第8話 外出

 土曜日の朝食後、美也子は思うところあってエイミに聞いてみる。


「ねぇ、魔法でその耳隠せないの? もしくは日本人っぽい姿に変身するとか」

「……出来なくもないのですが」


 エイミの声は沈み気味だ。


「獣人が耳や尾を隠して、他の種族に成りすますことは、ネヴィラでは強く禁止されているのです」

「何で?」

「それは……」


 悲痛な面持ちでエイミが言葉に詰まったため、美也子は強く提案してみた。


「ここはネヴィラじゃないよ! だから異世界の決まりなんて関係ないでしょ。むしろここには獣人なんていないんだから、この世界に倣うなら変身しなきゃ」


 ダメで元々の説得だったが、エイミは納得したようだ。


「確かに、渡界法に従うなら、その世界の住人になりきるべき……でしょうか」

「そうそう!」


 渡界法とかいうものはよく分からないが、美也子は調子よく同意した。


「あ、別にエイミの耳がイヤな訳じゃないんだよ? でも、普通の人間っぽくなれるなら、一緒に外出できるじゃない」

「ご主人様!」


 エイミが喜びを露に抱きついてくる。


「外出するのイヤじゃないよね? エイミにこの世界を案内してあげたいし、美味しいもの食べさせてあげたいなーって」


 昨日ピザを与えたのは本当に失敗だった。今朝のトーストとヨーグルトは問題なく食べることができていたので、シンプルなものから慣らせばよかろう。


「なんてお優しい! ご主人様と手を繋いで街を歩けるのですね」

「うん? ……そうだね」


 手を繋ぐとは言っていないが、若い女同士ならかろうじて問題ないか。


 エイミの姿が光に包まれ、再度姿を見せたときには黒髪の少女が座っていた。

 美也子より少し年上の風体で、日本人風の、どこかで見たことのあるような顔立ちだ。


「幻術です。全身を変えるのは魔力を使いすぎるので、顔だけです。『テレビ』に映っていた女性を模してみました」

「うーん、ちょっとオリジナルに忠実過ぎるかな。却って目立っちゃうよ」


 エイミの顔は有名女優のものだった。


 それから数回顔を変えさせると、原型が分からない程度になった。


「これで一緒に出掛けられるね! なんか本当にお姉ちゃんが出来たみたい!」


 美也子がはしゃぐと、エイミも変身した顔で微笑んだ。外見年齢は二十歳前後になっていた。


「ご主人様にこんなに喜んで頂けるなんて光栄でございます。いつでもこの姿になりたいところですが、魔力の消費が激しいので難しいです……。お許しください」

「謝らなくっていいの! もちろん元の姿のエイミが一番だよ」

「まぁ、ご主人様ったら」


 感動した様子のエイミの手を引いて、リビングでテレビを見ている母の元へ向かった。


「ねぇ見てお母さん! エイミが変身したの。一緒に出掛けてくるね」

「わ、すごい。美人ね。娘がもう一人できたみたいだわ」


 美也子が思っていた程、母は驚かない。十年以上前にクリスデンと接触していたせいだろう。


「で、お年玉貯金崩したいんだけど」

「え? 何に使うの?」

「エイミに下着とか買ってあげたくて」


 衣服は共有できそうだし、ショーツは美也子が持っていた新品を履かせた。だが尻尾が窮屈そうなので、ワンサイズ上げたものを買ったほうがよさそうだ。

 元々ブラジャーもつけていなかった。胸が小さめなので外見は気にならないが、夏服になれば問題だろう。


「あ、やっぱりそんなことだろうと思ったわ」


 すると母は自室に引っ込み、通帳ではなく自分の財布を持ってきた。そして一万円を美也子ではなくエイミに渡した。


「これ、家のことをやってくれるお給料だと思って。本当はもっと渡したいけど今は持ち合わせがなくってね。あとで、ハウスキーパーのお給料の相場を調べておくわね。そこから食費や光熱費を引いて、ちゃんと相応のお金を払うから」

「そんな、頂けません」

「どうして?」

「だ、だってわたくしは獣人で」

「獣人だから何だっていうの?」

「エイミ、この家の主人はお母さんなんだから、従わなきゃダメだよ」


 美也子は助け舟を出す。

 母も頷いている。


「この子の前世の男は、お給料くれなかったのかしら?」


 半眼で母は美也子とエイミを眺めた。もしエイミが肯定したら、美也子を叱り出しそうだった。


「そ、そのようなことはございません。クリスデン様はきちんとお給金を下さいました。ですがわたくし、使い道が思いつかないのです。貯めてしまうばかりで」

「貯めたらいいじゃないの。その貯めたお金は、持ってきてないの?」


 母が尋ねる。持ってきたって、使えないだろうという突っ込みを美也子は控えた。昨日叱られたダメージは癒えていない。


「あの、ええと、貯めていたお金は、クリスデン様が亡くなったときに魔導師協会の方々に没収されてしまって……」

「ええ、何それ……」


 母の呆れ声は、美也子も同感であった。


「エイミちゃんのお給料は使ってない口座に振り込もうかしら。ちゃんと明細も出すから。あなたが異世界でどんな扱いを受けてきたかは知らないけど、もう同じようにはさせないわよ」


 そう笑う母は非常に頼もしかった。

 エイミはすかさず平伏しようとしたので美也子は慌てて引き留めた。これは昨日も同じことをしたなと思う。




 十時ごろ、マンションを出て、徒歩圏内にある小さなデパートへ行った。


 広い店内に大勢の買い物客、ずらりと並んだ衣料品を見たエイミは戸惑いを見せたが、初めて一人で東京へ行った時の美也子程のものではなかった。


 手を繋いで導いてやっていたから安心していたのか、それともネヴィラも似たような世界なのか。


 いくつか下着と服、靴を見繕ってやる。

 ブラジャーを買うつもりだったが、背中の毛が邪魔だ。結局、タンクトップタイプのものを買った。



 買い物のあと、近くにある喫茶店へ入った。

 ミルクコーヒーと、温かいパンにソフトクリームがかかったものを注文する。

 パンがやや油分多めなため、ピザの二の舞にならないか賭けではあったが、一口食べてエイミは目を輝かせた。

 甘いものとコーヒーの組み合わせを褒めちぎる。


 だがエイミはあまり甘いものを食べたことがないらしく、すぐに歓喜を通り越して恐縮してしまった。


「別に、この世界では甘いものは贅沢品じゃないんだよ」

「こちらの世界は、とても裕福なのですね。大きな市場に、あんなにたくさんの品物があって、食事が多様で」

「うーん、ネヴィラのことは知らないけど、そうなのかもね。まぁ、せっかくこっちに来たんだから、エイミにはたくさん美味しいもの食べさせてあげるね」


何気なく呟いた言葉だったが、エイミを感動させるには十分だったようだ。


「ご主人様のお心遣いに感謝いたします」


 固いなぁ、と思う。

 もっと対等に仲良くしたい。でもエイミの望みではないのだろうな、と思うと悲しくなる。エイミのこの揺るがぬ忠誠の理由はどこからきているのだろうか。いつか聞いてみたい。


「そういえばさ、この世界には、他にも異世界人は来てるのかな?」


ふと思ったことを聞いてみる。


「おそらく、多少は。ですが、異世界に渡るには相応の魔力が必用です。実力のある魔導師には難しいことではありませんが、容易にできかねる理由が……渡界には一つ重大な危険があるのです」

「うん?」


 剣呑な言葉に美也子は姿勢を正す。


「その世界に適応できるかどうかの素質――それを『順応性』と言います。順応性の低い者は、異世界のあまりに異なる環境、文明に触れると、肉体と精神を病んでしまうのです。例えば、この世界だとだいぶ空気が汚れています。耐えられる者は多くないでしょう」

「エイミは大丈夫なの?」

「私たち半獣は生来順応性がとても高いのです。もちろん、前世にネヴィラ人だったご主人様がネヴィラに戻る際も、なんの問題もありません」

「そっか、良かった」


 一瞬安堵したが、そもそも帰るつもりはないのだから関係ない。


 エイミは話を続ける。


「順応性が高いとは言え、こうして街を歩くのは興味深い反面、おぞましいと感じるものさえあります」

「例えば?」

「この辺りには少ないですが、巨大な……天に届くような建物が並んでいるのはやや気味が悪いですね」


 では、東京には連れていかない方が良いだろうか。少し残念だ。


「あと、あれです」

「あれ?」


 エイミは窓の外から見える向かいのコインパーキングを指さした。赤いスポーツカーが止まっている。


「ネヴィラではああいった形の処刑道具があります」


 意外過ぎる話に美也子は息を呑む。


「正直、あのような形のものが当然のように公共の場にあることは、ネヴィラでは考えられません。潔癖な方ならば発狂してしまうでしょう」

「……どんなふうに使うの?」

「……中に人を入れて」

「いや、やっぱりいいや」


 美也子は慌てて断った。街のいたるところに断頭台や絞首台があるようなものだろうか。それはとてつもなく気分が悪い。


 思考を切り替えるため、溶けかけのソフトクリームをスプーンですくい一口食べる。そしてもう一度すくったとき、湧き上がってきた衝動をエイミにぶつけた。


「あーんして」

「ご主人様?」


 目を見開いたエイミはひどく動揺して目線をさ迷わせる。


「そ、それはいったいどのような遊戯でしょうか」

「遊戯ってなに。これくらい、友達やお母さんとだってするよ」


 美也子は我知らず頬を緩めていた。このとき、動揺するエイミがとても可愛らしかった。今度また、変装していないときにやろうと思う。


 ふと、よぼよぼのクリスデン爺さんが介護されているイメージが脳裏に浮かぶ。


「クリスデンにはしてたんじゃないの? 今度はそのお返しだよ」

「そ、それは、晩年の話で……」


 エイミはおずおずと身を乗り出し、口を開けた。

 スプーンを舐めとり、うつむく。


 赤面しているかどうかは、幻術の上からは分からない。

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