オキノ、鎮まりてあれかし

俺じゃない! 俺はやってない……

 舞台で美しい演技を披露していたオキノであったが、どれだけ美しかったところでそれは他人の人生を模倣しているにすぎない。人間というのは自分自身の人生を生きて、初めて人間足り得るのだ。そしてオキノは他人の人生を美しく演じる女優であったとはいえ、自分自身の人生の最期を美しくは出来なかった。

 オキノの体は滅茶苦茶にされていた。

 右腕はどこが関節なのか分からないほどに骨を折られて、乱雑に前後左右へと曲げられた状態のまま針金で固定されていた。何カ所かは骨が皮膚を突き破ってすらいる。左腕は輪切りにされ上下の順番を逆さまに再び腕の形になるよう凧糸で繋がれていて、それは手首から先、肩付近の切られた腕、肘付近の切られた腕、手首付近の切られた腕、そして肩といった具合で構成されていた。左右の脚はどちらも付け根で切り取られた後に左右と前後を逆にして縫いつけられていて、体は刃物で滅多刺しにされ傷の多さ故に体は赤黒く染まっている。何の意図があってこんなに惨い殺し方をしたのか、ユイは想像も付かない。欠損自体を楽しむ犯行もしくは怨恨の線も考えられるが、この犯行がマーフとアイダの後に行われたことを考えるとその線は薄いのではないかとユイは感じている。ユイの印象としては殺人をアートとして解釈している節があるように感じていた。その点で犯人を絞り込む方が賢いやり方なのかもしれないとも。しかし今までの二件の犯行と比較すると、関連性や共通項が少ないのがネックで、そのせいで同じ人間の犯行かどうか判断が難しいところではある。ユイは思考を錯綜させている。とどのつまり、まだ何も答えが出ていないという状況に他ならない。


 ユイは犯行現場を記憶素子メインブレインに焼き付けると、集まる人間たちを見た。エトーとクアルトは先の二つの犯行時とは違い、終わらない殺人の連鎖に恐怖を抱きだしたようで不安げな表情をしているように見える。フジは腐れ縁であるオキノの惨たらしい姿を目の当たりにして、絶望のあまりその場に座り込んで呆けてしまっている。

果たしてこの三人の誰が犯人なのだろう。とユイはぐるぐると回る思考をどうにか纏めようと躍起になっている。皆の表情を見るだけでは嘘で怯えた表情を作り出しているようには見えない。

 一体誰が……。不安と疑問を胸に、ユイはもう一度全員の表情を確認した。

 薄暗い照明に照らされた三人は誰も犯人に見えない。その一方で誰もが犯人にも見える。

「先輩……これなんなんですか? 一体何人の人が死んでしまうんですか? 一体なんの為に……」

 ヌユンは隠しきれない不安と恐怖を、そのままユイに向けて発する。ヌユンの恐怖は次第にユイへと伝わっていく。それと同時にユイは再びミステリィへの懐疑心が強まっていった。

 どうしてボクはこの事件の犯人を見付けだそうとしているのかな? どうしてボクは小説における探偵役の真似事なんてしているのかな? マーフが殺害された最初の事件の時、皆が唇の端を上げていたとき、ボクも唇の端があがっていたのかな?

 ボクはもしかすると、この事件を楽しんでいるのかな?

 ユイはそんな風に、自分が殺人を待ち望んでいたのかもしれないと思い絶望を覚える。そんなはずはないと思っても浮上してくるそれに更なる不安と恐怖を募らせ、ユイは思わず言葉が漏れた。

「ヌユン、ボク、もしかしたら、人が死ぬ事を待ち望んでいたのかもしれない。ボク自身の気持ちが分かっていなかったのかもしれない。ボクは……」

「なにいってるんですか先輩。先輩はそんな人じゃないでしょ? 先輩は意地悪な事をいう事はありますけど、他の人に比べると感受性が豊かな分、人が本当に嫌がるような事はしない人だって自分は知ってますから。そんな事はないって自分が保証します」

 ヌユンはユイの後輩ではあるが、ユイの精神より強い精神を持っているのだろう。人の成長というものが生きた時間の長さで決まらないのと同じで、人の精神というものも生きた時間だけで決まるものではない。先輩と後輩であろうとそれが逆転する事は当然ありえるのだろう。

「でも、でもねヌユン。人の気持ちは段々と変化していってしまうでしょ? ボクだって心が歪んできちゃっているのかも」

「そんな事……ちょっと待ってください」ヌユンはユイの言葉からなにかに気付いたのか、少し考え込んでからいう。

「今、人の気持ちが変化するっていいましたよね? なるほど。先輩、自分もしかしたら分かったかもしれません」

ユイはそれを聞いて少しの安心と新たな不安を抱いた。安心感はなにかに対するヌユンの並々ならぬ自信から。不安感はこの屋敷に来る前に一瞬だけ見た、ヌユンの顔がヌユン本人だと思えなかった時と同じ表情をしていた事から。

 ユイは震える自らの体を抱いた。

 殺人が繰り返されるこの異常事態に、ユイの精神は少しずつ異常を来し始めている。


「今までのんとは明らかにちゃうな」

 あまりにも惨たらしい姿へと変貌を遂げたオキノを見てここにいる誰もが口を開けないでいたが、機械であるジャックは冷静に今の状況を沈黙する屋敷に浸透させていった。外から入り込む雷の光で照らされる室内は惨劇を繰り返す屋敷が生き物としての魂を手に入れた瞬間であり、遅れてやってきた雷の音は屋敷を微細に振動させて次の被害者を探しだそうともぞついているのではないかとユイは錯覚した。再度飛び込む閃光。次いで体の芯を揺るがす雷鳴。ユイは、私たちはこの屋敷という悪魔の中から逃げ出す事は適わないのではないだろうか、という盲信のような感覚に襲われた。怯えて虚ろな目をしているユイの少し前で、ヌユンは他のメンバーからユイを守ろうとでもしているのか自身の体を壁のようにして立っている。ヌユンは理解し始めたのかもしれない。自分たちがいつ殺されてもおかしくない状況に立たされているという事を。そして人の死を間近で感じ取り、古典推理小説愛好者という異質な存在に触れた事で、ヌユンは著しい速度でミステリィへの造詣を深めていたとユイは知る事になる。

 ヌユンは口を開いた。

「ジャックのいう通り。今までとは毛色が違うけど、根本を辿れば目的は同じなんだと思います」

「はあ? どういう事だよ」

 マーフの犯行時におけるやり取りがあったせいか妙に刺々しい態度を取るクアルトに動じる事もせず、ヌユンもクアルトに負けず劣らずの刺々しい態度を返す。

「今から説明するんだから、ちょっと黙っといてもらえますか?」

「ガキのくせに偉そうにしてんじゃねえぞ?」

「それじゃあいわせてもらいますけど、あなたは少しでもこの事件の連続に答えらしきものを提示出来るんですか?」

 食ってかかるクアルトの事をさらりといなすヌユン。クアルトは、答えを提示出来ないのだろう。声を詰まらせ呻き声にも似た声を出すばかりである。

「……んだよ」

 苦々しげな顔をしてヌユンを睨みつけるクアルトであるが、ヌユンの答えに興味があるのだろう。目を逸らしてはいるものの、マーフの事件の時とは違い部屋から出て行く事はなくその場に留まっている。他のメンバーもそんなヌユンの様子に気圧されているのか、単純に答えというものに興味があるのかは分からないが、口を挟む様子は微塵も感じられない。

 舞台は整ったようだ。

 ヌユンが主役となる、芝居の幕が上がる。

「まずいわなければならないのは、皆さんと違って自分は古典推理小説というものに対する知識が皆無だったという事です。マーフさんが死んでいるのが見付かった時、先輩も含め皆さんが他殺であると判断していましたよね。自分にはそれがどうしてなのか全く意味が分かりませんでした。どう見ても自殺じゃないかとさえ思っていました。しかしその疑問については先輩が説明をしてくれた事で解決できたんですが、それの代わりに一つの疑問が浮かんできました。それは皆さんのような古典推理小説愛好者であればこそ、シンプルに、ただの自殺に見せかけるだけで良かったのではないかという事です。わざわざ他殺を匂わせた自殺に見せかけた他殺なんて、回りくどい事をする必要がなぜあったのか。それは第二の犯行であるアイダさんの死にも繋がってきます。アイダさんの時は、マーフさんの時とは違い自殺に見せかけた他殺という、先の犯行と比べると少しだけではありますが分かりやすさが出てきました。そして今回のオキノさんの犯行では、自殺に見せかける事をやめています。その代わりという表現が適切であるかは分かりませんが、今はそういわせてもらいます。その代わりに残虐性の高い殺害方法を取って、惨たらしさを極端に強調しています。これは犯人になにかしらの気持ちの変化が起こったのではないか、と自分は考えました」

「それがなんだっていうんだ?」依然として刺々しさを残したままクアルトがいう。

「気持ちが変化したからって、犯行の方法が若干変わったからって、そんな事はどうでもいいんだよ。そんな事よりトリックを暴いて犯人を見付ける事が先決だろ? なに悠長に説明なんてしてんだよ」

「結論ばかり追い求めて……そんなことだから女性にモテないんですよ、あなた」

 辛辣な言葉を浴びせるヌユン。

「はあ? 関係ねーだろそんな事。それにモテないとか適当な事いうなよ」

「関係ありますよ。あなたマイコさんとオキノさん、どちらにも言い寄ってたじゃないですか」

 ユイも気付かなかった事を口にするヌユン。それはフジ以外のメンバーも全員知らなかったことのようで、驚きと同時に呆れを含んでクアルトを全員が一斉に見る。その中でフジだけが小さく頷いている。

「な、なんで、知ってんだよ」

 クアルトは動揺を隠しきれずに、あたふたとしている。

 そんな質問に対して、事も無げにいってみせるヌユン。

「そんなの見てたら分かりますよ。女性は繊細なんですから、あやまとの接し方の変化で、なにかあったんだなって察しがつきますよ」

 クアルトはぐうの音も出ない。ばつが悪いのか周囲にきょろきょろと忙しく視線を泳がす。

「まさかとは思いますけど、クアルトが犯人なんですの? ヴァイオレットちゃんは、クアルトの事を避けたって理由だけで殺されたとでもいうつもりですの? そんなのあんまりですわ! ヴァイオレットちゃんはもっとたくさんの舞台で、あの美しい演技を披露したかったはずですのよ! それをこんなしょうもない男なんかに……やっぱりそんなのあんまりですわ!」

 取り乱し喚き泣き散らすフジの様子は今までの様子と比べると異常とも思えるものであったが、腐れ縁であるオキノをあんな風にされた人間の反応としては、もしかすると正しいのかもしれない。言い終わると突然頭を掻き毟り、丁寧にセットされていた髪の束を四方八方に散らせる。それはまるでゴルゴーン三姉妹の末の子メドゥーサのように迫力が伴っていた。クアルトはフジの血気迫る表情と異常な行動に恐怖を感じているのか一歩後退る。

「俺じゃない! 俺はやってない……」

「だまれだまれだまれ!」

 フジは怒りに任せて叫ぶと、クアルトに飛びかかった。

 そして何度も、何度も、引っ掻き、叩き、怒りを物理的にぶつける。

「マイコさん、違います! 犯人はそいつじゃないです!」

 急いで放ったヌユンの言葉を聞くとフジは、「ふえっ?」と間抜けな声を出し、クアルトからずるずるとずり落ちていく。ぺたんという音が聞こえてきそうな所作で床に座り込むと、フジは恐る恐るといった風にクアルトを見上げた。クアルトはフジを睨みつけてはいるが、なにかをいう様子はない。突然のフジの変貌に怯えてしまったのかもしれない。クアルトはなにもいわず、ゆっくりとフジから距離を取った。

 ヌユンは仕切り直しに一度咳払いをする。

「まあ、これに懲りて女性に無闇矢鱈とちょっかいはかけないようにしてください……」

 クアルトはなにもいわずにただ静かに頷いた。

「それで、結局犯人は誰なんや?」

 ジャックが一連の出来事をものともせずに結論を求める。だがヌユンは自分のペースを崩さない。

「もう少しだけ、自分の話に付き合ってもらってもいいですか?」

 そういわれてわざわざ断る必要もないと判断したのだろう。ジャックはいう。

「それは全然ええで。急いてもて堪忍な」

 微笑を浮かべる事でそれに答えてみせるヌユン。そして再び話し始めた。

「それでは改めて説明させてもらいますね。犯人の気持ちになんの変化があったのかというところでしたね。それを知るには犯人がなぜ殺人を繰り返しているのかを知る必要があります。とはいっても犯人に直接問い詰めた訳ではないので想像での話になってしまうんですが。自分は犯人が殺人をする理由は自己顕示欲であると考えました。単純に、こんな殺し方が出来てすごいだろう、と犯人が伝えたかったんだと仮定します。最初のマーフさん殺害が一番凝った殺人だと自分は思いました。なぜなら他殺を匂わせた自殺に見せかけた他殺なんてものは現実において、まずありえないでしょう。こんな複雑な構造の殺人を企てるなんて現実的じゃないって事です。つまり小説的な殺人であるといえます。きっと犯人はこの殺人で皆さんに持て囃されたかったんだと思います。しかしあまりにも面倒な構造にしてしまったあまり、皆さんはその構造に気付かなかった。もし気付いていたとしても、わざわざその事実に触れた発言をしなかった。それは犯人にとっては気付かなかった事と同義です。結局のところ誰もあの殺害方法にたいして感嘆の声を漏らす事はなかった訳です。犯人はきっと落胆したのでしょう。そこで犯人は考えました。二度目の犯行、アイダさんを殺害する際には自殺に見立てた他殺という構造を一つ簡略化する事にしたんです。しかし、それだけだと犯人の気は収まらなかったのでしょう。簡略化した殺人の構造の代わりに、アイダさんの死に物語性を付与する事を思い付いたんだと思います。そうする事で新たな付加価値を生み出し、マーフさんの殺害方法と比較しても遜色のない殺人を作り出したのです。しかしこの殺害方法にも感嘆の声を漏らす人はいなかった。自分は古典推理小説を読んだ事がなく断定が出来ないのでお聞きしたいんですが、古典推理小説の魅力っていうのはどこにありますか?」

 ヌユンの質問はエトーに向けられていた。突然の事に戸惑いながらもエトーは答える。

「魅力、ですかね。やはり探偵の鮮やかな推理からなる解決の瞬間ではないでしょうか」

 ヌユンはエトーに手の平を向けて満足そうにいう。

「そうです。そこが犯人と皆さんとの大きな違いだったんです」

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