第43話 念願のもの
夜が明けて、俺たち一行は群れに戻るために一路西へ向かい始めた。
明るくなって互いのことがはっきりと見えるようになったことで、見た目の違いで一悶着あるかと実は心配していたのだが、今のところそういう様子はない。
それどころか、
「俺らはなんつーか、アレなんスよー!」
「お嬢の守り人的な? 感じの?」
「ギーロさんは護衛って言ってるんスけどねー!」
『そうかそうか、よくわからんがすごいんだな』
『何言ってるかさっぱりだけどな!』
三人組に至っては、言葉が違うのに普通に会話している。
もちろん意思の疎通はできていないはずなのだが、長年の友人同士に見えるからすごい。あの体当たり精神は少し見習いたい。
彼らはさすがに極端な例だが、他のメンバーも黒アルブスたちに好意的だ。俺が教えた「これはなんていうもの?」という意味の問いを積極的に使って、彼らの言葉を覚えようとしている。
まあ、救出メンバーは全員が黒アルブス助けるべしという意見で一致してここまで来たわけだし、ある意味では当然だったかもしれない。
また黒アルブス側も、一切の隔意がないと断言していいと思う。ピンチに助けに来たということももちろんだが、狼を従えていることや、超長距離を見通す力がやはり衝撃的だったようだ。
彼らも、俺たちの言葉で言うところの「これはなんていうもの?」を使ってがんばっている。異文化コミュニケーションは順調と言っていい……と思う。
昼間には投石器を使った狩りを皆が披露して、黒アルブスの男たちが早速使い方を習い、実践してみるという時間もあった。大受けだったよ。
『ギーロ、作った!』
「すごい!」
という片言の会話があちこちでなされて、転生した直後みたいなやり取りを黒アルブスとする羽目にもなったけどな!
同時に、俺が神から知識を学ぶ機会を与えられた存在、という設定もバレてしまった。案の定、現人神扱いに向かって一直線である。
まあこれについては、しばらく伏せておくようにと根回しをしておかなかった俺が悪い。
せっかくバンパ兄貴も一緒に行動しているのだから、兄貴伝いに周知徹底させておけばよかったんだ。
仕方がないので、甘んじて受け入れている。
まあ、それでも常に口頭で否定はしていくつもりだが。
これ以外では、俺はほぼ通訳に徹していた。進む方向を決めるなどの重要な話や、どうしても会話が成り立たなくなってしまったときには、俺の能力の出番というわけだ。
とはいえ、移動中はみんな結構あちこちで会話を試みては失敗に終わるということを繰り返しているので、結構忙しかった。徹していたというのも、裏方に専念していたというよりは、そうせざるを得なかったと言ったほうが正しい。
ただ、言葉が通じなくても何度でもお互い挑戦しあっている様は、なかなか素敵な光景だったと思う。
まあそれはそれとして、通訳ができるのは俺しかいないから、できるだけみんなの相互理解が早く進んでほしいというのも本音なわけだが。原始時代に過労死は嫌すぎる。
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さて、この移動のさなかに、俺はとある運命的な出会いを果たした。
と言っても、恋愛的な意味での出会いではない。
いや、これが巨乳でスタイル抜群の女の子との出会いだったらよかったんだが。残念ながらそういう話ではない。
俺が出会ったのは実だ。ただし、俺がこの時代にやってきてからずっと探していた実である。
それを見つけられたのだから、運命的という言うほかないだろう。
『ギーロはこれを知っているのか』
『ああ、知っている。知っているから、どうかこれ以上食べないでほしいんだ』
そしてそんな実を前に、俺はガッタマと向かい合って話し込んでいた。
復路二日目の夜、飯のさなかのことである。
『なぜなら、俺たちの群れの周辺ではこれが手に入らないんだ。今後のことを考えると、今残っている分はすべて栽培用に残しておきたい』
『……なんと』
俺の言葉に、ガッタマは驚いて目を丸くした。
『ヂカが手に入らないのか』
『そうなんだよ』
そうして彼は、驚いた様子のままでそれ……ヂカの実を指先でつまんで目の前に掲げて見せた。
ヂカ、と黒アルブス語で呼ばれる植物の実。
それは、どこからどう見ても麻の実であった。
『……わかった。全員をなんとか説得して、一時回収しておこう。その代わり、食料はすべて移動中に狩らなければならなくなる。道具で劣る俺たちでは足手まといだから……』
『わかっている。その点は兄貴にちゃんと説明しておくから』
『すまない』
『いや、俺たちの都合もある。気にしないでくれ』
俺はガッタマを手で制して、これ以上の謝罪は無用と暗に伝える。
そう、麻の実を温存してもらうのは完全に俺たちの都合なのだから。というより、俺の都合だ。
麻! 念願の麻だ! なんとしてでもこの実は持ち帰らなければならない!
麻は素晴らしい植物だ。実は抜群の栄養価を持つ食料だし、茎は繊維に利用できる。
おまけに成長も極めて早いし、ただ何も気にせず育てるだけなら割合簡単な植物でもある。これほど有用なものはそうそうないと言っていい。
もちろん欠点として、葉っぱや花の陶酔作用がある。その部分を下手に扱うと、皆もご存じ大麻という劇物になってしまうのだが……そこに目をつぶってでも麻は育てる価値がある。
特に、茎の部分は是が非でも欲しい。これがあれば、今まで作れなかった袋や長縄、そして何より布が作れる。
麻の繊維質は木綿に比べれば硬く、独特の触感があるけれども、それは些細なこと。布を作ることができれば、そこから様々なものが作れる。単に身にまとう服だけでなく、糸や手ぬぐいなどにも活用できるのだ。
だから俺はこの、ガッタマたち黒アルブスが携行食料として持っていた麻の実を、なんとしてでも群れに持ち帰らなければならない。これはもはや、俺に課せられた使命と言っても過言ではなかろう!
『ガッタマたちはこいつをどうやって手に入れたんだ?』
『どうやっても何も、俺たちがいた聖なる丘の周辺には結構たくさんあったぞ。まあ、俺たちはこれを自分たちで育てていたが』
『栽培していたのか!』
話を聞くと、どうやら彼らは群れの周辺に麻を植えて育てていたらしい。
と言っても、実を食料として使い切らずに取っておいて、種をまくだけだったようだから、栽培や農耕と言うには少し物足りない。
成長は自然に任せる形だから、……ええと、なんと言えばいいだろう。適切な言葉が見つからなおい。一応、原始的な農耕とは言えるか。
ともあれそうやって麻を集団で育てていたため、彼らの群れでは肉以外の食料……すなわちヂカの実こと麻の実があったわけだ。
そして栽培に関する細かい知識の蓄積がないせいで、実ができる端から種をまくという、ほとんど間を置かない連作を行っていたらしい。
このため収穫量自体はだいぶ激しく上下していたようだ。しかしその分、麻の実はあまり季節に関係なく食せていたという。おかげで、相当な規模の人口を養えていたらしい。
先日、彼らはずいぶんと規模の大きい群れだったんだなぁと思った記憶があるが、それは麻によって維持されていたのだろう。
『けどあれだろう。こいつをそんなに大量に育てていたら麻酔いが大変だっただろう?』
『ああ。だからヂカは決められた部族にしか扱えないと決められていた』
『なるほど、さもありなん』
麻酔いとは読んで字のごとく、麻で酔ってしまうことだ。
下手な冗談ではない。実際に日本でも言われていた現象である。
さっきも言った通り、麻の葉や花には陶酔作用がある。しかし麻酔(あるいは麻薬)として機能するには、乾燥させるなど、様々な方法で問題の成分を濃縮する必要があるので、葉や花だけで中毒になることはあまりない。
ただし、あくまであまりない、というだけだ。成分自体は確実に存在するので、麻の収穫時などでそれにさらされ続けると、酒に酔ったような状態になってしまう。これが麻酔いと言われる現象だ。
酔うとは言っているが、もちろんものがものだ。長く麻を扱う作業をしていると、命に関わってくることも十分ありうる。だから育てる場合は、かなり注意して扱わなければならないだろう。
『……その「決められた部族」というのはあれか? ヂカの葉を焼いて出る煙を吸っていたりしなかったか?』
『あ……ああ、その通りだ。そうすることで神々と交信していた』
俺のさらなる問いに答えるガッタマの顔には、「どうしてそれを知っている?」と書いてあるようだった。
その理由はさておき……やはり、大麻吸引は行われていたか。
麻を育てていれば、こいつが持つ効果はさほど時間をかけずに気づくだろう。ましてや火が常にあったわけだから、恐らくおおっぴらに行われていたのではないだろうか。
昔から、麻の陶酔作用は効果を高めたものを浴びることで、自発的にトランス状態になることは行われていたはずだ。
たとえばシャーマンと呼ばれる存在。彼らが人ならざる者の言葉を聞いたりするのも、こうした作用を持った植物を利用してのものだったはず。
ましてや黒アルブスたちは、火を崇めている。火と組み合わせて神々に近づく(と彼らが思っているであろう)行為は、推奨されるべき行い……あるいは特別なものにのみ許された聖なる行いだったのではないだろうか。
『ちなみにその部族は俺の部族だったのだが……』
『お前のかよ!?』
俺が原始時代の文化についてあれこれ考えていると、言葉の爆弾を投げつけられた。
ガッタマは祭祀系の部族の出身だったのか。なるほど、残った群れの中で中心的な立場にいたのはそういうことか。
鉄の流れ星事件がなければ、案外彼の部族から王族なども出現していたかもしれない。
『うむ。だが俺はまだ若造だからな。ヂカには関わらせてもらえていなかった。最低限の扱い方は教えてもらっていたが……教えてもらう前にこのありさまだよ』
『そうか……』
『だがお前にヂカのことを教えてもらってよかった。このままだと、いつもの調子で全部実を食べてしまうところだった』
それは困る、と付け加えて、ガッタマは空を仰いだ。
半月にすら至っていない白い光がそこにはあった。満月はまだ遠い。
『……ところで、ガッタマ。俺たちの群れに着いたら、俺たちにも麻……じゃない、ヂカを分けてもらえないか?』
『え? ほ、本気か? 扱いを間違えると危険なんだぞ?』
『それでも構わない。俺たちの群れに、こいつは必要なものだと思うんだよ』
『ん……んんー、父さんたちが生きていたら大反対したと思うが……うーむ……。……まあ、いいか。部族の生き残りはほとんどいないしな……』
悲しい現実がさらっと飛び出てきたが、これにはあえて触れるまい。見えている地雷以外の何物でもない。
『いい、のか?』
『……一つだけ、条件がある。聞いてくれるか?』
『言ってみてくれ』
『分けるのではなく、俺たちを手伝うという形にしてはくれないか。父さんたちは自分たちがヂカを育てていることを誇りにしていたから……できれば下手に広げたくないんだ』
なんだ、そんなことか。それくらい安いものだ。
というか、誰も彼もが麻を無計画に育て始めたら、とんでもないことになる。群れ全体が中毒で全滅、なんてことになったらシャレにならないから、それくらいの縛りはあったほうがいいとさえ思う。
恐らく、ガッタマたちの部族の掟も、始まりはそれを防ぐためにできたんじゃないだろうか。無駄ないさかいをなくすために。
俺の推測が正しいかどうかはわからないが、いずれにしてもその程度の掟を守るだけで麻が手に入るなら、いくらでも飲もう。
『わかった、それでいい。どのみち俺も常に麻……じゃない、ヂカに常に関わり続けることは難しいから、そのほうがあとくされがないだろう』
『お前がやるのか?』
『ああ。ちょっといろいろあってな……ヂカを使ってやりたいことがあるんだ』
『おいおい、さっきも言ったが命に……』
『わかってる。けれど……そう、実はヂカには他にも使い方があるんだ。俺は神にそう教わった。それを試してみたいんだ』
『神の……そうか、お前はそうだったな。なるほど……だからか』
神という単語に、ガッタマは神妙な顔で頷く。
うーむ、やはり彼ら黒アルブスは俺たちより信仰心が強いな。神という言葉に対する態度が、俺たちよりはっきりしている。
まあでも、今はそれを利用させてもらおう。
現人神として崇められるのは正直勘弁してもらいたいところではあるが、麻が手に入るならこれくらい耐えてみせようじゃないか。
『……わかった。神に選ばれたお前なら、大丈夫だろう。むしろ俺のほうからも頼む』
『よし! ありがとうな、ガッタマ!』
俺は思わず彼の手を取ると、ぶんぶんと上下に動かす。
やった! ついにねんがんのあさをてにいれたぞ!
最悪「殺してでも うばいと」らねばならないかとも思っていたが、ガッタマが素直な若衆でよかったと言ったところか。
『じゃあ、ギーロ。妹を頼む』
『……え?』
『え?』
『いや……え? どういうこと?』
『どういうも何も……言ったじゃないか。ヂカは俺たちの部族でしか栽培が許されていなかった、と。ギーロ、お前は神に選ばれたとはいえ、俺たちの部族の一員じゃないだろう?』
『お、おおう……お……あ!?』
『だから、お前が俺たちの部族の一員になればいい。そのためには結婚だ。
幸い俺たちには妹がいる。あの子は部族でたった一人の女の生き残りだが……神に選ばれたお前のものになるなら、誰も文句は言わないだろう』
『アーーッッ!? ちょま、待った、待つんだガッタマ! それ必要!? 絶対何が何でもどう転んでも必要!?』
『うむ』
『オアアアァァァーーーッッ!?』
なんてことだ。
俺は見えている地雷を回避した先で、特大の地雷を踏んでしまったようだ。
俺にこれ以上、合法ロリの嫁を増やせと!?
なんの試練だこれは! 仏の苦行か!?
『おーい、テシュミはどこにいる?』
『はーい? 兄さん、呼びました?』
「ヒィィィーッッ!」
合法ロリ(褐色の姿)が現れた!
コマンド逃げる!
逃げる!
逃げる!
……逃げられない!!
『……と、そういうわけだ。お前はギーロに嫁ぎなさい』
『わかりました』
えぇぇーっ、なんで即オーケー出せるのこの子!?
ねえ、正気なの!? 昨日初めて言葉交わした異種族の男だよ、俺!
SAN値チェックする!? しよう!? したほうがいいよ絶対!
『よろしくお願いします、ギーロ』
「ちょっと待つのじゃあぁーっ!」
あ、終わった。
俺の人生、墓場に一直線だ。
「何を言っておるのかはわからんかったけど、すごく嫌な感じがするんじゃよ! ちゃんと説明してもらおうかの!」
『? えっと、ごめんなさい、何を言ってるのかわかりません……』
「……うむ、何を言ったのかさっぱりわからん! ギーロ、通訳しておくれ!」
誰か。
誰か、俺を助けてください。
マジで。
マジで……。
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