第39話 秒読み開始

 一抹の不安はあったが、仕事に追われる中で考えていてもいい案は浮かばなかった。

 前世の俺は天才や達人たちになんとか勝ちたくて様々な知識や技術を求めたが、教育学の類はノータッチだったのだ。一人一人に考える力を養う効果的な教育方法など、思いつくはずもない。


 まあ、そんなものが本当にあるのなら、現代社会はもっと住みやすかっただろう。絶対というものがないのが生き物だから、あくまで他より効率をよくする程度が関の山だ。

 その程度でも、今の俺にとってはのどから手が出るほど欲しいのだけども。


「ギーロ……大変なのじゃ」

「おう、何があった」


 メメの声で我に返った。


 ここは物見櫓の上。北にいると思われる丸耳の人間に備えてこの三年の間に建てたものだが、鉄の流れ星以降は主に東に向けて使われている。

 今は東をさまよっている色違いの群れを観察するために、メメと一緒にここにいる。

 二人きりなので、会話はもちろん日本語だ。


「色違いの群れ、また人数が減っておるのじゃよ」

「またか……」


 その色違いの群れを今まさに見続けていたメメの言葉に、俺はため息をついた。


 いや、仕方ないとは思う。過酷な原始時代だし。装備がないことはもちろん、野生動物の危険だってある。

 にしても、ちょっと減る速度が早い気がする。彼らを発見して長老たちに報告してから十日程度だが、人数が減ったのはこれで三回目だ。


「というか、現在進行形で今一人減ったのじゃ……」

「マジかよ」


 追加の報告に、思わず目の焦点がぶれた。


「なんか、すっごく大きな角のあるでっかいやつに追いかけられておる……」

「……サイかな? そりゃ死ぬわ……」


 この時代のサイと言えば、某ライダーに登場した怪人のモデルにもなったエラスモテリウムだと思うが……あれって確か、全長五メートルくらいにまで達するくらい大きなサイだったような。

 重さ? 余裕でトンだよ。三メートル半くらいある現代のサイが二トンとか平気で行くんだぞ。五メートルに達するエラスモテリウムなら、空荷の四トントラックくらいは軽く轢けると思うよ。積載最大でも危ういんじゃないか?


 そしてサイといえば、見た目に似合わない疾走力も特徴の一つ。二十一世紀のサイより大きい分速度は出ないかもしれないが、少なくとも人間の出せる最高速度よりは速く走れる可能性はかなり高い。

 そんなやつを相手取るなど、パワーの権化であるアルブスの男でも極めて危険だ。正面から殴り合いで勝てるかと言えば、俺はノーだと思う。


 ましてや老若男女入り乱れる移動中の群れだ。うっかりサイと遭遇してしまおうものなら、ただでは済まない。

 だから現在進行形で群れの数が減ったということは、つまりそういうことなのだろう……。


「……あっ、また一人」

「……生きてここまで辿り着けるやつ、いないんじゃないか?」


 十分あり得る。まだまだあそこからここまではかなりの距離がある。まっすぐ進んだとしても、結構な日数がかかるはずだ。

 そしてあの周辺は、鉄の流れ星の影響で動物の種類も数も多くなっている。野生動物とうっかり遭遇する可能性は、普段より高いわけで……。


「……ある程度の距離まで来たら、うちから出迎えに行ったほうがいいような気がしてきた」

「わしらには丸太があるからのー」


 最初に出てくる武器が丸太なあたり、メメは確実にディテレバ爺さんの娘だよ……。

 とはいえ現状、丸太がうちで最強の武器であることには変わりがない。あれを持ったうちの人間が行けば、安全はもう少し確保できると思うのだが……。


「あっ、一気に三人踏まれたのじゃ……」

「生きろ……頼む……」


 ……距離が恨めしい。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



 俺と組んだときのメメは、本気を出せば三百キロ近くを見通せる。これはカスピ海の幅から超大雑把に算定しているのだが、だとしても百五十キロは最低でも見通せていると思う。

 なぜ俺たちが組んだときに限って物理法則さんが寝てしまうかはいまだに謎だが、ともかくそれくらい見ることができる。


 その最大に発揮させた視力の中で、色違いの群れが有効射程範囲のちょうど真ん中あたりまで来たのは、さら十日が経過したときだった。その人数は、三十人程度にまで減っていた。

 最初に発見したときは、メメいわく、


「今の倍くらいはいたと思うのじゃ」


 ということだったから、相当に過酷な旅をしていることがわかる。過酷というか、もはや死の行進という感じだ。


 このままだと、本気で彼らは全滅する。そう思った俺は、危険を覚悟で彼らを救出しに向かうことにした。


「……ギーロはやっぱりバンパお義兄の弟じゃよな」

「うん? どういうことだ?」

「なんだかんだでお人よしなのじゃ。誰かが困ってると助けに行くんじゃもの」


 夕暮れ時。旅の準備をしている俺の傍らでメメが言ったことには、素直に賛同できなかった。


 俺は別に、色違いの彼らが困っているから助けにいくわけではない。今後俺が新事業を進めるに当たって必要になってくる、人手を失いたくないから助けに行くのだ。

 それと気が早いかもしれないが、外部の血を群れに導入したいという理由もある。近親交配はそのときはよくてものちのち子孫の生存率を下げるから、避けられるなら避けたいんだよ。


 だから完全に打算の行為で、お人よしという評価は分不相応だろう。


「俺は兄貴と違って無償の善意は持ち合わせていないぞ。いつも見返りを欲しがってる。あくまで労働力が目当てで……」

「だとしても、死ぬかもしれないのに助けに行くって、普通は言えんと思うんじゃよ」

「…………」


 思わず言葉に詰まった。言われてみれば、そうかもしれない。


 不思議だな。死にたくないからあれもこれもと忙しなくやっているのに、死ぬかもしれないことに首を突っ込むなんて、最初の頃だったらやらなかったはずだ。もちろん、前世では絶対にやらなかったに違いない。


 あれかな。エッズとの約束は、こういうところにも影響しているのかもしれない。 


「そういうギーロがわしは大好きなんじゃけどな」

「お、おう……」


 メメさんや、不意打ちは禁止だ。告白は語彙の少ないアルブス語でやってほしい。


 くそう、カウンターしてやる。


「……そうは言うが、お前だって相当だと思うぞ」

「そうかのー?」

「だって、今までだって何度も外に出ては危ない目に遭っているだろ。今回にしてもお前、行くって即答だったじゃないか」


 そう、俺はいつものようにメメを連れていく気だ。彼女もそれに合意している。

 今までにしても、隕鉄の欠片集めや野菜探し、カスピ海へ塩を採りに行くときなど、常に一緒だった。こんなに群れの外に出歩く女は、メメしかいない。


 けれども、そのすべてが合意のうえだ。彼女は一度たりとも断ったことがないのである。危険はつきもので、実際この三年間で何度も危険と遭遇しているのにも関わらず……。


「だってギーロの近くにいたいんじゃもん」

「……お前なぁ」


 どうやらカウンターをしたつもりが、そっくりそのまま返されたらしい。

 素直ってこんなにも強い性格だったのか。


「それにギーロの役に立てるのは嬉しいしの」

「そ、そうかい……」

「本当はバンパお義兄みたいに、もっとギーロの役に立ちたいんじゃけど……やっぱり女にはできんことが多いからの。じゃからせめてわしはいつもギーロのそばにいて、ギーロの目になるんじゃ。そこはうんと頼っておくれ」

「…………」

「でも、他にもわしにできることがあったら教えてほしいんじゃよ」

「……なんで?」

「もっとギーロの役に立ちたいって言ったじゃろ。見る以外のこともできるようになって、いっぱいいっぱいわしに頼ってほしいんじゃよ」

「メメ……:

「今だって、本当なら助けてあげたいんじゃけどなー。今ギーロが悩んでおることにちゃんと答えられる自信ないしのぅ……。じゃからいつか助けてあげられるようになりたいんじゃよ」

「そう、か……」


 驚いたな。メメの口からそんな言葉が出るなんて思っていなかった。

 子供だ子供だと思っていたけれど……成長しているんだな。こんなに他人の心の機微を察せられるようになっていたなんて。

 おまけに自分が今できること、できないことを見極めたうえで、不必要に踏み込まないでいられるとは。大人でもそれができる人間は多くないだろうに。

 もう立派な大人なんだな。身体だけでなく、心もちゃんと一人前になっていたんだな……。


「……ありがとうな。嬉しいよ」

「えへへー、どういたしましてなのじゃ」


 俺になでられながら、メメは顔をほころばせる。こういうところはまだまだ子供らしい。

 けれどいい笑顔だ。相変わらずかわいいやつだ。


 そのまま俺は、なでる手で彼女の頬を弄ぶ。

 ぷにぷにである。本当にアルブスは原始人らしからぬ顔面偏差値と美肌をしているよな……。


 などと考えていると、メメがいつの間にか腕に中にいた。油断も隙もないやつだな。


「こーら」

「やじゃ、ここがいいっ」

「まったくもう……」


 まあいいか。別に重くはないし、邪魔にもならない。暖かいし、これはこれで、なかなか。


 それにしても、頼ってほしい、か……。


 確かに、俺はあまり人に頼らない。頼る必要がない、と言ってもいい。物事の答えを知っている分、新しいことを俺一人で形にできてしまうから。

 農耕や鍛冶などはさすがに試行錯誤を繰り返す必要があるが、それ以外のものだとその傾向が強い。特に最初の頃に作った道具などは、本当に俺だけでなんとか形にしたものばかりだ。


 ひょっとして、だからだろうか? 俺に依存するような考えが長老にすら生まれてしまったのは。

 俺がもう少し、色んな人間を巻き込んで一緒に試行錯誤していたら……少なくともそのように見せていたら……今よりも、自立した考え方が多く根付いていたのではないだろうか?


 もちろん、いずれにしても発端が俺である以上は、結果は変わらなかったかもしれない。しかしそれは結局のところ、やってみなければわからないことであって、今のままでは結論は一生出ないだろう。


 けれど、結論が出ないなら……。


「やってみればいい、か」


 まだ取り返しはつく時期だ。それに、他に案があるわけでもない。試せるのであれば、何でも試してみたほうがいいだろう。


 うむ。

 この半月、ずっと足踏みしていた懸案が少しだけ前に進んだ気がする。


 さしあたって、まずは……もう少し、メメに頼ってみるか。頼るというか、相談しよう。メメはちゃんと物事を考えて、意見が言える女だ。


「何か言ったかの?」

「いや、別に。……なあ、メメ」

「んー?」

「ありがとうな。お前がいてくれて、本当によかったよ」


 だから俺は、そのきっかけをくれた彼女に、そっとささやいた。


「へぁぅ!? え、ふえ、なん、急に、えぇっ!?」


 彼女が途端に耳まで含めて赤面したのは、言うまでもない。

 この日は結局、メメに相談できなかった。この後よくわからないことを言いながら、ずっと取り乱したままだったのだ。どうもやりすぎたらしい。

 面と向かって愛のストレートパンチをぶちかまされた反撃はできたかな?


 まあでも、これはこれで楽しかったので、よしとしよう。うん。

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