第六章最終話:天界への道
「ち」
煙が邪魔だと、大騒ぎになっている地上の一角に氷を落すと、僅かに火は消えた。やはり、通常の水では消火できない。これは天の火だと白龍公主は眉を上げた。しかも、地上を焼き尽くせるほどの華仙の粛清の火玉。かつての大獄を思わせる天火だ。後宮はおろか、紅鷹承后殿他、いや、国すべてが焼け落ちる!
「全部焼ける規模だ。なんて非道な!」
こんなものを平気で落す華仙人はひとりしか知らない。優しい仮面でずっと明琳や蝶華をや光蘭帝をも欺き、残虐さを隠して機会を狙った女華仙――遥媛公主山君が頭角を現した。思えば天空に現れた妙な丸い雲はその前触れだったのだ。
「……そこを退け! 水では消えない。これを砕いて使え! 火は消えるぞ」
更に氷山を叩き付けて、白龍公主は動きを止め、右往左往している後宮の女官を捕まえた。
「皇帝はどうした!」
「姿がお見えになりません! 遥媛公主さまも、准麗さまも、華羊妃さまも! 白龍公主さま、この後宮はどうなって」
「俺に聞くな!……大丈夫だ。落ち着け」
その時、柱の陰から、一人の武官が顔を覗かせた。
「何をしてるんだ。死ぬぞ」
「華仙で散々ワルさを働いた君が人助けかい? 教えてやろう。皇帝は西に囚われた。忌み嫌われた場所が、最後の途となる。あの羊ちゃんと一緒に行けば、未来は変わる」
さらりと言って、武官は霧のように姿を消した。どこかで見た顔だが、白龍公主には思い出せず、業火で髪が燃えたのに気付く。
持っていた小刀で黒髪をザンバラと切り、氷の媒介として宙にばら撒く。それはつららとなって業火に向かって行き、辛うじて火は鎮火した。
「明琳!」
おろおろと庭で状況を窺うだけの貴妃が空に現れた華仙人を見て、ほっと頬を緩める。
「白龍公主さま!……あの、火が見えたんですけど…消えちゃいました」
「俺が消したんだ! 多分遥媛だ。あいつは火の仙人だから」
「またそんな事ばっかり! どうして遥媛公主さまがそんな非道な」
「いつまでも騙されているんじゃない。そのでかい目は飾りか? あァ?」
ふと明琳は肩で惨めに揺れている白龍公主の髪に気がついた。
「お髪、切りました?」
「媒介に使っただけだ。遥媛の火は水では消せない。氷の仙人の俺だけだ。これで天帝の資格は失った。華仙人にとって髪は聖なるものだった。だが、蝶華はきっとみっともないと笑ってくれるだろう。それでいい」
「白龍公主さま。変わったね」
「得体の知れない饅頭のせいだ」
「やっぱり変わってない! 得体の知れないって! そんな言い方!」
「光蘭帝を奪う気はあるか?」
驚きで、明琳の瞳が大きくなった。元は光蘭帝を奪う為に始まった悲劇。だが、もしも自分が奪ってしまったら?
(どうして白龍公主さまは助けてくれるのだろう)
その明琳に優しい声音が降る。聞いた事のない、温かさに溢れた白龍公主の声だった。
「おまえは俺の蝶華の友達なのだろう? ならば主人たる俺が助力するのは当然だ。あのババア、これ以上思う通りにはさせん。蝶華の弔いだよ。おまえも力を貸せ」
「蝶華さまの……! ハイ!」
明琳は勢いよく頷いた。
白龍公主は頷くと、明琳を抱きかかえて、後宮を跳ぶ。そうしてその姿は、敬遠されてきた西の後宮に消えるのだった。
――東后妃さま聞こえますか?
妖の気配が准麗を取り囲んだ。
―――器を何故に殺した?あの腹にはようやく宿った命があったのに…
―――もっといい器が見つかったと遥媛公主が。
―――ずっと飛翔の内で見ていた。あの小汚い小羊にわらわを入れ込むと申すか。
―――少明琳には華仙の血が流れている。いずれあなたも天に行くにはただの人間の蝶華などより、明琳の方が都合がいいのでは?
―――………飛翔は…。
―――もうじき願いは叶いますよ。僕はそれまであなたを護ります。
准麗は抱き上げた光蘭帝の髪を撫で、愛しい面影のある顔を眺めた。もみ合ったお陰で頬に大きな切り傷がついてしまった。輿入れの娘ではあるまいし、気にすることもないが、やはり良心が痛む。
抱きかかえた光蘭帝を見下ろして、准麗は呟く。
「暴れなければ良かったのですよ。手荒い武大師で申し訳ございません」
急所を強く打たれた光蘭帝の神経はしばらく動かないだろう。目を開けたところで、四肢は動かせない。
「紅鷹承后殿は」
「ご心配なく。あなたと共に燃えて天界への道となりましょう」
しかし、遥媛公主の火は広がったようには見えない。だがこんなことはどうでもいい。こんな後宮の一つや二つ、天帝となった遥媛公主さまは軽々と消し去るだろうから。
約束の時間が近づこうとしていた。
それはすなわち、光蘭帝の人の終わりを意味していた――――――――。
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