第二部 千客万来
第30話 未来の遺跡候補
「よし……完成だ!!」
出来上がった小屋を見上げて、俺は思わず大きく頷いた。
それに続いて、作業を手伝ってくれていた男たちが一斉に喝采を上げる。その中には、メメの親衛隊がすっかり板に着いたアイン、セム、モイの三人組の姿もある。
「いやー、長かったスねぇー!」
「一杯地面掘りましたからねぇー!」
「小屋だけなら俺らだけでも建てられたんですがねぇー!」
三人組が口々に言うが、まったくその通りだ。本当に時間がかかった。
工事開始からここまで来るのに余裕で二年以上かかったからな。自分の発案ながら自分が一番驚いているよ。
まず木で作ったシャベルで地面を掘り始めて……これが本当に手間だった。アルブスメンズのパワーに任せてゴリ押していたが、無理を重ねるせいでシャベルがすぐ使えなくなってな……。
途中で川底や地面の中から銅を見つけていなかったら、間違いなくこの工事はもっと時間がかかっていたに違いない。
そう、銅だ。我がアルブスの群れは、二十一世紀からさかのぼること七万年、紀元前六万八千年のこの時代に、早々と青銅器時代に突入したのである!
……すまん、盛った。そこまでは至っていない。青銅は銅と錫の合金なのだが、これを自力で作るだけの技術はまだ持っていない。
だが俺たちは今、現実に青銅器を用いている。ただし鋳造品ではなく、熱した鉱石を石で叩きまくってどうにかこうにか形にした程度のものだ。
イラン周辺の銅鉱石には、ある程度だが錫も一緒に含まれている。このため、鋳造した青銅には及ばないものの、青銅に近い金属としてそのまま扱うことも不可能ではないのだ。
現状ではそれでも完全に溶かすことができないので、先に述べた通り叩いて形を整えた程度に留まっているだけだが……そうだな、さしずめ青銅器時代の黎明期とでも言ったところか。
ともあれそういうわけで、青銅器としてはお粗末な代物なのだが、それでも青銅の力は素晴らしい。木だけでできたシャベルより、先端だけでも青銅にしたシャベルのほうが数倍の作業効率を発揮してくれたわけだからな!
そんな文明の利器を用いて作ったものが何かと言えば、今まさに目の前に建つ小屋である。
だがただの小屋ではない。その下には小川が流れている。
そしてこの小川も、ただの小川ではない。シャベルでもって開削した、人工の水路なのだ!
「ギーロ、遂にできたんだって?」
「おう、いらっしゃい兄貴」
人垣をかき分けて、バンパ兄貴がやってきた。
その腕には、小さな男の子を抱えている。三年前のあの日、サテラ義姉さんが初めて産んだ男の子だ。兄貴たちは、男の子にしては大人しい点を少し気にしているようだが、大病なく順調に育ってくれている。
ただ、名前はまだない。そろそろつけてあげないとと思うが……と、今はこの話は置いておこう。
「で、二年以上かけて作った川を覆ったこれは一体何なんだ?」
この三年間ですっかり暦について理解を深めた兄貴が、小屋を見ながら問いかけてくる。
「これはな、トイレだ!」
対する俺は、自信たっぷりに答えた。
そう、俺は実に二年以上という長い時間をかけてトイレを作り上げたのだ。
かけすぎだって? 仕方ないだろう、水洗にするために水路を通していたんだから。
「といれというと……たまにギーロが使っていたな。えーっと、確か……用を足す場所のことだったか?」
「その通り。さすが兄貴だ」
兄貴を小屋……トイレに案内しながら、俺は説明する。
トイレの中は大体二畳くらいか。真ん中に穴が開いていて、そこを覗き込むと下を走る水路を見ることができる。
ここで用を足せば、ブツは水路に落ちる。あとは水の流れが自動でブツを洗い流してくれるというわけだ。
「なるほど……これはすごいな! もうあんな悪臭に悩まなくていいわけだ!」
「そういうこと。それにこうやって仕切れば、用を足しているところを他人に見られることもないだろう?」
「確かにそうだ。あれはなかなか気まずいからな……」
仕組み自体はごくシンプルなものだ。日本では縄文時代でも実際に使われていたものだから、俺が作らなくてもいつかは誰かが作ったとは思う。
ただ、俺がその「誰か」が作るときまで我慢できなかったのだ。次の日には死んでいてもおかしくなかった最初の頃はともかく、衣食住がある程度整ってきた今となっては、そこいらの森の中で垂れ流しという状況が耐えられなかったんだ……。
それで二年以上もかかったのだから世話ないが……時間をかけただけのことはある出来になっていると自負している。
水路の幅は一メートル強といったところだが、トイレを設置した地点は手前から少しずつ幅が狭くなっていく。ブツが落ちる場所の水流を強くして、できるだけ早く流してしまおうと言うわけだ。
そのままだと水路の壁がどんどん削れて行ってしまうから、天然アスファルト、石、木を使って補強してある。これで崩壊の危険も少ないだろう。
俺たちがいなくなっても、遺跡として末永く残っていておかしくないと思うんだが、どうかな?
ちなみに、トイレの上流には別の目的で拡張工事を行う予定のポイントがある。
こちらは、同時に仕上げたかったもののトイレを優先させた結果、拡張待ちということで保留にした部分だ。早く手を付けたいものだ。
まあそれはともかく、先に例として挙げた縄文時代は川にそのまま汚物を流すだけだったのに、なぜここまで凝ったものを用意したのかと言えば、理由は二つある。
一つは単純に、群れ近くの川が、近くと言っても歩いて数十分かかる距離にあるから。
尿意にしろ便意にしろ、生じてから向かうにしてはあまりにも過酷な距離だ。そんな離れた場所に作ったトイレなど、誰が使うのかという話だよな。
もう一つは、わざわざ川まで水を取りに行く手間を省くためだ。
群れで使う水は川まで土器を抱えて汲みに行っているのだが……これが重労働だ。重い土器を抱えてキロ単位を往復するわけだから、毎日の積み重ねとなるとかなりしんどい。
この負荷を軽減するためにも、水路を群れまで引いたほうがいいと判断したわけだ。
……あ、もちろん水はトイレの上流からしか汲まないし、絶対にそれは徹底させるから安心してくれ。
ただ、この開発がどういう環境変化をもたらすかは、素人の俺にはわからない。川の流れを人工的に変えたわけだから、ないはずはないが……具体的にとなるとな。
一応、水路の分岐から下流の水量が減っていることは目で見ても確認できる。ただ、劇的に減ったようには見えない。元々水量が結構ある上、年間を通じて安定していたので枯れるほどの影響は出ていない……のだと思う。
ちなみに開削した水路の行き先は、群れの東にあった枯れた川だ。玉ねぎを見つけたところよりも少し東に行ったところだな。
水路から接続する水の量程度では、これがカスピ海まで注ぐこともないだろうと判断した。
実際、水路を繋げてもそこまでは至っていない。こちらについてはひとまずこれでよしと思っている。
「ちなみに今は一つだけだが、最終的には三つにするつもりだ」
「ああ、一人でも使っていたらもう使えないものな」
「ああ。だからせっかくだし、男用、女用、子供用くらいに分けようかと思っている」
「なるほど。相変わらず冴えているな」
「はっはっは、毎回そんなに褒めないでくれ」
四年目の春になっても相変わらずちやほやしてくれる兄貴だが、最近ようやくこれに慣れてきた。
慣れた、というよりは謙遜しすぎないほうがいいと思った、と言ったほうが正しいかなとも思うけども。人の賞賛は、出来る限りそのまま受け入れるほうがいいのかな、ってな。
ただ、最近はちやほやされることより、暮らしをよくしたことで笑顔が増えることのほうが嬉しい。誰かの役に立てているなら、褒められることもわりと素直に受け入れられると気づいたのだ。
まあ、それはともかく……。
「それじゃあ俺は使い方を皆に説明してくるから、兄貴はトイレの掃除当番を決めておいてくれないか?」
「掃除当番? どういうことだ?」
「ああ。トイレは用を足すところだが、これから継続して使っていく場所だからな。絶対に汚れがあちこちに溜まっていくだろう。そうなると結局は嫌な臭いがする場所になっちまうからな」
「ああ……それは嫌だな……」
「だろ?」
問題はそれだけでない。目に見えない雑菌が命取りになる時代だから、その辺りも鑑みて掃除はしっかりやっていくべきだと思っている。
まあ、洗剤などはないので、葦藁などを束ねた簡易たわしを使うくらいしかできないのだが。
……いや、悪臭がひどいことを気にしなければ一応、石鹸があると言えるか……。
でもなぁ。動物性油脂と植物灰だけで作っているから、えげつない臭いが出るんだよなぁ……。
臭いを減らすためにも、植物性油脂が欲しいのだが……本当に何もない時代だからどうにもならない。
俺の頭には「重曹を使えば動物性油脂を精錬して臭いを消せる」という知識もあるのだが、その重曹ってやつはこの時代、どうすれば入手できるんだろうな? ハハッ、さっぱりだぜ。
「まあそんなわけで、掃除が必要なんだが……皆で使う場所だからな。どこかの家にずっと任せるというのは不公平だ。だから順番を決めて、ルールに従って掃除を続ければきれいに保てるだろう?」
「なるほどな。わかった、その辺りの準備は任せてくれ。五日に一人くらいの間隔でまず考えてみよう」
「頼んだぜ」
さらっといい線ついてくるから、やはり兄貴はすごいよな。某歴史シミュレーションゲームなら、武勇のみならず智謀や統率まで軒並み高水準という化け物武将間違いなしだ。
まあそれはともかく。
その後俺たちは改めてトイレから出て、それぞれの仕事をこなしていく。
俺の仕事は、群れのみんなにトイレの使い方を教えることだ。と言っても、トイレそのものの使い方は難しいものではないから、すぐ終わる。
あとはせいぜい、下が水路だから落ちないように気をつけろとか、入る前に必ず使用中の目印を置いておけとか、注意点の説明くらいか。
ただ、トイレの下流部分の水については、触ることすら禁止しておく。暗渠にできればいいんだが、それは無理だ。追々木で蓋をするくらいが精いっぱいかな。
そうそう、用を足した後の手洗いも教えておかないと。何せこの時代、用を足した後のことを深く考えているやつなど誰もいない。大きいほうを済ませた後に、そのまま手づかみで肉を食おうとするやつが普通だ。
日本人なら大体ドン引きするだろうし、俺も大層引いたので、この三年でその辺りのことは徹底して教えてある。
女子供も関係ない。鬼軍曹になったつもりで徹底的に衛生に気をつけるよう、教え込んだ。
これ以外にも衛生に関する周知はかなり積極的に進めたからか、この群れの乳幼児死亡率は低い。恐らく低い。少なくとも、三年前から今に至るまでに生まれた子供の死亡率は低いはずだ。
この三年間に生まれながら、力及ばず亡くなった子供は十五人。生まれた子供の総数が四十人なので、率にして約四割弱と言ったところか。
江戸時代なんかは生まれた子供のうち半分育てばよいほうと言われていたそうだから、約四割弱という確率は原始時代的なら快挙だと思う。
まあ、現代の乳幼児死亡率は五歳までの死亡率だし、江戸時代の正確な数値は誰もわからないから比較は難しいわけだが。
ともあれこれらの結果、群れの人口は百人を超えた。とはいえ、子供以外にも年長者を中心に死者が出ているので、越えたと言っても百十人には至っていないのだが。
それでも今のところは、生き残る子供が死亡総数を上回っている。これなら、種としての絶滅はなんとか回避できるのではないだろうか。
とはいえ、二十一世紀から来た身としてみれば、まだまだだ。
だから俺は、これからも使える知識はガンガン使うぞ。使いまくってやる。
ついでに夢の超古代文明を目指していることは、俺だけの秘密だけどな!
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