第三章ー5:決められし運命とは

「わたしはここにいます。遥媛公主さまのおそばに生きています」

「それではいやだ」


 いや?


 光蘭帝が明琳の手を強く掴んで引き寄せた。


「そなたは、私の傍に在るべきだ。ウロウロして、私を困らせるのがそなただ。突然現れ、饅頭を食わせ、私を落し、幽玄にと言った私を後悔させ、白龍公主に騙されるなど。そなたはいっつも困らせる。だが、それがそなたなのだろう。それがそなたがそこに在る証だ」


 ふっと光蘭帝の顔が傾き、腕が明琳の手首を優しく掴んで上唇が滑った時、明琳の脳裏にはあの夜の白龍公主との記憶が甦っていた。


 襲われたあの日。冷たく、蛇のような目と冷たい体温。光蘭帝の体温もひんやりとしていて、人の者ではない事に気が付く。そして過去の恐怖を呼び起こした。



『お父さん、お母さん・・・どこ・・・』


 冷たい牢屋。そう、あの牢屋を知っていた・・・!



「嫌ぁっ…いやいやいや…っ…」


 どん!と突き飛ばすようにして、光蘭帝から逃れると、明琳は自分を抱きしめた。がちがちと歯を鳴らして、首を震わせる小羊の前で、光蘭帝が呆然と呟く。


「今、この私を拒絶したか……」


 胸にポカリと風穴が開いた。光蘭帝は屈辱と悲しみで唇を震わせる。皇帝たるもの、常に人の上にあれ。特におまえは華仙として生きるべき選民なのだから――…

 なのに、この娘は自分を拒絶したのだ。光蘭帝は震えの収まらない様子で告げた。


「この紅月殿のすべての貴妃以外の、資格を有する女官を処刑する。反逆罪だ」


 明琳が顔を上げた。


「それが嫌なら、謝れ」

「謝りません」


 目を剝く光蘭帝の前で、明琳はきっぱりと言った。


「ならば私を片付ければいいでしょ。わたしが悪いのなら、わたしにするべきですっ」


 言葉が出て来ない。いや、言葉を知らない。目の前で、小羊が立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。


「怖かったんです。白龍公主さま……それを思い出しただけです。光蘭帝さまと、白龍公主さまのお肌って同じくらい冷たいのです」


「私の肌が冷たい?」


 明琳は頷いて、目を擦り上げて、自分の手を伸ばしたが、まるで足りず、すぐに手を引っ込めた。その手を光蘭帝がぐいと引き上げて、頬に当てさせる。


「ああ、温かいな。温石のようだぞ」


「これが、ひと、です。特にわたしは子供だから、体温が高いんだそうです。でも、あったかいでしょ?……謝ってください」


「ああ、すまない」


 何故か謝りの言葉がすんなりと口から出た。皇帝が頭を下げる事は、国を放棄するのと同じことだ。だが、何故か至極自然な事のように思えた―――


 明琳が小さいので、光蘭帝は改めてしゃがみ込んで、明琳の頭を撫でる。ぽふん、と陽だまりの匂いが鼻をくすぐる。


「そなたはいつも元気だ。日向の匂いがする」

「お日さまの下が好きなんです。……やっぱり、冷たい」


「そうか。感じた事はなかった。ではそなたを冷やしてしまうな」


「でも、心はぽっかぽかです。……光蘭帝さまが明琳の名前を呼ぶと、心に温石が生まれるんです。それとね、……寂しくないんですか?」


 はて?と光蘭帝が明琳の丸い目を見つめる。高級な上着の龍の眼と明琳の視線が合った。


「大切なものを失くして、そんなに仙人になりたいのですか? つまんないよ、だって美味しいことも、楽しいことも、嬉しい事も、例えばわたしが死んでも、涙も流さない。そんな光蘭帝さまとどうやって楽しくするの?」


 寝不足の下瞼が蠢いた。


「おかしなことを言う。ならばそなたに教えよう。私の決められた運命を。華仙人に遊ばれる、我が命を…私は―――――」


 ふと遥媛公主の香を感じた光蘭帝は口を噤んで、嘆息した。


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