第七話:皇帝と貴妃と仙人の後宮遊戯
空気が歪み、一斉に磁力が捻じ曲がる。遥媛公主に抱かれた明琳はその突風に吹き飛ばされそうになり、遥媛公主の腕に潜り込んだ。
二人はしばらくにらみ合っていたが、木々を二、三本なぎ倒し、天地を僅かに揺らがして、それはぴたりと止まった。
やがて男の方がゆっくりと退散した後。驚きを隠せずに眼を丸にした明琳に微笑が降った。
「すまない。覇気を出してしまったな。どうもあの男を見るとね。僕は遥媛公主山君だ。この後宮の東半分を預かっている淑妃だよ」
「ようえんこうしゅ、さんくん…」
長い名前だ。そう言えば、あの白龍公主芙君の名前と似ている。
「遥媛公主でいいよ。公主山君や公主芙君と言うのは天界での地位だから。知ってる?天人の国、華仙界。とっても美しい世界なんだ」
首を振った明琳に遥媛公主は艶やかに眼を伏せながら、頭を撫でた。優しい手つきに寝付けない時の母を重ねる。そう、遥媛公主はどことなく幼少に逝った母に似ている。
(お母さん…?)
そんな事があるはずがない。馬鹿を言ってないで。と明琳はまた首を振った。
「ありがとうございました…これで家に帰れ…」
「きみはもう、ここから出られないけど?」
希望を瞬時に悪夢に変えた遥媛公主はきびきびとした口調で続ける。
「皇帝がきみを貴妃にするよう命じた以上、ここからは出られない。処刑を受けて
「そんなの無茶ですっ」
「貴妃となるか。処刑されるか。どちらかしかないんだよ。ならば殺してあげようか?」
「死ぬのは、嫌……」
皇族の前の何と惨めで小さき存在な事。自分の存在の小ささに気が付いた明琳の大きな目に涙が溜まってゆく。
皇帝は神、では民は?
愚問だ。駒であり、蟻だとある皇帝が言いきって、反逆の憂き目に遭っている。それでも次の暴君はやって来る。暴君が次の暴君を生み出し、光蘭帝もその一派だ。
「だって!皇帝さまはっ」
「きみだけじゃない。これは光蘭帝のお詫びなんだ。それに、町に戻ってどうする。きみの毒殺の疑惑が晴れたわけじゃないし、白龍公主が追いかけて来るかも知れない。小羊、時として自分に無情に為ることで、生きる道がある。自分など毛の先ほどもわかっちゃいないのさ」
―――――明琳、おばあちゃんがね…。
遥媛公主に母をまた映す。饅頭を持ったまま帰らなかった祖母、続いて連れて行かれて戻らなかった父と母に、最後引きずり出された自分。
あの時!あの時…
(わたしがもっとイイコだったら…)
静かになった明琳に遥媛公主は「決まったね」と呟いた。でも!と明琳はむしろ泣き顔で遥媛公主に訴え始める。
「でも! わたしには貴妃なんてお仕事出来ません。何も知らないもの」
「なーに。光蘭帝を気持ちよくさせてあげればいいだけだ。先日白龍に消された貴妃の代わりだ。一緒に寝てりゃ、自然と仕事になるよ」
(わ)と思う間もなく、すーっと地面に降りてゆく。遥媛公主は頭を下げていた武官の前に降り立つと、明琳を差し出した。
「この子を第一貴妃、蝶華妃の元へ案内しておやり」
「は」
事が猛速で進んでゆく。後宮という魔の巣。あたかも大蜘蛛が獲物を巣にかけ、がんじがらめ、動けなくなってから食するかのように、罠に落ちてしまった事に明琳が気づくのは、相当先の話であった。
***
「貴妃ですって?どういうことですの!」
飛んできた芭蕉扇を避けた白龍公主である。
「蝶華。お前が暴れたところで、事態は好転しやしないぞ。皇帝が決めたことは我ら華仙界の天帝にも等しい判断だ。人界に居る以上、ここでは光蘭帝が神だ」
「白龍公主芙君さまはあの小羊をお許しになりますの?」
「俺には興味がない。あるのは光蘭帝の躰だけだ。何らかで人の機能が目覚めたのだろうが、またそれもすぐに無くなる」
光蘭帝。その言葉にぎりと親指を噛みしめて、貴妃は言った。
「あの小羊! 絶対追い出してやるんだから! 光蘭帝との邪魔はさせない! 白龍公主さま、蝶華は成し遂げて見せますわ」
「ああ、可愛い俺の蝶々。―――――光蘭帝の子を持つのはおまえだ、良いな?」
体温の感じない冷たい白龍の胸に頬を押し付けながら、貴妃蝶華は唇を噛みしめていた。
――そう、光蘭帝を手に入れるのは自分だ。あんな小羊なぞ、とっとと排除しなければ。第一貴妃の名が廃ると言うものであろうと、蝶華妃は更に決意を固くした。
この後宮の遊戯におまえは要らない。
そう、小羊の出る幕なんかではないと言うことを、貴賓として、思い知らせる必要がある。紅鷹承后殿で、本当にあの、光蘭帝を手に入れるのは誰なのか。
欲の染まった後宮で、命を弄ぶ華の遊戯が始まろうとしていたーーーーー。
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