幕間ニ シロクマの悪魔
研究庁C3支部、ミーティングコナー。
受付に来意を告げ、調波官手帳も見せてから、加苗は案内されたまま、ミーティングコナーの一室でメンターを待つことにした。
机には当然のようにお茶が用意されていて、ほのかに温かい香りが漂っている。
お茶には手を付けず、加苗はこの一人しかいない時間を利用し、今までのことを脳裏で巡らせる。
墓守時代より前に、加苗はすでに透矢のことを知ってて、一緒に行動していた。嵐司のほうはもっと前から透矢と行動をともにしたようだが、それでも数年が過ぎた今、三人は古い付き合いであることに変わりはない。
そんな透矢は、墓守の街を守るために、自ら管理省の勧誘に応じることにした。それも確かに成果を上げ、残った皆をちゃんと守っている。
だから、墓守や|鱗鬼(クラーケン)のことは、ここで一件落着と言ってもいい。……ただし、透矢の心の|蟠(わだかま)りのことを除けばの話だが。
正直、透矢が管理省に入ったほうが、透矢のためになると思っているが、やはり当面の課題は透矢の気持ちだろう。自分と嵐司は透矢の味方だから、墓守の見方だ。皆を大事に思っていないわけじゃないが、やはり透矢という一個人が一番の優先順位にある。
とはいえ、透矢は違う。墓守は……透矢の家族みたいなものだ。
それをどうやって……
「あ、あなたが左雨加苗さんだね」
と、そこで、不意にそんな柔らかい声が耳に入った。
「は、はいっ! そうです!」
「もう、そう緊張しなくていいよ。取って食ったりしないから~」
「はい」
姿勢を正し、オレンジ色の目で目の前の人を窺う。
上品でどことなく柔らかい雰囲気が漂う女性だ。
純白の長髪は柔らかそうで、雪の絹のように見える。瞳も、天然の水晶のように水色の光を湛えている。
服装は……白のブラウスにレモン色のロングカーディガン、それと、同じ淡いレモン色のスカート。スカートの下に視線を伸ばすと、ももやミュールに包まれた足が視界に入る。
昔、廃棄の図書館から見つけた童話で語られた、北国のお姫様みたいな人だ。
ただし、白いネクタイに挟んだ、白とレモン色のシロクマのピン留めと、シロクマのベレー帽はちょっと意味が分からなかった。
「ん? これのこと? これはね、こだわりなのよ。女の子にはちょっとこだわりがあるほうが素敵でしょう」
「そ、そうですか」
「それより、自己紹介はまだだね。私、|神宮寺小牧(じんぐうじこまき)というんだ。この研究庁で仕事してて、指揮官を担当してるよ。ちなみに、加苗さんと同じ、前線にはあまり出ない、か弱い女の子なの」
「初めまして、左雨加苗です。よろしくお願いします」
「ま、行儀のいい子。圏外出身とは思わない!」
両手を胸元に合わせて、にこりと微笑みかけてきた。
その際、小牧の水色の目は、加苗にさえ気づけないぐらいの自然な感じで、空間を撫でるように、加苗を頭上からつま先まで観察していく。
その足が自然に伸びることなく、やや加苗自身のほうに寄っているのを確認して、小牧は一つはにかんだ微笑みを見せてから、にこにこした表情のまま悠々と両手の肘を机に乗せて、前へと傾けて加苗の両目を見つめる。
「でね、少し質問があるんだけど、聞いてもいい?」
「え? 質問って、あたしにですか?」
「うんうん、そうだよ。ちょっと気になっちゃって、もうちゃんとはっきりしないと、夜、眠れなくなっちゃうの」
「そうですか。どうぞ」
「ありがとう! 加苗さんはいい人だね」
両手の指を合わせ、口元あたりに持ち上げた小牧に、加苗が微かな違和感を覚えながらもその正体が分からず、とりあえず、彼女の質問に耳を傾けるが……
「では、遠慮なくね。――加苗さんって、なんでここにいるの?」
一瞬、その質問の意味が分からなかった。
「え、その、だって、神宮寺さんはあたしのメンターですから、メンターに会いに行くって言われて、だから……えっと、神宮寺さんは、あたしのメンターじゃない……ですか?」
「メンターだよ?」
「そうですね。だから、ここにいるのはメンターに会うため。ここで待ってって通知が来ましたから、ここで待っていました」
「なるほど! でね、なんで加苗さんがここにいるの?」
「だからそれは――」
と、そこまで言って、加苗が急に口を噤んだ。丸っこいオレンジ色の目を微かに見開いて、手の動きが一瞬止めたのを、小牧が楽しげに眺めながら加苗の次の言葉を待つ。
そののんびりで、こちらを包み込んでいって――喰らいそうな水色の目を見て、加苗がごくりと生唾を呑みこむ。
この人の質問の意味が、分かったのだ。分かってしまったのだ。
「それはその、さっき一度聞いたじゃないですか」
とはいえ、その疑問に答えることは加苗にとっては非常に残酷なことで、ここはあえて明るい笑顔を作り、たははと笑って誤魔化そうとする。
しかし、小牧は逃してくれなかった。
「でも、どうしても気になっちゃうの。これ、加苗さんしか答えられないのよ! ね、誤魔化しはなしで、ちゃんと教えて? なんで加苗さんがここにいるの?」
逃げ道を塞ぐように、もう一度質問する。
そこで、加苗が気づいた。この人は、どうしても自分に言わせる気だ。今は逃げられても、この人がメンターで、自分が中央都市にいる以上、逃げることはできない。
答えるしかない。
そう察した加苗の丸っこい目から、少しだけ光が消えた。
「あたしが……あたしたちが、管理省の本当の狙いに気づけず、|鱗鬼(クラーケン)の暴走を止められなかったから。管理省の勧誘を応じせざるを得なくなってしまったから、ここにいる……」
「そうなんだ。大変ね。あ、でもでもぉ、なんで加苗さんがここにいるの?」
四度目の質問に、加苗はとうとう俯いて、ともすれば血が出るほど、きつく唇を噛みしめる。
それから、いつもの元気は嘘かのように、何かを必死にこらえているかのような声で続く。
「………あたしが、リスクの高い災変を使って、街の論外次元を維持することにしたから、そのせいで、街が狙われて……最初から、ほかのやり方で行けば、管理省が墓守を狙う理由は一つ減ってたはずで……、……あたしが、最初から、|鱗鬼(クラーケン)の波長をちゃんとチェックすれば……」
「なるほど、だから、今加苗さんがここにいるのね」
「………」
「よかった。加苗さんが私の思った通りの賢い子で。うん、これなら教え甲斐がある! やる気出しちゃうぞぉ!」
満足げにそう言うと、小牧は色白の手で机の上を軽く撫でる。加苗の視線を過る際に、あえて動きの方向を変える。加苗の目が無意識的に手を追う隙を狙い、その、深淵のような、恐ろしく澄んだ水色の目を合わせる。
「では、まずは管理省の指揮官の仕事、その大原則! を紹介していきましょう」
にこりと、甘い甘い毒薬のような声で、魂を侵食していくような感じで、柔らかい唇から言葉をこぼす。
「加苗さんにとって一番記憶に残るはずの、圏外都市H9で起こった事件で説明しましょう。だって、ほら――」
そこで、加苗はようやく自分の考えが甘かったことに気づく。
凪乃も、晴斗も、照葉も、佑弦も、街の住民も皆いい人だから、当たり前のことを忘れていた。
いくらいい人がいても、それは普通だ。どこにいってもいい人と悪い人の割合は、基本似たようなものだ。誤差があれど、いい人か悪い人しかいない場所は、ほとんどない。
そして何より、あえて|鱗鬼(クラーケン)の情報を伏せて、墓守にきた来意の半分を凪乃に言わせないようにした誰かが、管理省にはいるのだ。その事実を、小牧を前にいると嫌でも思い出してしまう。
「私にとっても、最近で指揮した任務だし。気づきました? 加苗さんへの教育は、凪乃があなたたちの街に行ったときから、すでに始まったのよ」
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