第七章ー4:准麗、死す
血だらけの手を伸ばす。目の前の男の面影は、自分が求めていた女性に重なった。
――東后妃、さま…。
大きな手で覆った口からも、血が毀れてゆく。
「いやぁっ…嫌です!准麗さま!」
准麗は最期に光蘭帝の顔を血で濡れた指で撫でる。
「……裏切り、と言いましたね」
「准麗!動くな! 白龍公主!」
白龍公主は何も言わない。その目の前で、准麗は瞼を下ろし始めている。
「駄目です! 准麗さま!」
「…僕は……あなたも…大切…で…した…。それでも……それより大切…なものが……あ…ただ…け……噂通り……華仙人は恐ろ…しい……どうか、明琳……その子供に…東后妃さ…ま…」
「しゅん・・・れ・・・い・・・?」
ずしりと重くなった准麗は二度と動かなかった。赤い髪の遥媛公主がその躯に手を伸ばし、巻き付いていた羽衣を引きはがすと、准麗の姿は弾けて消える。フワリと布状になった羽衣は大きく遥媛公主を取り巻き、燃える火風に煽られた。
まるで聖母の時とは違う。赤い髪は炎そのもので、赤い悪魔が明琳の前にいた。
「僕の羽衣を血で汚すな。白龍公主、またここで殺し合いをやるとはね」
その前で、腕を降ろした白龍公主は憎悪に染まった眼をした遥媛公主を睨みあげた。
「これでお互い手駒はなくなった。振り出しに戻った。俺か、遥媛か…どちらかを選べ、飛翔」
「……………条件がある。これ以上、この子を辛い目に遭わせないと誓え」
光蘭帝は明琳の手を掴んだ。小さな身体は小刻みに震え、言葉を無くしている。あまりに少女には衝撃すぎた。
その時どさりと音がして、蝶華が元の姿で転がり落ちた。氷が溶けたのだ。
白龍公主が瞬時に駆け寄り、その生前と変わらない四肢を抱き上げた。
「蝶華!」
「条件とは何だ?光蘭帝」
光蘭帝は蝶華と明琳を交互に見やり、ゆっくりと立ち上がって、両手を床につけた。皇帝たる身で、臣下に土下座など許されない。それでも、光蘭帝は頭をこすりつけたのだ。
「私は母の願いと、そなたたちの約束通り、この身を天に捧げよう。どちらの種を受け取るかはすぐに決める。だが、明琳だけは見逃してやって欲しい」
「明琳…あァ…東后妃はもう明琳の腹に棲みついてるんだけど…」
さも可笑しそうに、明琳に近寄ると、遥媛公主は指でその腹を突いた。
「気が付いてなかったの?きみの中に産みつけた魔こそが、東后妃の魂魄と怨念だった事。だから生まれてくる子供の意識を奪い、もう一度あの人は生まれる。…代わりにおまえを天界へ連れ去る。東后妃を受け入れる躰が出来るかは、賭けだった。だが、さすがは男と女。ちゃんと通じるんだから見事なものじゃない?」
明琳は小羊の頭を揺らすだけだ。遥媛公主の高笑いが響いた。
「アーハハハハ!我らにとって人の愛など所詮は玩具。どいつとどいつが交尾するか…それを見ているのは面白かった。後宮は本当に乱れていたね。だが、それもいささか飽きる。人に心奪われる華仙人など、もはや仙人ではない。そして私は女だ。女故、東后妃の子供への幸せには共感したし、敬愛したよ。だからこそ、雪の中でも力を貸したし、この祥明殿を始末した。すべては母から子へ受け継がれるべき想いが生み出した素晴らしい物語だ」
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