オオサンショウウオは良いんだよー

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「ちょっと先輩。さっきから話聞いてますか?」

 ユイは少し怒ったヌユンの声で我に返った。

「ちゃんと聞いてるよー。あれでしょ? この前、偶然入った横穴でオオサンショウウオに閉じこめられたって話でしょ? その話もう二回目だよー?」

「いやいや、今オオサンショウウオの話なんてしてませんから! それどころか過去にもオオサンショウウオの話なんてした事ありません!! なんですかオオサンショウウオに閉じこめられたって! どんな世界観ですか!!」

 ヌユンの反応を聞いて、ユイは口を押さえて声がなるべく漏れないようにして笑った。そうやって笑う事で、アキの事を頭から消し去るように。

「本当、ヌユンは面白いよね。どんどんいじめ……じゃなくて、いじりたくなっちゃう」

 わざとらしく言葉を間違えてみるユイだが、ヌユンはそれを理解しているようで的確にユイが反応して欲しいところに触れてくる。

「いや、今完全にいじめっていいましたよね!」

 またそれがおかしくて、ユイは口を押さえて笑った。次は声が漏れてしまっているが、それはたいした問題ではない。

「ああもう。そんなに笑わせないでよヌユン」

「いやいや、別に笑わせようとしてませんから」

「えへへ」


 不思議ではあるが、二人のやりとりは職場の先輩後輩として築き上げた時間以上のものであるようにも見える。

「っていうか、いきなりオオサンショウウオとか意味分からない事振ってきた先輩こそ笑わせようとしてきてたんじゃないんですか? まあ全然面白くはないですけど……」

「面白くないとか失礼じゃないか後輩くん。ボクが同じ立場だったら、面白くないと思っても面白いっていうよ? それが後輩の務めってやつじゃないのかなー?」

「いや、面白くないものは面白くないので事実を伝えないと。って思いまして」

「ヌユンかわいくない」

 ユイは拗ねたように頬を膨らませた。

 かわいくないという言葉とは対照的に、その表情はかわいらしい。かわいらしいとはいっても女性らしいかわいさではなく、子どもらしいかわいさであるのは、社会人を迎えている女性としてはどうなのだろうかと思うが、ヌユンがその表情に見惚れているように見えるのでこの場においては良しとしよう。

「まあ別にかわいくなくても良いですよ……」

 ヌユンはそういうと髪の毛を指先で軽く弄びながらいう。

「っていうか、なんでいきなりオオサンショウウオなんですか? どこかで聞いた事あるような話ですし」

 ユイはそういわれて、どうして自分がオオサンショウウオの話をしたのかを考えた。オオサンショウウオによって横穴に閉じこめられるカエルの話。あれは結局どういう結末だっただろうか?

 そうユイは考えながら、自分がオオサンショウウオであると仮定してカエルに、「今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ」といって欲しいのではないかと、思い至った。

 しかしその時のカエルが一体誰であって欲しいのか。今のユイにはその答えは出なかった。


 そんな事を考えているなんて知るはずもないヌユンに対して、ユイは曖昧に返事をする。

「なんでだろうね? ボクも分かんないけど、咄嗟に出たのがオオサンショウウオだったの。きっとオオサンショウウオ好きだからだねー」

「オオサンショウウオが好きって変わってますね、先輩」

 ヌユンは変なものでも見るような顔でユイを見た。実際にユイはオオサンショウウオが好きなので、自分の好きなものを否定的に捉えられた事が気に入らないのか持論を展開する。

「あっ、オオサンショウウオの事バカにしてるなー? 許せない。許さん。許すまじ。オオサンショウウオは良いんだよー。まずあの表皮のぬめり。あの艶は人間にはとても真似が出来るものじゃないし、見れば見るほどに目が離せなくなっちゃう。もうね、あの蠱惑的な魅力を内包したぬめりは、悪魔が人間界に放った最終兵器リーサルウェポンといっても過言ではないよー。うん。間違いない。あとね、あの緩慢な動き!! オオサンショウウオ本人は川にある岩に擬態しきっているって自信があるからあの速度で動いているんだろうけど、それが逆にかわいさを助長しているといってもいいよねー。だってね、あの小さな肢体で素早く動き回ったら、それはさすがに怖い!! って感じるかもだけど、あの緩慢さをもってすれば、愛おしさ百パーセントの対象になる事は請け合いだよねー。最後にこれが実際のところ、いーーーーっちばんのめちゃかわポイントなんだけど、なんといってもあの顔だよね!! 正面から見れば見るほど小さな深い闇に見えてくる、円らな瞳!! もうね!! あれは!! 全てを飲み込む!! ブラックホールといっても遜色ないよ!! ああ、オオサンショウウオ……なんて神々しい存在なの」

「いやいや、先輩。さすがにそこまで語られると、自分置いてけぼりですから」

 ヌユンは真顔でユイをたしなめる。

 それにより興を削がれたのか、ユイはつまらなそうな表情でいう。

「まあなんていうのかな。オオサンショウウオは良いよって事、分かった?」

「はい、分かりましたよ。ここで分からないっていっても無駄なんですよね?」

「そうだねー。もう一回オオサンショウウオについて滔々と語る事になるけど、」

「それはもう結構です」ヌユンは食い気味にユイの話を遮断すると続けていう。

「っていうか、なんの話してたんでしたっけ? 脱線しすぎて、もうなにがなんだか……」

 ユイも、そういえば……と一連の話を振り返っていく。


 この後の古典推理小説愛好者アナログ・ヘビー・ミステリアスの集いにヌユンといっしょに向かう話をしていたんだった。

 それを思い出すとユイは改まってヌユンにいう。

「そーそー。今までの雑談はまあいいとしてさ、一緒に来てくれるよねー? 古典推理小説愛好者の集い」

「ああ、そんな話でしたね。はあ……行きますよ。先輩の頼みですし、業務命令だと思うことにします」

 ヌユンはそういってはいるが、そこまで嫌な様子には見受けられない。それどころか、なんだかにやにやとしていて喜んでいるようにも見える。

 ユイはそんなヌユンの姿を見て、若干顔が引き攣ってしまっているが……

「そ、それじゃあ。そろそろ、行こっか……」

 顔が引き攣る云々というより、態度も合わさってユイが引いているのが丸分かりだと思うのだが、ヌユンはどうやらそれに気付いていないようだ。

 ユイは顔を逸らすように、腕時計を見る。

 時刻は一七時四〇分。

 丁度いい頃合いであった。

亜空間設定番号サブスペースナンバーは、一九七六一一二番ですよね。二人分まとめて受付してきますね」

 ヌユンはそういって、テーブルから勢いよく立ち上がると、ユイを置いて受付へすたすたと大きな歩幅で歩いていった。

「あっ、ヌユン。私も行くよ」

 その声はヌユンに届きはしなかったようで、ヌユンは歩を止める事はなかった。その後ろ姿を見ながら、ユイは小さな声でいった。

「にやにやした顔、ちょっと気持ち悪かったな……」

 その時、ヌユンがこちらをちらと振り返った。その表情はにやにやとしたものだったが、そのにやにやはなぜか先程とは違い、少しの不安感のようなものをユイの胸に抱かせた。

 ユイはそれをごまかそうと、ヌユンに手を振って無理に笑顔を作ってみせる。

 そしてヌユンがこちらに小さく手を振り返したとき、ヌユンの表情から抱く不安感のようなものは、もう消え去っていた。

 ユイは、さっきの心がぞわっとする感覚はなんだったんだろうと考えてみたが、良い答えは結局何も浮かばなかったようだ。

 ただひとつユイが感じたのは、あの表情がヌユンだとは思えなかったという事。しかしそれが何を意味するのかも分からないし、ユイ自身が感じる感覚だけの話であって、一般的な答えを出すとすればそれは【勘違い】なのだろう。

 ユイは一般的な答えを頭に練り込む事で、どうにかその考えを自らに受け入れさせた。


 外では黒の分量が多めの灰色をした雲が空を覆い尽くしていって、静かに雨を降らせようと準備を進めている。まだ雨は降っていないが、降り出すのも時間の問題だろう。

 雲は水彩絵の具のように混ざり合い、溶け合い、それぞれの境目が分からなくなっていく。

 それは雲だけでなく空にも波及していき、徐々に闇を作り出していく事を意味していた。

 間もなく夜の帳が降りる。


 外を見るともなく見ていたユイであったが、受付を済まして次元固着剤ディメンションキーパーを受け取ったヌユンに呼ばれて、二人揃って亜空間接続跳躍装置サブスペース・ワーパーに向かっていった。

 指定された亜空間接続跳躍装置が設置された部屋までの通路は薄暗い。

 途中にある扉の先からは空間を歪ませる時に発生する鈍い音が、扉越しにでもしっかりと聞こえてくる。それを背景音楽バックグラウンドミュージックにしながら、久し振りの亜空間間跳躍ワープで気分が悪くなったらどうしようかとユイは密かにドキドキしていた。

 そのドキドキを感じ取ったのかどうかは分からないが、隣にいるヌユンは大丈夫とでもいうようにユイに優しく微笑んだ。

 ヌユンの表情はこの一時間足らずの間にころころと変化していて、それは乱反射を繰り返す多面体のようであり、ヌユンの中にある姿のどれが本物であるかを攪乱させているようにも思える。

 意図的になにかを隠すように……

 しかし今現在ヌユンが見せているのは、先程のにやにやとは違って素敵とも思える微笑みであり、ユイはその微笑みに魅せられていた。

 悪くない。っていうか、むしろ良いかも。

 ユイはそう感じて少しドキドキしながら歩を進める。その間、二人に会話は無かった。

 しばらくして指定された部屋に着くと、扉はすでに開いていた。

 ユイとヌユンが部屋に入ると自動で扉は閉まりガチャリと錠が下りる。

「今時こんなローテクな機能を使ってるって、なんか変な感じだね」

 ユイは扉を指さしてみていった。再び微笑んでみせてヌユンはいう。

「ローテクだからこその利便性っていうのは、人間に結構な信頼感を与えるって点が大きいんですよね」

「へー。なんか、かっこいい事いってくれるねー、」

「もっと……褒めてくれてもいいんですよ?」

「もう褒めないよーだ」

 そういって前に向き直るユイに釣られるように、ヌユンも亜空間接続跳躍装置の方に体を向ける。

「それじゃあ行きますか、先輩」

 ヌユンは手を差し出した。その手を受け取るユイ。その手は少しひんやりとしていて心地が良い。

「それじゃあ行きますか、後輩くん」

 そうして二人は揃って、一歩踏み出した。

 激しい光に包まれる中、ユイはまだドキドキしたままでいた。久し振りの亜空間間跳躍で緊張している事も多少は影響しているが、原因はそれだけではない。

 ユイの手を握る少し冷たいヌユンの手。

 手と手のただの接触。

 そのはずなのに、ユイの手の平から腕、そして肩を通って胸の中、そこまで熱が伝導していき心臓のポンプにより、その熱は血と共に全身を巡り巡っていく。そんな錯覚を抱く。いや、錯覚ではなく実際にそれは起こっている。ユイはどうしてもヌユンの手を意識してしまう。

 ユイは自覚していない。あのヌユンの微笑みが、一時であれ気紛れな恋慕を運んできた事を。

 このドキドキがバレなければいいな。と思いながら、ユイはヌユンを見る。しかし亜空間間跳躍の激しい光の中では、何も見ることは出来なかった。

 ただその時のユイの表情は、恋をする乙女の顔に近しいものであった。

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