香りの小瓶

 戴冠式が終わって数日が経ち招待した各国の王族もそれぞれ自国に帰って行くと、すぐにお義父様とお義母様は王都から離れた別荘に移り住んでいったのだ。


 それから暫くは王妃の仕事を慣れないながらも頑張ってこなし漸く少し落ち着いて出来るようになったのである。


 そんなある日、私は代々引き継がれている王妃専用の中庭で花の世話をしていた。




「だいぶ大きくなったね」




 私はそう嬉しそうに言いながら今すぐにでも咲きそうなほど膨らんだ花の蕾達を見渡したのだ。




「サクラ様が毎日お世話をされていますのですくすくとご成長されたのですよ」




 そう言ってミランダがニコニコと笑顔で私に水の入ったジョウロを手渡してきたのである。




「さすがにアイラが途中まで育ててくれたお花を枯らす訳にはいかなかったからね」




 私は苦笑いを浮かべながらミランダからジョウロを受け取りその蕾が付いた花達に水を掛けたのだ。


 一応この王妃専用の中庭には専属の庭師が付いていて、常に綺麗な草花を見る事が出来るようにお世話をしてくれている。


 その話をアイラにしたら是非ともお花を贈りたいと言われてしまったのだ。


 そしてそれを快諾すると葉だけ付いた球根を沢山持ってやって来たのである。


 さらにアイラはどうせなら私にその花のお世話をして咲かせてみてはどうかと提案してきたので、まあ王妃としての張り詰めた生活の気晴らしになるかと思い承諾した。


 そうして中庭の一角に場所を借りその花達だけ私が育てているのである。




「ふ~この様子だと明日ぐらいに咲きそうだよね」


「そうですね。もし咲きましたらお部屋に飾りますか?」


「・・・そうだね。カイルにもこの私が育てたお花を見て欲しいし・・・」




 私は最近夜遅くにしか部屋に帰ってくる事が出来ないカイルを思ったのだ。




「それが宜しいかと思われます。とてもお忙しいカイル王はお花が咲かれているうちに見に来れないでしょうから・・・」


「ミランダ悪いんだけど、この花を生ける用の花瓶だけ用意しておいてくれる?」


「はい。ピッタリの花瓶をご用意しておきますね」


「お願いね」




 そうして私はジョウロをミランダに返すと、再び花のお世話をするためしゃがみ込み葉の状態等を確かめていたのである。




「ミランダ様」


「え?ああアビルどうかしたの?」




 ミランダの名を呼んで近付いてきた男性にミランダは振り向き不思議そうに問い掛けたのだ。


 そのアビルと呼ばれた男性は端正な顔に真っ白な長髪を後で一つにまとめ、執事風の服をキッチリと着こんだ青年であった。




「ライエル様がミランダ様をお呼びです」


「侍従長のライエル様が?一体私に何のご用なのでしょうか?」


「すみません。私はミランダ様を呼んでくるようにと言われただけでして・・・」


「ああそうよね。わざわざ呼びに来てくれたのにごめんなさい。でも今はサクラ様に付いているのですぐには・・・」


「別に私一人でも大丈夫よ?」




 困った表情で私の方を見てきたミランダに私は立ち上がりながらそう言ったのだ。




「いけません!サクラ様はもう王妃になられたのですよ!それにカイル王から絶対にサクラ様をお一人にさせないようにお仰せつかっています!!」


「そ、そうなの?そう言えば何処に行くにも誰かついてくるとは思っていたけど・・・カイルの指示だったんだ。別にそんなに心配しなくても勝手に何処か行かないのに・・・それにここはお城のさらに王族しか入れない場所だから、そうそう部外者は入って来れないから安全なのにね」




 凄い剣幕で言ってくるミランダに私は苦笑いを浮かべながら答えたのであった。




「確かにここは安全ですけど・・・でもやはりサクラ様をお一人にする事は出来ません!」


「ミランダ様、それでしたら私が代わりにサクラ様のお側にいます」


「え?しかし・・・」


「ミランダ様が戻られるまでの間ぐらいでしたら私でも大丈夫です」




 アビルはそう言ってにっこりとミランダに微笑んだ。するとミランダはじっとアビルを見ながら一人思案しそして頷いた。




「分かったわ。では私が戻るまでの間、サクラ様の事をよろしくお願いしますね」


「はい。畏まりました」


「サクラ様、申し訳ありませんが少し席を外させて頂きます。すぐに戻って参りますのでお部屋でお寛ぎください」


「ええ、行ってらっしゃい」




 ミランダは私に見送られながら急ぎ足でお城の中に入っていったのである。


 そうしてアビルと二人だけになった私は、まだアビルとちゃんと話をした事が無かった事を思い出したのだ。




「そう言えば・・・アビルはいつぐらいからここで働くようになったの?」


「・・・半年程前から働かせて頂いています。実は働き先を探していた時、丁度遠い親戚である男爵がここを紹介して頂けましたので」


「そうなんだ。どう?ここの仕事は?」


「皆さんとても良くして頂き、やりがいのある仕事だと思っています」


「そうそうミランダやロイからアビルの話を聞いた事があるけど、仕事をすぐ覚えて自分で動ける有能な人だって誉めていたよ」


「それはとてもありがたいお言葉です。しかし私などまだまだ・・・」


「謙遜しなくて良いよ。皆あなたの仕事ぶりを認めているんだから」


「・・・ありがとうございます」


「さて、ミランダに言われたしそろそろお部屋に戻りますか」




 私は手に付いた土をはたくとアビルにそう言ってにっこりと笑った。




「ああサクラ様お待ちください。そう言えばカイル王からサクラ様にお渡しするように承った物がございます」


「カイルから?一体何?」


「これです」




 アビルは懐に手を入れるとそこから綺麗な模様の入った小さな黒い陶器の小瓶を取り出したのだ。


 それを私は受け取り手の上でじっくりと見つめる。




「これは?」


「香りの小瓶です」


「香りの小瓶?」


「はい。そこの蓋を取って中に入っている液体の香りを楽しむ物だそうです。カイル王がわざわざサクラ様の為に取り寄せたそうなのですが、忙しく直接お渡しに行けないそうなので私が代わりにお届けするよう仰せつかりました」


「そうなんだ、カイルがわざわざ私の為に・・・アビル届けてくれてありがとうね」


「いえ。・・・せっかくですし今匂いを嗅がれてみてはいかがですか?」


「え?ん~そうね。どんな匂いなのかも気になるしちょっとだけ嗅いでみるかな」




 アビルの言葉に私は頷きさっそく小瓶の蓋を取って鼻に近付け小瓶の中を嗅いだ。




・・・何だか纏わり付くような凄く甘ったるい匂いなのね。これがカイルのお勧めなんだ・・・・・・あれ?何だか頭がぼーっとしてくるような・・・・・・思考が・・・定まらない・・・・・。




 自分の体の異変に戸惑っていると目の前にいるアビルがニヤリと笑っている事に気が付いたのである。




「ア、ビル?」


「さあサクラ様、もっと香りを嗅いでください」


「っ!!」




 アビルは私に近付くと顔から離し掛けていた小瓶を私の手ごと握り再び私の鼻に近付けてきたのだ。


 するとさらにその濃厚な甘い香りが鼻につき思わず顔を顰めようとしたのだが何故か表情が動かせなかった。


 その事に驚き声を上げようとしたが声を出せなかったのである。と言うか体が全く動かせなくなっていたのだ。


 唯一呼吸だけは普通に出来るので呼吸困難になる事だけは無いようだが、自分の意思で動かない自分の体に激しく動揺が走ったのである。




「ちゃんと効いたようですね」




 笑みを深くしたアビルがそう言うと私の持っていた小瓶を取り上げ蓋を閉めたのだ。


 その時中に入っていた液が数滴地面に落ちたがアビルはそれに気が付いていないようだった。


 そして懐に小瓶を閉まったアビルは私の横に立ち背中を支えると私の耳元にそっと囁いたのである。




「さあ・・・ダグラス様がお待ちです」




 そのアビルの言葉に私は激しく衝撃を受けたのであった。

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