前哨戦 六
私はニールさんが好きだ。
そう自覚したのはいつからだっただろうか。自分の淡い恋心を自覚した時には既にニールさんを目で追っていた。私の家とニールさんの家は家族ぐるみの仲であり、幼少期から懇意にしてもらっていた。
遊んでもらっている内に知らず知らず恋を芽生えさせていたのだろう。私は自分の面持ちを勝手に結論づけた。
今まではニールさんのためにご飯を作り、一緒に食べたり、会話するだけで幸せでその先を望むつもりはなかった。けれど、どうやらそうは言ってられないらしい。
先日、ニールさん達と一緒に昼食を食べた際、ニールさんがやけに神妙な顔をして私達にあることをこっそり教えてくれた。それは晴天の霹靂と言わんばかりの内容でニールさんを信用してはいるが信じ難い、いや信じたくはない情報であった。
ニールさんの予測を裏付けるが如く一週間後、新聞屋を介して齎されたのは帝国がナバーロ王国に侵軍を開始したという旨。誰もが突然の悲報に血相を変えて慌ただしくなる中、私は自室で一人佇んでいた。理由は明白。
他人より多くの時間を用いて熟慮した結果、結論を出せないでいた。
「はぁ⋯⋯」
今日も悩んでは結論が出せない自分に嫌気が差し、悪循環に入りかける。気づいた私は頬をペシッと叩くて寝台のへりに座った。足元を見れば大きな鞄が二つ置いてある。この中身は衣類などの生活必需品が入っている。避難への荷造りは住んでいた。後は鞄を持って避難するだけ⋯⋯。
戦闘経験もない私が志願したところで邪魔でしかない。それなら大人しく避難して自国の勝利を願っていた方が正解なはず。けれど脳裏を過ぎるのはニールさんの後ろ姿。この戦争は歴史に名を刻むであろう大規模の戦争になる。そうなればいくらニールさんと言えど無事に生還する可能性は低い。
つまり今避難すればニールさんとは今生の別れになるかもしれない。
その思考に行き着くと、再び息を大きく吸って吐いた。
結局は自分次第なのだ。避難するも、ここに残ることも。
もし残るなら今までと同じではなくその先の関係も望むべきだろう。生半可な気持ちでは残るなんて言葉は口にできない。
「あー、もー、面倒くさい女だな私」
寝台に背中から身体を預ける。足をバタバタと布団を蹴りながら一番信用できる友人を脳内で想像した。
※※※
私は女友達で一番仲の良いフレンダを喫茶店に呼び出していた。オラビア中が混乱に陥ってる中でこの喫茶店はいつも通り営業していて、なんだかこの喫茶店だけ時間が止まっているかのように感じられる。
客は私とフレンダだけであった
「――――で、ワタシをここに呼んだ理由って?」
面倒くさそうにぶっきらぼうに尋ねてくる。だが私が相談あると言ったら避難の準備をしていたにも関わらず時間を作ってくれたりするほどには優しかった。
「え、と⋯⋯。さっきまでの説明が以上なんだけど⋯⋯」
尻すぼみに声が小さくなる。最後は注文したコーヒーが入った容器で顔を隠しながら説明した。フレンダの顔を伺おうと容器越しに覗くと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「どうしたの⋯⋯?」
「いや、こんなどうでもいいことにワタシの大事な時間は潰されたんだなって思うと泣きたくなってくる」
「どうでもいいって⋯⋯! 私にとっては重要なことでっ!」
「重い!」
フレンダのデコピンが見事額に決まる。痛い。
「いや~ここまで重くて面倒くさい女は初めて見たわ。それも身近にいたなんて知りゃ驚きだね」
「どこが重い女なのよ⋯⋯」
重い重い連呼された私はブクブクとコーヒーをストローを使って泡立たせながら不貞腐れる。
「一緒にいたいなら一緒にいればいいじゃん。付き合いもしてないのに好いた男を追いかけて残るのが嫌なら告白すればいいじゃん。こんな簡単なことをずっと悩んでるなんてね、もうアホかと」
「でも好きになった動機がわからないから本当に好きかどうかもわからないし⋯⋯」
「くどい」
「痛ァ!?」
またデコピンをされた。先程より力を込めたのか痛みが大きい。きっと腫れてる。
私はジトーっと追求の目を向けた。
「あんたさぁ⋯⋯」
呆れた様子のフレンダは小さく嘆息する。
「じゃあ仮にニールさんがほかの女の子と手を繋いでるのを想像したら、どんな気持ちになる?」
想像してみる。すごい不快な気分になった。
「いや」
「いや、『いや』じゃなくてね⋯⋯。まぁいいや、じゃあ他の女の子に笑いかけてたら?」
今度も同く想像する。不快度が増して無意識の内にコーヒーの容器を握りつぶしそうになっていた。
「いや!」
「なら答えはわかってんじゃん。面倒くさいことは抜きにしてそこに突っ走ってみたら?」
そう諭されてようやく本心に気づく。
「報われなくても残る理由にはなるのかな⋯⋯」
「そもそも報われる可能性の方が低いって。あのニールさんだよ、あんた以外にも好きな女の子なんてごまんといるんじゃない? じゃあ報われそうにないからって諦めるの? 違うでしょ」
「うん⋯⋯。⋯⋯うん!」
徐々に自分の身体に活力が戻って来るのがわかる。
「ありがとう、フレンダ。私決意したよ」
「そうかいそうかい。ホントならこんなの他人に聞くまでもないことなんだけどね。全く非常時に呼び出されるワタシの気持ちになって欲しいよ」
悪態を吐きながらも元気を取り戻した私を見て笑顔になるフレンダ。彼女の魅力はこの人付き合いの良さだろう。
「感謝してるんなら、ここの代金はあんた持ちだか――――」
フレンダの言葉の途中で私は立ち上がると出口に向かって走り出した。悩んでいたせいで残された時間が少ない。早く動き出さなければ。
「フレンダ! 私行くね!」
「おい! ちょっと⋯⋯ってもう見えないし。あいつバックレやがった⋯⋯」
残っていたコーヒーを一気に飲み干すと伝票を持って会計に向かう。
「悩みも聞いた挙句、なぁんで私があいつの分も払わなきゃいけないんだかなぁ⋯⋯」
ぶつぶつ文句を言いながらも律儀に二人分精算したフレンダはとぼとぼ帰宅した。
※※※
「父さん!」
駆け足で帰宅した私は慌てて靴を脱ぐと勢いよく居間への扉を開いた。既に父のミセリは従軍しているかもしれないと焦ったが間に合ったらしい。どうやら母と父が別れを惜しんで抱き合っていた。
「リーザ⋯⋯見送りに来てくれたのか」
涙を滲ませ抱きついてくる。
どうやら私が血相を変えて息を荒らげて帰宅した様子を自分を見送りするために急いで駆けつけたと勘違いしているらしい。
事実、今生の別れになるかもしれないので抵抗はせず抱かれるままを受け止めた。剃り残した髭がほおに当たる。微妙に痛い、やっぱり離れてはダメだろうか。
しばらく我慢していると父はようやく離れてくれた。潤んだ目で私を見つめていたが、私の真剣な眼差しに何かを感じ、父も真剣な眼差しになる。
「父さん⋯⋯私救護班として残る」
父が小さく息を飲むのが見えた。
「⋯⋯本気なのか?」
どうにか絞り出した声で尋ねてくる。
「うん」
「そうか⋯⋯」
父はそれだけ呟くとその後は何も言わず虚空を見つめて答えを探しているようだった。私も逃げることはせず返答があるまで待っている。
「⋯⋯絶対に⋯⋯絶対に死ぬな」
戦争において絶対などない。それでも言わずにはいられなかったのは親心なのだろう。
「うん」
さっきよりも力強く私は頷いた。
返答を聞いた父は朗らかに笑うと再び私を抱きしめる。先程とは違って優しく、だが一瞬で離れた。
名残惜しい気持ちも芽生えたが堪えた。もう止まることなどできない。
私――――リーザ・コークナーの物語はここから始まる。
アルカディアよ、永遠に 畑ノ田圃 @_ageha
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