第二章 周囲、荒ぶる
第9話 魔精の囁き
日曜日の九時半。
美也子は近所のコンビニで愛奈と待ち合わせた。
駐車場に入ってきた白色の軽自動車の助手席に、手を振る愛奈の姿を見付ける。
運転席の青年が『まーくん』か。
ごく普通の、つい数ヵ月前まで高校生でしたといった風体の好青年だったため、ホッとする。友人の彼氏がチャラい男でなくてよかった。
「あの、はじめまして、千歳です。今日はよろしくお願いします」
乗り込む前に挨拶する。
「あ、どうも益田です。千歳さんのことは愛奈からよく聞いてます」
青年は目を細めて笑う。物腰も大変丁寧だ。
『まーくん』とは姓由来なのかと驚く。
「じゃあ行こ」
一旦降りて後部座席に移動してきた愛奈が仕切る。ショートパンツから伸びる長い脚は羨ましい。彼女は、クラスでも一二を争う器量よしだった。
「まーくん、安全運転でね」
「分かってるよ」
益田は年下の少女に指示されても朗らかだ。
道はさほど混まず、決めていた通りの時間に映画を観ることができた。
感想を語り合いながら昼食を取り、律儀に迎えに来た益田の車に乗って、愛奈の家に着いた。
分譲住宅の一角で、二台ある車庫が空なのを見て、予定通り両親は不在なのだと知れる。
「益田さん、ありがとうございました。今日一日、愛奈を独占してすみません」
益田は苦笑した。
「近所に住んでるから、いつでも会えるし大丈夫だよ」
「そうそう、昨日も会ったしさ~」
軽い調子で愛奈は言って、美也子に家の鍵を手渡してくる。
「先に入って玄関の中で待ってて」
やや面食らいつつ美也子は言われた通りにした。
整頓されて小綺麗な玄関を、つい見回す。家族の写真やぬいぐるみが飾られ、芳香剤の香りがした。
扉の向こうのカップルは別れのキスでもしているのだろうか。
手持ちぶさたの美也子の耳に、愛奈の声だけ聞こえてきた。
「だからさ、今日は美也子と二人で遊ぶって言ったじゃない!」
もめている様子に美也子は息を呑んだ。益田の言葉は強がりで、やはりお邪魔虫だったようだ。
「昨日もらったばかりじゃないの。今日はいいからもう帰って! まーくんのことは用済みなんて言わないから」
激しい愛奈の声に美也子は身をすくめる。用済み、とはカップルにとっては大層剣呑な単語が聞こえ、思わず聞き耳を立ててしまった。
だがそこで会話は終わったようだ。
車の走り去る音が聞こえ、憤然と愛奈が入室してくる。
「愛奈……?」
「ごめんっ美也子! あー見えてまーくん嫉妬深くってさぁ~。平日でも会えるっていうのに。……知ってる? 大学生ってあたしたちよりずっと暇なんだよ!あたしが時間作ってあげないといけないの」
「そ、そうなんだ」
いつも明るく闊達な友人が愚痴をこぼしている姿にぽかんとしてしまう。
「さ、上がって~。二階の奥があたしの部屋。手前はおねーちゃんのだけど、社会人になって独り暮らし始めちゃったんだ~」
無人の家に向かって、一応お邪魔します、と声を掛ける。
愛奈の部屋は、美也子のものよりもだいぶ広かった。本棚にはたくさんの漫画とぬいぐるみが並んでいる。
全体的に花柄のもので統一された、非常に女子らしい部屋だ。
「愛奈の部屋、可愛いね」
「ありがと~。美也子が来るから掃除したんだよ。ベッドの上に座っていいよ。ジュース持ってくるね」
愛奈はまくしたてると一旦退室して行った。
改めて愛奈の部屋を見て、自分の部屋の地味さを反省する。百円ショップのアイテムでも買ってきて、少しでも女の子らしく飾ろうかと思う。
しばらくすると愛奈はペットボトルのまま果汁ジュースを抱えて戻って来た。
水滴がテーブルに垂れないようティッシュをコースター代わりにする。その大雑把さは美也子にも理解できる。洗い物は少ない方がいい。
自分のすぐ隣に腰を下ろした愛奈に、美也子は気になっていたことを尋ねる。
「益田さんとはいつから付き合ってるの?」
「中三の時。近所だから昔っから遊んだりしてたけどね~」
「幼馴染なんだ。ドラマみたい」
茶化すと、愛奈は照れたように笑った。
「美也子は好きな人いないの~?」
その返しが来ることは、予想がついていた。
「好きな人なんていないよ。……男子と付き合うとかって、ピンと来ないんだよね」
「彼氏欲しくないの? まーくんの知り合い紹介しようか? 女子高生は需要あるよ~」
冗談であえて下衆な物言いをしているのだろうと察し、とりあえず苦笑しておく。
「彼氏出来ても、家の手伝いしなきゃだし、デートする暇ないと思うな」
「同じクラスの男子なら、時間も合うしいいんじゃない?」
「えー? 別れたとき気まずいじゃない」
「美也子は現実的だなぁ~。でも分かるぅ~」
小突かれて、二人で声を上げて笑う。
愛奈もしつこくこの話題を続けたりしない。こういう気が利くところは、さすが年上の彼氏がいるだけあるな、なんて思う。
――ふと、美也子の思考に陰りが差す。
そういえば、もうすぐ十六になるというのに未だに男性を好きになったことがないのは、自分がかつて男だったからではないのか。ずっと共学に通っているのだから男子は身近にいた。アイドルにも漫画のキャラクターにも、ときめいたことはない。
――ううん、気のせい。自分が子どもなだけ。
美也子は思考を振り払った。
「ところでさ、美也子」
愛奈が肩を寄せてくる。声音に真剣味が混ざった。
「なぁに?」
「ずっと聞きたかったんだけどぉ……」
愛奈の指が美也子の手に絡んできた。
少しの沈黙に美也子は身構える。大切な話があるようだ。
意を決して愛奈が口を開く。耳に囁きかけてきた。
「美也子って、なんでそんなに魔力が高いの?」
「え?」
耳を疑うような単語が飛び出した。愛奈の目を見ると、真っ直ぐ美也子を見つめてきていた。
何言ってるの、意味分かんないと誤魔化すタイミングを逃した。
今の美也子には、愛奈の言葉の意味が理解できてしまう。理解できたことが、表情に出た。
「入学式の時に見てビックリした。この世界の人間はほとんど魔力を持ってないのに。美也子だけ、本当にヤバいよ」
愛奈は淡々と言いつつ、さらに身体を密着させてきた。ゆるく巻かれた彼女のボブヘアが美也子の頬をくすぐる。
「美也子って、こっちの人間じゃないの?」
面白そうに微笑する。
「そんなに魔力が高いってことは、長生きしてるってことかな。美也子ってホントはもっと年上のおねーさんだったり?」
何と返答をしたらよいのか分からない。
それよりも、ある悲しい事実に思い至り、それを愛奈にぶつけた。
「愛奈は、私の魔力が高いから友達になってくれたの?」
その時の美也子はさぞ悲痛な表情をしていたことだろう。
愛奈がしまったという顔をしたからだ。
「ごめん、聞き方が悪かった。そんなことないよ、美也子。偶然隣の席になって、正直、これで観察出来るなって思ってた。でも美也子から宜しくねって笑いかけてくれて、話してて楽しくて。もっと仲良くなりたいから、思い切って聞いてみたの」
愛奈は横から美也子を抱き締めた。そして語り出す。
「あたし、前世は異世界の魔精だったんだ。って言ったら信じる?」
「ませい?」
「えっと、こっちの世界で言う妖精と悪魔の間みたいな。人間じゃなかったの」
人間ではなかった。そう言われて、美也子は思わず愛奈をしげしげ見つめてしまう。
「異世界で死んじゃって、この世界に人間の愛奈として転生したの。思い出したのは、中三のとき。……えっと、信じてる?」
「愛奈!」
美也子は感極まって大声を出してしまった。自分と同じ境遇の者がこんなに身近にいたとは。
「信じるよ! 私も前世はなんか凄い魔導師だったんだって」
「へぇ~」
今度は愛奈が目を丸くして美也子を見た。
「でもね、私は全然覚えてないの。ついこの前、転生前の世界から知り合いって人が来て、教えてくれたんだ。その子も人間じゃなくって、ビックリしたけどすんなり自分の中で受け入れられて。ああ本当なんだなって思ったの」
「渡界してきたんだ……。美也子を迎えに来たの?」
「そう! でも断った。だって 、前世のことなんて思い出せないし、なにより私はこの世界で生きていきたいから」
「美也子……」
愛奈は複雑そうな顔をした。
「あたしは、帰りたい。元いた世界、シングラへ」
「愛奈……」
「だから今、魔力を貯めてるの。もし嫌じゃなければ、美也子からも少し分けてもらおうと思ってた。まーくんはこっちの人間にしては魔力がある方だから、ちょっとずつもらってるの。だからまーくんも事情は知ってる。帰るってことは言ってないけど……」
「ホントに、帰っちゃうつもりなの? 家族は?」
「こっちにも大切な人たくさんいるよ。パパやママ、おねーちゃん、もちろん美也子も、まーくんのことだって利用してるだけじゃなくて、すごく好き。でもあたしシングラで百年以上生きてたから、あっちの方が知り合い多いし、思い出だってたくさんある。だから、何年かかっても魔力が貯まったら帰るの。大人になるにつれてあたし自身の魔力も高まって来てるし、多分あと数年で帰れる」
愛奈は遠い目をした。
「美也子も、前世を思い出したら帰りたくなるんじゃない?」
「……そうかもね」
悄然と美也子は答える。
愛奈の気持ちは理解できる。十五年の人生と百年の人生では比べ物にならないだろう。ならば、美也子も同じように思うかもしれない。
「ありがとう愛奈、話せて良かった。ところで、私の魔力欲しいならあげるよ? どうやるの? 採血よりは痛くはないかな?」
すると愛奈は、喜悦の表情を見せた。とても十五歳の少女とは思えない、とろけたような大人の顔だった。
だがそれは一瞬だけで、すぐに見慣れた愛奈の顔に戻った。
「ううん、もういいの。もしそれをしちゃったら、きっと美也子とは友達じゃいられなくなるから」
「どういうこと?」
「いいの~」
弾けたように笑い、愛奈は美也子の膝の上にのって、今度は正面から抱きついてくる。
少し驚いたが、これは女友達同士、友情が深まった喜びのコミュニケーションだと思い許容した。
すると愛奈は、慣れた様子で頬に口付けてくる。それには硬直してしまう。
「ちょっとだけもらったよ~」
「あ、そうなの?」
美也子は、口付けが魔力補充の方法なのだと合点した。ならば恋人の益田相手なら日常的に行っても自然だし、美也子と行うには友情の域を越えすぎる。
「私の魔力がいらないなら、その分、長くこっちの世界にいられるんだよね? だったら、ちょっと嬉しいな」
何気なく思ったことを呟くと、愛奈はまじまじ美也子を見つめ、破顔する。そして美也子の耳に熱い吐息を吹き掛けた。
「そんな可愛いこと言っちゃって、ますます好きになっちゃうじゃない。美也子が大人になるまでこっちにいようかな」
どこか艶めいた物言いだ。
「大人になるまでって、ハタチってこと?」
「うーん、そんなところかな」
なぜ愛奈が苦笑を漏らしたのか、美也子には分からなかった。
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