幕間三 愛らしき肉食獣と遊園地の大海賊

 探索庁本部の職員専用食堂には、午前十時半の今人影がほとんどなく、たった一人、退屈そうに壁に寄り掛かって大きくあくびをかいた。

 照明の明かりで鉛色の髪が鋭い雰囲気を漂わせ、前髪の先のあたりに、血のように赤い目が退屈に細める。いつもの獰猛さもユーモアさもなく、ただただ淡々と冷たい眼光で食堂を眺めている。

 着任式で着用していた白の制服はとっくに脱いで、適当にそこら辺の机に置いている。いつもの身軽な服装が、右手の手首を回るように入れられた「PIRATE SHIP」の刺青と、左胸から肩までの皮膚を覆った遊園地のフライングパイレーツ模様の一部を覗かせる。

 墓守から来た新しい調波官の一人、宇多川嵐司だ。

「メンターっつってもなぁ。待たせるとは、ずいぶんと偉いこった」

「だって、実際偉いもん」

 と、そこで、嵐司の言葉に幼い女の子の声が返されてきた。

「ん?」

 声の方向を流し目で見やると、そこには一人の少女がぴょこぴょこと軽快な足取りで歩いてきた。

 セミロングの銀髪は潔白な雪を想起させ、水色の瞳は凍りかけた水のようだ。しかし、氷結の海のイメージとは裏腹に、そこにはちゃんとした生命力が秘められている。

 それは必ずしも強靭なものではなく、むしろその逆、か弱くて、それでいてちょっといたずらっぽくて、危なっかしいものだった。

 見た目はせいぜい十六、十七。旧時代では高校生って歳の子だ。

「へぇ、あんたが俺のメンターなのか」

 そう言って、嵐司は無遠慮な視線を少女の全身に這わせる。

 華奢でありながも、ちゃんと美しい曲線を保つその体は、白い半袖ブラウスと、黒のミニスカートで包んでいる。

 ブラウスを控えめに押し上げた胸の間を、灰色と黒の縞模様のネクタイが経過していて、その上に、白と灰色のアザラシのピンが挟まれている。

 加えて、あのアザラシのベレー帽。雰囲気も服装も、少女の小動物めいた雰囲気を際立たせる。

 でも、だからこそ、嵐司が少なからずこの少女に興味を引かれた。

 壁から体を離し、不遜な視線で少女を見下ろす。

「俺は宇多川嵐司。圏外からきた新任調波官だ」

「へぇ、ちゃんと自己紹介してくれるんですね。どうもありがとう」

 あどけない声でそう答えて、少女はにこりと笑うと嵐司の前で足を止める。少しだけつま先立ちになり、見上げるように可憐な口を開く。

「わたし、神宮寺小瑚じんぐうじここって言います。一応、十三の一人ですよ。よろしくお願いしますね。嵐司くん」

「十三、ね」

 少女の口から言われた言葉に、嵐司はますます笑みを深めて、血色の目で興味深げに小瑚を見下ろす。

 その鋭い視線を、小瑚はくるりと大きな目で受け止めて、両手を背ににこっと答えた。

「はい、あの佑弦や、防衛庁のうるさい長官と同じ、管理省の最高戦力の十三です」

「光栄だな。そんな大層なもんが俺のメンターだなんて。俺ぁ小さい頃から中央都市から離れたからよく知んねぇけど、十三人しかいねぇだろう? 日本では最強の十三人ってことになってるらしいじゃねぇか」

「そっか、嵐司くんがここを離れたときは確かに、十三の制度が確立されたばかりでしたっけ」

 指先を唇に当て少しだけ考えるポーズを取ると、小瑚は何かいいことでも思い浮かべたのか、桜色の唇に当てていた指先を、すっと嵐司の鼻先に向け、にしっと口の端を持ち上げた。

「じゃあ、わたしが教えてあげちゃいますよ」

「何を?」

「十三のことを、です。十三はね、嵐司くんの言う通り、管理省の最高戦力の十三人のことなんですけど、実際は十二人しかいないんですよ」

 何やら偉そうに言いながらくるりと回転してから、体を前に倒し上目遣いで嵐司を見上げる。

「だって、第一席は無二の天才を記念するために、永久空席にしたもん。すごいなぁ、無二の天才。過去も、未来も超えられるものがいないって断言されるほどですし。ま、つまり、わたしはそんなすごい人の一人ってことですよ。末席ですけど」

「そうかよ。そいつはすごいな」

「でしょでしょ!」

「けどな、十三かなんか知らんが、お前みたいなチビが俺のメンターなんて、ちっと舐めすぎじゃねぇか」

 肉食獣のような獰猛さを宿した両目をすっと細め、少女を射貫くように睨む。が、それを全く意に介さず、少女が軽く身を翻すと体の側面を嵐司に向ける。

「うーん、どうかな。ほら、肩書なんてどうでもいいですけど、わたし、こう見えてもちゃんとすごい調波官ですよ」

 そのミニスカートにつけたベルトに、錨倉が三本装備されている。

 錨倉のすぐ隣に水鉄砲みたいなものもつけられている。形や覗ける内部構造の一部は、それは単なる水鉄砲じゃなく、一種の調波器であることを示唆している。

 とはいえ、嵐司は人の言うことを聞くようなタイプじゃないし、言われるがままする人間でもない。

「ま、いいや。とりあえず今日は顔を出してやったからな。俺は透矢のとこに遊ばせてもらうぜ」

「あ、ちょっと待ってくださいよ。探索庁は遊び場じゃないですよ。そんな勝手しちゃ、困っちゃいます」

 と、ここを去ろうと踵を返した嵐司の裾を小瑚が慌てて言いながら摘まむ。

 すると、まるでそうしてくると分かったかのように、不意に嵐司が体の向きを戻し、そのまま小瑚を壁に押し付けるる。血のような目が腕を壁に当てて自分の影が差した小瑚を見下ろす。

「じゃあ困ってろ。それとも、メンターの役割を果たすために、なんかいい策でもあるか」

 壁と嵐司の体の間に挟まれたまま不遜な目で見下ろされ、それでも、小瑚の端正な顔からは明るい笑顔が消えなかった。

 いや、それどころか、今まで健気で可愛らしいイメージで覆い隠した何かが、そのどす黒い一部を覗かせる感じすら漂ってくる。

「どうかな。嵐司くんはどうしてほしい?」

「このまま放っといてほしいな。俺が呼ぶときだけきてくりゃ最高ってとこか。じゃねぇと、お前みたいな子供は、うっかり食っちまっても知らねぇぞ」

 圏外という地獄を、シンプルな攻性理論で生き抜けてきたその実力と、半血夜叉種という、人間とは似ても似つかない存在だけが持つ特別な威圧感。それと、生来の不遜さと、荒野を一人で駆け抜ける狼のような獰猛さ。

 そのすべてを、か弱く華奢な体で受け止め、小瑚は背にした手をだらりと下げ――それから、右手を軽く上げ、ふわっと嵐司の唇に当てる。

 少し冷たい指先の感触が唇に広がったのと同時に、小瑚が水色の目を見下ろしてきた血色の目に合わせ、笑うように目を細めた。

「嵐司くんはタイプですし、食われてあげちゃってもいいんですけどぉ」

 水色の目には、子供のあどけなさや少女の明るさこそそのままであるものの、あの視線は、紛れもなく嵐司と同種のもの。――牙はちゃんと持っている、肉食獣のそれだ。

 誰よりも純粋で、快楽主義で、子供っぽくて無邪気な、愛らしき肉食獣だ。

「わたし、嵐司くんが思うような子供のおやつじゃなくて、大人のウォッカかもですよ」

「へぇ、お前、そういうタイプか」

「へへ、いい子のふりをしなくていいですよ。わたし、こう見えても結構真面目なんです。実はここに来る前に、嵐司くんのデータ、もう全部読んじゃいました」

 心をくすぐるように、幼い声で言葉を並べながら、指を嵐司の唇から肩へ、肩から左胸へと移していく。

 その、フライングパイレーツ模様の刺青をなぞるかのように。

わたしせんせーの前ではね、悪い子でいてほしいな」

「お前、意味分かっててそう言ってんのか」

「そうですよ。だって、知りたくなくても分かっちゃいますよ。フライングパイレーツと『PIRATE SHIP』なんてローマ字の刺青。遊園地のアトラクションを入れちゃうなんて、世界には一つの組織しかないもん」

 にこりと嵐司の胸元を軽く突くと、その人差し指を自分の唇に戻し、いたずらっぽく片目を瞑ると、「しっ」のポーズを取ってみせた。

「最悪の圏外組織、遊園地パークの元メンバー。フライングパイレーツの宇多川嵐司くん」

 あまりにも挑発的な態度と物言いに、嵐司は今度こそ、心の底から興味が湧いて目の下にいる小さな小瑚を見下ろす。

「それを知って挑発してくれたってか。いい度胸じゃねぇか」

「そうじゃなきゃ、嵐司くんのせんせーは務まらないでしょう」

「はっ、ごもっともだ」

「じゃ、今回はおあいこってことで。それでは、ここで一つ、大事なことを伝えます」

 嵐司に壁に押し付けられた状態のまま、小瑚は今日で見せた笑顔の中でも、ひときわ明るくてかわいいものを顔に浮かばせ、甘える小動物みたいに口を動かした。

「嵐司くん、ちょっと明日から、旅行デートに行きましょ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る