僕は君たちに殺されましょう
ヌユンはまるで探偵であるかのように立ち振る舞う。
「探偵の鮮やかな推理に魅力を感じている皆さんとは違い、犯人は古典推理小説における殺害方法に魅力を感じているのだと自分は思い至りました。犯人もこの時に気付いたんでしょう、自分と他の人との違いに。そこで犯人は凝った殺害方法を取るのではなく、殺害された人に芸術性を持たせて、殺害という行為そのものを美化することで皆さんに古典推理小説における殺害方法に魅力を感じるための足がかりを作ろうとしたんです。ここに美しさがあると知れば、犯人が今まで読んできた見てきた、その殺害方法たちにも美しさがあった事に気付いてもらえるとそう思ったんでしょう。だからオキノさんの犯行では、犯人は見立てという構造を捨てて、オキノさんという遺体を使い一つのアート作品を作り上げました。それが自分たちの前にある、これです」
オキノの死体が一〇の瞳と二つのレンズに一斉に映り込む。映り込むそれは惨たらしく、とてもじゃないがユイには美というものはこれっぽっちも感じられなかった。
「皆さんの中でこれを見て美しいと感じる人が一人はいるはずです。美術的な思考から読み取ると、舞台女優という華々しく美しいオキノさんを蹂躙して、あえてその美しい死体を分解して新しく構築する事で、元来持っていたオキノさんという美のモチーフを試す意味が込められていたのではないかと考察しましたが、これは自分が犯人の考えを推測した結果なので事実とは異なるかもしれませんが。とりあえず今ここで分かって欲しいのは美に対する異常なまでの執着心があるという事です。そういった点から鑑みて、美に関してそれなりの造詣がある人物が犯人である可能性が高いと自分は思ったんです」
その場にいる誰もが犯人に近付いていると実感し始めた事だろう。ユイもそれを肌で感じていた。
ヌユンは、指し示そうとしている。
人殺しという罪を背負った犯人を。
物言わず罪を隠蔽している犯人を。
「ヌユンにはもう犯人が分かってるの?」
ユイがこっそり声をかけるとヌユンは後ろを振り返り、「確実に。とはいい切れませんけど」といった。その表情を見てユイは、先輩であるはずの自分自身を必死に守ってくれようとする優しさと罪を絶対に許さないという厳しさの二面性が同時に滲み出しているように感じた。
そして再び前を向くとヌユンは遂に疑わしき者の名前を告げた。
「そうは思いませんか? エトーさん?」
「そんな、エトーさんが、なんで」
驚きを隠せず、声が漏れるユイ。
「ヴァイオレットちゃんを返して」
怒りで濡れた瞳で、射抜くフジ。
「人殺しで芸術とか意味不明だよ」
呆れた表情で口を開くクアルト。
それぞれの反応はそれぞれ違えど、結局のところそれは軽蔑に繋がっていて、誰もがエトーを敵と捉えた瞬間であるように思えた。いくら古典推理小説で人間の死に触れていようとそれは娯楽の死であり現実の死とそれは大きくかけ離れているのだから、お互いを混同する事は間違っている。
それをユイは改めて実感した事で今抱えている精神の異常は少し薄らいだ。しかし殺人なんて事をする必要がどうしてエトーにあったのかと考えれば考えるほど、自分には理解できない事をする人間がいて同じ人間なのに違う考えが存在する人間の多面性に恐怖を感じ、ユイは再びそこから異常の種を精神という土壌へ蒔く事になる。
「ちょっと待ってください。本当に僕が犯人だというなら証拠を出していただかないと納得は出来ません!!」
エトーの発言は正しいものであるように思える。しかしヌユンがエトーを犯人だといった事で、異常の種は全員の精神という土に蒔かれてしまったようだ。それは一気に根を張り、その根を根絶するにはそれなりの説得力が必要になっていた。
「その子がした説明に矛盾があるようには思えなくてよ。無駄な足掻きは止めてさっさと自首なさいな、この人殺し!」
フジがエトーにいった言葉を皮切りにして、言葉の刃はエトーを切り裂く。その刃はクアルトも隠し持っていて、その刃もまたエトーに牙をむいた。
「そうだよおっさん。もう諦めて自首しな。まあ人殺しに人権があるわけねえけどな。とりあえずおっさんは閉じ込めておこうぜ」
フジとクアルトの過剰な反応にユイは恐怖を感じている。なぜそこまでしてエトーを傷付けようとするのか。確かに今の説明を聞くとエトーが犯人である可能性は高いのかもしれないが、それはあくまでもヌユンの推理の内容が正しかった場合の話である。ユイはどうやってマーフやアイダ、オキノを殺害したのか方法が分からないままでエトーを犯人と決めつけるのは早計ではないかと思っていた。
「ヌユン。本当にエトーさんが犯人なの?」
ユイはその不安をヌユンにぶつけた。
「先輩、自分はここにいる人たちとは違って古典推理小説というものに触れた事がないからこそ、独自の目線で犯人を炙り出すことが出来たと考えてます。まだ殺害方法が分からない以上、確実にエトーさんが犯人だとはいえません。でも、もし犯人であった場合に、これ以上の犠牲者を出さないためにもエトーさんを隔離しておく事が必要であると考えています」
「その子のいう通りですわ。わざわざ犯人を野放しにするなんて、わたくしは絶対に反対ですわよ!!」
フジはヌユンの意見に同調する。
「そうだな。こればっかりはそいつの意見に賛成だぜ」
ヌユンと微妙な関係にあるクアルトでさえ、それを肯定してみせた。
「ちょっと待って下さい」
エトーの言葉はユイ以外の誰の耳にも届かない。
ユイはこの場の有無をいわさない雰囲気を過去に感じた事があった。それは学生時代の出来事で、あの時ユイはなにもしていないのにあらぬ罪を
断片的に蘇る記憶。
アキは怒っていた。ユイは意味が分からずその場に立ち尽くしていた。どうして怒っているのと聞いてしまった私が悪いのだ、とユイは心をぎゅっと小さくして耐えようとした。しかしそんなユイに追い打ちをかけるようにアキはいった。
「あんたなんかと本当に仲良くするわけないでしょ! 勘違いも甚だしい! あんたと仲良くしてるみたいにしてれば教師からの評価が良いから仲の良い振りをしてただけよ! この三年間本当に疲れたわ! それなのにあんた自分だけ良い大学に行くなんてふざけないでよ! 私の人生返してよ!」
嵐のように荒々しくぶつけられる言葉。それはユイにとっての三年間を吹き飛ばす言葉であった。
私がなにをしたというのだろう。
ユイは同じ言葉を反芻する。
私がなにをしたというのだろう。
「待ってよ、アキ。私は、」
「うるさいうるさいうるさい!」
「アキに何もしていないのに、」
「うるさいっていってんだよ!」
ユイの言葉はアキには届かない。
そしてユイは唯一の友達を失ったと同時に、それが友達ではなかった事を知る。そしてユイはアキを貶めたとして同窓生から罪人を見るような目で見られた。
どうして私はこんな思いをしなければならないのだろう。とユイは考えたが、その答えがユイ自身から発現する事などありえなかった。
あの三年間を一瞬で灰にした記憶。
エトーも今同じような状況にあるのではないか、と考えたが、ユイにそれを止める力なんてものはなかった。ただそれを静観するしか出来なかった。あの時と同じように。
「おい、ジャック。どっか空いてる部屋ねーのか? この人殺し、ちゃんとした密室に閉じ込めとけよ」
クアルトがジャックにいう。
「空いてる部屋やったらあるで。抜け道もない部屋や、」
ジャックは機械なので何を考えているのか全く分からないが、マーフというオーナーを失った事に対する悲観やオーナーを奪ったかもしれないエトーに対する憤懣があるのかもしれない。機械も日々進歩を続けているので、それがないとはいい切れない。
「待って下さい。本当に僕はやっていないんだ」
無情にも部屋で木霊するエトーの悲痛な叫び。
「うるせーよ」
無情なクアルトの言葉でエトーは壊れる。
「なにがうるさいというんだ? 僕はしていないといっているだろう。なぜ人に罪を擦り付けるんだ! 君は今僕の心を殺そうとしている! いや君だけじゃない、ここにいる全員が僕を殺そうとしている! 人殺しは君たちの方だ!」
エトーは本当に壊れたのだろうか? むしろ壊れているのは私たちの方なのではないだろうか?
「エトーさん……」
今更エトーの心配をしたところで遅いのは分かっている。それでもユイは自分がされて辛かった苦しかった事と似た状況を目の前にすると、それを見逃すのは過去の自分を傍観し関与する事を拒み続けて結局自分自身からも逃げ出している事に等しいと感じた。そんな自分が惨めで卑怯で意地の悪い人間であり続けるのは嫌だと考え勇気を振り絞ろうとしたが、出た言葉はただそれだけだった。
「僕は君たちに殺されましょう。軟禁でも監禁でも好きにしてくれて構いません。さあ人を殺してみなさい。後悔すればいい。罪を背負えばいい」
捨て台詞とも思える言葉であったが、ユイにはその言葉がエトーを敵と見做すものに対しての螺旋状に連なり続ける怨嗟と憂いであるように思えた。なぜそう思ったのかは考えるまでもなく、ユイがアキに抱いたそれを彷彿とさせたからだろう。
自分は過去に囚われ続けていて、エトーはジャックに連れられ隣の空き部屋へと囚われる事になった。考え方によっては囚われの身そのものともいえる
窓の外を見るユイの目に映るのは、黒い雲が汚いベッドで雨は流れる汗となって雷が嬌声をあげ天から地へ一気に何度も貫き、その末に頂点に達する池の横で淫らに揺れる木の愛撫。
エトーが部屋から出ていくのを額縁の中の反射で見る。
「先輩、これで犯行が終わるはずです」
上方よりそよそよと降り注ぐヌユンの声を髪の毛に感じて、ユイは考えるより早く感情を口から垂れ流す。
「ヌユン、ボク、なんだか疲れちゃったみたい」
「少し休んだらどうですか? 自分が付いときますから、そこのソファに横になってて良いですよ」
「ごめんね、ヌユン。ごめんね」
ごめんねという言葉はヌユンの気遣いに対していった訳ではなく、ヌユンの推理に賛同出来ない事に対していっているのだが、ユイは疲弊していてそれをうまく伝えられない。過去を思い出した事もあってか異常に蓄積した疲労に押しつぶされるかのように、ユイはソファに倒れ込むと目を瞑った。
ジャックが戻ってきてエトーを隣の部屋に閉じ込めた事を報告すると、こちらの部屋の中にあった張り詰めた空気が緩和されたような気がした。クアルトとフジとヌユンの三人がジャックに代わる代わる質問をする声をユイは聞いていた。ジャックは律儀にそれぞれに答えを返している。
「警察には連絡してるんだよね?」「最初の事件の後にしとるで」「まだやってこないなんて、さすがに遅すぎるんじゃなくて?」「外は嵐や。何人が気付いてるんかは知らんけど、ここは車とかじゃ来れんような断崖絶壁の島や。こんな天気やと船も出せんやろうしな」「亜空間接続跳躍装置では来れないの? これだけ人が死んでるんだから、急いで来てくれてもいいと思うけどね……」「それがな、亜空間接続跳躍装置のメンテナンスがあるから、今日は十八時半から使えんのや。年に一回の集中メンテナンスやから長い間かかるんとちゃうかな」「なんだよそれ。まあ使えねえもんは仕方ねえか……ってかエトーはちゃんと閉じ込めたんだよな?」「それは大丈夫や。南京錠なんてローテクな鍵まで使って何重にも施錠しとるからな」「それならあの人殺しはもう誰も殺せねえ訳だ。ああこれでやっとゆっくり出来るってもんだよ」「そうですわね。でも、もし……」「もし、なんなんや?」「もし、これでも殺人が続いたらと思ってしまうんですの。あまりにも殺人が続いたからなのかしら?」「さすがに気にしすぎですよマイコさん」「せや、ヌユン・A・オーエが探偵役になって犯人をいい当てたんやから、これで終わりや。古典推理小説やってそうやろ?」「それもそうですわね。ああ、良かったですわ。でもヴァイオレットちゃんは、もう……戻ってこないん……ですわね。マイコさん、無理しないで泣いてもいいんですよ? ご友人が亡くなられて悲しいのに泣けないなんて、その方が悲しいじゃないですか。せやで、人間は泣けるんやから。それが亡くなったヴァイオレット・オキノに対する手向けになるんとちゃうか?」
四人——三人と一体——の話を聞きながらソファの柔らかさに体を吸い込まれていき、深く深くその先にある深みへとユイは沈下していく。聞こえてくる会話は融けて一つになっていた。
ばたばたと無粋な足音が鳴り響いている事に気付いて、ユイは不快さに包まれた。瞼を上に追いやり時刻を確認すると二二時。眠りに就いたのが何時何分であったかは覚えていなかったが、それほど長い間眠っていた訳ではないとは理解できた。ユイは少しの間だけでも安心して眠れたので精神が安定してきていた。窓の外を見ても汚いベッドや愛撫する木や頂点に達する池は見えなかったし雷の嬌声や汗が飛び散り額縁を濡らす音も聞こえなかった。見えるのは連なる黒い雲や大きく揺れる木、水面が派手に動く池と遠くの知らない土地に落ちる雷で、聞こえてくるのは雷鳴と雨が窓を叩く音、そして鳴り止まない足音だけであった。
ユイは少しずつ覚醒する頭で周囲の様子を探る。そしてそれがなにかしらの異変である事に気付いた。また誰かが殺されたのかと人の数を数えてみるが誰も欠けてはいなかった。エトーが殺された可能性も考慮するが、これだけ人数が少なくなった後で誰にもばれずに部屋をこっそりと抜け出すのは難しいだろうし、もし抜け出せたとしても隣の部屋にいるユイたちがその殺害に気付かないというのも考えにくい。殺害するにあたってなんの音も立てずに、抗うエトーの声なども漏らさずにそれを実行する事が出来るとは思えない。この異変の原因はなんなのだろうか。
そこでユイは一つの事に気付いた。
常に「いた」が、今は「いない」。正確に表すなら常に「あった」ものが今は「ない」。
その時、ガラスの割れる大きな音が聞こえた。
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