第三章ー4:武大師との決着

「明琳。きみのせいで光蘭帝が負けてしまったよ」

「やっぱりわたしのせいですよね」


 紅月殿の渡り廊下を歩いている明琳は肩を落としてしまう。あれは光蘭帝と武術大師の勝負であり、路地裏でじゃれている野良犬たちを応援するのとはわけが違った。もしかすると、光蘭帝が勝ったかも知れない。自分の大声が邪魔をしたのは明らかだ。


「光蘭帝さま、素敵だったです。あんな大きな剣を振り回して戦えるなんて。武将のようにも見えました」


「光蘭帝の元の血筋は武官の出だからな。あれの母親も見事な槍術を持っていたから、血は争えないのだろうな。あの青龍偃月刀を振り回せる武官は少ない。実は光蘭帝は強いよ」


「ええ、わかります。とってもとっても素敵だったんです」

「それは僕に言わず、本人に言ったら?」



 遥媛公主の眼が悪戯を帯びて前方に向いた。一緒に見上げた明琳にその姿が飛び込む。


 束ねた髪は無残に乱れ、はしたなくも胸を開いたまま、光蘭帝は呼吸を荒げたままようやく聞いた。


「華羊妃。そなた、何故まだ後宮にいる」


「・・・・・・・・・ん」


「何故返事しないのか」


「わたしの名前じゃないです」


「あー…明琳よ。何故、まだ遥媛公主の傍にいる。私は星翅に命じて幽玄送りにしたはずの小羊が何故に」


「わたし、幽霊扱いは嫌でしたから。うふふ、今は紅月殿で、お料理とか手伝って暮らしているんですよ~」


「遥媛公主…どういうことだ……」


 僕に矛先を向けるなよ…と遥媛公主が袖で口元を隠して目元をにんまりと弛緩させて見せた。


「公主さまは悪くないの!」


「煩い。そなた、白龍公主に何をされたのか忘れたわけじゃあるまいな? 私は滅多に謝らない。その私が「そなたを巻き込んだことを許せ」と言ったのだ!それにそなた、私の言いつけを護らず、饅頭を作ったな? ――料理人、並びに武官全員を処罰する」


 ―――――処罰?


「ちょっと待って下さい!」


 光蘭帝は踵を返してしまい、慌てて追いかけてその腕を掴んだ。少し痩せた気がする横顔をじっと見て、明琳は言い返す。


「お約束を破ったのは謝ります。でも、わたしはどうしても、あなたに御饅頭をあげたかったの! 美味しいって、笑顔が見たかったんです! また、明琳って呼んで欲しくて、だから幽霊になんてなりたくなかった!」


 純粋な二つの眼が夜空の星のように、たくさんの耀を称えている。その目が僅かに陰ってゆくのに気が付いた光蘭帝が訝しそうに首を傾げ。


「邪魔してすみません……」

「邪魔?」


「わたし、屋根の上から大声を上げてしまって……あ、でも、スッゴクカッコよかったんですよ!もう心から応援しちゃったくらい。でも、負けちゃった…です」


「元々武術大師には勝てないさ。そもそも、今日の試合は准麗が私が心がなっていないと言い出した口論から始まったのだ。まあ、私も鬱々していたからな……ちょうどいい功夫となっただろう。明琳、武術には心技体を整えるという名目もあるのだよ」


 目の前の小羊が尊敬の眼をするのが面白い。光蘭帝はさらに続けた。


「准麗と蝶華、私は共に後宮で育った間柄だ。よくこの紅月殿で遊んだりした。母も優しくて、だが、明琳、そなたがうろうろしていない」


 言葉が繋がっていないまま、光蘭帝は続けた。


「私は華仙人から逃げられない。いずれは人を捨て、桃源郷の住人となる。そんな馬鹿げた野心に囚われた私なぞの傍には置いておけないと思った。だから手早く遠ざけたが、庭にそなたの姿が見えぬ。私は苛々が募る。今では白龍公主を抱くことも憚れる。私自身の恩恵など、ひとかけらとて与えたくはない」


 いつもながら、光蘭帝の言葉は難しい。だけど、何となく分かる。


 ―――――皇帝さまは、わたしの姿が見えないと、嫌なんだって言った…。


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