前哨戦 伍



朝起きると、いつもよりも外が騒がしい。冬に近づいていくこの季節は布団が恋しくなる。なんとか布団の魔力に決別し寝ぼけ眼をこすって居間に顔を出すとお父さんとお母さんが僕に詰め寄ってきた。


「荷物を纏めるのよ!」

「父さんな⋯⋯絶対に帰って来るから⋯⋯!」


涙まみれのお父さんに抱きつかれた僕は一体どうなっているのか訳がわからずただ困惑するしかない。

両親を宥めて会話できる状態まで落ち着かせ詳細を問い質した。

内容は驚愕という言葉で表現できないほどの衝撃的な事態にまで発展していた。

――――帝国の侵攻。

――――先遣隊1万5千の進軍。

――――避難指示。


御伽草子、英雄譚で読んだ話に似通った事態の当事者として巻き込まれている。呆然と立ち尽くしてしまっていた僕は両親から聞かされる内容を左から右へ流してしまっていた。起きがけの脳みそでは到底処理できるほどの量ではない。


徐々に現実へと立ち直りを見せた僕は少しづつ両親の会話に参加することが出来るようになる。

話が進むにつれて判明したのが、どうやら兵力が足りないとのことでお父さんは義勇兵として志願するらしい。代々商家を生業としている僕の家は生まれた時から商家であるための勉学をさせられる。例に漏れず勉学に勤しんだお父さんは商家として立派に育ち、そこそこに豪華な家屋と僕とお母さん、まだ幼い妹を養って余裕があるほどには稼いでいた。だがお父さんは良くも悪くも勉学しかしてこなかったのが災いして身体能力は息子である僕よりも劣っている。

話を聞く限りだと義勇兵といっても前線で鍔迫り合いをするわけではなく城内に籠って弓などで牽制するのが主らしい。しかし向こうも全力で攻めてくる。人より身体能力に劣っているお父さんが真っ先に狙われるのは想像に難くない。それを理解していて、なお志願したゆえに生きて帰って来れるかもしれぬ、と僕を抱いて泣いているのだろう。


お母さんと妹はお父さんの昔馴染みでありお母さんとも知己である夫妻の住居に避難するらしい。場所を尋ねると王都とオラビアの半分よりかは王都側に位置するジーニアスと呼ばれる市。確かナバーロ王国で二番目に貿易が盛んな市であったはず。お父さんの手伝いで何度か足を運んだことがある、無骨ではあるが王都に負けず劣らずの巨大な城壁が印象に残っている。あそこなら簡単には陥落しないと、浅はかな僕の思考回路で推理した。


当然、と言った様子で僕もお母さんたちと一緒に避難するため荷物を纏めて明日にはオラビアを避難しろと促される。


「待って。僕は行かないよ」


商家の生まれではあったが子供の頃から英雄譚を好んでいた僕は来年、軍の採用試験を受けるつもりでいた。そのために、王都まで商売した道すがら、お小遣いで密かに戦術書などを購入し、勉強し、空いている時間で身体は鍛えてきた。算術に関しては商売で必要になるため覚えさせられたため後方部隊で働ける自負はある。両親に伝えれば反対されるはのは目に見えていたため、採用された後に事後承諾の形で無理やり軍人になる目算を立てていた。採用試験まで来年と言ったが正確には半年ほど。受かるための努力は惜しまなかったつもりなので落ちるつもりは毛頭なかった。


半年後に帝国が攻めてきていれば自分は軍人であるので戦場に駆り出されたであろう。何も驚くことはない。軍に帰属するのが半年早まっただけなのだ。しかも向こうから。この絶好の機会何としてでも逃すつもりはなかった。


反面、志願すると聞いた両親は青ざめ、憤慨に満ちた顔つきをしていた。


「わかっているのか? これは子供の遊びじゃない。生死をわけた戦争なんだ。生きて帰ってこられる保証なんてないんだぞ」


「わかってるよ、元々来年採用試験受けるつもりだったし」


突然の告白に、お父さんは鯉のように口をパクパク開くだけで言葉が出ないでいた。代わりにお母さんが説得を試みる。


「あなたは一人息子なのよ。もし死んでしまったらこの家を誰が継ぐの?」


「妹に継がせればいいよ」


そう言って僕は自室に戻り、寝台の下に隠していた戦術書や参考書など郡に関係する資料を取り出して、居間に戻り両親に見せた。自分の本気を見せれば親も納得してくれるだろうと思っていた。


しかし⋯⋯。


「こんな馬鹿なことやってたなんて!!」


初めてお母さんにぶたれた。いつの間にかお母さんを顔を赤くして泣いていた。


「お前があいつの育てかたを間違えたからこうなったんだ! どうしてくれるんだ!」


「なによ! あなただって仕事が忙しいって言い訳して子供の面倒は全部私に丸投げしててよく言えるわね!」


「仕方ないじゃないか。お前たちを養うためには俺が精一杯働かなくちゃ食べていけないんだぞ!?」


「あらそう。ならこの際だから言わしてもらうけど先週遅く帰ってきたとき女物の香水の匂いが服から漂っていたけどそれも仕事なんだ」


「いやっあれは⋯⋯。そう! お得意様への接待だったんだ。機嫌を損ねてしまえば今までの流通がおじゃんになってしまう、仕方なくだったんだよ!」


僕のことを巡って始まった喧嘩はいつの間にかお互いの粗探し、罵りあいに変貌していた。少し前から小さな口喧嘩をしている様は見かけたことがあるがここまで大きな喧嘩は初めて。だが、仕方ないものだと僕は呆れていた。


何故ならお父さんとお母さんはお見合いで結婚した夫婦で、愛の元に結ばれたものではない。だからなのかお父さんはお母さんに隠れて密愛をしていたのを知っていた。お母さんも浮気ではないが賭博場に通っているのを見かけたことがある。この家族は壊れるべくして壊れたのだ。


両親が喧嘩に夢中で自分に意識が遠のいたことを確認すると自室に戻り生きていくために必要最低限の荷物を整理する。まさか帝国が攻めてくるとは予想していなかったが何があってもいいように予め準備はしてあった。必要最低限の荷物に絞ったはずだが背負ってみると結構重い。


自室の扉から居間を確認する。まだ両親は喧嘩している。

一度大きく息を吸って呼吸を整える。


――――さぁ、後戻りはできないぞ僕。


勢いよく扉を開けて玄関に向かって走り出す。ギョっとして佇む両親を尻目に踵を潰したまま、素早く靴を履いた。

ようやく僕が為そうとしていることを理解したのか両親共に止めようと動き出す。


「おい! 待つんだ!」


「どこに行くつもりなの!」


もう遅い。玄関の扉を開け放ち外へと駆け出した。背後をチラリと確認すると靴を律儀に履いている両親の姿が見える。この後に及んで世間体を気にしているらしい。

路地を曲がり、裏路地に入るとジグザグに進んで追ってこられないようにする。後ろを確認しても人ひとり見えない。


空を見上げる。大きな戦争がこれから起きるというのに空は呑気にいつもと同じ晴天だった。


僕テスカ・アルシアの英雄譚はここから始まる。



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