お嬢様と旦那様とボディーガード

碧音あおい

お嬢さまの整理整頓

「手伝いなさい。これ、全部捨てるから」

 普段からきらびやかな自室にこもりがちな、お人形みたいな外見をしているお嬢様は、自分を呼び出したと思ったらそんなことを言った。整えられた綺麗な指先で、ごっちゃりとしたひとかたまりの山を指差して。……クローゼットとベッドの間にあるその“山”はお嬢様の膝下まであって、ボロボロに擦り切れたぬいぐるみだったり、どう見てもお嬢様が着られるサイズではない地味な洋服だったり、日に焼けて色あせている水彩画だったり、ふんわり感を忘れてしまったパッチワークのクッションだったりが色々の──まぁ、有り体に言うならば“ゴミの山”に見えた。

 見えた、が、自分が真っ先に思ったのは『お嬢様、これひとりで頑張ったんだ。すごいな』で、次に感じたのが『なのになんで自分が呼ばれたのだろう』だった。

 お嬢様に視線を移す。シンプルではあるがあまり片付けに向いてない気がするロングワンピースと、ただ真っ直ぐに下ろした長い髪は乱れてもいないし埃がついてもいない。汗をかいている様子もない。不思議だ。

「ねえ、聴いているの?」

「──ええ、はい。聞いております。」

 この状況で、嘘です。なんて言える訳がない。

「ええと、これを捨てればいいんですよね。お嬢様、この部屋に」

 ──ダンボールなんてある訳ないな。言いかけて止めた。気づくのが遅い。お嬢様は怪訝そうに眉を寄せて自分を見ている。

「この部屋に、なにかしら?」

「いえ。なんでもありませんでした。ちょっと、これを入れる箱を取ってきますね」

「そうね。お願いするわ」

 一礼してからお嬢様の私室を後にする。ダンボールが邸のどこにしまわれてるかは見当しかつけられないから、そこら辺にいるメイドにでも訊こう。所詮自分はしがないボディーガードでしかないのだから……と、くわ、と欠伸をしながら思う。それでもお嬢様を守るのは自分だけの役目だけれど。

 ダンボールとガムテープを見つけて私室に戻った。ダンボールを組み立てて、お嬢様と一緒に箱に詰めていく。お嬢様は膝立ちの体勢で、ひとつひとつ丁寧に、箱の隙間を埋めるように物を入れていく。なるべく同じになるように自分もそれに倣う。まるでごみ捨てというより、タイムカプセルだな、となんとなく思った。捨てるんじゃなくてどこかに埋めた方がいいのではないだろうか。

 最後のひとつを入れてガムテープでぴっちりと閉じる。両手で抱えられるように、そんなに大きいダンボールを持っては来なかったが、上手く収まってくれて良かった。床と箱の間に手を差し込んで持ち上げられることを確認する。これならゴミ捨て場まで運べそうだ。

「ではお嬢様。こちらを捨ててきます」

「……ええ」

 お嬢様の表情は見るからに硬い。それはそうだろうな、と思う。箱の中に詰めたものは、お嬢様にとって愛着のあるものばかりだと一目で分かった。それをひとつひとつ、あらためるかのように触れていたのだ。未練がわくのが普通だろう。だから、どうしても訊いてしまった。

「……本当によろしいので?」

「当然よ。早くして頂戴。それとも、いちいち命令って言わなきゃいけないの?」

 お嬢様は素早く扉を指差した。その顔は背けられている。──地雷を踏んでしまったとよく分かって、あぁ、罪悪感に胸のあたりが苦い。痛い。けれどここで謝るのもお嬢様の心を逆撫でしてしまうだろう。だから黙礼するだけに留めて、再びお嬢様の私室を後にした。自分は本当はボディーガードに向いていないんじゃないかと、ちょっと自問しながら。


 両手でダンボール箱を抱えて、階段を降りて、長い廊下を歩く。大きくとられた窓から陽が差し込んでいて頭や肩がぽかぽかする。そのまま歩いていても、意外にも誰ともすれ違うことはなかった。──邸の入り口に着くまでは。

 タイミングが良いのか悪いのか、この邸の主が丁度帰ってきたところだった。多分、ジョギングかサイクリングだろう。旦那様は元々そういう性格なのかはたまた年齢故か、体が資本、健康志向なところがある。

 廊下の脇に寄り、一礼する。

「お帰りなさいませ」

「ああ。ただいま。ところであの娘は──」

 どこか気さくにそう言って、旦那様は薄く笑みを見せた。が、その笑みが、何やら不思議そうな表情に変わる。その目線は自分を見てはいなかった。素通りして、奥の方を見ていた。気になって目線を追うと、なにやら丸い物体が廊下に点々と落ちていた。……なんだあれ。

「あれは、なんだ?」

 渋い声が自分と似たようなことを言う。

「申し訳ございません、解りかねます。……すぐに調べて参りますので、旦那様はここを動かれないようお願い致します」

「……分かった」

 ダンボールを置いて一番近くにあった物体へと足早に向かう。手に取ると、それはカプセルのようだった。100円とか300円とかを投入すると機械が吐き出す、手のひらサイズのアレだ。

 そしてそのカプセルには小さな文字で“愛”と書いてあった。

 は? と思いつつ、そのカプセルを持ったまま他にも落ちているカプセルに向かう──どのカプセルも同じようなものだった。違いといえば、カプセルや文字の大きさや色くらいだろうか。白地に黒文字だったり、赤地に白文字だったり、そういう違いだ。手触りも微妙に違う気がする。愛の文字が書いてあることだけが共通点だろうか。

 一応念のため、目に付いたカプセルを手早く全部拾っていくと、お嬢様の私室の近くにある階段まで戻っていた。それ以上先には見つからず、ちょっとした山のようになったカプセルを持ったまま、旦那様の元へと向かう。

「えーと、ただいま戻りました。落ちていたのはカプセルでした。その、通常、カプセルの中にはおもちゃが入っていて、子供が自販機にお金を入れてレバーを回して、中身のおもちゃをランダムに手に入れるものなんですが……」

 真剣さを伝えるために真顔を作って言っているが、とても当たり前なことしか言えていないから、かなり間抜けだと思う。案の定というかなんというか、旦那様は苦笑を浮かべて肩を竦めた。

「……あのな、カプセルトイの仕組みくらい、私だって知っている。気にするのはそこではなくて、何故そんなものがこんなにも廊下に落ちていたのかだろう?」

 おっしゃる通りです、でもなんででしょうね。とは返せずに、無言で抱えたカプセルの山に目を向ける。すると旦那様は手を差し出してきた。渡せ、という意味だと思い、赤いカプセルを渡す。旦那様はそれを開けようと試行錯誤し始めた。普通のカプセルのような開閉ギミックは一見して見当たらないのに、どうやって開けるつもりなんだろう。そもそも開けられるつもりでおられるのだろうか。

「やはり私では無理なようだ」

 そう、旦那様が呟いて、おもむろに歩き始めた。ちらりとダンボールを一瞥してから、自分もカプセルを抱えたままあとを着いていく。どこへ向かっているのだろうと階段を登りながら思う。旦那様の部屋への方向ではない。旦那様の部屋は1階の奥にあるのだから。

 結局、たどり着いたのは、お嬢様のお部屋だった。旦那様は控えめにその扉をノックをする。

「……ただいま。君はそこにいるかい?」

 どこか窺うような言葉からしばらく経ってから、カチャリと小さな音がした。鍵が開く音だ。それから、そぉっとした動きで扉が開く。細く開いた隙間から覗き込むように、お嬢様の顔が見えた。

「……お帰りなさいませ、おとうさま。わたくしはおりますけれど、いったいなんの御用かしら」

 お嬢様の声音はキンと硬い。口調がどこか取り繕ったような言い回しなのは、旦那様に対してはいつものことだった。たぶん、自分がお嬢様のボディーガードとして就任するよりも前からだろう。

「大したことじゃあないよ。部屋に入っても良いかい? 少しゆっくりと話したいんだ」

 旦那様はにっこりと笑ってみせた。それはお嬢様を安心させるような、ゆったりとした微笑みだった。お嬢様は旦那様の顔をまじまじと凝視してから扉を開く。旦那様はするりと入っていくが、だけど果たして自分も入っていいのだろうかとその場で逡巡していると、旦那様が目配せしてきた。着いてこい、という意味だろう。そう思うも、どこか場違いな気分のまま、旦那様の後をついてお嬢様の部屋へと入った。

 旦那様とお嬢様は、備え付けのテーブルを挟んで向かい合わせに座った。これが物語ならタイミングよく配膳されるだろう紅茶などはテーブルの上にない。自分は少し離れて、旦那様の斜め後ろに立って待機している。ダンボールやカプセルを抱え続けてきた両腕は、そろそろ重だるくなってきた頃合いだ。

 先に口を開いたのは旦那様の方だった。

「こんなものを見つけてね。これがなんだか、君は知っているかな?」

 旦那様が赤いカプセルをテーブルの上に置いた。愛の文字がお嬢様へと見えるように。お嬢様がびくりと肩を震わせた。

「……知りません」

 そう答えるお嬢様の顔色はすぐれない。まるで、なにかを堪えているかのように声は震えている。

「それがね、ひとつだけじゃないんだ。実はこんなに見つけてね。ああ、こうやって集めたのは僕じゃないんだけど」

 言って旦那様は自分に顔を向ける。色々なカプセルを抱えたままの自分へと。けれどお嬢様はこちらを見ない。テーブルへと視線を落として、けしてこちらを見ないようにしている。膝の上でぎゅっと握られた手はかたくなだ。

「知りません。分かりません」

「嘘はいけないよ。君のお父さんはそんな人じゃなかっただろう?」

「──わたしは知りません! 分かりません! 覚えてなんかいません!」

 お嬢様が泣き叫ぶ声を聞きながら思う。ああ、やっぱりお嬢様は旦那様を父親とは思えていないのだと。

 ──お嬢様の本当の父親は、旦那様の古くからの親友だった。親友はお嬢様がまだ小さい頃にお亡くなりになるが、やがて数年が経過した後、お嬢様の母親、つまりは今の奥様は、旦那様とご再婚なされた。これは、この邸に勤めるものは皆知っていることだった。だからお嬢様と旦那様の間にある空気がどうしてもぎくしゃくとしたものであることも、よく、分かっていた。

 旦那様が椅子から立ち上がり、お嬢様の元へと向かう。お嬢様は身を震わせるが、その場から動かなかった。旦那様は膝をつくと目を細め、覗き込むようにお嬢様へと目線を合わせる。それから、そっと頭を抱いた。

「嘘はいけないよ」

 ひどく、優しい声音だった。お嬢様は目を見開いている。きっと心から動揺しているのだろう。旦那様はお嬢様の頭を撫でながら言葉を続ける。

「これは君のものだろう。アイツへの、君のたったひとりのお父さんへのものだ。例え君が覚えていなくても。そうだろう?」

 お嬢様が声もなく涙を零している。首を振って否定することもなく、首肯して認めることもなく、ぽろぽろと、ただ零し続けている。その姿を見ながら、ああそうか、と自分は納得していた。腕の重みを感じながら。

 ──このカプセルの山は、あのゴミの山から零れたものなんだ。

 ぬいぐるみや洋服や水彩画やクッションやその他色々の山。あれはきっと本当のお父さんからお嬢様へのプレゼント、あるいはお嬢様と本当のお父さんを繋ぐもの──つまりは、2人の思い出の品だったのだろう。だからそこには、後になって零れてしまうくらいに詰まっていたのだ。2人の間にあった愛が。

 旦那様が赤いカプセルをお嬢様の手に握らせる。そっと、優しい手つきで。

「……覚えていなくてもいい。大人になって忘れてしまう時も来てしまうだろう。でも、それまでは持っていなさい。君は、アイツのたったひとりの娘なんだから」

 泣いているお嬢様が顔を上げる。微笑んでいる旦那様を真っ直ぐに見つめる。握らされた赤いカプセルを、ぎゅっと、自分から握りしめた。すると、カプセルはひとりでに開き、中から発光した物体が出てきた。それは輝いたまま、お嬢様の胸へとすっと吸い込まれるように、消えていった。旦那様はそれを見て、満足そうに頷いた。それからまたお嬢様を撫でて言った。

「さあ、まだこんなにある。ゆっくり、ひとつひとつ片付けていこう」

「……違うの」

 否定の声を上げたのは、お嬢様だった。服の袖でぐしぐしと涙を拭い、それからもう一度旦那様を見る。

「違うの。わたしがほしいのはお父さんとの思い出だけじゃない。いらないんじゃないの。でもわたしは、今は、おとうさまとの思い出が欲しい!」

 お嬢様は空になったカプセルをぎゅうっと旦那様の胸元へと押しつけた。カプセルよりも真っ赤な顔をして。旦那様は面食らったように口を半開きにしている。それから、思い出したようにそろそろと自分の方を見てきた。視線の先には腕の中にある大量のカプセル。お嬢様も自分を見てきて、力一杯ふるふると首を振った。……えーと。そうだね。うん、そうしよう。

 つい緩みそうな口許に力を込めながら、2人を見て言った。

「旦那様、申し訳ございませんが、自分はお嬢様の味方をしたいと思います」

「は?」

「え?」

 旦那様にカプセルを押し付けたままきょとんと目を丸くしたお嬢様と、驚きでぽかんとこちらを見ている旦那様。そんな表情の2人はどこか似ているなと思った。

「つきましてはお嬢様にご確認したいのですが、こちらのカプセルは、ひとまず自分がお預かりしてもよろしいでしょうか?」

「……どうして?」

「自分は、お嬢様のボディーガードですから。お嬢様の御身はもとより、お嬢様にとっての大事なものをお守りするのは至極当然のことです」

 そう言って一礼してみせた。両腕で落ちないようにカプセルを抱えているから、なんともしまらない動作だとは思うけど。

「ですから、お嬢様と旦那様のお気持ちの整理が共についたときに、こちらを全てお嬢様にお返ししたいと思います。いかがでしょうか?」

 そう告げると、お嬢様と旦那様の間にある赤いカプセルに、ぽうっと光が灯った。

 ……それはきっと、これから増えていくだろう、2人の愛の灯火ひかりだった。

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お嬢様と旦那様とボディーガード 碧音あおい @blueovers

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