第32話 人類の友
……待て。二匹だと?
群れで「いつもの」と呼べる狼は一匹だけのはずだが。なぜ増えているんだ。
「メメ……気のせいかな。俺には二匹に見えるんだが」
「ん? わしにもそう見えるぞ?」
「……義姉さん?」
「私もそう見えるね……」
メメは俺の上で気楽に答えたが、サテラ義姉さんは不安げに俺の後ろに隠れた。
まあ、そりゃあな。狼って、遠くから眺めている分にはかっこいいけれど、間近で見ると結構怖いよな。
でもあの狼が俺たちを襲うことはない。あいつ、この二年間ずっと群れの間近で暮らしていた狼だからな。俺はリキ(力)と呼んでいる。
名前という概念はわからずとも、名前が自分を指していることは理解しているようで、呼べばちゃんと反応してくれる。だからよほどのことがなければ大丈夫だ。
でも二匹目はどうだろう。いきなり人間と付き合っていけるとは思わないほうがいいとは思うが……。
とりあえずメメは俺が守るとして、義姉さんには伝言役を頼むとしよう。
「義姉さん、悪いけど兄貴を呼んできてくれないか?」
「う、うん、わかった」
そろそろと義姉さんが離れていく。
視界から彼女が消えるのと、リキたちが間近までやってくるのは同じくらいのタイミングだった。
近くで見ると、二匹の様子もだいぶはっきりとわかる。
リキはやはりオスの狼らしくなかなかに大柄で、顔つきも精悍だ。体高(地面から肩までの高さ)は一メートル近いから、他の狼と比べても大きいほうだろう。最初はもっと小さかったのだが、よく育ったものだ。
また、全身真っ黒な毛並に浮かぶ目つきは鋭く、姿勢も綺麗。狼の中でも相当なイケメンだろう。眺めている分には本当にかっこいい。眺めている分には。
一方、新しい狼はリキに比べると一回り小さい。目はぱっちりしているが、どことなく穏やかな顔つきだし……何より、視線を下げてみると、後ろ脚の間にモノが見えない。つまりはメスだ。
ということはもしかして、つがいかな? リキのやつ、しばらく見ないと思ったら、嫁探しに行ってたのか?
などと思っていると、リキが小さくウォフっと鳴き声を出してきた。
『嫁、捕まえた。これから、一緒、暮らす』
そんな感じの意味だった。ビンゴかよ。
とりあえず了承と声を返してやると、リキは満足げに頷いて、メスを紹介するように自身の位置を変えた。
俺はメスのほうに顔を向け、声をかける。
《よく来た》
《一緒、暮らす。よろしく》
《わかった》
彼女に頷いて、俺は小さくため息をついた。どうやら、うちの群れのエンゲル係数がまた上がったらしい。
え? なぜ狼と会話ができるのかって?
皆さんお忘れかもしれないが、俺には対面した相手の言語を勝手に習得するという反則じみた能力がある。クマさん相手には終始寝こけていた能力だが、狼相手には何故か効果を発揮したんだな、これが。
しかも、相手の細かい仕草や態度の意味すら読み解けるという、無駄に高性能なおまけつきである。
おかげで普通にリキと会話してしまえるし、結果として群れの仲間からは遂に拝まれるようになってしまっている。
技術や知識的なような、前世で俺が身に着けたものでちやほやされるのは受け入れられるようになったが、転生時にもらったチート能力で崇められるのは正直言って複雑な心境だ。
ちなみにこのチート。ウサギには効かなかったし、昆虫や魚、ミミズの類にも効かなかった。牛やマンモスはそもそも生きたまま近づけなくて試せなかった。
すべての生き物に試せたわけではないが、以上のことから恐らく、この能力はまず一定以上近づくこと。それから相手が一定以上の社会性を持っていること。そして相手が発声器官を持っていることが条件なのだと思う。
この推測が正しいなら俺はクジラとも会話が可能ということになるが、その辺りは調べようがない。
というか、クジラの鳴き声とかアルブスの肉体で再現などできないだろう。そういう時はどうなるんだろうな。言っていることがわかるだけで終わるのだろうか?
「ギーロ、来たぞ」
「おう、兄貴」
二匹を前に考えていると、後ろからバンパ兄貴がやってきた。
すると、リキは尻尾を勢いよく振りながら兄貴の前へと移動する。
《ボス!》
と言いながら。
「えーっと……」
「ああ、こいつ嫁探しにしばらく離れていたみたいでな。見つけたから戻ってきたんだってよ」
「そうだったのか。なるほど、お前嫁を探していたのか。見つかってよかったな」
兄貴はそう言いながら、リキの身体全体を優しくなでる。
そのテクニックに、リキはメロメロだ。終いには早々に腹を見せて服従のポーズである。狼の威厳など微塵も存在しない。
そう。こいつ、見た目に反して滅茶苦茶人懐こいのである。誰にでもこんな感じでじゃれかかり、ほいほい転がされて尻尾を振りまくる。野生は一体どこに置いてきたと言うのか。これでは普通に犬だ。
本人に聞いてみたところ、群れのボスにすらべったりしまくったり、獲物のはずの動物にじゃれつこうとして無警戒に近づき、何度も狩りを失敗させたりしていたらしい。結果、秩序を乱すと見なされて追放されたとかなんとか。
つまりこの性格は完全な生まれつきで、野生は母親のお腹の中にすべて忘れてきたのだろう。
で、一匹狼になってさまよっていたところ、うちの群れに行きついたと。
そしてうちの残飯をあさっているうちにすっかり帰属意識がついてしまい……俺の能力が発動したことによって会話が成立。そのまま迎え入れられた、というわけだ。これが大体二年前の話。
ちなみに最初は会話ができる俺がボスと呼ばれていたのだが、狩りの主導者であり、群れの中でも最強クラスの実力を持つ兄貴を見た直後、普通に裏切りやがった。以降、リキは兄貴にべったりだ。
兄貴が行くなら人間との狩りにもついていくのだから、わりと誇張抜きで忠犬である。
《バカ》
《痛い!》
さてどうしたものかと考えていると、メスのほうがリキの首根っこを噛んで引きずり回した。
突然のことに、俺たちは唖然とするばかりだったが……。
《お前、すぐ尻尾振る。バカ》
《ボス強い、すごいボスだ!》
《ボスであっても、警戒、する!》
《痛い!》
どうやら、完全に尻に敷かれているようである。人間なら確実に残念なイケメンだなぁ。見た目は本当にかっこいい狼なのだが。
とは言っても、完全にメスのほうが正論なんだよな。まあこの場合の「警戒」というのは、襲われてもいいように気をつけるというよりも、いつ命令が来てもいいように備えておく、という意味合いのほうが強いと思うが。
とにもかくにも、リキは他人を警戒しなさすぎなのだ。
《お前、バカ。私、見張る》
……そしてこのメスは、どうやら世話焼きさんらしい。
あれか、心配すぎて見ていられないから一緒にいることにしたとか、そういうやつか。
のび太がやらかしすぎるから見ていられず、プロポーズを受け入れた静香ちゃんみたいな……。
「……ギーロ、いいのか、あれ?」
「警戒しなさすぎって怒られてるだけだし、放っておいていいと思うぞ」
「そ、そうなのか……」
兄貴が少し呆れた顔で頬をかく。その目は、もはや猛獣の狼を見る目ではなかった。
しばらくそのまま放っておいたら、やがて言いたいことは言い終わったのだろう。メスのほうが兄貴の前に進み出た。
兄貴の巨体を前にしても一切臆することなく、すまし顔。目はまっすぐ兄貴に向けられており、毅然とした態度だ。
狼にとって、相手に視線を合わせるという行為は脅しだ。兄貴を値踏みしているのだろう。
そんな視線を、兄貴は真正面から受け止める。狼にとって視線を合わせることが脅しなら、視線をそらす(特に目を伏せてそらす)ことは一種の服従となる。だから、兄貴は微動だにしない。
《……よし。認める》
十数秒の沈黙ののち、メスが視線と身体を伏せた。彼女の中にどういう基準があったかはわからないが、とにかく兄貴はボスとして認められたらしい。
「兄貴、こいつも兄貴が上だと認めたみたいだ」
「そうか、わかった」
俺が言うと、兄貴は一つ頷いてその場に片膝をついた。
そしてその大きな手で、メスの頭をなでる。ひとしきり撫でた後は、ゆっくりと力をかけて、メスの頭を地面に伏せさせる。
相手を服従させる側が、時折する行為だ。自分のほうが上なのだと言うことを示す行為の一つだな。それを受け入れるのであれば、やられた側は忠誠を示しているということになる。
果たしてメスは、兄貴の手を振り払わなかった。完全に兄貴を群れのリーダーとして認めたらしい。
しかし腹を見せることはしないし、尻尾も振らない。
うん、狼とはこうあるべきだと思う。
《ボス! 俺も! 俺も!》
「……お前は少し落ち着こうな」
メスを相手にする兄貴の周りを、リキが尻尾を振りながらそわそわと歩き回っている。
「わかったわかった、お前もだな」
《ボス―!》
最初はスルーしていた兄貴だったが、しびれを切らしてリキに手を伸ばした。
その瞬間、とろんとした顔で腹を見せるリキ。あれが世に言うアヘ顔ダブルピースというやつか。
あ、メスに尻尾で顔をはたかれている。キャインじゃないぞ、お前本当に狼なんだよな? 見ていて自信がなくなってくるぞ……。
「狼ってかわいいんじゃなー」
「いやメメ、これはこいつが特殊なだけだ。普通の狼はこんなもんじゃないからな」
「そーなのか?」
「そうなんだよ。だから狼を見ても近づくんじゃないぞ」
「わかったのじゃよ」
素直にこくりとメメであった。いい子だ。
……しかしまあ、なんだな。
恐らくだが、こういう狼らしからぬ性格のやつが、史実における犬のルーツの一つなのだろう。交配可能な犬と狼は共通の先祖を持つと言われていたことだし、かなり確度は高いのではないだろうか。
だとしてもリキはかなり突き抜けた性格をしていると思うが、そもそも人であろうと遠慮なく懐ける狼でなければ同居はできない。共に生活できないなら犬のように関係を築くなど到底不可能なわけだから、この推測は正しいのではないかと思う。
ということはつまり……俺は今、歴史の転換点をまさに目の前で見ているということになる。ちょっとした感動だ。記録に残しておこう。
まあ、リキの姿を見ていると、その感動も薄れるわけだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます