政治の闇

ミステリィにおいて定石といえますよね

 雷が空を一瞬明るく染めた瞬間に見えた光景は、古い日本をそのまま抜き出してきたような一場面であった。ユイは部屋の電気を点ける。隣でヌユンが息を飲んだのが分かった。ニホン人らしく生きた男は最期までニホン人らしくあったように見えるが、これは自ら選んだ死ではないのだろう。

 ユイとヌユンに遅れて他の人間たちが部屋になだれ込んでくる。それとほぼ同時に雷の音がごうるると、それぞれの心の不安を表したかのように鳴り響いた。

 アイダは胡座をかいて壁にもたれ掛かり、両手で持った小刀を腹に押し当てているような体勢をとっていた。床には血溜まりが出来ていて、それは勢いよく腹を裂いて大量の血液が固まるより早くどばどばと床に流れ出たことを意味していた。剥き出しになった腹のど真ん中で、口を開いている一本の大きな傷が否が応でもユイの目につく。アイダのような男が道半ばで自殺をするなんて元々ありえないとユイは思ったが、もし自殺であるのなら出来るはずの躊躇い傷がその傷の周囲のどこにも見当たらないのを確認し、これは他殺で間違いないと確信を強く抱いた。

 切腹に見立てた殺人。ニホン人らしく生きたアイダに敬意を表しながら殺害に至ったのかとも考えられるが、これはむしろニホン人らしさを皮肉っているといった方が正しいのだろう。死者への皮肉。それはもう冒涜に他ならない。

「これは現実なのに……小説なんかとは違うのに……亡くなった人間を冒涜するなんて許されないよ」

 小さな手を強く握りしめながらいったユイは部屋の中の惨状から、部屋に入ってきている他の人間たちに視線を移して様子を観察し始めた。一番反応が大きかったのはヌユンだ。マーフの時と同様に声が出ないでいたし、目を大きく見開いて非日常ともいえる死体を見つめていた。他のものについては、まだどこか嬉しさのようなものを滲ませていた。きっと古典推理小説アナログ・ミステリィで起こるような展開が嬉しいのだろう。頭がおかしいとしか思えない彼らにユイは怒りを覚えたが、それと同時に妙な考えが頭に浮かんだ。

「確かに現実とは違う……だけどミステリィだって人が死んでいることに違いはないのかな? 架空の物語とはいえ、人が死んでいくことに、それを解決することに、ボクは喜びを覚えていたのかな? 彼らはなんのために死んでいったのかな? ボクは……」

「先輩どうかしましたか?」

 小さな声でぶつぶつと呟くユイを覗き込みながらヌユンがいった。その声で我に返ったユイは首を軽く左右に振る。今は自分のことを考えている場合じゃない。とユイは思い直して、「なんでもないよ」とヌユンに笑顔を向けたが、その笑顔はこの現場には不釣り合いで、ユイの心が先程の考えのせいで今は事件に向いていないことを端的に表していた。

 ユイの中のミステリィへの愛が揺らいだ。

 それは祖父への愛が揺らいだ瞬間でもあった。

 再び雷が空を一瞬だけ明るく染める。しばらくしてごうるるるろうという音だけがユイの体を貫いていった。


「アイダ先生まで古典推理小説アナログ・ミステリィを体現する事になるとは思わなかったわ。まあ一人だけの死で終わるだなんて思ってはいなかったんですけれどね」

 オキノは演技なのか本心からなのか、どちらか分からないが、満面の笑みで全員に微笑みかけた。

「今回はアリバイの無い人が多そうですね。一応いわせて頂きますと、こちらのメンバーは誰も食堂からは出ていませんよ。とはいっても、もし食堂にいたメンバー全員が共犯であったなら、このアリバイは成立しないともいえますが」

 言葉だけならエトーは冷静な判断をしているようにも思えるが、口調や表情を見る限りでは、そこに狂信的な古典推理小説への傾倒が表れていて、とてもじゃないが冷静だとは思えない。エトーは興奮しているといってまず間違いないだろう。

「最後までずっとおった訳じゃないから確実やとはいえんけど食堂からは誰も出てへんかったで。自分が食堂を出てから最初に向かったのがフータロー・アイダの部屋やし。もし自分が通ったのとちゃうルートを使ったんやったら屋敷の中をぐるっと回り込む形になるやろうけどそれやとめっちゃダッシュしてフータロー・アイダを殺害してまためっちゃダッシュして食堂に戻って来んとあかん。そんなん無理やと思うけどな。もし出来たとしても自分が食堂に戻った時に息一つ切らしてる人は誰もおらんかった。それやで食堂におったメンバーはアリバイがあるっていってもええんとちゃうかな?」

 ジャックはワトスン役を演じるかのように、一同に共通の認識を植え付ける情報を与える。そしてその中に自分の認識をしっかりと挟み込み、中立な立場であろうとしている姿を見てユイは、やはりジャックは機械なのだな、と改めて感じた。

 その情報からエトーは自分が探偵役として立ち回りやすい立場になった事に気付いたのか、満足気な笑顔を浮かべる。そんなエトーの様子を横目にユイも発言をしようとしたが、先程クアルトにいわれた事が脳裏をかすめ、出かけた言葉を飲み込んでしまう。

 あんただって探偵役の真似事してるようなもんだろ?

 ユイはその言葉を何度も反芻はんすうする。

 その間にも古典推理小説愛好者達はミステリィを嗜んでいた。


「それでは、今回のアイダ氏の犯行でアリバイが無いのは、オキノさんとクアルトさんという事になりますね」

 エトーがそういった後に、苦虫を噛み潰したような顔をしてクアルトがいう。

「おい仕切ってんじゃねーよ。お前は黙ってカメラでも回して、流行んねー映画でも撮ってりゃいいんだよ」

 マーフの犯行時とは違い、探偵役のお株を奪われる形となったクアルトは、ぺらぺらと流暢りゅうちょうに息巻いてみせながら左の足先を上下に揺すっている。クアルトは苛立ちを隠そうともしない。

「おや? 犯人でないなら毅然とした態度を取っていれば良いのではないですか? 何か都合の悪い事でもあるのですか?」

 そんなクアルトをもてあそび、わざと火に油を注ぐような事をエトーはいった。エトーは言葉遣いこそ丁寧ではあるが、その言い回しはわざと相手を苛立たせるようにねちねちとしたもので、性格はあまり良くないのかもしれないとユイは思い直した。

「うっせーな。いちいちうっせーよ」

 足先はいまだ上下運動を繰り返してはいるが、クアルトはこれ以上なにかをいったところでエトーとの会話からは苛立ちを感じるばかりだと思ったのか、それともアリバイが無いからこそ無闇な発言は慎んだ方がいいと思ったのか、どちらであったにしろまた別の理由があったにしろ、クアルトはそれ以降口を開くのをやめた。

 エトーはおもちゃを奪われた子どものように残念そうな顔をして、次のおもちゃを探している。その視線の先にはオキノがぼんやりと立っていた。新しいおもちゃが見付かったのだろう。エトーは口の端を少しだけあげた。

「妙に突っかかってきたクアルトさんも怪しかったのですが……」エトーは探偵の真似をしているのか、仰々しくオキノを指差していう。

「物言わぬオキノさんこそが、本当に怪しいのではないでしょうか? 皆さんもそうは思いませんか?」

 突然降りかかる本日二度目の火の粉に、オキノがたじろいだように見えた。いかにも犯人らしい反応で、女優として逆に疑われる立場を演じているのではないかとも思えてしまい、それは反芻する言葉と同様にユイを混乱させる。

「何よ! ただ考え事をしていただけじゃない! クアルトが殺したに決まっているでしょう。だってわたしは、殺してなんていないもの。わたしの事は誰よりもわたしが一番分かっているし知っているんですもの。わたしは誰も殺してなんていないわ!」

「ヴァイオレットちゃん、待って」

 フジの言葉も虚しく、部屋を飛び出すオキノ。その後ろ姿をエトーはじとりとした目で睨め付けると誰にともなくいう。

「こういった場面で部屋を飛び出していく人が次の被害者になるというのは、ミステリィにおいて定石といえますよね」

 エトーがにやりと笑ったのを、ユイはしっかりと記憶素子メイン・ブレインに残した。

「不用意な発言は自分の首を絞める事になるかもしれませんよ」

 吐き捨てるようなその言葉は感情をわざと排除したかのように冷たく人間味に欠けていて、真綿で首を絞められるそんな心地がしてユイの心は悲鳴を上げた。ヌユンが時折見せる普段とは違う一面。それはユイと接する時の優しさとは大きくかけ離れた狂気を孕んでいるようで、その表と裏の顔を感じて、ユイはアキの事を思い出しそうになったがなんとかそれを霧散させた。


 アイダの犯行現場となってしまった部屋の中は、マーフの時とは違いピリピリとした空気で満たされていた。再び外で雷が光る。そして遅れてごうるるると音が響く。外に漂う暗雲のようにユイの中に推理の端くれが漂い始めるが、また探偵役の真似事といわれるのではないかと思い発言を躊躇した。しかしユイは考える。マーフとアイダの二人が殺され、警察もいまだ到着しないとなると、なるべく早くこの殺人の連鎖を止めなければならないだろうと。そして探偵役の真似事とまた皮肉にいわれようとも構いはしないと決断する。

「すいません。少しいいですか?」

 その言葉に呼応するようにユイの方を見たのはエトーとヌユンとジャックの三人——二人と一体——だけだった。

「どうされたのですか? 小さな探偵さん?」

 やはりといったところか、先の件もあって皮肉めいた事をいわれるユイではあったが、それは承知の上であったので狼狽える事もせずにいう。

「事件を整理しがてら、今の段階でのボクの意見と推理をみなさんに聞いておいて欲しいなーと思うんです。これは別にボクが探偵役を買って出たいって訳じゃなくて、ボクのあとにみなさんにも同じ事をしてもらいたいと思っています。これはみなさんの見解を確認する意味と、誰かが犯人だった場合にその共通見解の破綻を見極める為の作業の一環です」フジはオキノが出て行った扉の方を見つめていて、クアルトは自分の動かす足先を見つめていて、いまだにユイの方を見てはいないがきっと話は聞いているだろうとユイは踏んでいた。

 最初に反応したのはエトーだった。

「いいんではないでしょうか。特に反対する理由はないですし、小さな探偵さんの推理に多少興味はありますしね。最後の古典推理小説家の実力を拝見させていただきましょうか」

 次いでヌユン。

「自分はよく分からないけど……先輩のいう通りにしますよ」

 そしてジャック。

「ユイ・ロクメイカンがいうように共通見解を確かめるええ機会やと思うわ。それにみんながここに留まる事になるからいい方は悪いかもしれんけどそれぞれの監視にもなるしな」

 ユイはいう。

「マイコさんとクアルトさんもいいですか?」

 クアルトはいう。

「まあいいんじゃねーの」

 フジはオキノの事が気になっているのか、返事をしない。そんなフジにエトーはいう。

「今のところ、ここにいる人たち以外の犯行とは考えにくいと思いますので、オキノさんが部屋にいるのはむしろ安全だと思っていいのではないでしょうか?」

 フジは不安げな顔でエトーにいう。

「どうして外部犯ではないといい切れるんですの?」

「それは今から説明させて頂きますよ。まあ最初に語るのは小さな探偵さんからなので、その後にはなりますが」

 不安げな表情のままではあるが、フジは小さく頷くとユイの方に体を向けた。あそこまでオキノさんを心配するなら、ここにわざわざ残る必要があるのだろうか? とユイは考えフジを疑うが、それは一旦保留として話を進める事にした。

「それでは早速」そういうとユイは記憶素子からこの事件に関するデータを引っ張り出す。

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