第46話 一つの区切り

「着いたぞー!」

『おおぉぉー!!』


 バンパ兄貴の宣言に、黒アルブスたちが歓喜の声を上げた。


 俺たちの目の前には、たくさんの竪穴式住居が建ち並んでいる。帰ってきたのだ。俺たちの住む群れに。


 いやはや、今回は長い旅だった。転生してから一番の遠出だっただけに、今回ばかりはさすがの俺も懐かしさを感じる。

 俺たちに気づいて出てきた大勢の仲間に出迎えられれば、帰ってきたんだなぁと思わずにはいられなかった。


 黒アルブスたちを素直に受け入れてくれるかどうか、実のところ少し不安だったのだが……これは杞憂に終わった。少なくとも、見た限りでは誰も外見のことで扱いを変えているやつはいない。

 やはりメメの視力でもって、事前に彼らに関する情報が出回っていたことが大きいのだろう。穏やかな合流だった。


 言うまでもなく、両者の言葉はかなり違う。似ているところもあるが、少なくとも違う言語であることは間違いない。

 系統は同じで、文法もよく似ているが、発音や細かいところが違う。英語とドイツ語くらいの違い、といったところか。

 話は通じない程度には別の言語だが、決して遠い言語ではないのだと思われる。


 そういうわけなので言葉は通じない両者なのだが、それでもこういうときの感情は見た目でわかるのだろう。白いも黒いも関係なく、お祭りムードが全員を包んでいたよ。


 まあ、黒アルブスのほうはと言えば、自分たちが失った消えない火を再度目の当たりにして、すぐに大半が感極まってろくに話せていないようだったが。

 しかしそれは仕方がない話だろう。崇めていたものが一夜のうちに消し飛び、生死の境があいまいな旅路の果てに再び巡り合ったのだ。気持ちが高ぶらないほうがどうかしている。


 さて、そうして合流した後、ガッタマとテシュミ他、彼ら祭祀系の部族が、早速とばかりに俺たちの拝殿(三十七話参照)に登って、彼らのやり方で祈りを捧げることになった。

 純然たる異文化を初めて見る機会だ。俺はもちろん、群れのほとんどが祈りに立ち会うことを選んだ。


『おお神よ、我らを生み出した赤き炎よ!』


 ガッタマの祝詞が辺りに響く。文字にすればなんということはない祈りの文言だが、普段の会話とは異なり、和歌のような独特の節回しが加えられている。

 それに、炎の前に跪き、祈りを捧げる彼の周囲では、彼の親類だという男たちが踊りを踊っている。神楽のようなものだろう。いやはや異文化である。


 その中には、テシュミの姿もあった。彼女はガッタマの真後ろ、踊りを捧げる男たちの中心にいる上に、一人だけ振付が異なる。どうやら彼ら黒アルブスの祭祀の形態においては、女性も何か特殊な役割を持っているようだ。


 体格の問題で、できることが男より少ないアルブス系の人間においては、すべきことがある女性の存在は珍しい。

 そこにどういう意味があるのか、また実際にどういう役割を担っているのか、気になることばかりだ。非常に興味深く、いろいろ聞きたいこともあるが……今は彼らの祈りを妨げないようによくよくこの目に焼き付けておくとしよう。


『我ら一同、ここに感謝を捧げる!』


 祈りとしては、このフレーズが各所に使われていたので一番記憶に残った。

 仏教の南無阿弥陀仏的な、あるいはキリスト教のアーメン的な、そういう扱いの節だと思う。この部分は、上手くいけば後世まで残るかもしれない。


 もちろん仏教やキリスト教といった大宗教のような、成文化されたものではない。悪い言い方をすれば、まさに原始的なものなのだが……。

 けれども、だからこそ彼らのやり方には、宗教という概念の基礎が詰まっているように見えた。人々はきっと、ここから旅を始めて二十一世紀まで行ったんだなぁ、なんて思う次第である。


 というのも、俺たちの群れは俺が宗教の概念を導入した分、日本語が祈りに用いられていてな。

 日本語が神語と呼ばれているのはそのためだし、実は祈りを捧げる役目は日本語を覚えることができた者に限る、という暗黙の了解もあったりする。


 そのくせ、祈りに具体的な規定や指針はない。日本語こそが神に捧げるべき言葉という認識だが、逆に言えば日本語であればなんだっていい、というスタイルなのだ。

 おかげで妙なところでシステマティックなのに、ある部分ではめちゃくちゃ原始的、というすごくちぐはぐな状態になっていたりする。


 つまり農耕などと同じく、色々と過程を吹っ飛ばしてしまっている。そのせいで、概念としての宗教のスタート地点がよくわからないままなのだ。


 この辺りは、俺があえて何も決めなかったせいだ。

 いや、仕方ないじゃないか。俺は元々、大して信心深くもない普通の日本人だったんだぞ。神学や宗教学なんて出産子育て以上に無縁だったから、本当に何も思い浮かばなかったんだ。


 だからだろうか。


「こんな方法があったのか。美しい……」


 エッズは、黒アルブスたちの祈りを見て、そう漏らした。

 俺たちの群れで最も宗教に傾倒し、信心深く神を崇めている彼ならではの感想だろう。


 そして同時に、俺程度の宗教知識では、色々と足りなかったことを実感した発言でもある。

 祈りの儀式が終わった後、エッズが早速ガッタマにあれこれ聞きに行ったのもそういうことではないだろうか。


 もしかすると、彼らとの合流によって、俺たちの群れの宗教観も変わっていくかもしれない。

 どうなるかわからないが……いい方向へ変わってくれることを祈るばかりだ。文字通り神に祈るよ。


 そう思える光景だった。


「ギーロ、彼らの言葉を伝えてくれ!」

「任せておけ。『ガッタマ、かくかくしかじかでな』

『わかった。教えるのは構わない。しかし今回の祈りは不完全だ。本来であればヂカの葉を聖なる火にくべて、ヂカの煙の中でみなが祈りを……』


 あれぇ、この話、ものすごく伝えたくないぞ!? それってつまり、集団大麻吸引ですよね!?


 ……いや、マジで。

 マジでいい方向に、変わってほしいな。うん。


 麻薬を利用した祈りは、未来を知っている身としては、ものすごく止めに入りたいんだけど……すぐには無理だろうなぁ……。

 これも異文化コミュニケーションというやつか……。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



 お祭りムードの一夜が明けて、翌日の昼。


 俺はバンパ兄貴に付き従って、群れの外延部で戦闘態勢を取っていた。俺とメメ以外の全員が丸太、もしくは投石器で武装している。

 ガッタマ他、黒アルブスの中でも特に体格がいい面々も同行している。彼らはさすがに技術の面で俺たちに劣るので、武器は石槍だが。


 それとここにはいないが、他にも武装した人間はいる。

 彼らも含めた戦闘要員、総勢五十人。ほぼ全力の出撃だ。


 この大軍で何と戦うかと言えば、ずばりトラである。


「メメ、見えるか?」

「もちろんじゃよ。今は寝ておるのー」


 いつものポジションで目を開いたメメが、彼方を見下ろして断言する。


 ここは他より頭一つ抜けた小高い丘だし、結構近づいたので、俺でも一応トラは見える。

 だが俺では、草木に紛れる形で潜んでいることがなんとなくわかる程度。細かい位置となるとほとんどわからない。

 なのに彼女にかかれば、野生動物の陰形も丸っとお見通しのようだ。


 ……なんだかまた超視力の効果が強まっている気がするけど、気のせいだよな? そう信じたい。


『それにしても、まさかここまでついてくるとは……』


 ガッタマが苦々しくつぶやいた。


 そう、今メメの視界に納まっているトラは、彼ら黒アルブスの群れを襲撃していた例の巨大トラだ。

 実はあのトラ、初遭遇して以降もずっと俺たちの移動を追いかけてきていたのである。


 もちろん、ただついてきているだけでない。

 復路、俺があれこれと悩んでいられるほど平和だったようにも見えたかもしれないが、実はメメの定期索敵でも、やつは常に後方で捕捉されていた。

 というか、何度も襲われそうになっている。結構紙一重だったのだ。


 それでも俺たちが襲われなかったのは、リキとリンによるにおいの警戒網があってこそだ。

 彼らのおかげで接近を事前に察知することができた。備えることができた。だからトラのほうもあえて危険を冒さず、近づいては撤退するというパターンを繰り返していたわけだ。


 他にも、件の巨大トラが恐らく学習によって慎重になっていたこともあるだろう。

 ガッタマの話では、初めて巨大トラに襲われたときはまだかなりの人数が残っていたため、相当激しい反撃をしたらしいのだ。それが巨大トラを慎重たらしめているのだと思われる。

 トラは場合によってはクマやヒョウといった、大型の肉食獣すら獲物にするのだが。そんなトラでも、男のアルブスは脅威ということだ。


 ……自然界的に言って、どちらが恐ろしい生き物かは俺にはわからないが。


「何度も襲っているうちに人間の味を覚えたんだろう。ただでさえ危険な相手がより厄介になっているわけだ」

「このまま放っておいて被害が出たらまずい。出来るだけ早く殺すぞ」


 兄貴の目がガチである。やはりあの日、間近で見た巨大トラに対してかなり頭に来ているらしい。

 その意見には賛成だから、喜んで手を貸すけどな。


 作戦は一つ。トラが寝ている間に不意打ち。以上。


 ……冗談だが、冗談ではない。

 トラは元来夜行性、もしくは薄明薄暮性で、昼間はあまり活動しない。なので、完全な昼行性である俺たちにしてみれば、昼間に狙わずしていつ狙うのかという話なのである。

 なので、たった一行で終わらせたのは冗談だが、寝込みを襲うという点は冗談ではない、ということだ。


 ただ、「あまり」と言った通り、昼中ずっと寝ているわけではない。むしろ、昼間でも普通に活動することもあるのがトラだ。寝ていても、爆睡ということはほぼありえない。


「だから気づかれずに近づくのはほぼ無理だろう。なら逃げられなければいい。逃げられたとしても、逃げる方向を一つに絞ればいい」


 要は戦記物でよくある方法だ。

 囲んだ敵を攻撃するが、一か所だけ逃げられそうだと思えるような地点を用意しておく。そしてそこに逃げ込んだ相手を、伏兵などで一網打尽にする……というやつだな。

 今回はこの作戦を使う。だからこその総勢五十人だ。


 さらに言えば、トドメは黒アルブスたちに譲るつもりでいる。

 丸太さえあればクマすらオーバーキルできる俺たちなので、そこに投石器が加わればトラだってごり押しで倒せるはずだ。しかしそれでは、仲間を大勢殺された黒アルブスの無念は晴れない。そういう意味でも、五十人が必要だった。


 ……と、そうこうしているうちに作戦が始まったな。追い込み役たちが少しずつトラとの距離を詰めていく。

 そしてある程度まで近づき、トラが彼らから距離を取ろうと動き始めたそのときだ。

 俺は手にしていた松明を掲げると、左右に大きく振って見せた。

 これに応じて、一斉に石が放たれる。


「始まったのじゃよ。第一部隊が投石を始めたのじゃ」

「トアアァァーッ!」


 メメの報告に頷くと同時に、彼方から誰かの野太い雄叫びが聞こえてきた。さすがに音は光よりも遅い。


 打ち合わせでは、投石はトラを後方から囲む形で放たれることになっている。

 次いで、マオリ戦士のハカじみたときの声を上げつつ、トラを威嚇。そのまま前方……つまりこちらへおびき出す作戦だ。


 ちなみに、第一部隊を率いているのはディテレバ爺さんである。

 爺さんとて、族長として一族を率いる身。軍人なんて概念はないが、統率力は相当なものだ。その勢いもすさまじい。


 ……彼にはまだテシュミのことを話せていないのだが、あの姿を見るとどう話せばいいのかまったくわからなくなるな……。


「第一部隊の攻撃でトラがこっちに走り始めたのじゃ!」

「今のところは順調か」


 メメの報告を受けて、俺は次の合図を送る。


 これを受けて、第一部隊は雄叫びと共に追撃を開始。さらに、トラを左右から挟み込む形で伏せていた第二、第三部隊がやはり雄叫びを上げながら、投石器で攻撃を開始する。

 彼らの攻撃は真横からではなく、斜め後ろからだ。これで逃げる方向を前へ限定する。


 息を合わせないとトラの逃げる方向がずれてしまうのでコンビネーションが求められる作戦だが、あれらを率いているのは例の三人組だ。相変わらず、呼吸を合わせることには定評があるなぁ。


 ……しかしなんだな。こうして見るとひどい絵面だ。

 巨大とはいえ、一匹のトラを追いかける大勢のアルブス。その顔はみな般若の形相で、雄叫びと共に武器を振り回して走っているとか……地獄か。

 作戦を立てておいてなんだが、さすがのトラもあれにはビビるんだな。


 なんていうか……マッド○ックスだこれ。


「ここまで来たら俺たちでもはっきりとわかるな」

『見えてきたな。あれだけ派手に走って来たらさすがに俺たちでもわかるぞ』


 兄貴とガッタマが、ほぼ同時に、ほぼ同じ趣旨のことをつぶやいた。そうして、それぞれの得物を構える。

 だが、もちろんバカ正直に迎え撃つなんてことはしない。投石器はここにもあるのだ。


「叔父貴、出番だ!」

「任せろ」


 ここで登場するのは群れ一番のスナイパー、ギーロ叔父貴である。飛ぶ鳥すら撃ち落とすその実力は、まさに原始時代のシモ・ヘイヘと呼ぶに相応しい。

 そしてそんな叔父貴が今回飛ばすのは、石ではなく隕鉄だ。小さくても重い隕鉄なら、トラの突進も止めてくれるはず。これを顔面に叩きこんでもらう。


 投石器がうねりを上げる。石を使うときよりも重く、太い音だ。


 トラが迫ってくる。後方からの攻撃はいまだ続いており、ほぼ一直線にこちらに進んでいる。

 しかしトラにとってこの突進は、上り坂を駆けあがる形になる。トラが他と比べて唯一苦手としている持久力が、ここで悲鳴を上げた。速度が鈍る。


 そんなトラの右目に、叔父貴の放った隕鉄が突き刺さった。

 多くの動物共通の弱点に攻撃を受けたトラは、すさまじい悲鳴と共に体勢を崩して、その場に倒れこむ。しかしどうにもできず、倒れこんだ場所で激しく身もだえし始めた。


 誰がどう見てもクリティカル。どうやら作戦は成功したようだ。


「うわぁ」


 まあ、俺は思わずそんな声を口に出していたのだが。


 だって俺は、以前のクマ戦のように、顔面に隕鉄を叩きこめば少しは動きも鈍るだろう、程度に考えていたんだぞ。

 なのに叔父貴ときたら、寸分たがわず目玉にぶちかましやがった。どんなスナイプ能力だよ。

 前世のあだ名(むしろ来世の?)が「白い死神」だと言われても、俺は普通に信じるぞ。


「行くぞォ!」

『オオォォォーッ!』


 そこに兄貴とガッタマが飛びかかった。

 兄貴の丸太が、トラの右前脚を捉える。破砕音と共に、それが真っ平にひしゃげた。


 次いで悲鳴を上げたトラの口内に、ガッタマの石槍が付きこまれる。直後に、鮮血の徒花が空中に咲き誇った。


 ガッタマの攻撃は分厚い肉と骨で阻まれそこで止まったが、兄貴はさらに追撃する。

 必死にガッタマへ反撃しようと繰り出されたトラの、左前脚を丸太の先端でつぶし、強引にねじり切る。


 ……丸太だよな、あれ? ライトセイバーとかビームサーベルの類じゃないんだよな、あれ?


『死ねぇぇぇーーーっっ!!』


 俺が目を疑っていると、ガッタマが叫びながら石槍をさらに押し込んだ。

 兄貴の攻撃でトラから力が抜けたのか、それは勢いよくとはいかないながらもトラの口奥へと進む。ガッタマはそれだけにとどまらず、穂先をぐりぐりとねじりながらトラの口内を徹底的に破壊していく。


 やがてそれは、脳に到達したのだろう。ある瞬間に、突然トラがびくんと一度大きく身体を震わせたかと思うと、一気に力を失ってその場に倒れ伏した。


 そのタイミングで、ディテレバ爺さんたち後方から追い立てていた部隊が辿り着いた。


「おう、どうやらやったみたいじゃの!」

「ああ、仕留めた」


 爺さんの言葉に、兄貴が頷く。


「これで俺たちの群れは守られた!」


 続けられた兄貴の宣言に、全員が拳を突き上げて勝鬨を上げた。

 身体がビリビリする。どんな大音声だよ。なんだかトラがかわいそうになってきたじゃないか。


 ……やっぱこれ、マッ○マックスだよなぁ。


『……やった……。仇は取ったよ……父さん……』


 その中で黒アルブスたち……特にガッタマが、絶命したトラの傍らで静かに泣いている姿がやたらと場違いに見えてしまい……言い知れぬ罪悪感が俺の中を駆け巡っていた。

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