第48話 道のりは遥か遠く
「お、ギーロ。よう来たな」
俺とテシュミを出迎えたガッタマは、そのまま俺たちの体勢を見てふっと微笑んだあと、そう言った。
彼の言葉も黒アルブス語の影響が多くあるが、俺たちと同じアルブス語になっている。
彼は群れに合流後、アサモリ一族の族長として抜擢されてしまったので、こちらも相当必死に勉強していた。
余談だが、黒アルブス語の特徴が混じると妙な方言みたいになるのは、彼やテシュミだけではない。他の黒アルブスも同じなので黒アルブス語がそういう形態の言語なのだろう。
「今日はどないするんや?」
「そろそろ次に移ろうと思っている」
「ほう、そら楽しみや。メメコと違てギーロの能力はあんまり見る機会がないし、ここは一つ
「出来る限りのことはするよ」
目的の場所に移動しながら、ガッタマに肩を叩かれる。
あまり期待されるのも困ったものだ。麻の加工は多分に職人芸の領域にあるので、知識だけではどうにかならないことが多いのだが。
しかしガッタマが言う通り、実際に俺の知識を黒アルブスの前で披露する機会は今までほぼなかったことも事実。
それに、アサモリ一族女子唯一の生き残りであるテシュミを、よそ者である俺がかっさらったことによるヘイトは実は結構あるからなぁ……今、俺の好感度は黒アルブス限定で低めだったりする。
この手の感情はそう簡単に払しょくできるものでもないので、仕方がない。俺だって前世で彼女を寝取られたときは殺意の波動に目覚めそうになったし。いや、あれは俺が悪かったんだけど。
ともあれここらで一発、何か見せつけておきたいという気持ちはある。俺がテシュミに相応しい男であると納得させられなければ、黒アルブスとの今後にも悪影響を及ぼしかねないしな。
「……うーん。たぶんこれでいい……はず」
目的地。俺は表に置かれた土器の水槽……の中で、水に浸された白いものを見てつぶやいた。
「なんや、『はず』って」
「いや、何度も言っているがこれについては知識があるだけで、やったことがないからな……」
ガッタマに答えながら、俺は苦笑するしかない。
水槽から取り出した白いもの。極めて細長い帯状のものを丸くまとめて束ねてある。これは麻の茎の、表皮を剥いだものだ。
水に浸していたのは、剥いだときに付着している汚れや残りかすなどを取りやすくするためである。
これと同じ処置を施しているものが、アサモリ一族の家周辺にはいくつか置かれている。全部俺が音頭を取って設置したものだ。
一応目的は説明してあるのだが、布という概念をうまく説明できなかったこともあって、大半の黒アルブスからはうさんくさいやつ扱いである。
おかげで久しぶりに疑念の視線を受けた。
ちょっと嬉しかったのは、俺に対する過剰な信頼がないことへの安堵だ。そうそう、普通こうあるべきだよ。
あ、いや、別にそういう趣味があるわけではない。本当だ。なんでもかんでも俺が言うことを受け入れられることへの不安感がそうさせるだけだ。本当だ。
「とりあえずやってみないとわからないな。ガッタマ、悪いけど前作っておいた
「んん……? あー、あのよくわからん板の道具か。やっと使うんやな……わかった、待っとれ」
一度自宅へ戻ったガッタマは、すぐに板と石器を持って戻ってきた。
「ほれ、持ってきたで。これで何をするんや?」
「えーとだな、麻の皮を板にこう置いて……ナイフを当てて固定したところで……皮を引っ張る……」
平らに加工した麻掻板の上に置かれた麻の剥皮。その表面に当てられた石器が、剥皮の動きに合わせて表面を削り取っていく。
これによって、剥皮にあった汚れや残りかす、それに余計な成分がさらに取り除かれる。麻掻きと呼ばれる工程だ。
確か、このときナイフをあまり鋭い角度で当てないようにするのがコツだと言われていたはず。
その辺りのことを思い浮かべながら、何度か剥皮を動かしてみる。
「色が変わりましたねぇ」
「せやな」
ガッタマ兄妹の感想に、俺も同意する。
作業を止めて、透かして眺めてみるが……。
「……うーん、あちこち出来がまばらだな。思ったより難しいぞ」
穴が開いていないだけマシ、と言った程度。率直に言って、ボロボロである。
特に力加減が難しい。これに関しては、アルブスの有り余るパワーが裏目に出ているような気がする。
うまくできるようになれば、この力がむしろ必要になってくると思うのだが……。
「やっぱり、こういうのは均等なほうがええんですか?」
「そうだな。そうしないと後々面倒なことになるから。まあ捨てるのももったいないし、品質ごとにまとめておいて、これはこれで使ってみるけど」
「私もやってみてええですか?」
「ん? ああ、いいよ。手順は覚えたな?」
「はい、大丈夫です」
場所を交代。新しい剥皮を渡して、テシュミにやらせてみる。
……メメは普段目を開けられないから、同じ作業を一緒にやるというのは新鮮だな。
「よいしょっ! ……うーん……?」
気合を入れて皮を掻いたテシュミだったが、見た目の変化はなしと言ってよかった。
……やはりある程度力は必要か。アルブスの女は本当に、見た目通りサピエンスの子どもくらいの力しかないから……。
「……ダメそうですわぁ」
「みたいだな……」
何回か繰り返してみたが、結果はほぼ変わらず。
残念そうに、テシュミが音を上げた。
かつて日本では、種まきから紡績、機織りまですべてが女性の仕事、という時代があったようだが……アルブスでは無理そうだなぁ。
なんというか、人口が労働力に直結しない種族だよな、アルブスって。二十一世紀まで種が残らなかったのもなんだか頷ける。
「なら次は俺の番やな」
「頼みます、兄さん」
今まで黙って俺たちの様子を見ていたガッタマが、ここで口を開いた。テシュミとバトンタッチ。
「こんな感じでええんやな?」
「そうだな、やってみてくれ」
俺の言葉に応じる形で、ガッタマが作業を始める。
やはり力の加減で苦労していたようだが……仕上がりは俺よりマシだった。
ボロボロではあるのだが、それでもマシはマシだ。
「はは……ほんまに難しいなこれ」
「俺よりはできてると思うぞ?」
「せやろか? ……せやな」
「まあ最初だしな。こんなものだろう。なんでも数をこなす以外にうまくなる方法なんてないんだし」
「せやな」
「とりあえず続けるか」
「あ、じゃあ俺は俺の道具でやるわ。実はもう一組作っといたんや」
言うや否や、ガッタマは再び家の中に入っていった。戻ってきた彼の手には、言っていた通り麻掻板と石器がもう一組。準備のいいことで。
そのまま俺の隣に座った彼は、早速作業を開始した。
ガッタマはこれでいいだろう。問題はテシュミだが……。
「せやったら私、材料取ってきます。水槽に沈めてあるやつ持ってくればええんでしょう?」
「あー、うん、そうだな。頼めるか?」
「はいな、任せてください」
「無理はしなくていいからな。自分がやりやすいペースで構わないから」
「うふふ、おおきに。ほな行ってきます」
にこりと笑って、テシュミが水槽の置いてあるほうへ歩いて行った。
うむ。手伝ってもらえるという点も、メメとはまた違った要素だな。
「で、ギーロ?」
「なんだ?」
「テシュミにはまだ手つけてへんのか?」
「……物事には順序ってものがあってな?」
「お前そればっかやないかい」
「悪かったな」
「順序言うんやったら、まずメメコちゃんなんとかしたれよ、ほんま……」
「…………」
ぐうの音も出ない。
我ながら本当にどうしようもないとは思うのだが、やはりあの合法ロリな身体にはどうしてもサピエンス的忌避感を抱いてしまうんだよ……。
嫌っているわけではない。わけではないのだが……なぁ……。
「まあお前の問題やし、俺がどうこう言うのもあれやけど……んで? この茎の皮を乾かしてふやかしておまけにごりごり? して……結構時間かけたけど、いつになったら終わるんや?」
「え、まだ半分くらいかな? これで作ったやつを使ってものを作るから……」
「これでまだ半分とか……きっついなぁ。全体でどんだけかかるねん」
「えーっと……」
収穫してから乾燥させて、皮を剥ぐ工程がある。ここで軽く一週間半くらいかかっている。
で、剥皮を水にさらして処理しやすいようにしたあとの工程が、今やっている作業だ。このあとは、掻いた剥皮を数日陰干しすることになる。これが一週間くらいだったか。
乾燥後は剥皮を細長く裂いて、糸状にしたうえで長さを調節する。これは量と手際によって時間は変わるな。
その後は再度水でふやかすなどしてから、
糸ができたらようやくこれを布に仕上げて……さらに道具として製作するまでを考えると……。
「……うまくいっても最短で二カ月とかかな……」
「随分とかかるんやな……」
「まあな……」
実際、かつての日本では、今やっている麻掻き以降の工程は冬の仕事と言われていた。
何せ、麻を収穫して以降はほとんどのタイミングが秋の農作業と被るのだ。なので一旦棚に上げておいて、目立った仕事が少ない冬場にまとめてやるものだったわけだ。
俺たちの群れはまだそこまで仕事が存在しないので、連続してできているが……人口が少ないのがネックだ。おまけにアサモリ一族しか関われないので、輪をかけて携われる人間が少ないんだよな。
知識しかなかったからそこまで考えていなかったが、これは早急になんとかしたほうがよさそうだ。このままではいずれ収穫量が作業量を越えてしまう。
おまけにこれ、しんどいのだ。つらい。めちゃくちゃきつい。単調作業すぎて、主に心が。
ガッタマと会話しながらも続けてはいたが、これを長時間というのは本気で心を病みそうだ。一人では絶対にできない作業だと思う。
次の撚糸も同様の懸念がある。というか、この地獄は撚糸こそ本番のような気がする……。
「……ギーロ」
「ん?」
「休憩せぇへん?」
「……しよう」
次第に気温が上がってきたこともあって、俺たちはあっさりと午前の作業をやめることにした。
原始時代に飛ばされてよかったことは少ない。だがよかったことを特に一つを挙げるとするならやはり、差し迫っていない限りは、好きなときに作業を切り上げられることが一番かな……!
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