第53話 麻布爆誕

 やれやれ、疲れた。本当に疲れた。


 俺の性的嗜好がサピエンス由来……要するに、神々の世界の知識に触れたことによるものだと説明するのに、これほど疲れるとは。

 元々頭のいいバンパ兄貴はわりとあっさり納得してくれたが、俺の精神的疲労は並大抵のものではなかった。兄貴からの悪感情が、こんなに心をえぐるなんて思ってもみなかったよ。


 とりあえず、史上初の変態の称号は返上した。俺は神々に付き合わされただけの、哀れな犠牲者に過ぎないのだから!(力説


 というわけでさらに数日改めたある日。

 俺はテシュミと共にガッタマの家を訪れていた。


「うーん……ちまちましてて面倒やなぁ……」

「俺もまさかここまでとは思わなかったよ」


 俺とガッタマが愚痴をこぼしながらやっている作業。それはずばり、糸紡ぎである。


 手元にある細長いコマのようなものは、スピンドル。これに糸の元となる繊維を取り付け、ぐるぐると回すことで糸をっていくというものだ。

 回転の際に繊維がよじれることを利用した撚糸道具なのだが、これがまあ面倒くさい。

 片手に繊維を持って、繊維を取り付けたスピンドルをもう片方の手で回転させるのだが……だるい。しんどい。以前の懸念は完全に当たってしまった。


 この工程は、歴代のサピエンスも面倒だったのだろう。簡素化するために糸車という道具を開発し、最終的には機械によってほぼ自動化を果たしている。

 自動化した最終段階を、歴史では産業革命と呼ぶ。後世にそれだけ画期的だと思われているからだが、改善した結果歴史に名を刻む概念になるほど、糸紡ぎの面倒さは群を抜いていたのだと思う。


 そんな機械は無理にしても、せめて糸車はほしかった。そうすれば、退屈で殺されそうになる事態にはならなかっただろう。

 しかし作るための知識が一部抜けている、いきなり最初から複雑な道具を作るコスト問題、できあがるまでの所要時間などの理由で、棚に上げた状態になっている。なのでスピンドルなのだが……。


「はあ……これでほんまにええもんができるんかいな?」

「言うな……だんだん自信がなくなってくる……」


 俺とガッタマは、今まさに心が折れるかどうかの瀬戸際にあった。


 そんなことを言っていられるほど簡単な作業ではないのだが、質を求めないのであれば極端に難しいというわけでもないので、やる気を起こしづらいのだ。一応は糸になっているし、まあいいか……みたいな気になるというか……。


「糸って面白いね。これで何ができるのか楽しみ!」

「ちらっとギーロさんに聞きましたけど、身体が濡れたときにふいたり、毛皮やない服にしたりするらしいですよ」

「濡れたときにふくって、どういうこと?」

「身体がいつまでも濡れてると寒いし、身体に悪いやないですか。そやから雨降ったときなんかに、寒い思いしなくても済むようになるらしいです」

「へー、じゃあ春とかでも、夏みたいに身体洗えるようになるのかな?」

「やと思います」


 ……女性陣は元気だな。糸紡ぎのときは、集落の女性が一堂に会して談話を楽しみながらやっていたという話を聞いたことがあるが……なるほどと思う光景だ。


 あれだけ話していても、スピンドルを回す手は動き続けているのだから、やはりこの手の作業は女性のほうが向いているということなのか。

 女性が向いているからこの手の作業が代々回されていたのか、この手の作業を任され続けていたから女性が向くように変化したのかはわからないが……。


「ケイジャもテシュミもようやるなぁ……」

「そうだな……」


 野郎二人はそれを見て、ため息をつくだけだ。


 視線の先、テシュミの隣でスピンドルを回す女は、黒アルブスではない。だが普通のアルヴスとも彼女は少し違う。何せ紫眼ケイジャの名の通り、紫色の目を持つのだから。


 正確には、紫色なのは向かって右の目だけで、左は通常のアルブスと同じ薄い青だ。いわゆるオッドアイというやつだが、これは主に猫などの動物に使う言葉だったりする。

 正しくは虹彩異色症ヘテロクロミア。れっきとした先天的な遺伝子疾患だが、基本的に人体に影響はない。

 実際ケイジャも、生活に支障はない。特に邪険にされているということもない。ちょっと他と目の色が違うだけで、どこにでもいる普通の女性だ。


 そんなケイジャが麻に関わっているのは、彼女がガッタマの嫁だからに他ならない。


 そう、ガッタマは先日の儀式のあと、ちゃっかり嫁を見つけていたのだ。俺が己の心と向き合っている間に、うまいことやったらしい。

 普段の彼からはあまり考えにくいのだが、実際彼自身の意向ではなく、ケイジャからの猛アタックで折れた形らしい。なのでうまいことやった、というのは少し違うかもしれないが……。

 何分ガッタマも麻の勢いがあったので、気づいたら致していたとか。彼の息子が元気で何よりです。何よりです。


 ちなみにガッタマ含めた黒アルブスはもちろん、アルブスの男たちも儀式後の夜の大運動会で、数人がお相手を得たという。その内訳はアルブス同士、黒アルブス同志が半分ほどで、もう半分は白黒同士だったとか。

 肌の色などを気にすることなく、アルブス黒アルブス間のカップリングが成立したことは素直に喜ばしい。ここで関係に断絶が生じたら群れの拡張にも支障が出るが、そうでないなら明るい未来を思い描けるというものだ……。


「……もうダメだ、飽きた」

「俺もや……」


 盛大にため息をついた俺に、ガッタマが追随する。


「これは一刻も早く糸車を完成させる必要がありそうだな……」

「道具の開発なら退屈しなさそうやな」

「やるか?」

「せやな!」


 二つ返事で頷くガッタマ。どうも彼とは往々にして気が合うんだよなぁ。


「……というわけなので、紡ぎ作業はお願いします」

「しゃあないなぁ。わかりました、やっときます」


 俺の腰の低い言葉と、紡ぎ途中のスピンドルを受け取ったテシュミがくすくすと笑った。

 隣では、ケイジャもガッタマに対して胸を張っている。


「よろしく頼むで、ケイジャ」

「いいよ、任せておいて」


 頼もしい返事をもらった俺たちが、そのまま逃げるようにして家を後にしたのは言うまでもない。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



 さらに数日。テシュミたちは何事もなく糸紡ぎを一段落させたが、俺たちは結局糸車を作ることができなかった。


 まあこの辺りは、たった数日でどうにかなるものではないので、仕方ないと言えば仕方ない。

 あと、何もずっと開発にかかりきりだったわけではなく、半分くらいは俺たちもちゃんと糸紡ぎに参加していたのだ。なので、実質的な開発期間は一日か二日程度。できなかったのは当然なのだ。


「……で、この糸? っちゅーのでどないするんや?」


 やはりガッタマの家。結構な量ができた糸を手にして、彼が首を傾げた。

 テシュミとケイジャの視線も俺に注がれる。


 そんな中で、俺は目の前の糸を触って確認しながら、品質ごとに選り分けていく。


 人によって作る糸の質に差ができることは仕方がない。手作業である以上は当然のことだ。

 しかし出来に差がある複数の糸で作った布は、色んな点で都合が悪い。肌触りなどにも影響するし、できれば糸は同程度のものだけで使ったほうがいいのだ。


「というわけで、こんなところか」


 糸は大体三つに分けられた。上中下の三段階だ。

 俺やガッタマが作った糸は下。ケイジャが中で、テシュミが上だ。


「これを……こいつで編んでいく」

「……ただの棒やん」

「そうだ、ただの棒だ」


 俺が取り出して見せたのは、二本の棒だ。

 箸ではないぞ。見る人がが見れば、編み物に使う棒針だということがわかると思う。


「まあ見ていてくれ。ここにこう……糸をひっかけて、だな……」


 三人が見つめる中、俺はその棒針を用いて布を編み始める。


 二十一世紀で編み物と言うと毛糸が一般的だが、別に糸で編み物ができないわけではない。

 というか、カットソーに分類されるTシャツなどは編み物だ。個人が趣味の範疇でやる分には、糸でやることが推奨されていないだけである。


 まあそれはともかく、どう編み上げるかだが……今回は純粋に布にしようと思っている。毛糸のセーターのように身体を覆う服にしてもいいが、布のほうが汎用性が高いからな。

 ただ毛糸ではなく麻糸なので、しっかり詰めて編みこんでいかないと穴だらけになる。そこは気を付けないといけないだろう。


 なぜ裁縫の出来ない俺が編み物はできるのかと言えば、前世の母親がユーならキャンな感じの通信教育で覚えて趣味にしていたのを、子供時代ずっと一緒にやっていたからだ。

 おかげで手編みと棒針編みならできる。結束バンドで籠を作ったりしていた(第八話参照)のは、その名残だな。


 ……まあ、前世で大学を出てから死ぬまでのおよそ十年間、ほとんど触っていなかったからな。現状身体が動くかどうか不安だったが……意外と如才なく動いてくれているようで、内心ほっとしている。


 なお、なぜ織物にしないのかだが、これは単純に俺がやり方を知らないからだ。

 織り機を使って布を織っているところや、織り機の簡単な使い方などは博物館などで見知っているのだが……そのためには織り機が必要になってくるだろう? 織り機の構造などわかるものか。

 原始的な織り機となると、むしろ余計わからない。構造自体は単純になるはずなのだが……。


 一応、織物の基本構造はわかる。なので試行錯誤を重ねれば、いずれはできるようになるとは思うが……それは逆に言えば、試行錯誤を重ねなければできないということだ。

 なので、慣れている方法でまずはやることにした。薬物と食料以外の麻の使用を確立しようとしている現状では、まずなんらかの成果を出したいという気持ちもあったし。


「……と、まあ、こんな感じでな」


 編み続けることしばし。

 まだまだ布というには小さなものだが、とりあえず小さいハンカチ程度にはできた部分を三人の前に掲げて見せる。三人から、「おお」という声が漏れた。


 初めて見る彼らが感嘆してくれるのは当たり前だが、俺としてはどうしても前世の既製品や、達人の逸品と比べてしまうので、少し面はゆい。あれらと比べれば、俺の作品など児戯にも等しいんだよなぁ。


 ……まあ、ひとまずガッタマに手渡して、感想を聞いてみようか。


「はぁー、なるほどなぁ。一本一本は細くてなんの役に立つんかわからんかった糸やけど、こうやって組み合わせるわけか」


 彼は言いながら、布部分の表面をなでる。


「……ざらざらしとんなぁ。これやと女子供が使うときは気をつけたほうがよさそうやな」

「これでも途中の工程で何回か灰汁につけたから、何もしないよりは柔らかくなっているはずなんだがな。材質が麻である以上は仕方ない。もっと手触りのいい糸を作れればいいんだが、そのためには他の材料が必要になる」

「……一応聞くけど、それはどこで手に入るんや?」

「俺たちが一生歩き続けてもたどり着けない場所」

「……無理っちゅーことな」


 俺の答えに、ガッタマがため息とともに肩をすくめた。

 それから布をテシュミに渡す。


「へぇー、なんや面白いですねぇ。あとはこれ繰り返して広げて行けばええ、いうことですか」

「ああ。で、出来上がったものはいろいろ組み合わせて使うわけだ。それはまた今度だけど」

「でもギーロ、これって一人二人でやるには大変だよね。糸にするまでも結構時間かかったんでしょ?」


 とは、テシュミの横から覗き込んでいたケイジャの鋭い指摘である。


「まったくもってその通り。……だからガッタマ、糸作り辺りからは他の部族も巻き込んだほうがいいと思うんだ。あの工程以降はもう麻の効果も気にしなくていいし」

「せやな……正直しんどかったし、アサモリだけでやっていくんはきつそうや。ちょっと考えてみる」

「頼む」


 毛皮さえあれば服は困らないと言ってもいいのだが、実際のところ毛皮は供給の安定性に一抹の不安がある。何せ獲物となる動物がいなければ、手に入らないのだから。

 ついでに言えば、元となる動物の体格や、仕留め方で使える量も質も大きく変わる。特にうっかり多めに傷つけてしまったら、すべて丸ごと使えなくなる可能性すらある。


 一方、糸から作る布はそうした加工性において毛皮に勝る。大きさなどは根気が続く限りは理論上無限に大きくできるし、個人の技量次第で質も上げられる。入手量も、麻を育てられる限りは増やしていける。

 それに今はまだ無理だが、レースなどの飾りなどをつけてお洒落する余地もある。色を染め付けるというのもありだな。二十一世紀のような色合いはいくらなんでも無理だが、染料自体はこの時代でも使えるものがあるはずだ。


 まあ個人的には、「風呂上がりに身体をふくためのタオルがないために、いいところで中止している風呂づくりを再開したい」というのが、一番布を普及させたい理由なのだが。


 ちなみに、タオルのためのタオル生地を作るためには特殊な織り方が必要になってくる。前世でさえ、十九世紀になるまでタオルは登場しないのだ。

 なので今は絶対に作れない。タオルという名の、タオルではない何かで我慢するしかないだろう。それでも、風呂上がりの身体を自然乾燥に任せるよりは何百倍もマシだから、風呂と併せて絶対用意してみせるが。


「……まあでも、今はとりあえず布作りを教えてもらおか」

「そうだな。見本は見せたし、一通り教えるよ」


 頷きながら、人数分用意しておいた棒針を三人に渡す俺。


 そして思う。

 さーて、この中で最初に俺よりうまくなるのは誰かな? と。


 俺の器用貧乏具合は、俺が一番よくわかっている。どうせすぐに追い抜かれて、俺以上にこの分野をけん引していくやつが出てくるだろうよ。

 投石器にしろ家にしろ、毛皮なめしにしろ土器づくりにしろ、俺が普及させた技術はいずれも既に俺よりうまいやつがそこそこいるのだ。原始時代のサマルトリア王子とは俺のことだ。


 まあ、前世から続くこの絶望的なまでの才能のなさについては、もはや一周回って悟りの境地にある。今さらなので、嫉妬心もわかない。

 それに、これからも新しい技術を普及させていきたい俺にとって、いつまでも同じことで頼られ続けるのも負担だ。早々に技術的に独り立ちしてくれた方が、今に関してはありがたいのである。

 何事にも二面性があるということだな……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る