閑話 今ではないいつかに、ここではないどこかで 3

 ピラミッドの玄室を思わせる、暗く重苦しい空間。そこに複数の神々の姿があった。

 彼らは一様に一柱の神を取り囲み、詰問を執り行っている。

 その中心は、豊富な髭をたたえた威厳ある美丈夫。ギリシャの主神にしてローマの主神、ゼウスだ。


「だーかーらー! ボクはなんにもやってないってばー! 本当だってー!」


 詰問される立場の美しい少年姿の神が、駄々っ子のように声を上げる。


 だが、彼に注がれる視線は厳しいものばかりだ。

 なんといっても問題の時間、問題の場所では、確かに彼の姿が確認されているのだ。これは時間を司る神々によってなされた過去視でも明らかになっており、もはや弁解の余地がないように見える。


「儂からも頼む。ロキを信じてやってはくれまいか。今回ばかりはこやつは無実だ!」


 だがそんな彼……ロキを弁護するのは、眼帯で片目を隠した巨躯の老人。北欧の主神、オーディンである。

 ロキと言えば、いずれ彼らの世界が迎える終焉の遠因の一つ。そんなロキを、ラグナロクというバッドエンドを避けるべくただ一人時間を繰り返すオーディンが弁護する様は、なんとも皮肉なものがあった。


 しかし同時に、あのオーディンがロキを弁護するということは、ロキの言うことは正しいのではないかと思う神もいた。

 事の発端を持ち込んだ女神、天照大御神もその一柱だ。


 彼女の報告によって、日本人の魂が複製されていたという事実が地球神連合中に知れ渡った。

 これを受けて神々は、まず時間を司る神々の力を借りて状況を確認した。そして間違いなく、彼らは溶鉱炉に落ちて即死した男の魂がロキの手によってすくいあげられ、複製される様を目撃している。

 魂魄の複製は重大な規約違反だ。これを見逃すわけにはいかなかった。


 だからこそ、地球神連合はすぐに動いた。ゼウスを始め各地の主神クラスが、こぞってロキの捕縛に動いたのである。

 ロキ自身も強力な神格だが、さすがに主神たちを大勢相手にして逃げ切れるものではない。彼はさして時間をかけずに捕縛された。


 だが彼は、最初から一貫して己の無実を主張した。誰の目から見てもロキの関与は明らかなのにもかかわらずだ。

 また、証人として呼ばれたオーディンすら彼の弁護に回った。彼が言うには、ロキにはアリバイがあると言う。


 結果として、話はずっと平行線である。このため神々は真実を明らかにするため、この場所に結集した。

 ここは冥界の手前。すべての真偽を明らかにする、とあるエジプト神の領域である。


「すいません、お待たせしました」

「いやはや、いきなり召集を受けた時は何事かと思いました」


 そこに、二柱の神が現れた。

 片方は美しい女神だ。ダチョウの羽飾りで髪を彩った女神。彼女は法と真理、そして正義を司るマアトである。

 死者の罪状をはかる天秤を用いて、転生資格の有無を調べる女神。彼女が用いる天秤は、日本の弁護士記章のモデルとも言われている。


 そしてもう一柱は、トキ鳥の頭を持った男神トートだ。胸元には分厚いパピルスの書を抱え、またその下には黄金に輝くアンク状の鍵がネックレスのようにしてかけられていた。

 知恵の神にして魔法使い、時の管理者にして書記の神。エジプト神話の中でも多くの権能を持った偉大な神であり、マアトの裁きにおける決裁を下す裁判官でもある。


「お忙しいところ呼び立てて申し訳ない」

「いやお構いなく。状況は把握しておりますゆえ」


 彼ら、特に多大な権能を秘めるトートに対しては、傲岸な面もあるゼウスですら敬意を払う。

 そしてトートも、敬われてもなお腰の低い態度を崩さず、別地域の主神たるゼウスへ一礼でもって応じた。


 だが挨拶もそこそこに、二柱は早速とばかりロキの正面に立った。


「此度の被告はロキ様とか。神を裁くのは久しぶりですね」


 マアトがどこからともなく天秤を採りだし、ロキの目の前に浮かべる。

 それを見たロキが、腕を組んで笑った。


「あははは、マアトちゃんだっけ? 君が来てくれたなら安心だね。君の力なら嘘か本当か完全に見分けられるんだもんね?」

「その通りです。私の前では、たとえ神であろうと偽証はできません」

「彼女が言った通り、この真実の天秤の前に嘘は通じない。これですべてが決まるであろう」

「最初からそうしてくれればよかったのに。ゼウスおじさんも案外手際が悪いよね」

「こらロキ!」


 ロキの暴言に、オーディンが慌ててたしなめる。

 言われたゼウスは一見何もないように見せているが……。


(まーゼウス様って短気だもんねぇ、むしろよく我慢したって感じ)


 額に青筋が浮かび上がっているのを、天照大御神は見逃さなかった。


「御託はよろしい。ではマアト殿、トート殿」

「はい、お任せください」

「任されよ」


 ゼウスの言葉を受けて、マアトとトートが順に頷く。


 まず、マアトが髪飾りとしていた羽飾りを引き抜くと、それを静かに天秤の右側に置いた。


 天秤はまだ動かない。静止していることを確認して、トートが再び頷いた。


「ではロキ殿。これよりあなたに真実を問います」

「おーけーおーけー、なんでも聞いてくれていいよ。嘘なんて言わないからさー」

「ならばまずは確認を。あなたはヨトゥンヘイムで巨人族との間に子をもうけていますね?」

「……え、な、なんのことかなー? ボク知らないなー?」


 あまりにもプライベートな問いかけだが、これは公的な問いでもある。なぜならヨトゥンヘイムに住む巨人族は、アースガルズに住むオーディンたち神々と敵対しているのだから。


 しかしながら、ロキの答えは嘘だ。彼は実際に、巨人族との間に子をもうけている。

 その子の一人こそ、オーディンを食い殺すフェンリル狼であることはつとに有名だ。


 もちろん、天秤は無慈悲に傾いた。見た目は何も載っていない、左側へと。

 トートもそれを認め、ロキの言葉が嘘であると断定した。


「……うげ……」


 それを受けて、ロキは肩をすくめて顔をしかめた。そして恐る恐るオーディンに目を向ける。

 だがオーディンは意に介さない。何度も運命を繰り返している彼は、事実を当の昔に知っているからだ。


 主神が無反応なのを見て、ロキはほっと息をついた。それからマアトへ顔を向け、


「……もうちょっと他になかったかなー……」


 と言って力なく笑った。


 けれども、マアトはただ微笑むだけだ。彼女だけでなく、傍観者の神々も同様に動じない。


 なぜならオーディンのタイムリープは、他の神々がみな知るところだからだ。今さらロキの女性関係が露わになったところで、どうということはない。

 むしろいつもと異なる出来事は、解決の糸口になる可能性すらある。だからこそ、オーディンをも含めた神々は何も言わない。


「では本題に入りましょう」

「はいはーい……」

「ロキ様。あなたは日本人男性の魂を複製しましたか?」

「答えはノーだよ!」


 ロキは、今度の問いには躊躇せず、間髪入れずに断言した。


 その結果――天秤は、何の反応も示さなかった。

 これには、ロキを疑っていた神々が目を丸くする。


 一方、疑念を抱いていた天照大御神は、どこか腑に落ちた気すらしていた。

 だが同時に、ならば何者が真犯人なのかという思いが湧き上がり、首を傾げることになる。


「なん、だと……? トート殿、いかに?」

「……真実ですな。ロキ殿は、嘘は申しておらぬ」


 ゼウスの問いに、トートははっきりと断言した。

 彼の言葉を受けて、ロキは盛大なドヤ顔を披露する。


「……待て、質問を変える。マアト殿……」

「わかりました、そのように。……ロキ様。あなたは日本人男性の魂の複製に関与していますか?」

「全然してないよ!」


 再びの問いに対しても、ロキは自信たっぷりにノーと言う。

 だがこれでも天秤は動かなかった。トートも真実と太鼓判を押す。


 その後も様々な問いがなされたが、いずれも問題についてはロキの回答こそが真実であった。

 つまり、ロキは本当に何も関与しておらず、真犯人は別にいるということになる。


 これが意味するところは一つだ。


「あのロキは偽物ということか」

「そういうことになる」

「しかし、神をあれだけ精緻に模倣できる存在となると……」


 にわかに場が騒がしくなる。

 だが、ゼウスのつぶやきを最後にして、その場は一気に静まり返った。


 誰も心当たりがなかったからではない。逆だ。

 誰もが心当たりがあったからこそ、黙り込んだのである。


「……無貌の神」


 その「心当たり」を、誰からともなく一柱の神がつぶやく。


 名前ではない。だが、なくても十分だった。

 なぜなら「無貌の神」という呼称は、人間ですらどの神を示しているかわかるほどに有名なのだから……。

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