閑話 今ではないいつかに、ここではないどこかで 1

 知る者が見れば、純和風と呼べる住空間。その中心で、見るも美しい一柱の女神が着替えを行っていた。

 畳近くまで伸びる髪はみどりの黒髪。頭の後背に掲げられた黄金の真円は、さながら太陽のように黄金の輝きを放つ。十二単と巫女服を足して、より絢爛に飾った艶やかな衣がそれを引き立てていた。


 女神の名は天照大御神アマテラスオオミカミ。さる世界の一地方において、主神の座にいます太陽である。


 そんな女神の顔に、若干の緊張がにじむ。


「ふう……こんな感じでいいかしら? やはり外国神がいこくじんを訪ねるのは緊張するわね……」

「大変よくお似合いですよ」

「ええ。やはり天照大御神様はお美しい」


 呟いた女神に対して、着替えを手伝っていた女官たちが口々に麗句を述べる。

 だが、言われた側の女神はと言えば、ため息交じりに天井を仰ぐだけだ。


「でも動きにくいのよね、これ……。正装ってめんどくさいから好きになれないわ」

「そんなことを仰らないでください」

「そうですよ。せっかくのお美しいかんばせが台無しでございます」

「美しくたってお腹は膨れないじゃない。あーもー、めんどくさー。早く終わらせてジャージに着替えたいよー」

「なりません! せっかく五十絶対日ぶりに正装なされたのですから、もっと他国の神様たちと交流をなさって来てくださいまし!」

「その通りです! 大体、天照大御神様は管理する世界線を増やしすぎなんですよ! ほぼ毎日のようにどこかの時空で皆既日食が起きているではありませんか! それにかこつけて休みすぎなのです!」

「そりゃあそのために世界線増やしたからね。毎日が日曜日って素晴らしいって思わない?」

「「もう……もう……!!」」


 主神にあるまじき発言に、女官二人が顔を覆って首を振る。ダメだこいつ早く何とかしないと……と思ったかどうかはわからないが、二人の心は間違いなく一つであった。


 昔はよかった。弟の暴れっぷりにいじけて、仕事を完全ボイコットするまでは。あれでうちの主神様は、味を占めてしまった……。


「天照大御神様、大変です!」


 そこにまた別の女官が駆け込んできた。

 彼女の妙に慌てた様子を見て、主神・天照大御神は表情を引き締める。


「なんですって!? それは大変だわ、今すぐ外出を取りやめてしまわないと……!」

「そんなわけあるか! 正装を解くな!」

「チッ。で、何があったの?」


 表情や口調に反して、全力で後ろ向きな主神の発言を、駆けこんできた女官は口先鋭く切り捨てた。

 普通であれば明らかな不敬であるが、天照大御神はこれを咎めない。良くも悪くも、細かいことは気にしない女神なのである。


「舌打ちしたいのはこっちですよ。で、報告なんですが……インドラ様がいらっしゃいました」

「……は?」

「よくはわからないのですが、天照大御神様に少しお話があるとのことで……今は紫宸殿のほうでお待ちいただいております」


 その報告に、天照大御神の着替えを手伝っていた女官二人は首を傾げる。


 インドラと言えば、インド周辺における雷神である。同地域においては中核をなす神であり、その神威は主神に匹敵する。

 だが、天照大御神とは普段、あまり関わりがない神でもある。司る権能が違えば、神としての立場も違う。そんなインドラが、天照大御神を訪ねてくる理由が女官たちには理解できなかったのだ。


「んー……。ねえ、それって本当にインドラ様? 帝釈天様ではなく?」


 しかし当の天照大御神は違った。一瞬の思案ののち、確認するかのように指摘する。


「え? ……あっ、そ、そういえば、そうでした! お召し物が中華風でしたので、今回の御来訪はインドラ様としてではなく、帝釈天様かと……」


 それを受けて、女官は顔をハッとさせて慌てて前言を撤回した。

 一方の天照大御神は、彼女の言葉に満足げに頷く。


「やっぱりね。そっか、あっちから来てくれたのね。手間が省けたわ」


 そしてそう言って、にこりと微笑んだ。


 まるですべてお見通しだと言わんばかりの態度に、女官たちは尊敬の目を向ける。

 基本、怠け者で出不精の駄女神様。けれども、やる時はちゃんとやってくれる頼れる女神様。それが女官たちの一般的な評価であった。


「じゃあ早速お会いしましょう。いつまでもお待たせするわけにはいかないわ」

「は、はい!」


 そして、太陽の化身が顕現する。彼女から放たれる輝きは、春のごとき穏やかな陽光。この世のほとんどの生命に、等しく降り注ぐ慈愛の光である……。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「帝釈天様、大変お待たせしました」

「これは天照大御神様。こちらこそ、突然の来訪で申し訳ない」


 二柱の神が顔を合わせたのは、いわゆる謁見の間と呼ばれる空間ではない。少人数が顔を突き合わせて話ができる、ほどほどの応接室であった。ただしその内装は純和風だ。

 そこで帝釈天は、用意された座布団に折り目正しく正座しており、現れた天照大御神と軽く目礼を交わし合った。


 インド神話の雷神、インドラ。彼は社交的で、各地の神々とも交流があるのみならず、各地でそれぞれの力を持った神格としてあがめられ、広く信仰を集める神でもある。

 帝釈天は、その顔の一つ。仏教に力を貸して、日本にまでやってきた神々の一柱としての姿である。現在では、天照大御神から仕事を委託されるほどの信頼を寄せられる、神々でも有数の実力者だ。

 だが、二柱の神が同一人物であることを知っている者は、意外と少ない。天照大御神とのビジネス関係もだ。


「いえいえ、お構いなく。私は帝釈天様たち天部の皆さんに、治安業務の多くを託している立場です。その筆頭のおひとりである帝釈天様とあれば、いつでもお会いさせていただきますよ」


 先ほどまでとは打って変わっての、完璧な淑女然とした微笑みを浮かべる天照大御神。ただの人間であれば、その瞬間に身も心も完堕ちは間違いないだろう。


 だが帝釈天は、そんなアルカイックスマイルをさらりと受け流すと、同じくまさにとも言うべき神々しい笑みを浮かべて対応する。


「数多の時空を束ねる貴女様にそうおっしゃっていただけるとは、光栄ですな」

「私は本心で申しておりますよ?」

「ありがとうございます。貴女様のまさに太陽のような包容力には頭が下がります」

「うふふ、お世辞でも嬉しいですわ」


 この段階で、神の力が既に何度か振るわれているのだが、その中身はただの世間話である。木端の神格や聖霊の類から見れば、明らかに力の無駄遣いと言えよう。

 しかしこの程度で疲れを見せるほど、この二柱は生ぬるくない。どちらも最高峰の力を持つ神なのだから。


「……それで、帝釈天様? 本日はどういったご用件でしょうか?」

「そうですな、そろそろ本題に入りましょう。……と申しましても、貴方様もおおよそご理解していらっしゃると思いますが……」

「やはりその件でしたか」

「随分とあっさりとお認めになられるのですね?」

「私、迂遠なやり取りは(遊ぶ時間が減るから)あまり好きではありませんので。それに、この件についてはやましいところはありませんし、ね」

「左様ですか……」


 天照大御神の言葉に、帝釈天は鋭い目を向ける。

 護法の天部が放つ眼力はすさまじい迫力であったが……そもそも同格以上の立場にある天照大御神である。その程度は柳に風とばかりに受け流した。


 そのまましばし、沈黙が場を支配する。しかし、ほどなくして帝釈天がため息交じりに口を開いた。


「……先日、我が四天王の一柱である広目天より奇妙な報告を受けました」

「貴方様もでしたか。私も先日、親戚の一柱であるオモイカネより不可思議な報告を受けました」


 矢継ぎ早に放たれた天照大御神の言葉に、帝釈天が再度口を閉ざす。

 それから二柱は視線を重ねると、計って同時に頷いた。


「「有りえない時間軸から信仰が届いている」」


 そして同時に発せられた言葉を受けて、もう一度同時に頷き合う。


「……貴女様をもってしても、有りえない時間軸ですか」

「ええ、有りえませんね。いえ、正確に言えば有りえなくはないのですが……労に見合った益がありませんので、手を出していないはずの時間軸です」

「断言なさりますか」

「します。私たち日本神にほんじんが開発した、記憶を保持したまま魂を転生させる技術がありますよね。私たちはそれを用いて様々な世界、地域の神々と色々なやり取りをして便宜を図っているわけですが……この技術を用いれば、原始時代に私たちを信仰する存在を用意することはできるはずです。ですがこれはあまりにも非効率です」

「確かにその通りですな。その技術を利用する最大の目的は、信仰を中心とした力を集めること。ですがそのためであれば、既にある程度文明、文化が発達した世界や地域で行ったほうが効率的なわけですな」

「はい。原始時代でも理論上は可能ですが……何もないところから信仰を獲得するための場を整えようとすると、相当の時間と労力がかかります。しかも、それだけの労力をかけたとしても、その信仰が長く続く確率は低い。非効率というわけです」


 天照大御神の言葉を受けて、帝釈天はこくこくと頷く。


「……となると、そのような非効率な方法をあえて行った者がいる、ということですかな」

「でしょうね。一体どこの誰なんでしょう?」

「……と言いつつ、この謎は明かしたほうが良いとお考えなのでしょう? 心当たりがあるのですか?」

「ふふ、お見通しでしたか。とはいえ、そこまで殊勝な考えがあるわけではないのですよ。気になることをそのまま放置しておきたくないなぁという程度です。

 ……と、それはそうと、心当たりでしたね。転生の技は広く一般公開していますので、先ほど申し上げた方法を実行することは、死神であれば誰でも可能なのですよ。ただ、少なくとも私の管轄内で実際にこれを行っている本職の死神ではないと思います」

「閻魔天殿や伊弉冉命イザナミノミコト様ではないと?」

「私は転生の技を実行した場合、すべての対象者をリストアップして報告させております。誰をいつ、どこに、どのような力を与えたのかという詳細まで含めてです。几帳面な閻魔天様はもちろん、優秀な部下を多く持つお母様も、今まで漏れがあったことはありませんから……」

「なるほど、死神ではない……。しかしそうなってくると、今回の奇妙な信仰の原因は日本人ではない可能性……外国神の管轄という可能性も出てくるのでは?」

「広目天様とオモイカネの信仰が出ているのでしょう? この二柱を知っている人間は、多くないと思いますよ。それこそ日本人くらいのものだと思います。ましてや、ヨーロッパやアメリカとは縁がない神様なわけですし……」

「それもそうですな……」


 天照大御神の回答に、帝釈天は腕を組んでうなった。


「そして、転移などの可能性もほぼないでしょう。私は一応主神なので、自分の子供たちが管轄外に落ちた、飛ばされた場合はすべて感知できます。神々の手による転移だった場合は余計ですね」


 かといって全員に手を差し伸べるわけでもありませんが、と付け加えた天照大御神が、ふっと小さく笑う。


 それを受けて、帝釈天はお手上げとばかりに両手を上げた。


「となると、これ以上は我々では調べきれませんな」

「ええ。素直に本職に任せたほうがいいかと」

「そのようだ。しかし……信仰が得られているので別に放っておいても構わないのでしょうが、仮に死神の目の届かないところで日本人が勝手に転生させられていたとしたら、伊弉冉命様はさぞお怒りになるでしょうなあ」

「お母様は外国神に日本人を扱われるのを嫌っていますからねぇ……」


 ふう、とため息をついて天照大御神は天井を仰いだ。


 主神として働き始めて以降の永い時間の中で、彼女は母に等しい国産みの神、伊弉冉命を怒らせるとどれほど恐ろしいかを良く知っている。

 何せ死を司り、魂の輪廻を管理、調停する死神だ。転生した人間による他の神々への信仰は、一部が彼女にも届く。おまけに世界最古級の神でもあり、内に秘めた力は時と場合によっては主神たる天照大御神をも上回りかねない。


「殊勝な理由ではないと仰っていましたが、やはり貴女様が自ら動こうとしておられたのではないですか」

「あらら、ばれちゃいましたね。その通りですよ。そうしたら貴方様のほうからいらしてくださったので、私としては渡りに船だったわけです。……貴方様もわかっていて、あんな物言いをされたのでは?」

「私は半分しかわかっていませんでしたよ。だからまずは貴女様を疑ったのです」

「そういうことにしておきましょう。いずれにしても、仮にどこかの馬の骨の仕業だったとして、そんな事態を気づいていながら放置していて後からお母様が気づかれたら、もっと面倒なことになるのは間違いないありません。

 私たちは別に放っておいても問題ありませんが、お母様のことを考えると、わかった時点で動くが吉でしょう?」

「でしょうな……」


 伊弉冉命の逆鱗に触れて神々が一掃された異世界すらあるくらいなので、彼女が嫌うことはすべきではないというのが日本神、および彼らと付き合いのある神々共通の認識である。

 あの時は慌てて適切な(と思われる)人間を複数昇神させて応急処置をしたが、今でもその世界は天照大御神の管理下にあり、仕事を増やしてくれている。彼女の管轄において、護法は帝釈天ら天部へ委託されているので、帝釈天の仕事もばっちりと増えている。

 その二の舞にだけは絶対にするものかと、無言ながら表情で語り合う二柱だった。


 そんなやりすぎ女神の伊弉冉命が他神の介入を嫌う理由は、「日本人を殺していいのは自分だけ」という、ツンデレなんだかヤンデレなんだかというレベルの発想による。

 我が母ながら、七面倒くせぇと思わなくもない天照大御神であった。


「……まあ、何はともあれお母様に調べていただきましょう。帝釈天様は閻魔天様と調整をお願いしてもよろしいですか?」

「わかりました、なんとかやってみましょう」

「よろしくお願いします」

「いえ、こちらこそ。一番難しいところは貴女様に任せてしまうことになりますしな」

「あはは……がんばりますよ。まあ、とはいえ、あれですよ」


 握手を交わしながら苦笑する天照大御神に、帝釈天は小さく首を傾げる。


 直後、天照大御神の瞳が剣呑に光った。


「……尻拭いは、『どこかの馬の骨』に全部してもらいますから、大丈夫ですよ」


 その様子を見て、帝釈天は思った。


 間違いなくこの女神は、世界有数の物騒な死神の娘だと。

 具体的には、ハイライトの消えた瞳の雰囲気がうり二つであったと、彼はのちに天部の仲間に語ったと言う……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る