第33話 未来への挑戦状

 神託四年 四月三日


 一か月前にいなくなったリキが帰ってきた。てっきりもう戻ってこなくて、どこかで死んでいると思っていたからびっくりした。

 しかも嫁まで見つけてきたから、余計にびっくりした。


 ギーロが言うには、これから夫婦で住みつくらしい。「リン」と名付けていた。神語で、「厳しく引き締まっている様子」を著す名前らしい。神字では凛と書くらしい。

 リンはリキと違って、バンパお義兄にも尻込みしない。尻尾も振らない。だから名づけたんだって。


 それから必要な食糧が増えるなとぼやいていたけど、ギーロはその割に嬉しそうだった。わしも嬉しい。


 リキたちがいれば、外敵が群れに近づいた時に教えてくれる。それに、狩りでも獲物を追いこんだりして活躍するらしい。

 リキは狩りが得意じゃないとは聞いているけど、わしたちにはできないことができるし、いてくれたほうがいいんだと思う。


 それに、リキはかわいい。くんくん言いながら男たちにじゃれつく姿を見ていると、胸がふわふわする。


 でも女はリキに近づけない。女は小さいから、もしかのとき危ないから、だって。

 それはわかるんだけど、わしもリキをなでなでしたい。


 そう言ったら、ギーロは小さく笑って、


「リキたちに子供が生まれたら、触れると思うよ」


 と言ってくれた。

 生まれてしばらくは、狼もわしたちと一緒で小さいんだって。だから、その間は女でも触れるはずだって。


 今からリキたちが子供を産むのが楽しみじゃ。


 わしと、どっちが先に産むかな?

 わしも早く子供がほしいのう。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「どうじゃ? 今回は一つも書き間違いしておらん自信があるんじゃが!」


 リキが嫁……リンを連れてきた翌朝。俺はメメが書いた粘土板を査読していた。

 自信満々にメメの主張は正しく、今回は特に間違いは見つからない。


 記された文字は漢字にかなとカナが混ざった完全な日本語なのだが。子供の吸収力がすごいのか、俺の教え方がよかったのか、はたまたメメ個人の資質かはわからないが、この短期間でよくもここまで達したものだ。

 もちろん厳密に添削するなら、赤ペンを入れられる場所はあるだろうが……日記でそこまで目くじらを立てる必要はないだろう。


 ……ただ、最後の一文は個人的に削ってほしいなぁ。こういう細かいところで子作りアピールをしてくるんだよ。


 日記に綴られた個人の気持ちを削るなんて、ディストピアじゃあるまいしやらないけども。


「ああ、問題ないぜ。よくできてるよ」


 だから俺は、自分のわがままを飲み込んで頷いた。もちろん、日本語でだ。


「わーい! やったー! 神語も神字もマスターしたのじゃー!」


 と同時に、メメは喜色満面で万歳した。よほどうれしかったのか、家の中をぴょんぴょん跳ね回るほどだ。


「そんなに嬉しいものかねぇ?」


 とは言いながらも、これが存外嬉しい俺がいる。

 やはり、俺の母語は日本語なんだろうなぁ。日本語で会話できるという単純なことが、本当に胸にしみるのだ。


「当たり前じゃろ! これでやっとお前様と本当に話ができるんじゃもん!」

「別にアルブス語でもできるだろうに……って、いや、わかってるよ。言わんとしていることはわかるって。俺に合わせたいんだろう?」

「そうじゃ!」

「あとは……あれだな。表現力にも雲泥の差があるからなぁ。何千年もかけて形成された言語と、原始言語じゃ比べるべくもない」

「うんうん」


 俺の指摘に、こくりと頷くメメ。


 そして、


「神語なら、『愛してる』って言えるからの!」


 盛大なストレートをぶちかましてきた。

 思わず手で顔を覆う俺。


「お前なぁ……」


 確かにそういう表現も教えたのだが……こいつ、本当に臆面もなくそういうことを言ってくるんだよ。羞恥心という概念がまだ薄いからだと思うのだが、それにしてもストレートすぎる。

 慣れ親しみながらも、ずっと聞けていなかった母語でまっすぐ放たれる愛情表現って、結構効くんだよ……。


「へへへー♥」

「まったくもう……」


 そしてこいつ、スキンシップ魔でもある。最初からずっと肩車でコンビだったことと、普段目を開いておけないことが原因だと思うが、基本的にパーソナルスペースがゼロ距離なんだよ。

 仕方なしに頭をなでてやるのだが……どうしてここまで懐かれたのか、正直よくわからない。


 世間的には確かに俺たちは夫婦だ。それにメメの能力がものすごく有用ということもあって、確かに他より優遇していたとは思うが……それも大半は、すぐ近くでディテレバ爺さんが目を光らせているからだ。俺は仮面夫婦のつもりなんだけども。


 ところがどっこい、メメは俺と会話したいという理由だけで日本語を学び、しかもマスターした。発音もちゃんとできている。

 たまに怪しい部分もあるが、何十年も日本で活動しているのにさっぱり発音がうまくならない歌手に比べれば、気にもならない。


 いや、別にそれは問題ではないんだよ。日本語で会話できること自体は嬉しいし、俺が忙しい時は筆記役としてあちこち出向いてもらったりもしている。


 では何が問題って、ここ一年ほどでそれに完全に慣れた自分だ。べたべたくっつかれても不快ではない自分が恐ろしい。

 違うんだ。俺はロリコンではないんだ。これは父性愛とかそういうやつであって……。


 悟れ。悟るんだ俺。

 そして去れ! マーラよ!


「……とりあえず、この日記は完成ってことでいいな?」

「うん、おっけーじゃよ」

「んじゃ、日干しして焼くか。いつも通り順番待ちの棚に置きに行こう」

「うん!」


 こくこくと頷くメメをひょいと抱き上げて、立ち上がる。


 そのまま彼女は器用に俺の腕から頭上に這い上がり、肩車のスタイルを取る……っとと、今落ちそうになったな?

 たまにあるから、こういう危険を警戒しておくのはもはやいつもの癖なのだが、それでも実際にあわやとなるとひやっとするな。


「ありがとなのじゃ」

「気にすんな」


 どうってことはない。いつものことだ。


 さて俺はと言えば、メメが書いた粘土板を左手に、ここ数日かけて書いていた粘土板を右手に持った。

 俺が書いていたほうは全部で五枚あるので、最終的には両手ですべてまとめて抱える体勢になる。

 肩車していることを考えると、俺もだいぶサピエンス離れしたものだと思う。


「おはようギーロ、メメコ。今日も仲がいいな」


 家を出たところでバンパ兄貴と顔を合わせた。その両隣にはリキとリン。散歩帰りかな? まだ夜が明けて間もないのだが。


 ともあれ、ここからはアルブス語だ。日本語は俺たち二人だけのものだ。

 ……あ、いや、訂正する。俺たちを現人神のごとく崇める一部の連中が、少し使えたわ。


「おはようじゃよー」

「ああ、おはよう。そう言う兄貴も……すっかり二匹に懐かれたみたいだな」

「いやいや、リンのほうは全然だ。しっかりした女だよ」

「まあリキが特殊すぎるだけだからな……」


 目を向ければ、今もリキは兄貴の隣で尻尾を振っている。

 対するリンは、澄ました顔でリキをにらんで……あ、いや、これはチベットスナギツネ的な呆れ顔か。


「見たところ粘土板のようだが、今日は焼きをするのか?」

「いや、昨日書いたばかりだからしばらくは干すよ。割り込んでも無駄だし、順番通り待って焼くさ」

「そういえばそうだったな。……今回の内容はなんだ?」

「一番上にある小さいのはメメの日記だ。群れに何か起きた時に書いてもらってるいつものだな。俺のほうは……」


 少し言葉に詰まったそのタイミングで、メメが上から自分の粘土板を持ち上げた。

 おかげで俺の粘土板が露わになったのだが、こいつは俺の心でも読めるんだろうか。


「ええと、なになに? 一文字目は『青』……だよな? アオと読めばいいのか? それともこの場合はセイか?」

「正解。読みはこの場合セイだが……よくわかるな……」

「俺も必死だからな」


 自嘲気味に兄貴は肩をすくめたが、必死程度でどうにかなるレベルではないと叫びたい。

 三年だぞ。たった三年でここまで文字が読めるようになるか? それも表意文字で、しかも文字ごとに発音が変わる日本語式だぞ?


 はっきり言って、俺なんか凡人も凡人だ。兄貴こそこの時代のチート英雄だろう。神の手が入っていると言われても何も驚かないぞ……。


「……これの読みは『青銅器』だ」

「セイドウ……ああ、あれか。水路を作ったり木を切ったりする時に使っているきらきらしたやつ」

「そう、その青銅について俺が知っていることをまとめたんだ」


 ここでメメが、再び自身の粘土板を俺のものに乗せた。阿吽の呼吸すぎる。


 それと兄貴。確かに俺はあれを青銅と呼んでいたが、そう何度も兄貴の前で呼んだ記憶はない。どんな記憶力だ。


「お前の『技術白書』も第八節か」

「青銅はまだ途中だけどな」

「いやはや、どこまで続くのやら……」

「最低でも八十節かな……? 俺の寿命次第だから、最後まで行けない可能性が高いが……」

「第一節を見た時にも『そんなにあるのか』と思ったが、何度でも思いそうだな……」


 はあ、と兄貴が呆れにも似たため息をついた。


 そう、俺が書いていたのは原始時代から現代まで至る、文明を形作る様々な技術についての知識だ。

 皮加工から始まり、弓術(投石器はここに含めた)、竪穴式住居、土器、文字、暦、畜産と来て、現在青銅器について執筆中である。


「目下の懸念だった水路工事は終わったから、しばらくは執筆に専念したいところだなぁ。書いている俺が言うのもなんだが、終わりが見えないから少しでも早く完成させたい」

「無理はするなよ? お前の知識が途切れてしまったら、俺たちだけでなく遠い先の子供たちにも関わるんだからな」

「わかってる、無理はしないよ」


 どのみちできない。夜になると明かりがないから、書こうにも書けないのだ。

 燃料はあるのだが、手元の作業を照らすのにちょうどいい火を獲得するために必要な芯材が心もとない。いつも世話になっている樹皮さんが使えると言えば使えるのだが……明るさが安定しなくてな。


 だからろうそくの類が欲しい。このままだと、本当に冗談抜きで途中で終わってしまいかねない。


 そもそも現状では、俺に知識が集中しすぎているのだ。俺に何かあったら、この群れの命運も決まると言っていい。安定しているように見えて、その実かなりの綱渡りなのだ。

 この一極集中状態を緩和し、さらに俺以外の人間から各分野への第一人者が出てきてくれれば、繁栄への道はさらに広がる。

 そう思って書き始めたのだが……いやー、パソコンって本当に便利な代物だったんだなと、今更ながら痛感している次第だ。


 もちろん、俺の知識をすべて書き出せたとしても、それですべてをカバーできるわけがない。所詮は一般人の域を出ない程度の知識しか俺は持っていないのだから。

 結果として、わからない分野に関してはふんわりとしたイメージや、どの技術から繋がるか、どの技術に繋がるか程度しか書けない。これからもそれは続くだろう。

 だとしても、何かしらの形で指針なりヒントなりがあれば、人類はより早く、より的確に文明を築いていけると思うのだ。早い段階で文字を普及させようとしたのもこのためだ。


 ただし、内容はすべて漢字、ひらがな、カタカナが入り混じる日本語だ。

 現状ではひらがなカタカナはほぼ群れ全体に浸透したが、漢字まで理解できるのはメメと兄貴、そしてあのロリコン三人組くらいしかいないのにである。


 知識を広げたいのにどうしてそんなことをしたのかと言えば、まず何よりも書物の完成を優先しているからだ。原本ができていれば、そこからひらがなカタカナに崩すことができるからな。


 というのも、俺の知識は恐らくあの神によるチート能力だ。とてもではないが覚えきれない量を覚えているのだから、しかも忘れる気配がないのだから、そうとしか考えられない。

 だとしたら……そう、人から与えられた能力が、何かの拍子で消えることだってあり得ると思うのは当然だろう。そしてもしそうなったとしたら、続きは書けなくなってしまう。

 もちろん失うことなどないかもしれないが……そんなこと、俺にわかるはずがない。

 だから早いうちになんとかしたくて、今は日本語そのままで記述しているというわけだ。


 ……ただ、やるべきことが他にもありすぎるんだよなぁ。

 先にも言ったが、この忙しさをなんとかしたくて本を書き始めたのに、本を書くために仕事を進める必要があるという矛盾に陥っている。卵が先か鶏が先かという感じだ。


 まあ、それでも俺はもう出し惜しみしないと決めたのだ。だからこれからも執筆は続けるつもりだ。

 そして本当に出し惜しみなどせず、可能であれば二十一世紀の行き着くところまでやってしまおうと思っている。インターネットとかその辺りまで書けたらすごいことになりそうじゃないか?


「……とはいえ、他にも書きたいことはあるんだよな……」

「本気か」

「本気だぞ? だから時間が足りなさすぎる」


 こうした技術などに関すること以外に書きたいというのは、前世の歴史とそれに伴う警告文だ。

 知識と技術は、時にとんでもない結果を産むことがある。日本人なら誰もが知る原爆投下被害や、環境汚染などはその最たる例の一つだろう。

 そういう悲劇を避けるためにも、技術白書にはセットとなる歴史書をつけたいと思っているのだ。全史黒書と名付ける予定。

 最初はどちらもゲームとか歌から取ってこようと思ったが、それだとお茶目が過ぎるかなと思って……。


 とはいえ、粘土板なら後世まで残る可能性は十分ある。少なくとも数千年は持つだろう。これを見つけた未来の人間が驚くことは間違いなかろう、というある種の期待があることは否定しない。


 歴史学者などは、一体どう思いどう考えるだろうか?


 彼らの顔は絶対に見れないが、その光景を妄想するのが最近の楽しみだったりする……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る