先輩、なんかにおいませんか?
ユイは一番最初に主催者である仮面を身に着けていて、顔が分からないという如何にも怪しい男、チューン・マーフを見た。
話し方や身の振り方は丁寧。独特のペースで話したり、笑いのツボがよく分からないところがあるので、マイペースなのかもしれない。服装はスリーピース・スーツ。中のシャツ自体は白色のシンプルなものであるが、ダブルのウェストコートにシングルのスーツなのが特徴的で、さらりとそれを着こなしているあたり、なかなかお洒落なのかもしれない。色は黒色。ネクタイがゴールドで、そこだけが妙に浮いて見える。体格は太ってはおらず、かといって細すぎる事もない。
ユイはチューン・マーフについてある程度頭の中を整理し終えると、次にフータロー・アイダを見た。少しだけ恐れるように、ちらりと横目で。
アイダはニホンの黒幕と称される政治家の男で、表情はいつも仏頂面。失言なども多いが、ニホン男児らしく一本筋の通った男として意外にも国民からの支持は厚い。服装は今時正月でも見る機会が減った和服。和服についてユイは詳しくないので、その種類が何に当たるのかは分からないが、それはとても良い生地で仕立て上げられた一品であるように見えた。そのあたりは、ファッションについて詳しいユイらしい妥当な思考であった。その和服に使われている生地は、ユイの一ヶ月の給料ではとても支払えない水準のものであったからだ。色は紺色を主にしており、一部に菱形の幾何学模様が散らされているような作りになっている。足下はまさか下駄でも履いているんじゃないかとユイは考えたがこちらもテーブルに遮られていて確認は出来なかった。年齢は壮年を超えて一〇年から二〇年の間といったところだろう。ユイは政治にそこまでの興味がある訳ではないので、いくら有名なアイダであっても年齢までは把握していなかった。体格はというと恰幅の良い体格をしており、年相応といった感じである。髪の毛は全体が短く刈り込んであり、そこには白の中にいまだ黒いものが少しではあるが混じっていた。
ライオネル・エトーを見ると偶然にも目が合い笑顔を向けられて、ユイも同じように笑顔を返した。
懐古主義派の映像作家で若い内からカルト的な人気があったが、不作が続きメディアでの露出が減ると、
ヴァイオレット・オキノをユイが見ると名前の分からない女と談笑をしているのが目に入った。それだけの事ですら美しいなとユイは感じた。
オキノは劇団たまとせい所属の女優で、その演技力が評価されて劇団外での活動が増えると一気にブレークした。外見も美しく、まさに大人の女性然とした落ち着きのある風貌をしている。性格は良さそうだが、完成されすぎている優しさからは隙がどこにも見あたらず、これとて演技なのかもしれないとも少しだけユイは感じた。服装はセットアップの白いパンツドレスで、その上にこちらも白のカーディガンを羽織っている。唇とハイヒールの鮮烈な赤は、白の中でひどく目立っている。年齢は三〇前後といったところだろう。美しさの為そう思うが、実際はもっと上なのかもしれないとユイは、再びまじまじとその顔を見た。しかし女優というものは年齢不祥な人物が多いので断定は出来なかったようだ。髪は毛先を少し遊ばせた感じのショートボブで、前髪は左目の上あたりから右側に流している。どことなく中性的であり、仕事が出来る女といった印象を受ける。髪色はマーメイドアッシュで上品さがって、とてもオキノらしいなとユイは感嘆の声を漏らした。
あまり見たくないな……とユイは思いながらデイトレーダーのサイ・クアルトをちらっと見ると、彼はじっとオキノの方を窺っていた。その表情から嫌なものを感じ、ユイはすぐに目を逸らした。
ぱっと見ただけではあったが、ユイは彼の服装をある程度把握出来ていた。服装はスーツスタイルではあるがボタンは付けていないし、ネクタイもしていなかった。ユイが食堂に入った際に見た記憶ではシャツの裾をタックインもしていなかった。着崩す事が彼の信条なのかもしれないがちゃらちゃらしているという印象しかユイは受けなかったので、あまり良い印象ではないといえる。クアルトの舐めるように体全体を見つめる目がどうもいけ好かなくて、その視線で見られる事を拒否するようにユイはクアルトをあまり見ないようにした。髪型は特に特徴のない最近の流行をそのまま模したようなもので髪色は明るい茶色。それ以外の特徴も特になく、ユイはもう観察する必要性すら感じなかった。
どうしてなのか分からないが身分を明かさない名称不明の女は相変わらずオキノの隣にいた。服は深紅のワンピースドレスで靴は白いパンプス。腐れ縁と称されたオキノと同様に赤と白の組み合わせになっている。そこに多数の装飾品ががちゃがちゃと
葡萄のデザートテリーヌを食べ終えたユイは満足そうな顔をして椅子の背もたれに体を預けた。それとほぼ同時にアイダと喋っていたマーフが席を立ち、こそこそと食堂から出て行った。
ユイは食事を終えた他のメンバーが話しているのを、ただ聞いていた。確かにミステリィが好きなんだろうなと思ったが、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロといった探偵のキャラクター性に惹かれているものが多かった。なぜそれが分かったかというと、トリックの出来などに言及するような会話が全く聞こえてこなかったからだ。
マーフが出て行ってから二〇分程すると——マーフはまだ食堂に戻ってきていない——ユイはもじもじと動き出した。生理現象であるから仕方ないのだが、そこはやはり女性である。恥ずかしさがあるのか、すぐには言い出しにくいようだ。
「どうしたんですか?」
もじもじと動くユイを不思議そうに見ながらヌユンが聞いた。
「えっと、その……」
口籠もるユイ。
勘付くヌユン。
「ああ、ついて行きましょうか? 一人だと怖いんですよね?」
「別に怖くなんかないよ!! どこか分からないだけで……」
「それじゃあ、自分が聞いてきますよ」
ヌユンはさっと立ち上がりきょろきょろと周囲を見やる。いつ部屋から出たのか気付かなかったが、コーヒーや紅茶を乗せたトレイを持ったジャックが扉を開けて部屋に入ってくるとところだった。ヌユンはそちらに歩き出した。ユイも立ち上がりヌユンの数歩後ろを歩く。ヌユンの歩幅は大きく、ユイは少し遅れる。
ユイがジャックの前に到着した時には、ヌユンはもう必要な事は聞き終えていたようだった。
「先輩、行きましょうか」
ヌユンは扉を開くと、ユイが出れるようにそのまま手で押さえて閉まらないようにしている。
「ありがとヌユン」
ユイはヌユンとともに食堂を出た。食堂と違い廊下は明るい。踏みしめる度に血のような色になる絨毯を進んでいく二人。途中にいくつも豪奢な扉があるが、そのそれぞれに別の意匠が施されている事にユイは気付いた。
「この扉よく見ると、全部違う模様になってるんだね」
「えっ? ああ、本当ですね。お金かかってますね、本当に。扉なんて開け閉めするだけなのに、こんなごてごてさせる必要があるんですかね?」
「必要ない事にお金を使うのが、お金持ちなんじゃないかな?」
「確かに。言い得て妙ですね」
鹿爪らしい顔をしてみせるヌユンを見てユイは笑った。やはりヌユンと一緒にいる時のユイは楽しそうで
ユイは思う。これからもずっとヌユンと一緒にいたいな、と。
そう考えている内に、目的地に到着したようだ。
「ヌユンも来る?」
いたずらな表情をしながらいうユイ。
「自分は外で待ってますから、早く済ませて下さい」
適当にあしらうヌユンだが、少し照れているようにも見える。
「ふふふ〜、かわいいんだから、ヌユンちゃんったら〜」
「もう! さっさと行って下さい!!」
「はいはーい」
くすくすと笑いながら返事をして、ユイはトイレの中に入っていった。無意識にまずは誰かいないかと中の様子を窺うが、当然トイレの中には誰もいなかった。それよりも気になったのは個人宅であるのに個室が三つも並んでいる事であり、それを見てユイは驚いた。更にその一つ一つが廊下で見た扉のように意匠の異なるものであったので一つ一つ丁寧に確認したくなっていた。しかしそれよりも今は迫ってきたその波を受け流す事が先決であると判断し、手前の扉の中へささっと入ると便座に座る。ユイはトイレの中でヌユンの表情を思い出して、またくすくすと笑っていた。
「待たせたかな?」
ユイは廊下に出てヌユンに声をかけた。当然トイレから出る前に意匠の異なる個室の扉一つ一つを確認したのはいうまでもない。
「少し、待ちましたね」
「もう! そこは、全然。っていうところだよ!! 女心をぜ〜んぜん分かってないんだから」
「はいはい。次からはそうしますよ」
「ボク、先輩なんだけど?」
「存じ上げております」
来た方向と逆に伸びる廊下に、開け放たれたままになった扉がある事にユイは気付いた。
「あそこの扉、なんで開きっ放しなんだろ?」
開いた扉の方を指差していう。
「あれ? 本当ですね」
「風で扉が開いちゃったとかかな?」
「それにしては、全く動いたりしてませんよ」
「閉め忘れただけかな?」
「きっとそうですよ」
「ボクいい子だから、閉めに行ってこようかな〜」
扉の方へ近付いていく二人。肌で感じる事が出来る風のようなものが全くないなと扉に近付きながらユイは思った。
「いやいや、本当のいい子は自分でいい子とはいいませんよ」
ヌユンがいうのを聞きながら、やはりこの扉は閉め忘れただけなのかもしれないなとユイは改めて思った。
近付いていくとなにやら火薬のような臭いが鼻を突いた。
蚊取り線香?
そんな風にユイは考えたが、今時そんな古臭いものを使っているのを、ユイは祖父のところでしか見た事がなかった。
それに今はまだ七月にもなっていない。夏といえば夏かもしれないが、それは暦の上での話であって体感としては、まだ夏の訪れを感じる日はそう多くない。どちらかというと、まだじめりと嫌な空気を纏う梅雨のようだ。そんな時分に蚊取り線香というのもどうだろうとユイは訝しんだ。
開かれた扉の前に立つ。
火薬の臭いは一瞬感じただけのもので、今はもう感じない。
それと引き替えにユイの鼻に飛び込んできた臭い。それは人によっては感じない者もいるかもしれないが、ユイは気付いた。女だからというのも少しは関係があるかもしれない。匂いに敏感になる時期がある人も中にはいるだろう。そしてヌユンもその匂いに気付いたようであった。
それは、
「先輩、なんかにおいませんか?」
血の臭い。
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