第22話 焚火前の語らい
その日の夜。さらに進んだところで夜営をすることになった。
移動自体は比較的順調だ。この調子なら、明日には目的の湖まで到達できると思われる。
見た目では塩湖かどうか判断できなかったので、実際どうなのかは辿り着いてのお楽しみだ。期待しすぎてもまずいだろうが、それでも楽しみなのは仕方がない。
なのだが、その前に今夜を乗り切らねばならない。具体的には不寝番がある。今回俺は一番手だ。
「メメ、眠れないのか?」
「…………」
「少し一緒に話をしようか」
「んー……うん」
不寝番を始めてしばらく。今後のことを考えていた俺は、しきりに寝返りを打っていたメメに声をかけた。
今日は突然のエンカウントだったからな。そのせいで眠れないのだろうと踏んだのだが……正解だったらしい。毛布代わりのマントが翻って、のそのそとメメが出てきた。
そんな彼女においでと手招きすると、こくりと頷いて近づいてきた。そのまま俺の隣に座りこむ。
「……今日は怖かったな」
「……うん」
「あんなのと出くわしたのは俺も初めてだったから、驚いたよ。意外と近くにいても気が付かないものなんだな」
「…………」
「どうした? まだ怖いか?」
「…………」
返事はなかったが、こっくりと頷きが返ってきた。
だろうな。いいえと言われたらそれこそ「嘘だッ」って言いたくなるよ。
そもそも、アルブスの女はただでさえ小さくてかよわいのに、メメはまだ子供なのだ。確かまだ初潮も来ていなかったはずで、原始時代においても子供とみなされるほどの年齢でしかない。
いくらディテレバ爺さんと一緒にいたからとはいえ、クマの迫力がそれだけでなくなるはずもない。
「そうかそうか。俺も怖かったから、一緒だな」
「…………」
同じだと主張することで共感を得ようと思ったのだが、反応がない。
むむ、この方向のアプローチは効果なしか。切り口を変えてみるか。
「でもごめんな、危険な目に遭わせて」
「え?」
お、今度は反応が来たぞ。この方向か。
「爺さんがメメを連れていくのに反対していたのは、ああいうことがあり得るからだ。けれど俺は、お前の力を貸してほしくてそれを押し切ったわけで……俺が賛成していなければあんな怖い想いをしなくてもしなくて済んだはずだ」
「……ち、違うのじゃ。ギーロは悪くないのじゃ。だって、行きたいって言ったの、わしじゃもの……」
一度はぱっと顔を上げて大きめ声で言ったものの、だんだんと尻すぼみになっていくメメ。子供ながらに罪悪感があるのだろうか。
ということは、クマが怖かったから眠れないというより、自分のわがままが原因だから眠れないのかな。
「……そうだなぁ。確かにメメがいなかったら、男たちで撃退できたかもしれない」
「……ぁう……」
小さくうめいて、さらにメメは身体も小さくした。前髪で隠れた目は、顔が伏せられたことでまったく見えなくなる。
なんだかいい大人が子供を虐めている気分になるが、そんなつもりはない。一度落としてから上げる作戦なだけだ。
「でもメメがいなかったら、俺たちはもっとたくさんの敵と遭遇していたはずだ。もしそうだったら、何も成果を出せないままとっくに引き返していただろう。俺たちがここまで来れたのはメメのおかげなんだよ」
「…………」
「ん? どうした?」
「……そのぅ」
言いづらそうに、ごにょごにょと口ごもるメメ。彼女は目を閉じている分普段は視線を泳がせたりはしないので、傍からは案外落ち着いているように見えるが、そんなことはない。今も恐らく、かなり焦っているはずだ。
とはいえ、こういう時は急かさないほうがいいとテレビで見たことがある。確か、余計テンパって考えがまとまらなくなるとかなんとか……。
だから俺は黙って、彼女が口を開くのを待つ。
結果として、メメが話してくれたのは結構時間が経ってからだった。
「……だって、その。わし、クマ、見つけられなかったから……」
「ふむ」
「わし、他にできることない、から……危ないのを見つけるだけでもがんばらないとって思っておったのに……見つけられなくて……」
だから皆に申し訳なくて、と尻すぼみながらに告げると、メメは再び顔を伏せた。
なるほど、自分に課せられた仕事をうまくできなかった罪悪感ということか。
気持ちはわかる。
俺も前世で、これは、これならば人よりもできると思っていた唯一の仕事で失敗した時、似たような気分を味わった。なまじ自信があったから、余計凹むんだよな。ましてやそれで他人に迷惑をかけたとあれば、罪悪感はひとしおだろう。
けれどこういうことって人間背負い込むものだが、周りは存外それに備えて考えているものだし、よほどの状況でもなければ結構リカバリーは利くものなんだよな。
俺がそれを理解したのは、最後の仕事に就いてからだったが……。
「いいんだよ。みんな無事だったんだから」
「でも……!」
「それでもいいんだよ。失敗しない人間なんていないんだ」
「……でも」
「失敗したら、その時はその時だ。せっかく群れでいるんだから、皆で助け合えばいいんだよ」
「…………」
「それでもまだ気になるって言うなら、終わったことじゃなくてまだ起きていないことを気にしてくれ。次は失敗しない、そういう気持ちでがんばってくれればいいんだ」
「…………。……、うん……」
しばらく考えた様子だったが、メメはやがてこくりと頷いた。
しかしまだ納得はしていないのか、そのまま黙り込んでしまう。
前世で俺に色々教えてくれた最後の上司との会話を思い出すなぁ。俺も同じように、理解はできても納得はできなかったものだ。
それに、今のセリフ全部上司の受け売りだしな……心に響かなかったとしても無理はないかもしれない。
「まあでも、だからってあまり気負いすぎるなよ。たとえ失敗したとしても、絶対俺たちがなんとかする。クマが出たってライオンが出たって、お前は守るから」
ここで前世の上司からは肩を叩かれたのだが、俺にその気がなくともメメは一応嫁なので……。
「ひゃう」
これくらいいいだろうと思って、俺はメメの顔に手を伸ばした。そして、その原始人とは思えないすべすべぷにぷにの頬をなでる。
アルブスは男も女も関係なくやたら見た目がいいが、肌触りも現代人顔負けなんだよな。もちもちで、なでくりまわすと存外面白い。うむ、これは新発見だ。
おっと、このままだと遊んでいると思われる。えーっと、何か気の利いたセリフは……。
「ぁうう、わかったー、わかったのじゃー。だからそれ、やめとくれー!」
「おっと。すまん、なんか妙に癖になって」
「むうぅぅ!」
考えている間に先を越された。相変わらずこの手のことはどうにもならないな、俺は。
……まあいいか。笑ってくれたし。半ば抗議ではあったが、俺が笑うのにつられてではあったが、ひとまずはこれで良しとしよう。良しと思おう。うん。
「……ギーロ、ありがとなのじゃ。わし、明日からまた頑張る!」
「ああ、頼りにしている」
「へへー、任せるのじゃ!」
俺の言葉に、メメはにぱっと笑った。相変わらず顔の下半分しか見えないので、わかりづらいが……満面の笑みだろうということはわかった。
俺もだんだんメカクレソムリエみたいになってきたなぁ。元々その属性はなかったはずだが……人間鍛えれば身に着くものだな。
「のうギーロ」
「なんだ?」
「今日はここで寝ていいかの?」
「え? ああ、まあ。いいけど」
「本当かっ? 絶対じゃからな!」
そう言うと、彼女は使っていたマントをひったくるように持ってくると、俺の膝の上でころんと丸くなった。
……え、「ここ」ってそっちかよ? 隣じゃなくて?
「ちょ、メメさんや」
「おやすみなのじゃよー」
「……お、おう……」
いいと言った手前無碍にもできず、結局俺は最後までメメを乗せたまま不寝番をする羽目になった。
次の担当だったアインには何か察したような顔で頷かれたし、翌朝起きてみたら俺のマントの中にメメがいたせいで爺さんにしこたま睨まれたのだが、俺が悪いのか? 悪くないだろう?
もちろん誰かが答えてくれるはずもなく、とにかく手は出していないと爺さんに延々言い訳をしながらの出発になった。
そうして歩くことおよそ半日……。
「うおー! なんスかここ、めっちゃ水がいっぱいスね!」
「でっけぇー! 終わりが見えねぇー!」
「なんか変なにおいがするぞー!?」
俺たちは遂に、目的の湖に到着した。
三人組がいつものように騒がしいが、今回ばかりは許そう。
何せ目の前に広がる湖の広さと来たら、並大抵のものではないのだから。
どれくらい大きいかと言えば、湖畔から対岸が見えないと言えばご理解いただけると思う。
以前地平線の話をした時に、身長百七十センチ程度の人間の視界でおおよそ四キロ半程度と説明した。俺の今の身長はそれより高いので、地平線まではもう少しあるはずなのだが……それでもなお対岸が見えないのだから、確実に五キロ以上はある。
それだけではなく、左右を見ても明らかに大きい。太陽の位置から言って、俺たちから見た左右は北南なのだが、こちらもまるで果てが見えない。広すぎる。
「これはすさまじいの……これだけ大量の水は見たこともないわい……」
「音が聞こえにくいのー。なんだかずっとざーざー聞こえるのじゃよ」
爺さんとメメも、呆けたように言うだけだ。
メメの発言は恐らく、風で起きている波のことだろうな。波音が彼女の反響定位を妨害しているのだと思う。
そして俺も、目の前の雄大な湖の姿には驚いていた。
前世で写真や映像で様々なものを見た記憶があるし、海にも行ったことがあるから、大きさそのものに驚いたわけではない。これほど巨大な湖など、一つしか知らないからだ。
世界最大の湖。その名は――。
「カスピ海じゃないか、ここ?」
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