタマを呼んで、メメとテシュミを託す。


 ……うん? 丸耳の人間を見たわりにモリヤ一族が冷静だな?


「ああ。わしらが襲われたのはもっと白い丸耳じゃ。こやつらとは恐らく違う」

「そ、そうか。万が一のときは抑えてもらわないとと思っていたが、それなら大丈夫か」


 俺の考えを見透かして、爺さんが頷く。


 そうか、彼らが襲われたのはここよりももっと北だったな。南方系の人種ではないわけか。ならば皆が冷静なのも頷ける。


「顔の形も全然違うしの」


 ……顔の形も?


 待てよ?

 まさか、彼らを襲ったのはサピエンスではないのか?


 だとしたら……。

 ……いや、今はそれについて考えている場合ではないか。


「……なるほど。じゃあそこは大丈夫かな。……改めて、メメは頼む」

「任せておくのじゃ」

「ギーロ、気をつけるんじゃぞ」


 爺さんの隣で言うメメに頷いて返しながら、俺は再度兄貴たちに向き直った。

 そして怯えた様子の少年に歩み寄る……が、彼はさらに怯えた様子を見せた。

 ……別に取って食いやしないよ?


 ここで初めて彼を正面から見ることになったのだが、少年はやはり少年だ。青年と言うには顔立ちも背丈も……あと、ついでに大事なところも、まだまだ成長途上に見える。

 しかしその容貌は、俺が知る二十一世紀の人間そのものだ。彼はやはりサピエンスなのだろう。俺はその確信を深めた。


 そして彼がサピエンスなら、見た目からおおよその年齢は推測できる。恐らく十五歳くらいだろう。

 だからだろうか。彼はエッズよりもさらに小さい。おまけに身体つきも、アルブスの成人男性と比べると明らかに貧相に見える。

 鍛えざるを得ない時代の人間だからか、二十一世紀のもやしっ子などと比べたらたくましい身体つきに見えるのだろうが……大人のアルブスメンズが相手ではどうしても分が悪い。


 そんな相手が周りに大勢いて取り囲んでいるのだから、少年の恐怖も無理からぬ話だ。


 と思っているうちに彼との距離は詰まり――ほどなくして、俺の頭の中に未知の言語が一気にあふれ出した。

 初めてガッタマと顔を合わせたときと同じ感覚だ。人工的に知識をインストールされているような感じ。


 それが終わったとき、俺は目の前の少年の言葉を完全に自らのものとしていた。


〈まずは初めまして、と言っておこうか〉

〈!?〉


 俺の言葉に、少年は驚愕した。飛び出るのではないかと思うほどに目を見開いて、俺を凝視してくる。


〈俺はお前の言葉がわかる。安心しろ、何かしでかさない限りはお前たちには何もしない〉

〈ほ、本当かい!?〉

〈ああ、約束する。俺はこう見えて、群れのリーダーに意見できる立場だ〉


 言いながら、隣の兄貴をチラ見する。

 兄貴は俺の言葉はわかっていないだろうが、それでも頷いて見せた。さすが兄貴、以心伝心。


 まあ、その手元で抑えられているリキが色々と台無しにしているのだが。


〈あー、その獣については気にするな〉

〈本当かぁ!?〉


 嘘だと言いたげな声音。


 ……それも当たり前か。狼は間違いなく猛獣だ。丸腰の人間が無傷で倒せる相手ではない。


「……兄貴、とりあえずリキをなんとかしてくれるか」

「わかった。リキ、大人しく、しているんだ」

《わ、わかった……》


 兄貴が少しすごんで言うや否や、リキは目を潤ませながらその場で伏せをした。相変わらずのヘタレ具合だ。


 一方リンのほうは……まだ森の中を警戒しているな。もしやまだ何かいるのか? 少年の仲間だろうか。

 今のところは動く様子はないけれど……リンならリキと違って任せてもいいか。ひとまず兄貴にも警戒を促すにとどめておこう。


〈とりあえずこれで信じてほしい〉

〈あ、うん……〉


 リキの豹変ぶりは、少年にとってもよほど意外だったのだろう。拍子抜けした様子で、リキを見つめていた。


 そんな彼の前にあぐらをかき、向かい合う。


〈さて話を変えようか。俺の名前はギーロ、お前は?〉

〈名前? 俺はアダムだ〉


 彼が告げた名前に、今度は俺が驚く番だった。


 アダム。ちょっとオタクをこじらせた人間でなくとも、二十一世紀の人間なら高確率で知っている名前だ。

 啓典の民にいわく、神によって最初に作られた男。それがアダムなのだから。


 二十一世紀から数えて七万年前のこの時代に出会った男の名前がアダムだなんて、また随分ととんでもない偶然もあったものだ。

 案外、彼がのちのちまで続くサピエンスの始祖だったりして?


 ……というのは、さすがに夢を見すぎか。

 どう見てもコーカソイドとは言えない彼を聖書のアダムと同列視したら一部の原理主義者に殺されそうだし、これ以上はやめておこう。


〈……アダム、だな。じゃあアダム、聞かせてほしい。お前はどうしてこんなところに?〉

〈ああ……俺たち、あっちから来たんだけど……〉


 言いながら、アダムが南を指差す。


 そこには深い深い手つかずの森があるんだが……なんならその向こうには、最大五千メートルを超える山(この辺りからは遠いが)を擁する山脈があるんだが……。


〈……そっちには森と、山があると思うが〉

〈うん、その森と山を越えてきたんだ〉


 登山道具はおろか、服すら持たない状態で山越えアンド原生林踏破だと!?

 こいつ、正気か!?


 俺は以前、この南の森と山を踏破しようとするやつは変態だと言ったことがある(十九話参照)が、まさか本当にやるやつが出てくるとは思っていなかったよ!


〈よ……よく生きてたな、お前……〉

〈あ、うん……何度も死ぬかと思った……〉


 そりゃそうだろうよ!


〈なんでまたそんなことを……。この森と山を越えるとか、死ににいくようなものだろうに〉

〈しょうがないんだ、俺たちは群れから追い出されたから……〉

〈追い出された?〉

〈うん。……冬越えのために取らないでおいた実を食べちゃったんだ。それでこのままだと冬が越せないから、って……山に〉

〈……それはお前が悪いな〉


 実を食べて群れから追放されたアダムとか、ますます聖書めいてきたな。

 誰かにそそのかされたのか? やっぱり蛇?

 もしやとは思うが、その「俺たち」の中にイヴなんて名前の女がいたりしないだろうな?


 まあそれは冗談だとしても。


 群れの共有財産を勝手に食うとか、いつの時代であってもやってはいけないことだ。追放で済んだだけマシだろう。

 いや、山に追放されたのなら暗に死ねと言われたも同然だろうけども。


〈悪かったとは思ってるよ! でも、姉さんが身重で、それで……〉

〈あー……〉


 妊娠中は普段より栄養が必要になるもんな。身内のことを想ってというその動機は、一応わからなくもない。


 それでも群れのリーダーたちからしたら、許せることではないだろうなぁ……。


〈……いやでも、それなら追い出されるのはお前だけでよかっただろう。さっき俺「たち」といったよな? 他にも何かやらかしたやつがいたのか?〉

〈ううん、他は口減らしで年寄りがほとんど……みんな死んじゃったけど〉


 そりゃそうだろうよ!


 しかし……うーむ、いわゆる姥捨てか。大を生かすために小を殺すの典型だが、この時代でそれを見ることになるとは。

 山の向こうはそれほど厳しい環境なのか?

 氷河期とはいえこの辺りは獲物になる動物は豊富にいるし、俺がいなくともアルブスは当座の食料くらいはなんとかできていたと思うが。

 あ、いやでも待てよ。二十一世紀ではイランに当たるこの周辺で緑豊かなのは、カスピ海の南岸くらいだったか?


〈若かったのは俺と、ついてきてくれたつがいの女と、俺をかばってくれた友達で……えっと、三人かな。生き残ったのは俺とつがいの二人だけだけど……〉


 それでも二人も生き残ったのか……。

 しかも片方が女って。

 もはやそれは、水をワインに変えるレベルの奇跡なのでは……?


〈……今はお前一人しかいないように見えるけど、もう一人はもしかして、森の中に隠れているのか?〉

〈う、うん、そうだよ。人がたくさん見えて、でも話ができるかわからなかったから、俺が様子を見ようと思って……〉


 そこでアダムは、視線をリキとリンに向けた。


〈なるほど、こいつらに見つかったと〉

〈うん。こんな猛獣と一緒に暮らしてるなんて思ってもみなかったから……〉


 リキは見た目に反してほぼペットだけどな……。


〈……それでリンはあんなに警戒しているのか。まあ双方ともに仕方ない話だけど……〉

〈彼女が心配なんだけど、大丈夫なんだよね?〉

〈大丈夫だ、あいつらは兄貴の言うことには絶対に従う〉


 再度俺の視線を受けて、兄貴が頷いた。


 アダムはまだ半信半疑といった様子ではあったが、とりあえずこの場は納得したようである。


〈……まあ、事情は理解した。ちょっと待っててくれ……〉兄貴、こいつなんだが、かくかくしかじからしくて……」

「こ、この森を抜けてきたのか……」


 俺の説明に、兄貴は若干引き気味にアダムを見た。

 しかしその視線は、呆れ半分尊敬半分に見える。悪いことをしたとはいえ、この大自然を踏破したこと自体は認めざるをえないと言ったところか。


「それでどうする? 追い払うか、迎え入れるか、それともこ……」

「俺個人としては、迎え入れていいと思っている。群れから追い出されるなど、信じがたい話だ」


 俺が言おうとした第三の選択肢を封殺して、兄貴が言う。


 ま、兄貴ならそう言うと思っていたよ。

 そもそも追い払うなんて兄貴が言うところが想像できないし、この場で殺すなんて端から選択肢にないだろう。


 俺にもない。生きるために必死にならざるを得ない原始時代であっても、やはり人殺しはしたくないものだ。

 何より元サピエンスとして、アダムには親近感がある。彼を無下には扱いたくない。


「しかしどちらにしても、俺一人で決められる話じゃないな。族長と長老は……」

「集まってきてるみたいだな」

「そのようだ。悪いが少し話し合わせてくれ。それまで彼を任せていいか?」

「オーケー、任された」

「ありがとう、頼むギーロ」

「ああ」


 リキを引きずるようにして、兄貴が離れていく。

 その背中を見送りながら、俺はついでにガッタマへ声をかけることにした。


「おーいガッタマ、水を頼む! 甕でな! 湯呑みも一緒に!」

「んあ!? しゃあないなぁ、任せとき!」


 なんだかんだ言いつつあっさり請け負ったガッタマが、ふらりと人垣の中から消える。

 テシュミがそれに続いたのを見てから、俺は改めてアダムに向き直った。

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