第35話 アルブス農園
先にも述べた通り、小麦以外の野菜も育てている。小麦も大事だが、こちらも捨て置くわけにはいかない。
畑の場所は小麦畑から離れてはいるものの、同じく群れの北側にある。やはり川の水が最大の理由だ。
小麦と距離を置いているのは、連作障害をできる限り抑えるために小麦をはじめいくつかの作物を、毎年違う場所で育てているからである。
「おー、たまねぎ大きくなっておるのー!」
移動して最初に見た(いや、舌打ちを刻んでいたから音の反響で大きさを確認しているのだと思うが)光景に、メメが嬉しそうな声を上げた。
俺も嬉しい。何せ、視界に飛び込んできた玉ねぎの株は、順調に育っている様子だったのだから。
玉ねぎは初年度からうまく種が採れて、栽培もその後順調にやれている野菜だ。今のところ、小麦に次ぐ作付面積を誇る。
一つ一つのサイズは俺が知る二十一世紀のものに比べるとかなり小さいのだが、それでも味のほうは俺が思っていたよりかなり玉ねぎに近い。
記憶にある玉ねぎよりも辛みが強めなので生では到底食えないのだが、それは火を通せばいい話だ。特に、しっかりと茹でた玉ねぎはほんのりと甘いため、群れの中では人気の野菜になっている。やはり甘みはうまみであり、偉大なのである。
単純に、日持ちする野菜だからという理由もあるだろうけども。
個人的には、他の野菜と併せてブイヨンを作りたいと思っている。選択肢が少ないし、胡椒もないので、今は保留にしているのだが……この調子なら、玉ねぎと塩だけでまずはチャレンジしてみてもいいかもしれない。
「種を採るほうもいい感じだな」
「もっさもさじゃな。かわいいもんじゃ」
玉ねぎの区画は、ネギ坊主がある集まりとそうでない集まりにほぼはっきりと分かれている。
これはもちろん意図的なもの。玉ねぎはネギ坊主ができないと種を採れるモードにならないから、先々のためにもこういう配慮が必要なのだ。
ただ、今のところ意図的に弱らせて種モードにしているので、一抹の不安がないわけではない。弱った状態で作られる種がどういう結果を生むのかは、結局素人の俺には分からないのだから。
ちなみに栄養過剰状態にしても種が採れる態勢になるのだが、こちらはそのための肥料を確保できないので、やれていない。原始時代にそんなものはない。
だからこの点については、技術白書に何らかの形で一文を添えておくか、口伝として後世への警句を残しておくかを考えているところだ。
「あと二カ月くらいで収穫じゃろ? 楽しみじゃなー」
「ああ、ここは安心できそうだ」
もちろん何があるかわからないのが農耕なわけだが。今は明るい未来を夢見ていいだろう。
「次はホウレンソウだが……」
「……順調じゃな」
次に移ったところで、急にメメが言いよどんだ。味を思い出したのだろう。顔をしかめているかもしれない。
そのまま移動の道中無言が貫かれた。メメのやつ、ホウレンソウ大嫌いだからな。
「気持ちはわからなくはないけど」
「…………」
黙り込んでしまったメメに苦笑しつつ、俺は畑に目を向けた。そこには、収穫間近のホウレンソウが植わっている。
ホウレンソウは玉ねぎの次に見つけた野菜で、群れでの重要度は比較的高い。
比較的簡単に育てられる上に、短いペースで育つから数回に分けて育てれば長く収穫できる。おまけに栄養価も豊富と、いいことづくめだ。
ただ、最大の問題は味である。独特の苦みとえぐみのおかげで、特に子供たちからは大不評なのだ。メメもその一人である。
今し方口に出したように、気持ちはわかる。俺も前世、子供の頃はホウレンソウが大嫌いだった。母親が「薬だと思って食え」と執拗に食卓に上げていたっけなぁ、懐かしい。
大人になって味覚が変わってきてからは、食べられるようになったのだが……それでもホウレンソウは決して得意ではなかった。だからメメには偉そうなことは言えない。
あーあー、醤油があればおひたしにできるし、チーズやバターがあれば炒めたりできるのに。
……無い物ねだりだということは分かっているとも。原始時代にそんなものはない、ってな。
だから今のところは、素材の味を楽しむことしかできない。これはホウレンソウに限った話ではないので、調味料も整えていきたいところだが……。
ともあれそういうわけなので、ホウレンソウの重要度は高いものの、作付量自体はかなり少ない。
まあ、食べすぎるとシュウ酸が蓄積して結石の元になるし、今くらいがいいのかもしれない……と、後ろ向きにポジティブなことを考えている。
ただ、群れの長老がホウレンソウにだだハマりしているので、その点が少し気になるが……。
「それから大根だな」
文字通り苦い思い出のあるホウレンソウはほどほどにして、次に進もう。
次は大根だ。玉ねぎたちからはさらに少し距離を置いたところに、大根は植えてある。
と言っても、こちらは植えたばかりでまだ発芽したばかり。見た目はとても慎ましい。
「小っちゃいのー」
「植えたばかりだからな。って言っても、あと十五日すれば食えるようになると思うけど」
「あははは、それは早すぎじゃろ。からかわんでおくれ」
「いや、予想が正しければだが、マジだ」
「……まじ?」
「おうよ」
メメが絶句した。今年になって初めて作り始めたものだから、その反応も無理はない。
だが俺の予想が正しいなら、本当に収穫までさほど時間はいらない。
何せこの大根、ラディッシュだからな。
ラディッシュ。戦闘力たったの五か……などと言うあの人の名前の、恐らく元ネタとなった野菜。
その別名は二十日大根。名前の通り、二十日で収穫できるというお手軽野菜だ。
それでいて、根はもちろん葉も食べられるというすごい野菜でもある。根の部分は主に生食に向くし、この時代に育てるにはうってつけだろう。
とはいえ直前に断言しておいてなんだが、これは恐らくラディッシュそのものではない。原種だと思われる。
それでも味も見た目もよく似ているので、生育過程もさほど違いはないと思う。なので、お初となる今回は二十一世紀の知識をそのまま使って育てている。試行錯誤はその後にすればいい。
実のところ、このラディッシュに限らず他の野菜も俺がそう呼んでいるだけで、恐らくは二十一世紀のものとは違う。以前、鹿や牛などの動物で同じことがあったが、それでも今さら新しい名前をつけるのは面倒だし、そんなアイディア凡人の俺にはない。
だから今後も、あらゆるもののことは二十一世紀のそれと同じ名前で扱うから、その点は念頭に置いといてもらえると助かる。
話を戻そう。
そんな二十一世紀とは異なるであろう作物を、二十一世紀と同じ育て方をするのは、他に方法が思いつかないからだ。繰り返すようだが、俺に農業への深い造詣はないのだから。
ただ、最初に二十一世紀のやり方を試してみて、それが正解だったらラッキーじゃないか。他の方法は、二十一世紀流がダメだったときに改めて考えて試行錯誤すればいいと、まあそんな風に考えているのである。
ちなみにこれでうまくいったのが玉ねぎとホウレンソウ、ダメだったのが小麦とソラマメだ。
ラディッシュもうまくいってほしいところだが、さてどうなることやら。
……え、ソラマメ?
いや、実は関東以南の感覚で種まきの時期を決めたら、全滅してしまってな……。
というのも、ソラマメというのは基本的に育てやすい植物なのだが、生育時の気温に強い影響を受ける。つまり育てる場合、地域によって適切な時期が違うのだ。
氷河期の、しかも東北地方と同程度の緯度にあるこの辺りで、関東周辺の感覚で育てたらそりゃあ全滅もやむなしだ。
ついでに言えば、この辺りは内陸。同じ緯度でもまた少し適切な気温が違うように思われる。北海道などの寒冷地あたりの感覚で植えてもどうにも芳しくないので、まだ試行錯誤が続いているところだ。
具体的には、この大根畑からまた離れたところに、つい先日の三月半ばごろ植えた。
ただ、既にラディッシュに背丈を抜かれている。先行きが不安な光景だよ。
「……とりあえずメメ、大根畑の間引きやっておこうか」
「確か、えいよう? を集中させるために小さいやつを抜くんじゃったな。やるやる!」
俺に頷いたメメが、器用に俺から降りてきた。
そのまま二人でラディッシュ畑に入り、間引きを始める。
普段、この作業は先ほど小麦畑で雑草取りをしていた面々に任せるのだが、ラディッシュは今年初めて扱う作物だ。
こういう場合は、俺がまず実験的に最初から最後まで携わることにしている。要するに、農耕に関しては、育て方を確立させることが俺の主な仕事というわけだ。
ただ、これもいずれは俺だけでなく、他の人間と一緒になってやっていくべきだと思っているが……。
「これは抜いていいやつかのー?」
「んー? ……おう、こいつは明らかに発育不良だな。やっちまえ」
「おー!」
と、そんな感じでメメとのんびり間引きを進めていく。
手元での作業なので、メメが今まで以上に舌打ちがリズミカルだ。
そしてその動きは、目を閉じているはずなのに、完全に見えている人の動きになっている。反響定位を使っていることは重々承知しているのだが、はた目から見ると本当にとんでもない姿だ。メメもなんだかんだで兄貴並みに高性能だよな。
そんな彼女に、俺は口笛でメロディを合わせたくなるのをこらえながら、間引きの判断を下していく……。
「……なんじゃ?」
その時、メメが不意に顔を上げて空を見た。
あまりに突然だったので、俺は思わずその視線を追いかける。
しかし、これと言って変化は見当たらない。いつも通り青空が広がっているだけだ。
「どうか――」
――したのか?
と、メメに問いかけようとした、まさにその時だった。
この原始時代にあるまじきジェット機のような轟音を響かせながら、大空を一条の火の玉が通過して行った。
横一文字に西から東へ飛んでいく火の玉。完全に天変地異である。
唖然として火の玉を見ていると……次の瞬間、火の玉がいきなり爆発四散した。同時に、やはり原始時代ではまず耳にできない、激しい爆発音が響き渡る。
その結果、火の玉は複数の小さな火の玉に分裂し、東の果てに向かって雨のように降り注いでいく……。
「……隕、石?」
その光景を見た俺は、ほとんど無意識のうちにそうつぶやいていた。
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