盗まれた偽物の宝石

 夜半過ぎのサウスヴァーン城。

 物々しい格好の衛兵達が大広間には集い、図らずも賑わいを見せている。

 かの怪盗メネトアの予告を受けて城内は今まさに警戒態勢にあった。


「これで全部か?」

「はっ」

「ふん……。『金緑を頂いていく』などとはメネトアめ、小癪な真似を!」

「しかし王よ。これだけの監視の下です、あの怪盗と言えども下手な動きは見せられないものかと」

「うむ。だが奴のことでもあるからな。くれぐれも抜かりのないように」


 時を同じくして怪盗は影より現れ忍び寄る。彼はすでに宝石の在り処の目星をつけていた。

 ――予想した通りの厳重な警備にその隙を窺っている。

 彼はこの盗みを最後とし怪盗稼業から足を洗う腹積もりだった。そしてたった一人で野垂れ死んでいこうとも決意をしていたのだ。


 警備が手薄に見えた小さな部屋へと目をつける。屋根を伝い軽やかな跳躍を見せたメネトア。窓の鍵をいとも簡単にこじ開けると、続き音を立てぬように室内へと侵入を果たす。

 しかし、そこで彼が目にしたものは衝撃と呼ぶに相応しい光景だった。


 ――一人の女が小さなナイフを手にして、自らの心臓へとつき立てようとしている。

 そして程なくして振りかざされる両手。

 体が強張り始めるのを彼は感じた。体が固まり心臓だけが早鐘を打つ。

 駆け抜ける馬車の姿が想起された――

 だがと違っていたのは彼の体が考える前に動き出していた事だ。女目掛けてナイフを奪い取るように向かっていく。それに気づいた女は目を大きく見開いて立ち尽くしていた。


「待て! 何をしている!」

「あ、貴方は誰……? どうしてここに……!?」

「いいからそれを離せ!」

「嫌です! 後生ですから死なせてください!」


 ナイフを巡り二人は揉み合いとなる。だが力では怪盗に敵う筈もなく女からは手が離れ、メネトアはそれを取り上げるとそのまま窓の外へと投げ捨てた。


「な、何をするのですか……?」

「あんたこそ自分が何をしようとしているのか、わかっているのか!」


 俯き視線を下げた彼女のその首には、彼の目当てだったアレキサンドライトの紅い輝きが見える。女の正体はあの金緑姫だったのだ。


「あんた、姫じゃないのか。どうしてこんな馬鹿な真似を……」

「貴方のことは存じていますわ。怪盗さんなのでしょう?」

「ああ、あんたが首にしているそれを奪いに来た」


 金緑はその場で座り込み、小さく震えるような声で自らを嘲るようにそれに答える。


「私は身代わりの姫。偽物なのです。そしてこの首飾りも紛い物……。わたしには何の価値もありません」

「な、身代わりだと……!? 嘘を吐くな!」

「嘘などではありません。……ここに誰もいないのがその証拠です」


 この粗末な小さな部屋に彼女が一人でいた事と、警備が一切付いていなかった事にようやくメネトアは合点がいく。

 そして金緑は髪を振り乱しメネトアにすがり懇願をした。


「ですからお願いです、わたしをこのまま殺してください。もう嫌なのです、自分が何者かわからないのが……苦しい」


 彼女は絶望の淵にいる。そしてそれを終わらせてしまいたいのだと、彼にはすぐにわかった。そうすることが彼女に残された最後の望みだと言うのなら、喜んでそうさせていただろう――以前の彼ならば。


「ダメだ。軽々しく死にたいなんて言うな! 頼むからやめてくれ……。お願いだ、お願いだよ……」


 メネトアは膝を折り、金緑の両肩に力なく手を重ねる。すべての後悔の念が震える言葉に、流れ落ち止まらないその涙に篭っていた。

 彼のただならぬ様子に我に返った金緑は、か細い手でメネトアから零れ落ちるそれを優しく拭うと問いかけるように眼差しを向ける。


「怪盗さん、どうしてそこまでわたしにしてくださるのです……?」

「救い出したいんだ。そして外の世界を見せてやりたい。何もここだけがお前の居場所ではないはずだ!」

「貴方はわたしを利用しないと……?」

「断じてするものか。今だけでいい、だから俺を信じてくれ!」


 金緑はその言葉を聞くとメネトアに抱きつき静かに涙を流した。


「今からお前は翠玉と名乗るんだ。金緑なんて名はこの夜とともに捨ててしまえ」



**


 城を抜け出した二人は郊外の森に身を潜める。やはり追っ手の影は一つも見えない。

 冷えた空気が鬱蒼うっそうとした木々を揺らす。隣には不安そうな表情。だが闇に覆われていた空はすでに白み始めている。

 ――ついにも夜が明けようとしているのだ。

 これが今生の別れとなっても構わないと彼は思っていた。彼女が生きてくれてさえいれば。


「お前は晴れて自由の身だ。さあ、どこへなりとも行くがいい」

「貴方が……外の世界を見せてくださるのではないのですか?」


 その眼差しはメネトアを捉えて離すことはない。


「わたしはお城にずっといました。これからどうしていいものかわからないのです。それとも貴方は困っている人を無責任に助け、捨て置くような外道なのでしょうか?」


 目の前の彼女は納得がいっていないようだ。

 その様子に彼はしばし呆気に取られたものの、ついには笑みが零れる。


「ははは、大人しそうな顔をしてなかなか言うじゃないかお前も」

「それから先ほどから気になっていたのですけれど、わたしはお前などではありません。きちんと名前で呼んでくださいませんか?」


 ここで初めての笑顔を彼に向ける。

 ――ああ、この輝きは見まごうことなく本物だ。

 彼女は新たな人生を歩みだしたのだとメネトアは思った。そして待ち受けるその先が、願わくば沢山の人に見守られ、安らかなものであって欲しいとも。


「……そうだな。それじゃ行くか翠玉!」



***


偽物が盗まれただと?」

「はい、件の怪盗メネトアが現れました」

「ククク、馬鹿な奴よ。贋作を見抜けぬとはさしもの怪盗も潮時と見える。……それから良いな、あのようなモノに関しては一切知らぬ存ぜぬを通せ」


 誰の姿も見えなくなり静けさが訪れた大広間。

 投げ捨てられた一枚の書置きが、ひらりと宙を舞い床へと落ちる。


『本物のアレキサンドライト、確かに頂いていくぜ』



 ――Fin.

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盗まれた偽物の宝石 夕凪 春 @luckyyu

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