23 夢幻にアラズ
「お父さんはこう考える。『白星十文字』の呪いが白紙になったわけだから、今まで折ったはずの『疾病木枯らし』と言った刀も復元した。それは呪いをかけられて死んだ俺にも同じく作用したのだ。それは雪虎の推理と同じだな。だけど、人間の復元となるとそう簡単じゃなかったのだろう。『白星十文字』が折れるまで親族に見えない猶予期間があったのだろう。時の代償は神でもそう簡単に償えないのだろう。だから妖刀の崩壊が確定するまで制限され神の管理下に置かれていたのだと思う」
壮絶な話は数十分を要した。
菖瞳は父の話を何とか汲み取ろうと真剣に聞いていた。
「やっぱりあれはお父さんだったの?」
「あれとは?」
「ずっと感じていたの。お父さんの存在を。見えないんだけど、見守られているような…」
「俺も心配性な親だったわけだな…」
「まさかのぞき見していたりとか…」
真っ先に頭によぎるのは福内宋汰との騒ぎの件だった。
「エッチ!」と顔を真っ赤にして悪態をついた。
そう言われてしまっては茂雪は困ってしまう。目を泳がせ、あたふたさせながら「覗きとかそういうのは…」と言い訳を探した。
「おかえりなさい」
菖瞳は父親に抱きついた。触れた父のぬくもりは間違いなく生きている証だった。
「ただいま」
心から伝えたかった一言はただそれだけだった。
「さあ、みんなが待っている」
「みんな?」
菖瞳は立ち上がろうとするが、完全に足に力が入らない。長いこと膝をそろえて座っていたので両足はしびれを通り越してもはや感覚がない。
「ヒャッ」と可愛らしい悲鳴を声を上げた。
「無理したからに」と茂雪はしゃがみこみ菖瞳に背中を向けた。
「まさかおんぶ?そんなの良いよ。少し休めば…」
「いいから」と茂雪は強引に菖瞳に背中を摺り寄せた。
菖瞳は仕方なく父の背中に体を預けてみた。どうせ音を上げてすぐに諦めるだろうと思ったのだった。
茂雪は気合いを入れて立ち上がった。
「やっぱり無理よ。私はもう子供じゃないのよ」
「6年分の親のエゴ。これぐらい」
茂雪は歯を食いしばって歩き出した。だがその重みに不快感は抱かない。
「復活おめでとう!」
戸を引くと道場に人が集まっていた。思わぬ来客で道場は埋め尽くされていた。
「ここまで集まったか」と父は彼らを見回した。
現門下生、元弟子たち、劇団員のメンバーもちらほらいた。
「菖瞳幸せそう!」とカメラを構えた洸がおぶされた菖瞳を被写体にした。
「ちょっと!恥ずかしい。下ろして。お父さん」
菖瞳は子供のように足をばたつかせ抵抗したが、それを父は離さない。
見ていた何人もの客が思わず微笑ましく沸き立った。それは親子のことを昔から知る者たちばかり。
「改めて、お祝いしましょうよ!」とよく通る声で提案したのは司馬盃途だった。
「じゃあ~」と司馬は何か言おうとしたが、横から割って入った者がいた。
「先生の生還、茂雪君と菖瞳ちゃんの回復にカンパーイ!」
好々爺渋川が乾杯の音頭を取った。
ようやく座席に下ろされた菖瞳は未だに足をシビラせていた。
「お父さんから聞いたかかな?」
後ろから高岡が声をかけてきた。
菖瞳は頷いた。
「黙っていてごめんな。君たちに少しでも話していたら、事態は悪くならなかったかもしれなかったと思うんだ」
「そんな、気にしないでください。お父さんが帰ってきた。その結果だけでうれしいんです」
「そうか…本当にありがとう」と高岡はその場に胡坐をかいて頭を深々と下げた。
「これからどうするんです?道場は?」
「もちろん続けたいよ。師匠からの許可は頂いている。それにもうそろそろ停職も解けるから仕事に復帰できるよ」
「良かった~」
菖瞳は心からそう思った。
「それと…」まだ何か言いたそうに高岡がもぞもぞしていた。
「どうかしましたか?」
「実は…大変言いにくいことなんだけど…」
言い渋る高岡の後ろに何者かが現れた。それは癒月店長だった。
「僕ら、結婚を前提に付き合うことになりまして、間を取り持ってもらったのは菖瞳ちゃんかなって報告を…」
「ええ!」意外ではないが驚きだった。
「菖瞳ちゃんには感謝しかありません。わたしを誘ってくれたこと、本当に感謝しています」と癒月の言葉に合わせて二人は深々と頭を下げた。
「そんな、かしこまらないでくださいよ。ダメとか言うわけないじゃないですか」
「先に謝っておきたいこともあるのね…」
今度は癒月が話づらそうにした。
「当面の間お店を閉めようかと思ってね、バイトの件なんだけど…」
それは最後まで聞かなくても理解できる。
「クビですか?」
「そ、そ、そ、そんなつもりじゃあ…今回だけよ…華道教室は続けるし、そっちでよければ手伝いを…」
菖瞳が冗談で言った言葉に癒月は過剰反応し慌て出した。それが面白くて、込み上げてくる笑いに耐えかね、ついに笑いがこぼれた。
「何々?どうしたの?」と洸が扇和歌奈と一緒に寄ってきた。
「私、癒月店長にクビにされたの~」
「癒月さん」と洸も冗談に付き合った。腕を腰に当てて大げさに胸を張った。
慌てふためく癒月に三人は笑うと、
「冗談ですって、お幸せに」と菖瞳は座ったまま癒月に抱きついた。
「大人をからかうんじゃありません」と癒月もまた洸を真似て胸を張ってみせた。
「菖瞳ちゃんが良ければ、うちの劇団で雇うけど」と和歌奈が言った。
「そんなことできるんですか?」と洸は尋ねた。
「可能だと思うよ。山崎監督みたいにさ」
「菖瞳ちゃん劇に出るの?私絶対に見る」と癒月も乗り出した。
劇と聞いて苦い思い出が頭をかすめた。
「遠慮します」
「まあ、そう言わず、本格的にやってみたらどうだ?」と横から高岡が口を挟んだ。
「そうよ。良いじゃない」と洸が食い下がる。
「勘弁してください」
あまりの押しの強さに菖瞳は立ち上がった。足は感覚を取り戻し、しびれは消えていた。
「菖瞳ちゃんの演じているところ見たいな~」と癒月がお返しとばかりに押しが強い。
「本当に勘弁です~」
菖瞳は席から逃げ出した。
宴会が賑やかに催されている中、ある人物と目が合った。
「高岡警部も来ていたんですね」
壁に体を傾かせ、遠慮気味に眺めていた。宴会には兄の同僚など、今回お世話になった警察の面々も姿が確認できる。
「俺も一応ここの門下生だし、呼ばれたからね」
「来ていただいて嬉しいです。話はお父さんから聞きました。その説はありがとうございました」
菖瞳は丁寧にお辞儀した。
「いやいや、内緒にしていたことを怒ってもいいんだよ。本来なら真っ先に家族に伝えるべきことなんだから」
菖瞳はくすくすと笑った。
菖瞳の笑う姿に高岡警部は不思議そうな顔をした。
「すみません。ご兄弟だなあ~って思いまして。二人とも同じことを気にしてくださり、おかしくて。それにやっぱり似ているな~って」
「そうか?」と彼は片眉を挙げて苦いような変な顔をした。
ひとしきり笑った後、菖瞳は気になっていたことを尋ねた。
「事件の後、うちの親戚たちはどうなったのです?」
「責任を問われたのは富雪、杏希の親子と夕雨だろうけど、清水杏希ならほら」とあごをクイッと挙げて注目を向けた。
兄を取り囲む同僚らのそばで酒を注ぐ彼女の姿があった。
「富雪は雪虎を刺した傷害に問われるだろうけど、証拠不十分で不起訴になるだろうね。夕雨も例のミスター慶長渡辺陽汽が絡んだ傷害事件で責任が問われるだろうけど、不起訴に終わるだろうね」
「あいつは洸の記憶を消すだけじゃなく、刺したんですよ。それでも不問なんですか?」
「石元さんの事件については仕方ないと思っている。立証不可能の刀の力が関わったんだ、証拠として法廷に提出できないだろうから、俺の方で不問にしてもらった。そうでなければある人物も一緒に起訴されてしまう」
「ある人物…?」
その答えはすぐに高岡警部の目線で理解した。
「中には刑事責任を問わない方が幸せな場合もある」
「いいんですか?お父さんのために…」
「何のことだか」と彼はしらばっくれて紙コップのオレンジジュースを口に含んだ。
「『録破二日月』を折ったあの時、どうして夕雨は暴れたのでしょう?何か聞いていますか?」
「ああ、すべての発端はやはり富雪だが、もしかしたら彼だったかもしれないそうだ」
菖瞳は興味をもって高岡警部を見ていた。クールな横顔がむなしく沈んで見えた。
「彼の母、加耶子さんは刀の呪いで気が抜けたわけではなかったんだ。富雪は加耶子の現状を知ると施設に送ったそうだ。それには夕雨も同意していた。だが、夕雨は全くよくならない母親を悔やみ、一層の事忘れたくなったそうだ。それで『健忘刀』を持つ富雪のもとへ向かい、刀の呪いを自ら浴びたそうだ。母親の現状を忘れた彼は富雪親子が殺害したと錯覚したらしい」
「そんなことが…。でも富雪さんはそんなことを一言も…」
「彼女自身も切られていたらしい。いずれにしても検証は難しいだろうさ」
少し気分が沈んでいると目の前に二人の脚が止まった。気が付けば隣にいたはずの高岡警部の姿はない。
改めて目の前の誰かを確かめた。その二人に菖瞳は思わず目を見開いていた。
「久しぶり」
高圧的なものを感じて菖瞳は一瞬たじろいだ。
「先輩、そうじゃないでしょう」と諭したのは江村晴夏だった。
「ごめんなさい。怖がらせてしまったら、謝る。この通り」と柿木唯先輩が手を合わせて拝むように頭を下げた。
菖瞳はどうしたらよいか困り果て呆然と立っていた。
「今日はね、呼ばれてきたの。私たちにはあなたをお祝いする権利なんてないけど、せめてしっかりと謝っておかないと思って…」
「ホント、福内が逮捕されたと聞いた時私たち無神経だったって後悔している。許してほしいとは言わないけど、一言謝らせてください」
晴夏が言うと二人はきっちりと頭を下げた。
突然のことで言葉が浮かばない。二人を決して憎んでいたわけではないが、苦手意識を持ってしまっていた。
「当然か…。菖瞳はうわべや面白そうだからって付き合う私たちと違ってこんなに素敵な人たちに囲まれているものね」
柿木先輩は周りを見渡した。
「それは違います」と菖瞳は首を振った。
「こうして気遣ってくれる先輩や晴夏がいるとわかっただけでまた学校に行こうって気にさせてくれました。他人との付き合い方は様々だけど、二人は私の人生にとってなくてはならない存在なんだと思います。だから、私を二人とは異質だとか思わないでください。ここにいるみんなはここが好きだったり、父を慕っていたり、仲間たちが大事だから来ていると思います。先輩が言ったようにうわべとか面白そうだってだけで最初は集まったかもしれませんけど、それでいいと思いました。みんなそれぞれに思想をもって、間違えたり愚かなことをするかもしれません。でも二人がさっき謝ってくれたように彼らに人を思いやる心があるから素敵だと感じたのだと思います。だから私は心から二人の謝罪を受け入れようと思います。それに私も少し傲慢だったかもしれません。突然素っ気ない態度を取ってしまって、ちゃんと何が嫌だとか言えなかったもの…」
反応なく立ち尽くしている二人に、
「変なこと言ったかな?」と菖瞳は不安になって尋ねた。
顔を向ける二人は目を潤ませていた。
「も~。化粧台無し。ひっぱかれて追い出される覚悟をしていたのに、こんなにいい子なんだもの」と柿木は目元をこすった。
「私たちって本当に悪者みたいじゃない?先輩ったらひどい顔」と晴夏は柿木先輩の崩れたメイクを見て泣き笑った。
「うるさいって、もう!」
菖瞳はほほ笑んで二人に「ありがとう」と呟いた。
聞こえたか聞こえなかったかは定かではないが、晴夏は菖瞳にあることを教えた。
「私たちに謝る機会をくれたのは石元さんなんだ。菖瞳はいい友達を持ったよね」
二人の隙間から洸を見つけた。彼女は菖瞳が座っていた席を確保したまま、癒月や和歌奈と楽しそうにお話ししていた。
すると波長というものが偶然会ったように彼女は菖瞳に気が付き楽しそうに手を振ってきた。
「じゃあ、一緒に食べましょう。洸の事をちゃんと紹介したいし」と菖瞳は二人の背中に手を添えて席に誘導した。
「ちょっと待って、せっかくだからってお土産があるの」
晴夏は肩掛けバッグかを漁り、中からキレイな包み紙を取り出した。
「まさかこれって⁉」
菖瞳は目を輝かせ、そのずっしりとした包みを受け取った。
「前に、好きだって聞いていたから買ってきちゃった」
「復興饅頭ね!」
「限定だから三セットしか買えなかったんだけど…」
「ありがとう~お供えしなくちゃ。先に食べてて。報告に行ってくる」と菖瞳は慌てた様子で道場を出て行った。
「ホント時々面白い子だよね」
「そうですね。菖瞳に喧嘩売るとか私たちどうかしていましたね」
晴夏はしみじみとそう漏らすと柿木を見た。すると晴夏は思わず笑ってしまった。柿木の目元がパンダ目を通り越して狸のように真っ黒になっていたのだ。
道場を抜けてたどり着いた仏間で菖瞳は膝を折った。仏壇の前に座りふと自分がやろうとしたことに疑問を持ってしまった。遺影とされた父の写真はもうない。ここで父に報告する必要はもうないのだ。
菖瞳は手にした饅頭の包みを台に乗せた。
いつもは父を対象として手を合わせていたが、今日からは先祖に手を合わせることになるのかな、などと思い静かに目をつぶって合掌を始めた。
祈っているととある疑念が込み上げてきた。今日、目覚めてからあったすべてのことが夢ではないかと疑ってしまう。兄が意識を戻し、事件は解決。さらに父が生き返ったことも。もしこのまま目を開けたら、夢が覚めてしまうのではないかと言う恐怖心が沸々と込み上げてきた。
夢ではないことを先祖に祈り、切り上げようにも邪念が妨げた。
「菖瞳?」
声をかけられ菖瞳は瞬発的に振り向いた。そこには洸が立っていた。不思議な感覚を抱きながら上目づかいで見上げた。
「司馬と扇先輩らの即興劇が始まるって。……邪魔した?」
「ありがとう」
「何に対してよ」
「何にでも。行こう」
菖瞳は晴れやかな気持ちで仏壇の包み紙を取り上げた。そしてふと見えた床の間の隅に立て掛かっている一本の刀に笑顔を向けると、部屋を後にした。
ファーストシーズン 完
サイレントニアラズ サシガネ狸 @SracoonD
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