第一章 人類最後の砦 5

 圏外からきたものは、新しい環境に置かれると、圏外ですでに顔見知りになった勧誘役に馴染みやすい傾向がある。加えて、凪乃はちょうど一人暮らしになったところなので、空間を無駄にしない管理省の方針で、透矢たちと一緒に住むようにしたのだが。

「………なぜお前と一緒に住まねばならない。ほかに部屋がないのか」

「透矢、嫌なの?」

「当たり前だ。お前たちがしたこと、納得はギリギリしたが許してはいない」

「な、凪乃お姉ちゃんをいじめちゃダメだぞ……っ!」

「お前は誰だか知らんがとりあえず黙れ」

 横から八重歯を見せて口を挟んだ照葉を、透矢が一睨みすると言い放つ。明確に叱られるのは初めてなのか、照葉はショックを受けてガ――ンとした顔になった。

「だ、だま……っ。だま……黙れ、と言われた……」

「左雨さん、あまり照葉をいじめないでくれないかな。こう見えてもかなり繊細なので」

「お兄ちゃん、女の子をいじめる男ってダサいよ? あ、でもダサいお兄ちゃんも加苗は好きだよ! 安心して!」

「お前どこにいても通常運転だな。ていうか、そろそろ誰か俺の質問答えてくれ」

「管理省の決定よ」

 と、管理省の粋な計らいがこのように、逆効果を通り越して、嫌がらせのようなことになってしまった。

「とりあえず、制服と調波器をチャックしないか? 新品だし、何かがあったら、すぐ代わってもらえるよ」

 場を和ませようと、晴斗が微笑みを浮かべて、段ボールに入った服装とアタッシュケースを軽く透矢のほうに押した。

 段ボールは三つあり、それぞれに制服が入っている。アタッシュケースのほうは、調波器を納めている。

 それを不承不承ながらも受け取り、中身を取り出す。

 透矢のほうは、白と黒の二種類の調波官制服。性能を重視して設計された制服は、ところどころ調波器を装着するためと思しきデザインがあり、服自体も頑丈な材料でできている。コートや長ズボンの中に、簡単な式が記入されている。着用すると、自動的に常時展開の防性理論障壁を張ってくれるそうだ。

 調波器を納めたアタッシュケースを開けると、中には汎用式調波器のアンカー靴板プレートが丁寧に収納されている。任務用の携帯端末などもちゃんと入っている。調波器の形を見ると、圏外で拾って使っていたものとは形は当然のこと、記入されている式にも違いがある。論外次元に関する知識があまりない透矢でも、それが最新技術の結晶で生み出した代物だと、一目見ればすぐ分かった。

「白と黒の……やはり、左雨さんは探索庁だね」

「探索庁? 服の色と関係あるか」

「調波官の制服は基本白で、中央都市の守りとなる防衛庁と研究開発の研究庁があるけど、あそこの職員は白の制服しかもらえないんだ。でも、よく圏外で活動する探索庁の調波官は、圏外の環境に対応する黒い制服が支給される」

「こいつのコートは暗緑色なんだが」

 屈託のない笑みで説明する晴斗に、照葉を指さして見せると、照葉が不満そうに眠そうな半眼で睨みつけてきた。

「こいつじゃないぞ……! 鶴照葉だぞ……!」

「照葉のコートは自由服装なんだ。実績がある調波官は、自分で一番動きやすい服装で任務を執行する権限が与えられてるからね。羽月のウィンドブレーカーと似たようなものだ」

「そうか。で、中に調波刀が入っていないのだが」

「ああ、それは」

 透矢のアタッシュケースの中を覗き込みながら、嵐司のアタッシュケースも一瞥して、何か確認したのか、座り直して口を開く。

「所持者には基本、調波刀は支給しないって決まりだよ。攻性理論を生かすには、調波刀があるとかえって邪魔になる場合もあるし」

「………またずいぶんと勝手な」

 武装が一つ足りないことに、透矢が思わずチッと舌打ちした。

 別に攻性理論だけで戦えないじゃないし、鱗鬼クラーケンとの戦いの最後で、攻性理論だけを使って撃破したのも事実だが、科学の武器が一つなくなると、少しは心許ないと感じるものだ。

 隣で支給された錨を弄んでいる嵐司はそうじゃないらしいのだが。

「じゃあ、俺ぁ別に調波器なんていらねぇから、透矢にやってもいいか」

 嵐司の段ボールやとアタッシュケースの中には、やはり透矢とまったく同じものが入れられており、それをさほど興味のない目で一瞥して、晴斗に問いかける。

「いらないなら申請して返すのが普通だけど、念のため、部屋に置いたり、身についたりするほうがおすすめかな」

「さすが中央都市だな。いらんもんも勝手にできねぇなんて、ずいぶんとめんどくせぇこった」

「ねぇねぇ、なんかあたし、黒いほうの制服ないよ? お兄ちゃんとあらしんが持ってるあれ。ほら、中に白いのしかない。ていうか調波器もないよ? なんであたしだけ服一着しかないの?」

「ああ、俺もさっき羽月に同じこと聞いたよ。加苗さん、所持者じゃないだろう。それで、探索庁ではなく、研究庁に入ることになったらしい。それなら、今は白いほうの制服しかいらないし、調波器も、あとあと加苗さんの適性に合わせて支給されるはずなんだ」

「なるほ……えっ? そ、それって、お兄ちゃんたちと一緒に仕事できないってこと⁉」

 納得した顔で頷きかけると、ふと肝心なところに気づいて、はっと顔を上げて質問をぶつける。すると、晴斗がなだめるように両手を左右に振る。

「いつも一緒というのは少し無理かもしれないけど、圏外探索にはメンテナンススタッフか指揮官がつくことがあるし、その人員のほとんどは研究庁から選出してるよ機会がないわけじゃないよ」

「で、でも――」

「それに、いつも仕事しているじゃないだろう。家に帰ったらまた会えるんだ。本当に嫌なら、俺から長官に頼んでもいいけど、管理省は基本、人材の扱いに慎重でね。人員は常に最適な位置にって感じになってるから、あまり期待できないかな」

「ううー……」

 ほとんど異動不可能だと宣言された加苗がほっぺたを膨らませて、不満を丸出しにしながら涙目で晴斗を睨む。その視線に堪えられずに、晴斗が困った苦笑いをこぼし透矢に向き直る。

「いい妹持ってるね」

「念のために言っとくが、こいつは妹じゃない」

「お、お兄ちゃんひどいよ! 傷ついた乙女心に塩を塗るなんて! そんなんじゃモテないよ!」

「苗字は左雨なのに、妹じゃないのか。あ、姉か」

「えっ? ………お、お姉ちゃんも悪くないかも」

「バカ言うな。圏外じゃ苗字はほとんど自分でつけたもんだ。親はどこのどいつも知らねぇしな。こいつの場合は、自分で妹認定して、勝手に苗字をつけやがった。それだけだ」

 制服と調波器を納め直しながら吐き捨ててから、晴斗に向き直る。

「で、ほかに用があるか」

「え? ああ、あとは近所挨拶と着任お祝いかな。まだ正式に着任していないから、ちょっと気が早い気もするけど、これ、受け取ってくださいね」

「あいよー」

 にこりと微笑みを浮かべると、隣に控えていた照葉がすぐ持っていたボックスを手渡してきた。

 落ち着いたブラウンの、アンティークな感じがするボックスだ。それを、加苗が代表して受け取る。開けて中を覗き込むと、そこには焼き菓子がきれいに並んでいた。

「あた……私が選んだ焼き菓子の詰め合わせだぞ。それを食べて、凪乃お姉ちゃんをいじめる罪を反省するがよい」

 尊大な調子を取り、だがそれをだるい声で台無しにした照葉をとりあえず無視すると、晴斗は懐を探って、何かを渡してきた。

「あとはこれ、もともとは羽月が渡すべきものなんだけど、彼女は説明が苦手だからね」

「なんだ」

 晴斗から受け取ったのは、三枚の紙だった。

 無駄のないデザインで知性溢れた感じを醸し出す連絡用の文書に、五十七期調波官着任式と、太字でタイトルが書かれている。

 日付は、三日後。

「新しく着任する調波官の着任式だよ。ま、中にはすでに調波官だった人もいるけど、皆、ほとんど小隊が決めてないんだ。着任式で会ったものは、これから一緒に行動する確率が高いって、よく言われるよ」

「そうか」

「ちなみに、俺と照葉も参加するから、同じ五十七期だし、これからよろしくね」

 茶色の前髪の下から緑の瞳が柔らかい視線を寄越し、晴斗が手を差し出してきた。

 それを前に透矢が何も反応していないのを見ると、隣の加苗が一瞬の間を誤魔化すかのように、素早く晴斗の手を掴んでは上下に強く揺らす。

「よろしく! 着任式で会ったものと一緒に行動する確率が高いって言ったね! じゃあ、一緒に出席するあたしとお兄ちゃんは、やっぱり一緒に行動できると思うよ!」

「あ……ああ、そうだな」

 加苗に手を揺らされながら、元気のいい挨拶に柔らかい微笑みを返した。

 同時に、視界の端で、困惑の混じった視線がと透矢を覗く。その夜空と思しき紺色の目に秘めた、読み取りにくい感情に触れると、またこっそりと目を加苗に戻した。

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