開宴
気軽にジャックっていうてくれたらええから
それは二人に深いお辞儀をすると、ロボットとは思えない流暢な
「おっ、やっと来たな。ようこそ、旧
私生活補助労働機は手を額のあたりにもっていって、カチンと小さな金属音を響かせる。
「ああ、またやってもた。名前を聞く前に先に自分が名乗らんとあかんのやったな。自分は
ヌユンとの距離をぐいっと一気に詰める私生活補助労働機改めジャック。
「オ、オーエです」
ヌユンは近い近いと小声でいいながら、これ以上ジャックが近付かないように手で制している。しかしジャックはそんなことなど気にもせずに、更にぐいぐいとヌユンに近付いていく。というか、すでに接触している。
「ああもう。ラストネームだけやなくて、ファーストネームも教えてーや。気になるやろ。ほらなんていうんや? ちゃんとフルネームでいってみ。はよはよ」
「ヌユン・A・オーエです。って、当たってますから! もう完全に足踏んでますから! 近いです近いですって!! 先輩からも、いってくださいよ、近いですって!!」
ジャックともみくちゃしながらユイに助けを求めるヌユンだが、そんなヌユンとジャックの様子をユイは虚ろな表情でただ見つめるばかりで反応がない。
ジャックがいった。
「ユイ・ロクメイカン。
壁際にあるスイッチをオフ設定にして、ユイの前に移動するジャック。するとユイはもう限界だった体を、ジャックの背中に預けた。
そのまま虚ろな目で、壁に設置されたモニターに映し出されている『亜空間接続跳躍装置の地区定期点検が一八時半〜二〇時半で実施されます。お手数をお掛けしますが電源オフ設定を忘れずにお願いします』という言葉を目に捉えていた。
そして沸き立つ不快感に抗おうと目を瞑って口を動かしたが、なにな言葉が出てくる事はなかった。
ユイがそんな状態になっていることにヌユンは気付いていなかったようで、心配そうな表情をしてユイの顔をのぞき込む。
「大丈夫や。こんなん一〇分そこらで治るもんやから。そんな心配する必要なんてないって」
三人——二人と一体——で扉を出ると、少し濃いめの赤色をした毛足の長い絨毯の上を進んでいく。
ジャックは機械ではあるがこの絨毯のふかふかとした感触を楽しむように、上下のブレが大きくなる歩調でしっかりと絨毯を踏みしめて歩いていた。その少し後ろを絨毯の感触など気にする暇もないように、ヌユンがせかせかと付いてきている。
それぞれが踏みしめたところだけ、他よりも更に赤色が濃くなり主張を強めていった。
ジャックの背中に体を預けた状態で視界の端にその色の変化を捉えていたユイだが、なんだかぽつぽつと垂れる血痕みたい。という考えが頭を過ぎって、体がぶるりと震えた。
血痕という言葉から、妙な胸騒ぎを覚えたからだ。
頭に渦巻く、血。拳銃。発砲音。硝煙。再び血。こちらを見る死体のビジョン。不吉な予感が頭の中でぐるぐると踊り出す。
不快感が高まっていき、ユイは真実と虚構の両方とも見るのを一時中断するために目を閉じた。
意識が静かに淀んでいく中、「先輩、大丈夫ですか?」というヌユンの声が聞こえたその瞬間だけ、ユイは少しの安心を得ることが出来た。だからといって完全に不安が拭い去られわけではない。
いまだユイの頭の中では不吉な予感がタンゴを踊るように、慣れないステップを刻んでいた。
「着いたで」
いかにも金持ちが好みそうな、ごてごてとした意匠を施された人が通るには大きすぎる扉の鍵を開けると、ジャックは体を部屋の中に滑り込ませた。ヌユンもそれに続く。
二人は部屋の中を進んでいき、いかにも高級といった感じの表面に艶がありつるつるとした肌触りの毛で覆われたソファの前に立った。
そこでジャックだけがくるりと回ると、ゆっくりユイを降ろしていく。それはロボットとは思えないほど繊細な動きだったが、ヌユンはいちいちそんな事など気にしなかった。ユイがただ心配だというのもあっただろうが、仕事柄ロボットたちを見る機会が多いのも影響していた。
ユイはソファの上で、ゆっくりと体勢を横にしていく。ソファの肘掛けのあたりに置いてあったクッションの位置をヌユンがさっとずらすと、ユイの頭がそこにちょうどいい具合にふんわりと納まった。
「ちょっと休んでから来たらええから。オーナーには遅れるっていうとくで。それじゃあ若いもん二人で仲よくしいや。これは念の為。酔い治しやから飲んどき」
錠剤を一錠と水の入ったボトルをソファの横にあるサイドテーブルに置いて、二人の返事も聞かぬままジャックは部屋を出ていった。他にもやらなければならないことがあるのかもしれない。私生活補助労働機はどこにおいても仕事量が多いのが常であるから。
「なにいってるんだか。本当に変なやつ」
ヌユンは溜息混じりにいってからきょろきょろと周囲を見渡していたが、結局なにをするでもなくユイの頭がある側のソファの肘掛けに浅く腰かけた。そして少し体を強張らせながら、手をユイの頭に置いてぽんぽんと子どもを宥めるようにしてみせた。
その一連の流れをユイは姿見越しに見ていた。とてもぎこちない動きだった為、ユイおかしくてそっと笑ってしまう。けれどそれは優しさを感じる類のものであったから、同時に嬉しくも思っていた。
扉と同様に室内もごてごてとした意匠で溢れていたが、物自体はいいものであるのが伺えた。ただセンスがいいのかといわれると、それは甚だ疑問ではあるが。
「ちょっとごてごてしすぎですよね、ここ。昔聞いた話なんですけど、家具選びってその人の性格とかこだわりがどうしても表れてしまうものらしいですよ。自分は結構か甘辛ミックスって感じで、かっこいいとかわいいを部屋の中で両立させてるつもりなんですけど、もしかしたらAB型だからかなって思ったりするんですよね。AB型って二面性があるとかいいますし。そういう無意識に自分が表れてしまうのが家具選びだって聞いてから、知り合いの家とか行くとついつい家具を見てしまうようになっちゃって。そういうのないですか? 一度気になるともう気になって駄目になっちゃう事。まあそれはいいんですけど、ここの家具を見てると、ここの主人は虚栄心が強いんじゃないかなとか思ってしまって。もしくは」わざと一拍、間を作るヌユン。
「ごてごてした部分を目立たせることで、何か真実を隠そうとしているとか」
なかなか面白い仮説だと思ったユイだったが、まだ気分が悪かったので何もいわずにいた。でもヌユンの服の左手側の袖を軽く引っ張って、話を聞いてはいるとアピールしてみせた。
その反対の手で錠剤を手に取るとそれを口に入れて、次はボトルを手に取りそのまま水を飲む。横になっていたせいで、艶っぽいピンクの唇の端から少し水がこぼれたが、そのままにしていた。
ソファは水を弾きやすい素材のようで、滴はそのまま床に垂れていく。
しばらくの間喋り続けていたヌユンであったが、さすがに返事がないまま一人で喋り続けるには限界があったのだろう。言葉が途切れた。
薬の効果で具合が若干良くなってきたユイはそのタイミングで、「ごめんね……」と小さな声を出した。
「まあいいんですけどね。でも亜空間間跳躍が苦手なんだったら、
ユイの体調が少し良くなったのを察してヌユンは悪戯心が芽生えたのか、ここぞとばかりに苦言を呈してみせた。
「まあ見た目は子どもみたいなもんですけどね、先輩の場合。身長も低いし、幼児体型。当たり前のように、むね……」
そこまでいうとヌユンは、さっと血の気が引いたように顔を白色というより青白くさせて、服の左手側の袖を握る小さな白い手を見る。その手の主は当然ユイで、その手には見た目なんの変化もないが、きっとヌユンはその手から無言の圧力を感じたのだろう。
消え入るような声で「すみません」というと、ユイの手からも、そしてユイの目からも視線を逸らした。
そして沈黙が訪れる。
何も語らない空気こそが、逆に何かを語ることが世の中にはあるのだ。
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