第七章:人が人を愛する遊戯

第七章ー1:どうして蝶華は光蘭帝の子を孕まなかった


「准麗」

「光蘭帝をお連れしました」


「いつもながら、この陰の気は敵わないな。もうこの姿も飽きた。銀月季に戻る」


 祥明殿の陰の気を振り払い、天空で赤い髪に赤い目の仙人に戻った遥媛公主が舞い降りた。


 未だに人の殺意と憎悪が充満する中に、ぽつんと置かれた棺があるのに気が付く。


「蝶華の柩か。また酔狂な……白龍公主らしくもない」


 かつての麗しき貴妃が眠る手にはいまだに羽衣があった。


「遥媛公主さま、どうして蝶華は光蘭帝の子を孕まなかったのか。貴方はそれを知っていたのですか? どうあっても、蝶華妃が子を持つことはないと」


「知っていたよ」


 遥媛公主は事もなげに言うと、その氷の棺に腰を掛け、長い足をすらりと延ばして見せる。今は目を閉じている貴妃の頬を触るかのように氷を撫で、顔を近づけた。


「面白いよね。人間て。おまえは知っていたろうにな、蘇芳蓮華いや、白龍公主。准麗、女はね、尊いものさ。愛する人以外の子供なんて持ちたくない。白龍公主は男であるが故に、その蝶華の心までは受け取るどころか、読めなかったのさ。


 そしてもう一つ、誤算がある。種をすでに預かっている人間が、もう一つの種を抱える事は出来ない。女好きも大概にしときゃ良かったのにな。


 そして、仔猫ちゃんは愛されてることにも気づかなかったお馬鹿さんと来た。相手にする価値もなかった。光蘭帝をさっさと天に運ぶとしよう。そして僕は天帝となり、この地上をすべて消し去る」


 准麗は自分が抱き上げたままの光蘭帝を再び見下ろした。いつしか固く目を閉じ、皇帝衣装のまま、光蘭帝はそこに横たわっていた。


「強く殴り過ぎじゃない? 別に種を飲ませるだけなんだから正気でも良かったのに」


「元々心が弱い方です。その上、明琳の饅頭を喰っている。拒まれたら面倒。僕は光蘭帝を斬りたくありませんから…東后妃さまが悲しみます」


「主従ここに極まれり。まあ、気が付いた時にはもう戻れやしないけれどね。光蘭帝の体躯は素晴らしいから…きっと天帝もお喜びになるだろうさ、そうだ。ついでにこの氷の貴妃を溶かして羽衣を奪い取って塵に返してやろうかな」


などと血も涙もないことを思いついた遥媛公主が掌に業火を生み出した。


 白龍公主の氷はこの世の物ではない。だから、この地上の太陽には溶けない。だが、また自分の操る業火も地上の物ではない。ともすれば、この氷は自分の業火で溶けるだろう。


 ぽ、と音がして、蝶華の眠る氷の角に小さく火が灯る。ゆっくりゆっくりと氷が解け始めた。そして蝶華の持つ白龍公主の羽衣を燃やしてしまえば、白龍公主は二度と天には戻れず、この地上で寿命を全うするしかない。


 そんな憐れに地上で蠢く人豚に等しく天を見上げる華仙人を、自分は天上から栄華の天帝の椅子から見下ろしてゆく――――身震いがするほど、素敵な話だった。笑いが零れる。


 溶けてゆく棺を満足そうに見つめながら、遥媛公主が長身を伸ばして、宙に浮いた。


「後は明琳か」

「光蘭帝が片付いたらで宜しいかと」


「散々邪魔してくれたしね……」


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