第52話 尊厳と風俗の話
儀式から数日が経って、そろそろ麻糸作りに入ろうと思っていたある日のこと。
俺はそちらの作業を一旦置いといて、バンパ兄貴のもとに足を運んだ。
最初は家に向かったのだが、
「バンパ? リキたちのところに行くって言ってたわよ」
とサテラ義姉さんに言われたのでそちらに向かう。言われるまま、リキとリンを目印にして兄貴のもとへ。
さして広くない群れだし、何より狼の姿はなんだかんだで目立つので、さしたる苦労もなく兄貴は見つかった。
「兄……貴?」
「おう、ギーロ。どうした?」
「どうしたっていうか……そっちがどうしたっていうか……」
「どうしたものかな、これ」
そう言って笑った兄貴は、地面にあぐらをかいて座っていたのだが。
その膝の上には、まるで彼の子供のような態度でリキが乗っていた。
隣では、リンが呆れマックスとでも言いたげな顔をしている。なんだか諦めの境地が垣間見えた。
「少し時間ができたから顔を出したんだが……散々遊んだあとでこれだよ」
「こいつは本当に野性を捨てているな……」
群れのリーダーに遊んでくれとねだった挙句、甘えてぐっすりとか……。いや、尻尾が揺れているので、寝ているわけではないと思うが……なんだこれ、犬か?
「フリスビーを作ってやったのは間違いだったかな……」
思わずそう思わずにはいられなかった。
常に狩りに身を置く野生の狼と違って、リキとリンは必要なとき以外あまり激しく動かない。それでは運動不足だろうし、勘も鈍るだろうと思って簡単なフリスビーを作ったのだが……。
「ははは、まあいいじゃないか。かわいいものだ」
サピエンスの大人も余裕で殺せそうな体格の狼を、かわいいと言うのか。さすが兄貴、リキののど元を撫でる動作とあわさって、どう見ても世紀末覇者。
いや、リキの仕草や行動をかわいくないとは言わないが……なんだか釈然としない。
「……それで、今日はどうしたんだ?」
「あ、うん……実はちょっと、兄貴に相談したいことがあって」
「お、久しぶりだな。今作っているやつについてか?」
俺の言葉に、兄貴が少し嬉しそうに身を乗り出してきた。
その動きに応じて、リキが目を薄く開いたが……兄貴の膝の上からは動かず、すぐに目を閉じた。こいつは放っておこう。
「いや、それについてもなくはないけど、今日は別のこと」
「別の? どんなことだ?」
「あー、その、わりと個人的なことで。新しい道具とか技術がどうこうじゃないんだ」
「……お前がそういう話を持ってくるのは珍しいな」
「俺もそう思う」
兄貴が目を丸くした。
彼の正面に腰を下ろしながら、俺は思わず苦笑する。
実のところ悩み相談自体は、ギーロが俺になる前には色々と兄貴にしていたらしい。使えない昼行燈という立場だったから、色々と思うところもあったのだろう。
ただ、俺になってからはしていない。技術的な相談や、群れへの導入を巡る是非についてなどの相談はしたが、個人的な悩みは一切なかったと思う。
しかし今回ばかりは色々と思うところがあるのだ。そして何かを打ち明けられる相手とは、俺にとってもやはり兄貴が一番なのである。
「まあいいか。最近めっきりなくなったギーロの悩み相談だ。どんなことだ?」
「えーっと、その相談っていうのも実はちょっと違っていて……答えはほぼ出ているんだ」
「うん? なのに相談?」
「ああ。答えはほぼ出ているんだけど、その答えを実行しても実際に解決するまでにかなり時間がかかりそうでさ……。だから相談というよりは、愚痴を聞いてほしいとか、そんな感じかな」
「なるほど。よくわかった」
なので、意見を求めているわけではない。
目的達成までの時間を短縮する方法があるなら聞きたいので、まったく求めていないとは言わないけども。言ってしまえば、今の俺は単に共感が欲しいだけなのだ。
「なら、まずは聞かせてもらうとしようか。どういう話だ?」
「そのー……あー……言いづらいことなんだが……」
問われて思わず口ごもる。同時に周囲に視線を泳がせて、誰にも周りにいないことを確認。
それでもしばらく言い出せなかったが、黙って待ち続けてくれている兄貴に申し訳なくて、俺は意を決した。
「……実は、その。
「……ん?」
「だから、その、起たなくて」
「あー……っと? 何が、だ?」
「アレがだよ!」
言わせんな恥ずかしい!
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先日の儀式があった夜。両手に花状態だった俺はろくに眠れなかったので、あれこれ考えていたのだが……。
メメとテシュミという、二人の嫁を抱えた状態を俺はありと思っていて。
二人に対する隔意などもちろんなく、女性として問題などあるはずもなく。
恥ずかしさはあってもキスやスキンシップに嫌悪感など欠片もないし、実際に身体も反応しかけた。
となれば、もういい加減認めるべきだろうという結論に達した。五回くらい堂々巡ったが、結局五回とも同じ結論に達したのである。
俺は、メメのことが好きだと。もちろんテシュミも。
……で、もういいかと開き直って、ことに及ぼうかと思ったのだが。
起たないんですよ。息子が。
「いや、正確に言うと起つんだけどさ。メメたちの前に出ると寝るんだ」
俺の言葉に、兄貴は真剣な表情で頷いた。
男にとって、やはり息子が機能しないということは死活問題。兄貴は相当な危機感を持って話を聞いてくれていた。
「で、離れるとやっぱりちゃんと起つ」
「……妊婦の痛みを和らげる能力と似ているな」
「やっぱりそう思う?」
帰ってきたのは首肯。
だよなぁ、そう思うよなぁ。
「だからたぶん、その辺りの能力が悪い方向に動いているんだと思うんだ。一応、メメたちの前でその気になろうとしたら、がんばれば多少は反応するし」
「うーむ……」
「で、実のところそういう風に働いてしまっている理由はなんとなくわかる」
「わかるのか?」
「まあ、わからないと解決の答えは出ないし?」
「それもそうか」
理由は言うまでもないが、兄貴には何も話したことがないので心当たりはないだろう。
「いやさ、実は俺、大きい女が好みで」
「……お、おう?」
「男くらいの大きさ、とは言わないけどさ。俺の胸元くらいまであるような女が良かっただよ。それが無理でも、胸が手でつかめるくらいはほしかった」
「お……おう……」
兄貴がドン引いている。いきなり弟から性癖を暴露されたのだから、無理もない。
おまけに俺の嗜好は、アルブス的には特殊性癖である。サピエンスで言えば、二メートルを軽く超える女や、おっぱいでスイカを粉砕できるような女しか愛せないと言っているようなものなのだから、引かない人間を探すほうが難しいだろう。
何せアルブスの女は、普通小さい。メメですら大柄扱いなのだ。そんな中で、色々とでかい相手がいいと言ったのだから、兄貴の反応も当たり前だ。そう、俺は特殊性癖の持ち主なのだ。
そんな当たり前のことに気づくのに、三年もかかった俺のことは笑ってくれて構わない。どうせ俺はその程度の男だ。
「そんなわけで、最初のうちは正直誰も眼中になかったんだよ」
「そ、そうか……。い、いやでも、言われてみれば確かにと思うところもあるな……。お前、女に対しては平等に興味なさそうだったものな……」
あ、やはりそう思われていたのか。
「メメコが来てからは楽しそうにしていたから、単に顔や性格で好みの女がいないだけかと思っていたのだが……」
楽しそうにしていた? 俺が?
「なぜ意外そうな顔をするんだ」
「え、いや……ほら、自分の姿って自分じゃ見えないし?」
「それもそうか」
そうか……俺、当初からメメのことは受け入れていたのか……。
自分のことって、本当によくわからないものだな……。
「……まあそういうわけでさ。メメに対しても最初のうちはそういうつもりはなかったんだよ」
「そ、そうなのか……」
「ああ。おまけにわりと最近まで、俺はメメには絶対に手を出すまいと思っていた」
「え!?」
そんな驚くようなことだろうか。
……驚くようなことかもしれない。二十一世紀で言えば、宗教などもあって過度な性欲は抑えるべきという考えがあるが、原始時代だしなぁ。
「いや、俺の感覚では子供にしか見えなかったからさ。どうかと思っていたんだよ。どうかしているのは俺だったわけだが」
「お……おう……」
兄貴ドン引きパートツー。
「まあここ一年くらいはかなり無理して思い込んでいたところがあって。意地になっていたんだと思うけど、とにかく絶対するものかと自分に言い聞かせ続けていたんだ。このせいだと思うんだ」
「う、うーむ……言い聞かせるだけで影響が出るものなのか?」
「出る。俺たち人間は、思い込みや繰り返しの言い聞かせで様々なことが起こる身体を持っているから」
「それも神の知識か?」
「まあな」
まったく薬としての効果がないにも関わらず、薬と思いこんだものを服用することで改善に至るケースすらある。プラシーボ効果というやつだ。
また、暗示はときに様々な病の治療に用いられることもある。暗示療法というもので、催眠療法もこの一部に含まれる。
俺の場合、自らの手で後者を行い続けていた。それも三年という長期間に渡ってだ。
結果、俺の身体にある謎の力がそれを増幅。女に一定以上近づいたときのみ、息子が機能不全に陥ることになった……というのが俺の推測である。
「うーむなるほど……」
それを聞いた兄貴が、腕を組んでうなる。
しかしすぐに俺へ視線を向けると、首を傾げながら口を開いた。
「だがそれならば、逆に暗示し続ければ治るのではないか?」
その指摘は、俺とまったく同意見だった。俺もそうだろうと考えている。
だから頷いて見せたのだが……。
「問題はそれにどれくらいかかるかなんだ。俺はここまで来るのに三年かかっているんだぞ?」
「ああ……ということは、元に戻るまで同じくらいかかる可能性が高いと」
「そういうこと」
「だから答えはほぼ出ているけど、時間がかかるから愚痴を聞いてほしい、ということか」
「その通りでございます」
あれだけ俺はロリコンじゃないと言っておきながら、今になって目の前の女とセックスしたいと自己暗示しているのだから、ただのギャグだ。しかも滑りまくりの寒いやつ。
俺は以前も、そして今も至って大真面目なのだが。人生とはまったくままならないものだ。
「一応、少しでも効果があればと思ってフェ……あー、えーっと、舐めてもらうこととかも考えているんだが……」
「……は?」
「え?」
俺は何気なく言ったつもりだったのだが。兄貴が妙に過剰な反応を示し……え、ちょっと、そんな物理的に距離を取るようなことか?
「……ギーロ、さすがにアレを女に舐めさせるのはどうかと思うぞ……」
「え……っ」
そんな真顔で諭されるようなことか!?
二十一世紀ではわりと普通だったよ!? 嫌う女性も一定数いたと思うが、嫌いな男はどちらかと言えば少数派だろうし、アルファベットの最初の文字がつくビデオでも、どこぞかの薄い本でもお約束だろう!?
……待てよ。まさか、いやそのまさかか。
原始時代の性文化って……積み重ねゼロセンチなのか……!?
「……オーケーわかった。兄貴、たぶん今俺たちは盛大にすれ違っている。だからちょっと確認したい、話はそれからにしてほしい」
「……なんだ?」
兄貴の警戒が悲しい!
「普段兄貴が義姉さんと致すときって、どうしてる?」
「は!? ど、どうも何も……その……」
兄貴が真っ赤だ。純情か。
既に何人も子供作っているじゃないか……。
「こう……四つん這いにおいて、後ろから……」
「ステーイ! ステイステイステイ! バック!? いきなりバック!?」
「急になんだ!? 何語だそれ!?」
「待ってくれ兄貴、最初からバックなのか!? 他にはないのか!?」
「他!? 他ってなんだ!?」
「いやあるだろ!? 正面からとか、上とか膝に乗ってとか!」
「何の話だ!?」
「バックオンリー!?」
完全に動物と変わらないじゃないか!
いやでも、なるほど……やはりこの時代の人間にとって、セックスとは生殖活動以外の何物でもないわけか。二十一世紀のように、快楽や愛情表現のためのものという側面がないわけだ。
ならば確かに、舐めるという行為もあり得ないというのも頷ける。
うん。
人類は道具や知識だけでなく、こういう技術も進化させてきたんだな!
ン万年の旅路の果て、二十一世紀で人類が辿り着いた性の高みとは素晴らしいものだったんだな!
その高みを見た原始人が、引くのも仕方ないというわけだ!
……この場合高みというより深淵と言ったほうがいいかもしれない、というツッコミはご遠慮願おう。
しかし……待てよ。万年単位の性文化の積み重ねがアルブスにないということは……まさかとは思うが……。
「……ちなみに兄貴、前戯はしているのか?」
「……なんだそれは?」
「やっぱりな!!」
前戯すらなし!
該当する言葉が存在しない時点でそんな気はしていたけども!
正気か!?
あの体格の女相手に、この体格の男がぶち込むんだぞ!?
それで前戯なし!?
二度言おう!
正気かッッ!?
「……性文化の成熟を急がねば……!」
俺は思わず、空を仰いで決意を口にしていた。
いや、何もスケベ心から言っているのではない。前戯もなしにぶちこんでいるとなれば、女性にかかる負担は相当なものだろう。最悪、行為のたびに出血を強いられている可能性すらある。
しかしこの時代、出血はかなり致命度が高い。血を抑えるための布もなければ、薬もない。うっかり雑菌などが入ってしまえば、待っているのは最悪死だ。
つまり、男女比が男に著しく偏っている原因の一つが、セックスである可能性が十分あるのだ。
そんなことはさせない。
種の存続のためにも、俺はエロの伝道師になる……!
「……ギーロ、一つ神語の言葉を教えてほしいんだが」
「え、急にどうした兄貴? 別にいいけど……」
「悪趣味なスケベ野郎、という意味の言葉はあるか?」
「それなら変態……はっ!?」
このタイミングでなんてことを言うんだ兄貴!
待て、それ以上はいけない! ロリコンはもう認めるが、それ以上は勘弁してほしい!
「よし。では早速……えーと、ヘンタイ?」
「ノオオォォォーッ!?」
兄貴にポンと肩を叩かれた俺は、その場に崩れ落ちた。
こんな世界初は嫌だ……嫌すぎるよ……。
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