第10話 あれは悪魔の手先

 十六時過ぎ、予定よりも早くに愛奈の母親が帰宅し、美也子は自宅まで送ってもらうことになった。

 当初はバスで帰るつもりだったが、今回は、愛奈とその母の厚意に甘えることにした。

 手土産を持ってこなかったことが悔やまれる。


 同乗した愛奈が、道中ずっと手を握ってきていた。


 行きの集合場所だったコンビニで降ろしてもらい、愛奈によく似た母親へ丁寧に礼を言う。


「美也子ちゃん、これからも愛奈と仲良くしてやってね。いつでも遊びに来てちょうだい」


 優しそうな母親だ。愛奈が元の世界に去ってしまったときの心境を慮ると、悲しくなる。


「はい、今日は本当にありがとうございます」


 何度もお辞儀をして、最後に愛奈に手を振ろうとしたとき、不意に彼女が降車した。


「美~也子、また明日ね」


 明るく声を掛け、愛奈は美也子を強く抱き締めた。頬擦りも追加される。


「愛奈ったら。美也子ちゃんが困ってるじゃない」


 母親の揶揄に娘は照れたように笑う。


 元来、愛奈はこのようなコミュニケーション過多な性分なのだろう。まぁ、別に嫌ではない。

 美也子も愛奈を抱き締め返しておいた。


「じゃあね~」


 テンション高く、愛奈は車に乗り込んだ。


 去る車が見えなくなるまで手を振ったあと、エイミへと想いを馳せる。


 読書を勧めておいたのだが、寂しがっているに違いない。


 コンビニでチョコレートでも買って行ってやろうと店舗へ向き直ったとき、出入り口の前に呆然と立っている真由香を見つけた。


 彼女は買い物が終わったところらしく、手にレジ袋を下げていた。同じマンションなのだから、ここで出会うことも珍しくはない。


「あ、真由香ちゃん」


 美也子が声を掛けながら近寄ると、真由香からも接近してきた。鬼気迫る表情だった。


 美也子の腕をつかみ、人の出入りに邪魔にならない方へと引っ張っていく。


「どうしたの真由香ちゃ」

「今の誰っ!」


 真由香の叫びが美也子の声に被さった。


「今の子? 同じクラスの愛奈だよ」


 困惑しつつ美也子は答える。真由香と愛奈は直接の面識はなかったが、美也子は互いに互いのことは話していた。


「あれが、愛奈ってヤツなんだ」


 真由香の口から出た言葉に美也子は絶句する。

『あれ』、『ヤツ』。いつも穏やかな真由香から発せられたとは信じがたい単語だ。


「馴れ馴れしい……!」


 イライラした様子で真由香は吐き捨てた。地面を睨み据えている。


「真由香ちゃん?」

「ご、ごめん美也子ちゃん」


 ハッとしたように顔を上げた。真由香自身も、己の言動に動揺しているようで、顔が真っ赤に染まっていた。


「……ねぇ美也子ちゃん。私が中一の時にあげたウサギの置物、捨てちゃったでしょ」


 唐突な話題に疑問符が浮かぶが、美也子は素直に答えた。


「捨ててないよ。机のとこの棚に飾ってあるし、今朝だって確かあったと思う」


 やや大きめのウサギが消えていたら、却って目立つはずだ。


「いきなりどうして?」

「何でもないの。私、愛奈って子にちょっと嫉妬しただけ。美也子ちゃんとすごく仲良さそうだから。本当にごめん!」


 そう言うと真由香は走り去ってしまった。

 唖然とする美也子が残される。


 女同士の嫉妬の念は理解できる。ただ真由香らしくない。いや、何年も気が付かなかったが。これが彼女の素の姿なのだろうか。


 明日以降、会ったら普通に挨拶しよう。


 そう決意した美也子は、結局何も購入することなく帰路に着いた。


 



 玄関を開けると、エイミが待ち構えていた。恐らく足音を耳ざとく聞き付けたのだろう。


「お帰りなさいませご主人様」


 明るい調子で言われ、何年か前にテレビで観たメイド喫茶を連想してしまう。


「ただいま。……寂しかった?」


 冗談混じりで尋ねると、エイミの笑顔が崩れた。


「当たり前でございます……、明日からも毎日学校に行ってしまうのでしょう……?」

「ごめんごめん」


 慰めに耳の付け根を撫でてやる。

 だがエイミは不服顔だった。機嫌取りのための、おざなりな指使いでは寂寥は癒せないようだ。


「日中は家にいられない代わりに、毎日一緒にお風呂に入ろうね」


 とりあえず思い付いた提案で口説くと、エイミは頬を緩ませた。


「本当ですか? それだけで日々希望をもって過ごせます」

「大袈裟だなぁ」


 苦笑しつつも悪い気分ではなかった。エイミにまとわりつかれながら、自室に入る。


 念のため、入室してすぐに棚のウサギを確認した。


「やっぱりあるよね」


 陶器製の白いウサギは、もらってからずっとそこに置いてある。


 触れてみて、はたと気づく。数年置き放しにしている割りには、埃が付着していない。

 よく見ると棚の物は全体的に小綺麗になっていた。


「ご主人様の机の回りは、先端がふわふわした棒を使用して軽く掃除させて頂きました」


 背後からエイミが話し掛けてくる。静電気の力で埃を吸着する掃除道具のことだろう。


「そっか、ありがとう。あ、これ面白かった?」


 机上には、しおりの挟まったハードカバーの本が置いてある。


 エイミには留守中、読書をさせていた。現代世界を舞台とする、『魔法』が登場するファンタジー小説だ。


 話す言葉だけでなく、文字も理解させてしまうとは、神様の不思議パワーは偉大である。


「はい、まだ途中ですが。こちらの世界に魔法は存在しないのに、創作は盛んなのですね」


 エイミは軽く興奮したように言う。どうやら渡した本を楽しんでくれたようだ。


「うん、魔法の出てくる作品はたくさんあるよ」

「この物語も、大変おもしろく考えられています。ネヴィラの魔法とは異なりますが、もしかしたら他の世界には似たような魔法体系が存在しているかもしれませんね」

「そうだね」


 本の傍らにはノートとペンがある。エイミは読みながら、異世界人ゆえに理解できない固有名詞などを書き出していた。美也子はそれに軽く目を通す。


「えーっと、一個一個言葉で説明しようか? それとも私が全部書き加えてから返そうか? ……それだと交換日記っぽいかな」

「交換日記?」


 説明すると、エイミは目を輝かせた。


「なんだか素敵ですね。毎日会っていても、あえて文章でやり取りするなんて」

「じゃあそうしようか。……ってこれ、日本語じゃないよね!」


 愕然とした。エイミの文章がまるで日本語の如く、自然に読めてしまったからだ。

 それもそのはず、エイミだって日本語で書かれた本を読むことができているのだから。

 神の翻訳力は、まことに不思議で、すさまじく便利だ。


「ところで、今日会った友達のことなんだけど」


 美也子は愛奈との件を話すことにした。


「その子も、異世界からの転生者だって言ってたよ。私の魔力が高いからずっと気になってたんだって。お互いビックリしちゃった」

「なんと、どちらの世界からの?」

「えっと、あ、覚えてない。でもネヴィラじゃなかったよ。もともとは魔精だったんだって。帰りたいから魔力が欲しいって言われたんだけど……」


 するとエイミは眉をひそめた。彼女にしては珍しい仕草だ。


「僭越ながら、ご主人様はまだ十五歳ですから、魔精のかたと魔力のやり取りをされるのはまだ早いのではないかと……」

「え?」

「クリスデン様も魔精に初めて魔力を与えたのは成人なされてからだったそうです。余り若いうちから魔精とのお付き合いに慣れてしまうと、人間同士では不便が生じると聞いております」

「んん? よく分かんないけど、愛奈は今はれっきとした人間だし、魔力はあげてないよ。最初は欲しがってたけど、やっぱりいらないって」

「……そ、そうでございましたか」


エイミは顔を赤くして恐縮している。


「あの、ところで、あの棚にある耳長悪魔の置物ですが」

「耳長悪魔?」


 ぎょっとしながらエイミが指さすほうを見れば、真由香からもらったウサギの置物のことだった。


「あれは悪魔じゃなくて、ウサギっていう普通の動物だよ」

「動物なのですか? ネヴィラではあの姿のものは悪魔の眷属です」

「そ、そっか。世界が違うと、そういうこともあるのか。で、あの置物が何?」

「あれは、その魔精のかたからの頂き物ですか?」

「違うよ、あれは別の友達からもらったの」

「……そうでございましたか。では問題ございません」


 恭しく頭を下げるエイミを見て、異世界の文化に興味深さを抱く。世界が違えば、ウサギも悪魔の眷属で、エイミはあれを愛奈の手先か何かだと思ったのだろう。


 苦笑しながらエイミを見ると、まだわずかに不安そうな表情をしていた。

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