第47話 独立宣言

 早いもので、今年も九月に入った。

 二十一世紀の日本ならまだ真夏も真夏だが、氷河期の夏は短い。既に朝晩は涼しさを感じられるほどになってきた……が、一応まだ夏だ。昼間はそこそこに気温が上がる。


 そして暑くなると、やる気を削がれる点は時代が変わろうと人間なら同じだ。基本的に真昼間は、みんな日陰でのんびりしている。

 畑仕事などもまだ規模がさほど大きくないこともあって、朝夕以外はほとんど手を付けないのがこの時期だ。


 もちろんこれは俺も当てはまる。真夏の屋外で延々と作業をやるなど、まっぴらごめんだ。


「今日もいい天気だな。気温も上がりそうだ」


 そんな日の朝。表に出た俺は、今日も昼間はろくに働けそうにないなと思いながら、ひとりごちた。


 あの日以来、特に事件らしい事件は起きていない。暑さ以外は、おおむね平和な原始時代生活と言ったところだ。

 まあ、メメとテシュミによるあれやこれやで、俺自身が常に平和だったかと言えばまた別の話なのだが……。


「今日も麻かの?」

「おう。たぶん、そろそろ頃合いのはずだからな」


 後ろからひょっこりと顔をのぞかせて、メメが言う。

 しかし俺が答えると同時に、彼女の顔が一気に不機嫌なものに変わった。


「……てことは、またわしはのけ者かの」

「すまない。こればっかりは他の族長たちの命令だからな……」


 彼女の態度に、俺は苦笑するしかない。


 麻の扱いは、黒アルブスが俺たちの群れに合流しても変わらなかった。つまり、ガッタマたちの部族、アサモリ(麻社)一族(もちろん俺の命名)しか扱うことが許されないのだ。

 このため、神に愛された者ス・フーリであってもメメは麻事業に関わってはならないとされた。


 俺はアサモリ一族の娘と結婚したこともあって例外となったが……勝手に俺が婚姻話を進めた件に関してはあの後、案の定族長たちからめちゃくちゃ怒られた。

 俺が群れの中の完全独立勢力となりつつあり、すべての部族に対して一定の影響力を持っているからこそなのだが……あのときは完全にそれを忘れていたんだよなぁ。


 そういうこともあって、俺は正式に部族を立ち上げさせられた。これに伴ってバンパ兄貴の家から独立して、家も別に建てた。

 と言っても、俺とメメとテシュミの三人しかいない超々少数部族だ。なので部族としての名分はほとんどなく、族長会議でも俺の立場はまだオブザーバー的なものに留まっている。


 ただ、特権が一つある。

 俺はどれだけ嫁をとっても、俺の部族としての立場を維持し続ける。他の部族に婿入りするという状況にはならない。

 逆に俺に嫁いだ女は元部族としての籍も残り、そこでの特権などを維持する。そして俺は、その嫁を通じて各部族の特権を間接的に利用できる、というわけだ。


 これは俺が一つの部族に過分に肩入れをしすぎないように、という政治的な配慮による。


 しかし実際のところは、俺の新部族が過剰に権力を集めないように、という配慮だったりする。

 具体的には、各部族の特権などを利用できるのは俺一代に限る……という制限が課せられている。

 仮に、もしも万が一、俺に子供ができたとしても、子供にこの特権は引き継がれないというわけだ。

 代を重ねて特権を集中していけば、中央集権化が進んで王権ができるかもしれないが……それは今すべきことではないだろう。俺もしたいとは思わないし。


 まあ、今のところ特権らしい特権を持っている部族は、アサモリ一族くらいだけどな。


 ちなみに、俺の部族名はヒノカミ(陽神)に決まった。由来は文字通り。現状、主神扱いになっている天照大御神である。

 我ながら大層な部族名になったとは思うが、これは族長や長老たちからの要望を取り入れた結果なので、俺は悪くない。ないったらない。


 話を戻そう。


 何はともあれ、アサモリ一族の麻特権は残った。先にあげたルールの下でのみ、俺だけがそれに関われる。

 このため、いくらメメであっても、麻については気軽に関与できなくなってしまったわけだ。


 つまり、普段は俺の隣(もしくは上)を独占しているメメだが、麻に関わるときに限ってはテシュミとの立場が逆転するのだ。

 先に述べたヒノカミ一族の特殊ルールは、それぞれの嫁と一対一で過ごす時間を確保するという意味もあるということに気づいたのは、実際ルールを履行する段階になってからだったが。


 なお、さすがにメメもこれは了承している。自分がずっと俺を独り占めしているのは、なんだかんだで悪いと思っているのだろう。


 とはいえ、ここ数日は色々と経過観察などもあって、アサモリ一族のところにいることが多かった。

 だからこそ、メメの機嫌はいつもよりよろしくないのだろう。


「おぅいテシュミ! 今日も麻らしいから、お前さんの番じゃぞ!」


 けれども、そうやって声をかけるくらいにはなったのだから、最初のころに比べればだいぶ進歩したのではないだろうか。


「ほんまですか?」


 一方、メメに呼ばれて家の中からテシュミが顔を出してきた。


 その言葉遣いは、黒アルブス語と混ざって妙な方言みたいになっているものの、一応は俺たちアルヴスの言葉だった。この数カ月の間で、なんとか彼女は俺たちの言葉を覚えたのである。


「ああ、本当だよ。今日辺り、俺がやろうと思っていたこともできるようになっているはずだからな」

「わぁ、そら楽しみです! どんなんができるんです?」

「ふーんっ!」


 純粋に何ができるのか楽しみ、と言った様子のテシュミに対して、メメは腕を組んでそっぽを向いている。相変わらず嫉妬深いなぁ。

 今まで俺がやる新しいことには常に彼女が立ち会っていたから、気持ちはわからなくはないけども。


 しかしテシュミは、メメのそんな態度も気にしない。


「堪忍なぁ、メメちゃん。こればっかりは見逃してほしいんですわ」

「そう思うならお前さんだけ帰ってきていいんじゃからな!」

「んー……うん、そうしましょうかねぇ? メメちゃんの顔が見れへんのは寂しいですし……」

「わ、わしはぜんっぜん、さみしくなんかないのじゃ! じゃから別に帰ってこなくってもいいんじゃからな!」


 どっちなんだよ、お前。


「あ、あと、わしはお前さんににっくねーむを許した覚えはないからの! ちゃんとふるねーむで呼ぶんじゃぞ!」

「あらら、いつの間にか忘れてしもてましたわ。堪忍しておくれやす、メメコちゃん」

「ふーんだ!」


 という感じで、相変わらずテシュミはメメに対する好感度を維持している。

 むしろ言葉がわかるようになってからというもの、積極さに磨きがかかった節がある。俺よりも、メメをかわいがっているときすらあるくらいだ。


 まあ、妹をかわいがっている感じだけどな。


 ついでに言えば、何を言っても大体は「かわいい」で流してしまうので、メメにしてみればやりにくいだろう。

 おかげでツンデレみたいなことになっている。それはそれで確かにかわいいので、この件に関してはメメに勝ち目はないんじゃないだろうか。かわいいは正義なんだがなぁ。


「そういうわけだからメメ、悪いけど出かけてくる。爺さんには伝えておくから、くれぐれも危ないことはしないようにな」

「うん、わかっておる。でも、できるだけ早く帰ってきておくれよ?」

「どうだろう、今日のは初めてやることだからな……今回はちょっと自信がない」

「えーっ!?」

「ごめんって。できるだけ努力はするから……今はこれで許してくれ」

「ふにゃっ!?」


 ぷんすか言い出しそうになったメメを見て、俺は先制攻撃を仕掛けた。彼女の額に、行ってきますのキスである。

 メメは途端に真っ赤になり、同時に上機嫌になってわたわたと手を振り始める。


「しょ、しょ、しょうがないのー! 許してあげるのじゃ!」

「おう。んじゃ、行ってくる」

「い、行ってらっしゃいなのじゃよー!」


 ということで、盛大な見送りを受けて家を後にする俺。


 ……メメたちにしっかり向き合わないとな、と思って以降、これくらいはいいだろうとスキンシップの段階を引き上げたのだが。唇はまだちょっと、俺の心の準備が……。


 ヘタレと呼ぶなら呼ぶがいい。どうせ俺は「初めての彼女との初行為で恥をかきたくないから」という理由で風俗でガチに練習を重ね、結果浮気性として振られ、挙句他の男に寝取られた男だ。


 ……あ、目から汗が。

 いや違う、これは涙ではない。別に悔しくも悲しくもないんだからな!

 というか、生まれ変わって嫁が二人いる時点で俺のほうが勝ち組だし!


 ……やめよう。これ以上の自己弁護は俺の傷口を広げるだけだ。


 ちなみに当たり前かもしれないが、アルブスにはキスという概念が一切なかった。おかげで最初は完全に拒否されたことは、今となってはいい思い出である。

 メメの本気パンチは、身体ではなく心に痛恨の一撃だった。俺はもう手遅れなのかもしれない。


「うふふ、今日もメメちゃんはかわええですね」

「んー? あー、まあ、なあ……」


 俺に並ぶ権利を得たテシュミは、にこにこと妙に嬉しそうだった。


「……しかしテシュミはそれでいいのか? いつもずっとメメに譲っているだろう?」

「ええんです。メメちゃんはギーロさんと一緒にいるときが、いっとうかわええんですから。私はそれを見てるんがええんですよ」

「そういうもんかな……」

「そうですに? まあ、一応お情け程度に、たまーに私も愛でてくれはったら嬉しいですけど。そんくらいでええですよ、私は」


 妙に達観しているんだよなぁ、テシュミは……。


 ただ彼女の、常に一歩引いた立ち位置にいる、というスタンスに助けられていることも間違いない。麻以外のことでは常にメメを立てることで、致命的な衝突は避け続けているのだから。

 これは彼女なりの処世術なのだろう。麻という特殊な権力を持つが故に、原始時代でありながら政略結婚が身近だったことも、そうした考え方の元になっているのかもしれない。


 彼女の本心がどうなのかがわからないので、俺にとっては魚の小骨がのどに刺さったような違和感があるのだけども……。


「……数カ月程度じゃ、そうそう他人のことなんてわかるものでもない、か……」


 ということなのだろう。メメにしても、完全に打ち解けるまでにはそれなりにかかったことだし。

 何かイベントの一つでも起きれば話は別かもしれないが……ここ数カ月は本当に何もなかったからなぁ。


「……今、神語でしたよね? なんて言ぃはりましたん?」

「え? ああ、いや、なんでもない。特に意味はない独り言だよ」

「そう言われると余計気になりますやん……ギーロさんは卑怯ですわぁ。私、まだ神語はわからへんのに」


 俺がはぐらかすと、テシュミはくすくすと小さく笑った。そうして遠慮がちに、けれども甘えるように、俺の腕にくっついてきた。

 テシュミは、メメが見ていないところでしかこういう姿を見せない。メメはこういうおしとやかな仕草は基本的にできないので、二人の性格の違いを感じる。


 ただ、方向性が違うだけで二人ともかわいいことには間違いない。アルブスって、本当に外見に力を傾けている種族だよなぁ。

 ……まあ、同時に浮気している気分にもなるんだけども。

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