第15話 お待たせしましたすごいやつ
森から戻って来たら、いよいよ土器の焼成だ。なんだか随分と待たせてしまった気がする。
まずは成形した粘土を運び出す。場所は群れ重要施設とも言える原油泉の近く。というか、まさにその湧いた原油を燃やしているところに持っていく。
焼成をする時はできるだけ乾燥したところでやったほうが良いということもあるが、何より急激な温度変化は厳禁。なので、先に火であぶって土器そのものの温度を上げておく必要があるのだ。
だからこそ、この群れをずっと温めてくれている焚火を用いる。具体的には、焚火をすぐ近くで取り囲む形でだ。
「火との距離はこれくらいでいいんだな?」
「ああ。全部そんな感じで置いて行ってほしい」
「わかった、任せてくれ。よし皆、やるぞ」
「あいよっ!」
俺の指示に従い、土器を並べていくのはバンパ兄貴と仲間たち。土器を安置していたのは兄貴の家なので、動かそうとしていたら目に留まり、手伝いを買って出てくれた。
そして兄貴の召集に応じてくれたのがカリヤ一族の若手たちだ。
今日はカリヤ一族は休みなので、いつも狩りで忙しい分ゆっくりしていてくれてよかったのだが。兄貴はよく物事を見ているよなあ。確かに、俺一人で複数を運ぶのはしんどいので、ありがたい申し出だった。
「あれが一体何になるのかな? ス・フーリは聞いてる?」
「んーん、何も聞いておらんの」
「そうかー……ギーロってば、お嫁さんにもそういうの話さないんだね……」
運んでいる最中に、サテラ義姉さんとス・フーリがそんな会話をしているのが見えた。義理とはいえ、姉妹仲は悪くないようで何よりだ。
その義姉さんのお腹は、以前にも増して大きくなってきている。まだ妊娠三ヶ月半程度なので、さすがに臨月を思わせるほどの大きさではないのだが……元の身体が小さいせいでかなりの大きさに見える。
だが根が日本人の俺にしてみれば、日に日にお腹が大きくなる彼女の姿にはどうにも言い知れぬ不安を感じてならない。母体が危険などの不安もあるが、何より妊婦としての姿がこう……日本人の倫理観を揺さぶられるような不安を特に強く感じるのだ。
頭では彼女が成人ということがわかっているのだが、生前培った価値観はどうにもしっかり残っているらしい。
「二人とも、気になるならもっと近くに来てもいいぞ?」
「本当? じゃあ、遠慮なく!」
「わしもいいんかの?」
「当たり前だろう」
「うん、じゃあ、行くのじゃ!」
ということで、近寄ってきた二人と一緒に、兄貴たちの運搬を眺める。
事前に説明はしたものの、誰かが壊すのではないかとハラハラしていたのだが、そこは兄貴が率いる仲間たち。俺が言っておいたことをしっかり守って、丁寧に土器を運んでくれた。
ほどなくして、すべての土器が焚火を取り囲む形で設置された。その数、七。
「ありがとう、みんな。あとは様子を見ながら向きを変えていく」
「ふむ……? ああ、なるほど、全体を焼くわけか?」
「正解。さすが兄貴だ」
熱を均等に与えるために、土器は少しずつ回転させていく。兄貴は焼くと言ったが、正確には全ての表面を均等に熱にさらすためだ。これを……ええっと、確か三十分から一時間くらいだったか。
もちろん時計などないので、この辺りは感覚になる。適度に話をしながら時間を潰す。
「ギーロに褒められるのはなんだか照れるな」
「そうか? 俺はいつも兄貴はすごいと思っているぞ」
「そう持ち上げないでくれ。色んな物を作るお前の方がすごい」
「謙遜しなくていいんだがなあ……」
俺の言葉に、周りの男たちがうんうんと頷く。やはりこの時代、腕っ節というものがモノを言うのだろう。兄貴の場合は、それ以外にも理由はあるだろうが。
「ほら、みんなそう思っているじゃないか」
「お前らなあ……」
そう言って兄貴はますます照れる。どこまでも謙虚な人だ。
すぐ近くで胸を張ってドヤっている義姉さんと、足して二で割ればちょうどいいのではあるまいか。
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頃合いを見計らって、あぶりは終了だ。火から遠ざける。
まだ焼けるような熱さにはなっていないが、気をつけつつ……一番大きな土器を中心にして、全体の高さが山なりになるように、土器同士を等間隔で並べる。
あとは火をつけた薪でもって、直接焼いていくことになる。土器を囲む形で、薪を配置していく。
「この時、隙間にも入れておくといいらしい」
「これも全体に火を入れるためか」
「そういうことだ」
本来ならあぶりで使った火と薪を使うのだが、今回は原油の焚火を使ったからな。あぶっている段階から用意しておかないと、工程が途切れてしまう。
もちろん火は事前に準備しておいたので、その心配はない。問題なく、土器が火に包まれた。
「これも三十分から一時間くらいだったか。途中で倒して底も焼かないといけないから、棒がいるな」
「これでいいか?」
「兄貴の仕事が良すぎる」
まあ、差し出されたのは兄貴が使っている槍だったわけだが。燃えても知らないぞと思ったが、アスファルトで塗装してあるしいけるか。
「ところで、サンジュップンとかイチジカンというのはなんだ?」
「神様たちが使っている時間の数え方さ。俺たちの暮らしの中ではあまり使えないけど」
「そうなのか」
「正確に数えられないからな」
「ふーむ……」
時計なんてないから、正確どころか大雑把な時間すら図ることができないので、この辺りのことはあまり教える意味はないだろう。
あればあったで便利なのだが、少なくともないと命に関わるようなものではないので、さらっと流しておく。
……あーでも、日時計くらいは作っておくべきか?
こういう原始時代では使えない、存在しえないものを表す言葉をまとめて「神様のもの」で説明をぶった切れるのは楽だ。この一言で大体みんな納得してくれる。これからも困ったら積極的に使っていこうと思う。
「……げっ」
しばらく眺めていると、ひびが入るような嫌な音が聞こえた。間違いなく火の中からだ。
どれかはわからないが、たぶん割れたな? 乾燥が不十分だったのか、空気を十分抜けていなかったのかはわからないが……。一つでも成功すればいいとは思ってはいたものの、それでもやはり残念だ。
その後、土器たちを倒して底にも火を通し始めるわけだが、この先は大体放置だ。もちろん常に状況を見続ける必要はあるが、基本的にやることはない。
薪を加えて火を強くするのもなしにして、現状を維持。これも、さらに時間が経ったらやめて自然に消えていくに任せることになる。
火が消えた後も待機だ。自然に冷却するのを待つ。一気に冷やすと壊れるからな。
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「というわけで、完成した土器がこちらになります」
さらに時間が経過して、日暮れも近くなってきた頃。いよいよ土器のお披露目だ。
手伝ってくれたカリヤ一族はもちろん、狩りから戻ってきたディテレバ爺さんたちモリヤ一族もいる。他の氏族もだ。要はプレゼンテーションだな。
「ドキ? なんだそれは?」
長老だ。もっともな質問、代表してありがとう。
「神様の言葉で、土の器という意味です。器と言うのはこういう物を入れられるような道具ですね。これをそのまま名前の通り、土で作りました」
ぽん、と手近な土器を叩く。その拍子に、中に入っていた水の表面に小さな波紋が生じた。
水、というよりはぬるま湯言ったほうが正しいかな。何せ今、土器は火にかけられているのだから。正直言って、暑いし熱い。
これの他に、用意できた土器は五つ。二つは焼成の過程で壊れてしまったが、半分以上が上手くいっているので、大成功と言っていいだろう。
ただし、火にかけているのは一つだけだ。人が集まり始める少し前にかけていたものも一つあるので、正確に言えば二つをかけていたのだが、今回のプレゼンにはその二つで足りるはずだ。
「……それで、水を……何しているのだ?」
「沸かしているんですよ」
「ワ、カ……?」
「沸かす。神様の言葉です。俺たちの言葉にはまだ存在しないので、そのまま使いました」
「おお……」
説明とほぼ同時に、長老が感嘆を漏らした。ついでに周りから小さいがどよめきが起こる。
いやー、「神様のもの」、本当に便利な殺し文句だ。神様の世界を覗いたのは俺だけという認識でいてくれる間は、これで全部ゴリ押せる気がする。
「そろそろいいか……よっ、と……」
水が沸騰し始めた頃合いを見計らって、俺は土器を一つ、火から離した。ふわりと白い湯気が立ち上り、空へと消えていく。
当たり前だが素手ではないぞ。樹皮には本当にいつもお世話になっている。
「今土器と火を使って、水を湯に変えました。こうやって、水を湯に変えることを『沸かす』というわけです」
「ユ……とは一体?」
「簡単に言えば熱い水ですね。あ、まだ触らないでください。まだ触れる温度にまで下がっていないので」
「触るとどうなる?」
「火傷という怪我をします。普通の怪我とはまた違う怪我なので、対応が変わります」
「……よくわかった」
今まさに触ろうとしていた長老が、慌てて手を引っ込めた。歳のわりに好奇心が旺盛な人だな。
「で……その湯とやらで何ができるのだ?」
「汚れを落とすのが楽になります」
「ほう……」
「ここに、土埃で汚れた服があります」
真っ黒とは言わないが、全体的にかなり黒ずんでいる。土だけでなく、他のものもありそうだ。
一応服を洗うと言う概念がないわけではないのだが、そもそも皮をなめし処理できていない現状ではさほど熱心に洗わずとも、結構短い期間で使い物にならなくなるので、あまり考える必要がないんだよな。
でも今回は洗う。プレゼンのためにも洗う。
「これを湯につけると……」
「おおっ!?」
瞬間、どよめきが起こった。
全部とは言わないが、結構な量の汚れがさあっと落ちたのだ。原始人の間隔では魔法でも使われた気分なのだろう。
もちろんただ湯にくぐらせただけですべてが落ちるはずもないのだが、水につけた時に比べると差は歴然だ。
ついでに軽くもみ洗いもしておきたいところだが、まだ触れる温度ではないだろうな。棒を使おう。
「……と、まあこんな感じですね。これだけきれいに汚れが取れれば、毛皮ももう少し長く使えるでしょう。ただし血だけはダメです」
「おおおおお……!」
「すごい……」
「これが知恵の力を授かったス・フーリか……!」
一気に周りが喧騒に包まれる。まだ続きがあるから、しゃべらせてほしい。
俺が手を挙げると、その喧騒もぴたりと止む。……ダメ元だったのだが、まあいいか。
「……こちらは皆が集まる少し前に、火から離したものです。中の水は湯になっていますが、ある程度冷えていて水に戻りかけているところです。これなら触れます」
「ほうほう……」
「同時に、飲むこともできます。飲めばこれだけの暖かいものを身体に入れるわけで……身体の中から暖かくなります」
「つまり……」
「つまり、冬の寒い時期に、無理して冷たい水を飲まなくてもいいということですよ。毎回は難しいでしょうが、うちは火ならありますからね」
「おおおお!!」
今度は先ほどよりも大きく、歓声レベルの声が上がった。湯の有用性がよくわかったのだろう。
はっきり言って、あの冬の寒さはヤバかった。あんなときに水なんて迂闊に飲めるものではない。
いやまあ、冬の時期は、唯一の水源である北の川は普通に凍っていたわけだが。いちいち砕いて下のキンキンに冷えた水を飲むよりは、砕いた氷を持ち帰って使ったほうが効率がいいよな。
ついでに言えば、川の水は一度煮沸したほうがいい。すべては無理だが、煮沸すればそれなりの消毒になるからな。今彼らに説明しても情報過多で混乱すると思って割愛したが。
……いずれにしても、土器で沸かしたお湯はどうしても土の味がついてしまうから、現代人の俺としてはこれもあまり口にしたくないのだがな。こればかりは仕方ない。
早く陶器が欲しい。すぐには無理だが、なんとかして作りたい。
「おお、これは確かに暖まる……年寄にはありがたいな」
「長老ずるいぞ! 俺たちにも飲ませろ!」
「誰も独り占めするつもりなどないわ! ほれ!」
「うおおおー!! すげー!! 湯すげえええー!!」
「ギーロもすげええーー!!」
うわあ、なんかすごいことになってきた。過去最高レベルのちやほやじゃないか、これ?
ただお湯を沸かしただけなんだがな……。二十一世紀なら、スイッチポンでできることなんだがな……。
「湯の力はこれだけではありません!」
しかし、まだ土器でできることはある。らちが明かないので思わず声を張り上げてしまったが、正解だったようだ。
「まだあるのか!?」
「これ以上何ができるのだ……!!」
周りのざわめきが再び収まっていく。多少の声はまだ聞こえるが、ここまで来れば普通の声量でいいな。
「沸かす時にものを入れておくと、食べられないものが食べられるようになるのです」
「な……ッ!?」
「これを『茹でる』と言います。焼くとはまた違う、食べられるようにする方法です。もちろん、これをしても食べられないものもあるので、その点は注意が必要ですが……」
「…………」
今度は絶句か。皆リアクションが素直すぎる。それだけ驚きに値することなのだろうが……。
いちいちリアクションを待っているわけにもいかないので、もう説明をやってしまおう。
「たとえば、木の実や草などが茹でて食べることのできるものです。俺も神様たちの世界でどれが茹でて食べられるものかをすべて聞いたわけではないので、わからないことも多いですが……少なくとも、こういうものは食べられるようになるそうです」
そして俺は、皆の前にドングリを掲げて見せた。ス・フーリと薪を集めに森には行った時に拾ったものだ。
何? ドングリを食べるなんて、だって? バカを言うな、ドングリはろくな食べ物がない原始時代における必需品と言ってもいいほどの代物だぞ。栄養価はとても高く、縄文時代の日本人にとっては主食足りえたほどなのだ。
前世では食べ物として縁があったわけではないから、ドングリを食べることに忌避感がないわけではないが、もちろんそんなことを言っている余裕などない。
「当たり前ですが、このドングリはもうダメになっているので、茹でたところで食べられません。ですが秋には多くのドングリが手に入るでしょう。この土器さえあれば、それらを食料として使えるようになるのです」
「……う、うおおおおー!! ギーロすげえよ!!」
「さすが! 神に愛されているなー!!」
「お、おう……」
どこの誰かは知らないが、誰かさんの発言をきっかけにしてみたび周囲が喧騒に包まれた。
さっきもすごかったが、今回はもっとすごいな。俺史上最高のちやほやだ。素直に喜べないというか、複雑な心境なのが正直なところだが。
……あと、甲子園の決勝戦みたいな声量なので、正直この至近距離でそれをされると結構耳が痛い。
しかし、プレゼンは成功したと見てよさそうだ。
最後の茹でるについては、実際に茹でて見せられるものがなかったから不安だったのだが……杞憂に終わってよかった。
原始人がチョロイのか、それとも畳み掛けたことがよかったのかはわからないが、ともあれこれだけ盛り上げれば土器もすぐに受け入れられることだろう。
確か、最古の土器と言われるものが二十一世紀からおよそ二万年ほど前のものだったはず。つまり、今後土器がこの群れに広がれば、間違いなく世界初をかっさらうことになる。実に五万年もの先取りだ。
竪穴式住居もそうだったが、完全にオーパーツと言っていいだろう。未来の考古学者たちはさぞ頭を悩ますに違いない。
彼らに恨みはないが、これも生きていくためなのだ。許してくれ。
それはいいのだが……。
「ギーロ! ギーロ! ギーロ!」
……このギーロコールはなんとかならないだろうか……。
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