なんだか、プロポーズみたいですね、今の台詞
食堂には先程まで食べていた料理の匂いが充満していたが、今はその匂いですら不快に思える。エトーは赤ワインが入ったグラスの足を持ち、ぐるぐると中の液体を回してはグラスを鼻に近付けてその匂いを嗅いでいる。
もう一人食堂へ来る事を賛同した名称不明の女は、椅子に腰掛け足を組んで手で頭を抱えてうんうんと唸っている。マーフが死んだ時の推理でもしているのだろう。エトーと女の二人から、少し距離を取ったところにいるヌユンとユイ。この二人も各自で思考を巡らしているのか、俯いてみたり飲み物に口を付けたりと繰り返している。しかしこの状況で一人である事に不安感を抱いているのかヌユンがユイの耳元でいう。
「ねえ、先輩」
「うん? どうしたの?」
ユイの思考はすでに停滞しており新たな考えも浮かばない状況であったので、ヌユンの言葉に対する反応は早い。
「ちょっと気になった事があったんですけど、どうしてマーフさんの死が殺人だってすぐに分かったんですか?」
ヌユンは真剣な表情でユイに尋ねる。
「うん? どういう事かな?」
不思議そうな顔で尋ね返すユイ。
「さっきの状況って、どうみても自殺なんじゃないですか? 自分はさっきの状況で、皆が他殺という事で意見が一致しているのが何故なのか分からなくて……」ヌユンは自分の考えを説明しだした。
「自分たちが部屋に着いた時、部屋には誰もいなかったし、出てくる人にも会わなかった。そして、部屋の中の状況を見た時、本当は思い出したくもないんですけど……あの時、拳銃はマーフさんの手の中に握られてましたよね? あれで自分は自殺だと思ったんです。なにより食堂から皆が出ていないって、あのクアルトとかいうムカつく奴もいっていましたし。皆は先輩と自分の事を疑っている節があるから他殺だと思ったのは理解出来なくもないんですけど、なんで先輩はあれを他殺だなんて思ったのかなって、ちょっと気になってたんですよ」
ユイはヌユンが最後までいい終わるのを待ってから、「それはね、ヌユン」と前置きをしてから話し始めた。
「まず最初にボクたちが部屋に入った時、当然自殺って考えも頭を過ぎったよ。でもね、不自然な点がいくつかあるなーって思ったんだ。まず最初に考えたのは部屋の扉かな。わざわざ、発見してくれー!! っていわんばかりに扉を開けていた事への違和感。それと、あの部屋に置かれていたボールチェアに付いていた傷もね」
「傷……ですか? そんなのありましたか?」
「うん、あったよ。ヌユンは見てなかったのかもしれないけど、ちゃんとボールチェアの内側、それもね座面や張られた布だったりを取っ払ったボディ本体に」
「でも、それがあったとして、どうして他殺って事になるんですか?」
ヌユンは首を傾げる。
「ヌユンは、銃弾が頭蓋骨の中を一周する話って知ってる?」
「えっ、頭蓋骨の中を一周? なんですかそれ?」
その光景を想像でもしたのか、ヌユンは
「結構有名な話なんだけどなぁ。銃弾って速度も速いから、前から頭に当たったらそのまま貫通して後ろから出てくると思わない?」
「そうですね、出てくると思います」
「でも身体に撃たれた銃弾がそのまま身体の中に残っているっていうのを
「ああ、ありますね」
「身体の中に残っているのはね、身体の中にある障害物、まあ骨が一番かな。それにぶつかったりする事が要因だったりするんだよね。いくら早くてもやっぱり阻害するものがあれば止まっちゃう。まあ可能性の問題だから、絶対って事はないんだけど」
「はあ……でも、それが頭蓋骨一周とどう関係があるんですか?」
「阻害するものが球体の内面だったらどうなると思う? 頭蓋骨は歪とはいえ球面状になっているっていえるでしょ? その中に銃弾が撃ち込まれて、阻害する骨の部分に当たる。その時に骨が球体だったら反射と同じで屈折するような事が起こったり、あるいは銃弾の軌道が球面状に沿うように変化する事があるんだよ。それを知っていて、このボールチェアの内側に傷を付けてあるんじゃないかな? って考えたってわけ。きっと傷のあるところに銃弾を撃ち込んで、それを撃ったマーフさん自身に銃弾が返ってきて死んだって、他殺である事を匂わせながら自殺したって、そう考えられるように犯行現場を作り上げたかった誰かがいるんじゃないかな。なーんて、ボクは考えたってわけ!」
「なるほど……って、ちょっと待ってください。なんだかそれってすごく回りくどくないですか? ボールチェアに傷なんて付けずに、普通に拳銃を持たせるだけで自殺には見えますし、どうして他殺を匂わせる自殺に見える他殺なんて面倒なものを作り上げる必要があったんですか?」
「それについてはまだ分からないんだ……でも、ヌユンもさっき感じたんじゃない? ここにいる古典推理小説愛好者の屈折した嗜好に……」
身震いするヌユンは、先程の部屋で見た古典小説愛好者たちの不気味な笑みを思い出しているのかもしれない。しかしただ怯えているだけではなく、ヌユンはヌユンなりにしっかりと今回の事件の事を気にかけているらしく、再び疑問点を上げる。
「まあ確かにさっきは、なんだか妙な空気でしたね……ちょっと思い出したくもないんで、先輩の話で気になった事を聞きますね。どうして部屋の扉は開けられていたんでしょう? ただ鍵を閉める事が出来なかったからでしょうか? ここにいる古典推理小説愛好者であれば、密室なんてシチュエーションは最高の舞台の一つみたいな気がしますし、マーフさんを殺害して密室にする事にこだわるんじゃないかなと思ったんですけど……先輩は、どう思いますか?」
「いいところに気が付いたねー、ヌユン。誉めてあげたいくらいだけど、それはここから帰ってからにしよう。それより今は、どうして扉を開けたままにしたのかって事だね……」ユイは心做し声を潜めていう。
「それはね、あえて誰かに発見させたかったんだと思うんだ。それもボクかヌユン、もしくはボクたち二人に的を絞っていて、ボクたちを犯人に仕向けるためだったんじゃないかって、そんな風に思うんだ……」
ヌユンは椅子から立ち上がり、
「ええええぇぇーーーー!!」
と阿鼻叫喚という言葉が相応しい声をあげた。
一体何事かといった表情でエトーが、びっくりさせないでよといいたげな顔で女が、機械らしく大きな声を出しているという認識程度のスピードでジャックがヌユンを見る。最初に口を開いたのはエトーだった。
「ど、どうされたんですか? 突然大きな声を出すなんて、心臓に悪いのでやめてくださいよ」
続けて女がいう。
「そうですわよ! 一体何事なんですの? わたくしの推理の邪魔をするなんて、本当に止めて頂きたいものですわ」
「す、すいませんでした……」エトーと女に謝ると、ヌユンは肩をすくめた。
「先輩が変な事いうからですよ」
ユイは目を線のように細めて八重歯を出して、「はははー、ごめんごめん」と笑いながら軽く流すと、すぐに真剣な表情でヌユンの目を見据える。
そしていう。
「でも、ボクたちが犯人にされようとしているのは事実だよ。無闇に一人になるような事は避けておかないとダメ!! なるべくボクの側にいて。守ってあげるからね。ヌユンの事」
ヌユンはきょとんとして何かを考えている。そして急に顔を赤らめた。
「なんだか、プロポーズみたいですね、今の台詞」
「人が真剣にいってんのに茶化すんじゃないよー!!」
ユイの指がヌユンの腕をつねる。
「いっったああぁぁーーーー!!」
再びの絶叫にエトーと女は呆れた表情をヌユンに向け、それを確認したユイはまた目を細め八重歯を出して笑った。
少しだけではあるが食堂内の重苦しかった空気が軽くなったような気がした。それはユイだけが感じた事ではなかったのか、先程までは距離を置いていたように思えたエトーが話しかけてきた。
「ユイさんと、ヌユンさんでしたか? あなたたちは、どう考えているんでしょう、今回の犯行を。正直なところ、あなたたちは今アリバイがありません。犯人と疑われても仕方ないわけですが……」
「そうですわ。わたくしも気になっていたのよ。是非とも見解をお聞きしたいものですわ、最後の古典推理小説家さん」
エトーと女に問われ、ユイはヌユンに説明したのと同じ事を再度説明した。
そして最後に付け加える。
「念の為いっておきますが、ボクもヌユンもマーフさんの事を殺してなんていません。証拠は提示出来ないので信じてもらえなくても仕方ないですけど」
エトーと女は口を挟まずに、真剣に話を聞いていた。
そして話を終えて最初に口を開いたのは、
「それやと、ますます誰が犯人か分からんな」
ジャックだった。
癖の強い
「銃声が聞こえた時、この食堂に皆さんいたって聞いてますけど、本当にボクとヌユン以外は食堂から出ていなかったんですか? 一瞬だけでも外に出た人物はいなかったんですか?」
考え込む二人に構わず、質問にはジャックが答えた。
「一人だけおるで」
全員の視線がジャックに集まり、そして全員が同時に、
「誰だったの?」
「誰ですの?」
「誰だい?」
「誰が?」
問う。
「フータロー・アイダや。どこかに電話でもかけてたんやと思うけど、小声でぼそぼそと壁際で喋って、そのままちょろっとだけ廊下に出てたわ。いうても時間にして二〇秒も経ってないから、殺害する時間があったかどうかは疑わしいけどな」
ジャックは平然と答えてみせた。
二〇秒程度の不在。
これって犯行に関係しているのかな? とユイは考えている。
「ぼくはアイダさんの不在には気付きませんでした。フジさんはどうでした?」
女の名前はフジというらしい。
「わたくしも気付きませんでしたわ。というか、フジと呼ぶのは止めて頂いけませんこと? 富士山みたいで嫌になるの。だからマイコで構わなくてよ。それにしても、どうしてわたくしたちは、その事に気付かなかったのかしら? ジャック、その時わたくしたちが何をしていたかまで覚えていて?」
フジ・マイコという女は、ジャックにその時の状況を尋ねた。
「ちゃんと覚えとるで。その時は皆でクッキー食べとったわ」
ジャックの答えに、「ああ……」と少し恥ずかしそうな声を出すフジ。それとは対照的に、「クッキー! ボクも食べたかった〜! ってさすがに不謹慎か、こんなタイミングだし……」と目を輝かせた後に、しゅんとなるユイ。
「いいえ、良いんじゃなくて?」そういったのは、フジだった。
「さっきはちょっと言いすぎてしまったかもしれませんわね。確かに、古典推理小説家さんがいったように、まずは主催者の死を悼むべきだったのかもしれなかったわね。でも、こんな非日常的なことが起こったあとでしたら、気も動転してしまうものですわ。それならクッキーでも食べて、少しだけ気持ちを落ち着けるのがいいのではないかしら? そうは思わないジャック。さあさ、クッキーを用意してちょうだいな」
ぽかーんという言葉が口から出てきそうな表情でユイとヌユンはフジを見ている。
「せやなー。それじゃあちょっと待っとき。すぐに持ってくるから。それにしても優しいな、マイコ・フジ」
「な、なにいってるんですの!! そんなんじゃなくてよ!! ただわたくしがクッキーを食べたいだけですわ。か、勘違いしないでほしいんですわ!!」
フジのツンデレを見てなごんでしまったせいか、食堂での推理は停滞した。集中力が切れた以上、ここからユイの思考が飛躍する事はないだろう。次の事件でも起これば、関連性なりを見付け出して犯人に近付くことは可能かもしれないが、とりあえず今はクッキーの事で頭がいっぱいになっているユイが事件の鍵を探し出す事はまず不可能だろう。
ユイはクッキーの詳細を、実は優しかったフジへと仔細に尋ねている。
「女の子は甘いモノが好きですね。ちなみに僕も好きなんですけど、ヌユンさんもお好きですか?」
その様子を見ていたエトーが笑顔でヌユンに尋ねる。
「まあ、自分も好きですよ。それなりに」
少し照れくさそうに頭を掻きながらヌユンはいう。
「なんや皆クッキー好きなんやな。ついでに、フータロー・アイダとヴァイオレット・オキノの様子も見てくるわ。二人もクッキー欲しがるかもしれんからな」
ジャックは少しでも皆を落ち着かせようと気を使っているのかもしれない。マーフ無き今でさえ健気に客人に奉仕するジャックが機械とはいえどこか可哀想にも思えるが、そんな事を思っているのはユイだけなのかもしれないが。
しかしクッキーは欲しいユイはその言葉に頷いて、「頼んだよー!」とジャックを見送った。
ジャックは丁寧に扉を開けると、出来た隙間にするりと入り込んでいく。扉が音も立てず、静かに閉まった。
ジャックが出て行くと、あまりにしつこくクッキーについて聞いてくるユイがさすがに面倒になったのかフジは、「ちょっと飲み物を取ってくるからどいてちょうだい」といってテーブルの反対側に置かれた水差しの方へそそくさと逃げていった。一方でエトーはクッキーが来るまでゆっくりしているつもりなのか、椅子に深く腰掛けてその椅子のクッション性の良さを堪能していた。
エトーとフジが自分の近くから離れていくと、ユイはヌユンの側に一層近付く。
「さっきは、ありがとうね。クアルトさんから私の事守ってくれたんだよ」? 嬉しかったなー」
耳元——とはいっても身長さがあり、ヌユンの耳のかなり下に位置している——で、ヌユンだけに聞こえるようにユイは囁いた。
「あれは、その、なんか、聞いてて、こっちの気分が悪くなったからいっただけで、別に先輩のためとかじゃ……」
ヌユンは顔全体を赤くして、あたふたと身振り手振りを無駄に加えながら、言い訳がましい言葉を並べる。
「そうですかー。それじゃあ感謝しなーい。ヌユンなんて知ーらない」
ユイはわざと素っ気ない態度を取ってみる。
「いや、その、まあ……多少は、多少は先輩の事を守ったような気も……」
ヌユンは残念そうな顔でユイを見た。実に分かりやすい態度で、見ていてちょっかいをかけたくなるのも頷けるよう気がしてしまう。
「冗談だって、ちゃんとありがとうって思ってるってば」
ユイが笑顔でヌユンを見ると、顔をら逸らすようにして、「やっぱりあざといんですよね先輩って」と小声ではあるが聞き取れる程度の大きさで、早口に言葉を零した。
そんないい雰囲気を切り裂くかのように、何かがぶつかるような音が響いて扉が勢いよく開いた。
そこにいたのはジャックで、出て行く時とは違い雑に扉を開け放ち食堂に入ってくるのを見てユイは嫌な予感が胸に渦巻く。しかしそんな事あるわけないと自らに言い聞かせ、どうにかその考えを窓の先の更に先にある暗雲の向こうへと追いやってみた。
「フータロー・アイダが死んどる」
しかし考えを追いやったところで、現実が変わる訳ではないのだと思い知る。
第二の殺人が、起こってしまったのかもしれない。いや、起こったんだと確信めいたざわめきがユイの胸中を満たしていく。
再び食堂に重たい空気が蔓延しだすのを、ここにいる全員が肌でひしひしと感じていた。
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