第41話 遭遇と邂逅
声が聞こえたほうへ走る。飯は残念ながら半分ほどしか食えなかったが、そんなことを言っている場合ではない。
ついでに言うなら俺とメメは能力上戦いはできないのだが、既に日が暮れた中を走るとなると照明役はどうしても必要になってくる。
他の男たちは何かしら武器を持って戦う立場だから、明かりを持つわけにはいかない。
ということで、両手は松明(燃料はついていないが)を持って慎重に走る。身体の動きに合わせておぼろげに揺れる炎尾が、暗闇を切り裂いていく。
と。
「どうしたリキ、リン?」
不意に二匹が立ち止まり、進行方向とは別のほうをにらんだ。そのまま唸り声を上げながら、最上級の警戒をしている。
どうやら何かがいるらしい。全員が警戒を強めた、その瞬間だった。
「うおあ!?」
闇の奥、まばらな木立の上のほうから、突然巨大な何かが躍り出た。
そいつはそのまま俺たちの上を軽々と飛び越え、反対側へと着地。次いで身を低くしてこちらをにらみ返してきた。
「……トラか……!」
十人以上のアルブスを前にしてもなお、ひるむ様子など微塵も見せずに身構えたままのそいつ。赤い炎で照らされたそいつは、巨大かつ筋骨隆々の肉体を持ったトラだった。
毛並はオレンジだろうか。その中に、黒いラインが複数走っている。鋭い眼光は、まるでアイスピックで刺すような強烈な威圧感と恐ろしさをたたえていた。
なんだこいつは。こんなやつに勝てるわけないだろう! アルブスの男より一回り以上余裕で大きいトラとか、ここは核が落ちた後の世界じゃないだろうな!? 化け物以外の何者でもないぞ!
俺の知っているでかいトラは、世紀末覇者の無慈悲な手刀で首をへし切られていたが……こうやって巨大トラと対峙するとよくわかる。そんなこと、できるわけがない。拳王様は格が違うということだな……。
いかん、話が脱線した。現実逃避したくなるほどの相手だったから、つい。話を戻そう。
確かにこのトラ、恐ろしい。大きいというだけでも十分なのに、まるで感情の見えないアサシンめいた瞳も恐ろしいのだ。こいつは相当に殺ってやがるぜ……。
だが、何より俺たちを威圧したものは、トラが発する気配やその雰囲気ではない。
「あ、あの野郎……! あんな小さい子供を……!」
珍しく、兄貴が語調を荒らげて言った。吐き捨てるような言い方だったが、無理からぬことだ。
何せ目の前のトラは、その大きな口に人間の子供をぶらさげていたのだから。
昼間ではないが、それでも確かに見えた。子供の耳は確かに尖っていた。アルブスの系列であると見ていいだろう。体格から言って、子供であることは間違いない。
男か女かはわからないが……いずれにせよ、あの子供はもう助からないだろう。何せ、首がありえない方向にねじ曲がっている。出血もかなり激しい。
「全員構えろ!」
兄貴が号令を下し、皆が一斉に武器を構えた。
しかし、その動きを見るや否や、トラは躊躇なく身を翻して暗闇の中に溶け込んでいく。
「あっ!?」
「くそっ、逃げたぞ!」
「待ちやがれ!」
さすがに、この人数を相手取るとなるとただでは済まないと判断したのだろうか。トラはあっさりと逃げ去ってしまった。竜と並び称される猛獣らしからぬ、鮮やかな撤退だった。
それを追わんと、数人がいきり立って足を踏み出したが……。
「追うな!」
直後、兄貴がびしりと断言した。はっきりした制止に、全員が動きを止めて兄貴に目を向ける。
「……あれを追いかけるのは危険だ。今は夜なんだぞ。不用意に離れたらどうなるかわかったものじゃない」
「し、しかしバンパ……!」
「わかっている! 俺だって悔しい! だが……だが、恐らくこの近くに、あの子がいた群れがいるはずだ。彼らを見つけるのが先決だ……」
俺は両手に明かりを持っているから、見えた。兄貴が拳をきつく、きつく握りしめている様が。
「……あの子のいた群れに、これ以上犠牲は出させない。俺たちはそのためにここまで来たんだ。目的を……忘れるな!」
そして言いきった兄貴の顔は、今まで見たことがないくらい……。
なんというか、その……仁王という感じだった。
あまりの気迫に、誰もが口をつぐんで頷くしかなかった。リキとか、尻尾どころか全身平伏して泣きそうな顔をしている。
兄貴、あれ完全にブチ切れているよな……。普段優しい人だからこそ、本当にプッツンいったときの振れ幅が大きいんだろうな……。この時代でもそういう人っているんだな……。
「……あ、兄貴、その件だけどさ。見てくれ。点々と血が続いている。たぶん、これを追っていけばいいんじゃないかと思う」
すごく声がかけづらかったが、全員がかなりビビってしまっていたので、仕方なく俺が声をかけることにした。
まあ、あれだよ。人口の多い時代、国で三十年以上生きていたからな。怒らせてはいけない人を怒らせてしまったことも、あるんだよ……。誇れない経験だがな……。
「……あ、ああ……そう、だな。うん……そうしよう」
すると兄貴は、ふっと溶けるようにいつもの兄貴に戻った。途端に周囲の気配が適度に弛緩する。
ふうー、と深いため息が頭上から聞こえた。クマのときと違って漏らさなかったようだ。偉い偉い。
「……そうだ、ギーロ。リキたちに血の跡を追うように伝えられるか? 暗くて見にくいから、できればにおいで追跡したいんだが……」
「わかった、やってみる」
兄貴に頷いて、俺はまだ伏せたままのリキと、周囲の警戒を解いていないリンに向き直る。
《ボスの命令。血のにおい、元、探す》
《ボスこわい》
《……わかった》
……リキは安定のポンコツだなぁ。リンに引っ張られてしぶしぶ先頭に立った。
とはいえ、狼としての嗅覚が俺たちよりいいことに変わりはない。目線などで二匹は会話しつつ、俺たちを先導していく。
そうして歩くこと十数分と言ったところか。俺たちの耳に、すすり泣く声が聞こえてきた。
「これは……」
「間違いないだろう。……よし、ギーロ」
「ああ。……おいお前ら、しばらくメメを任せるぞ。頼む」
ということで、メメと松明を一本アインへ渡し、前へ向かう。三人組からの了承を背中に聞きながら、兄貴に並んだ。
神の恩恵のおかげで俺がアルブスとは異なる生物の言葉が話せる、ということは既に群れの全員が知っている。
できれば隠しておきたかったのだが、何せ俺は狼と会話してしまう男だからな……。もはやこれについては開き直っている。
それに今回出会う群れとは、恐らく言葉が全く異なる可能性が極めて高い。ならば、ファーストコンタクトには俺がいたほうが余計ないさかいは避けやすいだろう。
群れの連中は、言葉が群れによって異なるということはほとんど考えもつかないだろうし……そういう意味でも、俺は今回前に出なければならない立場なのだ。
「皆、いいな?」
準備が整ったところで、兄貴が周囲を見渡して問う。返事は無言の頷きだ。
それを受けて、兄貴が深呼吸を一つ。そして、できるだけ普段通りの形で前へ進み出る。
泣き声が聞こえるほうへ、草をかきわけて進む。
ほどなくして、人影が見えてきた。闇に沈んだ夜にあって、まるで黒に溶け込んだように見える人影。
その人影を照らす形で、俺は松明を掲げた。
『何者だ!?』
直後、俺の鼻先に石の穂先が勢いよく突き出された。
そりゃそうだと思いながらも、俺は避けない。すぐさま動いた兄貴の手により、槍は防がれると信じていたからな。
実際そのようになった。鈍い音と共に、穂先は丸太に突き刺さって止まった。
それについては何も言わない。何事もなかったということもあるが、闇の中、直前に仲間を殺された状況で、いきなり現れた相手を警戒するなというほうが無理な話だ。誰だってそうする。俺だってそうする。
だが、この接近を許したのはそれだけが理由ではない。はっきりとしたことはわからないが、俺の言語自動修得という能力は、一定以上まで接近しないと効果を発揮しない可能性が高いのだ。警戒されて近寄ってくる者がいないとなると、困るんだよ。
果たして、俺の能力が発動したのは、槍が兄貴の丸太で受け止められてからだった。能力の検証はやっておくものだな。
すぐさま俺の脳裏に、まったく聞いたこともなかった言葉の情報が勝手に蓄積されていく。さながらコンピュータに新しい情報をインストールするかのごとく、一方的な情報のやり取りだ。
けれども、身体が悲鳴を上げると言った症状はない。物語では、情報を一気に頭に焼き付けたせいで後遺症が出る、なんてシーンがよくあるが……よかった。ほっとしたよ。
ほとんど瞬きするかしないかの、一瞬で習得が完了したというのに。いや、ないならないに越したことはないけども。
ふむ……なるほど、彼らはこういう言葉を使っているんだな。覚えたぞ。
『……心配するな、俺たちは敵じゃない。助けに来たぞ』
『!? ほ、本当か!?』
俺の言葉に、攻撃してきた男は目を白黒させてこちらに歩み寄ってきた。
その態度は藁にすがる溺れている人のようで、槍すら投げ出して俺の肩をがしっとつかんでくる。
この男、兄貴や爺さんと比べてしまうとかすむが、それでも俺より体格がいい。あまり勢いよく迫ってこられると結構なプレッシャーだな……。
血相を変えて声を張り上げているというポイントも加味すると、大人でも泣いてしまいそうだ。
この状況では、危ないから声を抑えろ、などとは言えないよなぁ……色んな意味で……。
『助けに、助けに来てくれたのか!? 一体どこから!?』
『ああ、本当だ。あっちからだ。俺も含めて、ここにいるのは全員、逃げているお前たちを見つけて見過ごせなかったやつらだよ』
『そうか……そうか……』
俺の言葉に、男は泣きながらその場に膝をついた。今までよほど心細かったのだろう。
トラに暗がりから襲われた(と思われる)のだから、無理もない。あんなクソバカデカいトラの奇襲とか、怖いなんてレベルじゃないだろう。
……男の後ろに、喉から血を流してあおむけに倒れている大人の男がいる点については、すぐには言葉が浮かびそうにないが……。
『ともかく、そういうことだから警戒しないでくれ。俺たちは味方だ。食料もあるぞ』
『あ、ああ……すまない……ありがとう……』
完全に感極まったのだろう。男はそのまま号泣し始めてしまった。
彼はしばらくどうにもできそうにないので、とりあえず置いておくとして……他の人たちにも声をかけていかないとな。
もう大丈夫だ、と。とにかくそれを優先して伝えるべく、俺は口を開いた。
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