第三章  抗うものの町 2

 旧東京都をもとに作られた圏外都市H9の街並みは、昔の東京都は全く違う形になっている。

 墓守は定期的に奪ってきたアンカーで街全体に調波を行うことで、災変が発生しない安全圏を作り出し、その中で廃墟や散らばった建材でまったく新しい街を作ったのだ。

 加苗たちが会議を行うアジトや墓守の本部や食料を生産する場所が街の真ん中にあり、工場や墓守の物資を保管する二十個の倉庫が各区域に設置されている。ほかに残った場所は住宅地にしている。

 そして、一番外、安全圏と災変が発生する外では、防衛線と呼ばれる墓守の守りがある。

 安全圏の中で置かれた空白区域、災変が侵入して来ても開発地に入れさせないように設けられた戦線だ。

 散らばったコンクリート塊、鉄筋などを使い、聳える廃墟を骨組みにして城壁のようなものを作り、その上でさらに第三次世界大戦に使われた固定兵器を設置する。

 地対空ミサイル五百六十三基。――一基につき十六発のミサイルが搭載できるこの兵器こそが、所持者である透矢と嵐司を除いて墓守の最大戦力である。

 しかし、昔の戦争ならともかく、この時代ではこれだけの兵器では到底大した役には立てない。ほかの組織に戦力を示し、侵攻を諦めさせることができても、延々と発生する災変を根絶やしすることは不可能だ。

 だから、墓守の防衛線は今日もいつも通り、血まみれの一日を過ごしている。

 終末後の世界に一番近い区域、休むことなど一度もない戦線だ。

「おい、負傷者はさっさと医療班のとこに運べ!」

「血霧は去ったぞ! 次は百秒後だそうだ。今のうち調波器を整えろ!」

「ま、待て! 泥、二体出現!」

 緊張感に満ちた会話が咆哮する風の音をも圧倒する音量で飛び交って、その中に悲鳴や苦悶の唸り声も聞こえてくる。

 調波刀にアンカーを収納する錨倉チャージャー、それと靴の裏に装着する靴板プレート。災変と戦う標準装備を身に着けた墓守の戦闘員たちが忙しくしている屋上で、時折砲撃の轟音も響いてくる。

 そのすぐ隣では、応急措置を置けている負傷人員も散在している。

「血霧がないと、余計にはっきり見えるね」

 その中、一人の少女が遠くにいる泥を眺め、忌々しく声をこぼす。

 赤毛の少女だった。

 勝気そうな目も同じ赤色で、短い髪と相まって、野生の小動物のイメージがする。とはいえ、単なる少女じゃないのは、腰に下げた調波刀と、ベルトにつける三つ錨倉チャージャーを見ればわかる。透矢とまったく同じ装備だ。

「ああ、でけぇ上に気持ち悪い体しやがって、見てるだけで吐き気がする」

 その隣で、もう一人の少年も吐き捨てるように言う。

 金色に染めた髪に、不機嫌そうな顔。そしてこちらもやはり腰に調波刀を下げていて、ベルトに錨倉チャージャーをつけている。

 二人ともに墓守の第一小隊の隊員。普段の仕事は防衛線で災変と戦うことだが、強盗など町の外で行う任務では透矢に従って動く、いわば精鋭部隊のような存在だ。

「でも、血霧よりわかりやすいのが唯一の救いね」

 そう言って、さっきまで泥を眺める赤毛の少女――沙季さきが調波刀を抜くと、勝気そうな笑顔を浮かべる。その様子を見て、隣の少年は同じ調波刀を抜いて、しかしどこか責めるような視線を沙季に向ける。

「叩けば死ぬってとこはやりやすいかもしれねぇけど、てめぇみてぇに油断すると、早死にすんぞ」

「わ、わかってるわよ。だれも油断するって言ってないでしょう!」

 それだけ言い残すと、沙季は屋上から飛び下り、空間を蹴って一直線に泥の方向へと進んでいった。それと同時に、地上で待機していた一機の機甲歩兵も動き出す。

 泥、正式名称「黒屍」。

 黒い触手を束ねて、無理矢理に動物みたいな形にするような、今でもとろけそうなどす黒い化け物だ。

 その体型は大きく、小さいものでも三四階建ての建物ぐらいの身長を有する。加えて、体には毒があり、動きも遅くはない。ありふれた災変とはいえ、脅威であることに変わりはない。むしろ、こんなのが普通だからこの世界が終末を迎えたと言っても過言ではない。

『よし……六実むつみ、援護お願い!』

 靴板と機甲歩兵の機動力で、あっという間に泥の攻撃範囲に入ると、沙季はインカム越しに機甲歩兵の操縦士に指令を飛ばした。

『は、はい!』

 返事が来るのと同時に、地上から泥に接近する機甲歩兵が搭載したミサイルを数発発射し、泥の体に無数の爆発を引き起こす。

 夥しい爆音と煙の中で、沙季ともう一人の少年は靴板で方向を変え、調波刀を手に泥へと斬りかかった。

 調波――対象のある空間で、論外次元を正常に戻す。

 アンカーを周囲の空間に固定し、錨に囲まれる空間を対象に行うか、調波刀で斬りかかって対象を直接干渉するか、やり方はいろいろあるが、墓守が選んだのは調波器の消耗を抑えられる後者のほうだ。

 調波刀の表面に刻まれた「式」を、斬り込むたびに起動させ、災変のいる空間で調波を行う。

 空間を裂くように繰り出される銀色の光は、離れたところにいる観測員の目にもはっきりと映るものだ。

 と、そんな激戦の中に、二人の人影が空間を蹴って防衛線が展開された廃墟の屋上に足をついた。

 紺色の髪と、ラベンダー色の長髪が風に舞う。あふれ出る存在感を放つ二人に、忙しく働いていた戦闘員たちが自然と目を向けた。

 透矢と凪乃である。

 墓守の一員として働いてもらうと加苗が言ったのはいいものの、凪乃を必要とする本格的な作戦まではまだ時間がある。その間に、凪乃にはたっぷり働いてもらうと思って、こうして防衛線に連れてきたのだ。

「状況は?」

 着地と同時に、透矢がすぐさま一番近くにいる戦闘員に問いを投げる。

「あ、ただいま、第一小隊が泥と交戦中です!」

「そうか」

 報告を聞いて、視線を遠くにやると、ちょうど二体目の泥の顔にミサイルが撃ち込まれて、その直後、足を機甲歩兵に破壊され、首を調波刀に斬り落とされたところだった。

「俺はこの後第一小隊と交代する。怪我したやつはすぐ交代だ。後方で休めと伝えとけ」

「「「はっ!」」」

 透矢が指令を飛ばすと、何人かが負傷者に肩を貸して、透矢に一つ敬礼したあと、靴板で屋上を離脱した。

 残る人数はさっきの三分の二ぐらい。調波器が使えるとはいえ、所持者でもないものが災変とやり合うと、それぐらいの負傷者ぐらい出てもおかしいことじゃない。

 だが、さっき屋上を離れた一団も、今ここに残るものも、その顔にはちゃんと希望が宿っている。笑顔、真剣な顔、怒っている顔……表情と籠った感情はそれぞれだが、町の外の惨状を目にしても、誰一人諦めていないところは共通している。

 それを複雑そうな顔で一瞥すると、透矢は隣に目を向ける。そこには、やはり何の感情もこもっていない端正な顔がある。この防衛線の全員とは全く逆な、超然とした雰囲気がそこにはある。

「ここは?」

「防衛線だ。お前の今日の仕事は、ここで泥や血霧の侵入を防ぐこと。運悪くネームドの災変が現れても消せ」

「わかった」

「……ずいぶんと余裕だな」

「ネームドと何度も戦ったから」

「……」

 凪乃としては、ただ透矢の言葉に答えただけだろうけど、それを聞いた透矢は思わず黙り込んだ。

 ネームド。それは、血霧や泥のように、どこでもあるようなありふれた災変ではなく、より強力で、独自の特徴がある災変だ。戦うことになれば、特性も弱点もわからず、ひたすら振るわれてくる暴力を防ぎながら対抗策を考えるしかない理不尽な災害。

 災変の脅威を測るのに、乖離指数というものが用いられている。

 レベル五まであるその指数では、血霧や泥などは一番下の指数一と分類されているが、ネームドの災変は少なくとも乖離指数三のものだ。

 乖離指数四の災変は今この時間この空間に壊滅的な打撃を与えうる災変で、乖離指数五となると、平行世界にも影響を及ぼしかねない時空災害だということから考えると、乖離指数三のネームドのほとんどは、辛うじて普通と言える範疇での最強と言っても過言ではないだろう。

 それと戦うことに慣れたようなことが言えるのは、実力がなければ不可能だ。凪乃のその言葉で、いやでも自分では彼女に勝てないことを思い知らされる。

「あ、透矢!」

 と、そう考えているうちに、着地の音と同時に自分の名前を呼ぶ声がした。泥を仕留めた第一小隊が戻ってきたらしい。

 声のする方向に見やると、一人の少女と一人の少年が目に入る。少年のほうは警戒の眼差しを凪乃に向けていて、呼び掛けたのは少女のほうだった。

「遅すぎ! もうちょっとしたら遅刻したじゃない!」

 透矢と目が合うと、少女が腰に片手を当てて、不満そうに口を尖らせて見せた。

 赤毛の少女、沙季だ。

 そんな彼女に、透矢は少し困ったような笑みを浮かべながら言葉を返す。

「少し事情がある。遅刻してないから大丈夫だろう」

「それはそうだけど……それじゃ一緒にいる時間があんまりなくて……」

 透矢に言われ、ぷいっと顔を逸らし、顔を赤らめながら戦闘で乱れた短髪をすく。

 すると、赤毛の少女を追うように、屋上にもう一人の少女が姿を現した。

 今し方靴板で屋上に移動したようで、息を切らしながら、ふらふらした足取りで透矢の前までやってくる。

 圏外では珍しいきれいな黒髪が屋上特有の強風になびき、それを少女が困り顔で押さえる。

 こちらはどちらか言うと、おっとりしていて、赤毛の少女とは正反対の性格をしているらしい。少し早足で歩くだけで息が上がるところを見ると運動が苦手なのは見て取れる。

「ち、ちょっと待ってよ。沙季さき

「靴板の使い方、もうそろそろ覚えなさいよ。機甲歩兵を操縦できるんだから、それぐらいできないわけないでしょう」

「うう……役に立ってるから大丈夫なのに……」

「そういう問題じゃないの!」

 黒髪の少女、六実むつみの鼻を軽く突くと、沙季はまた振り向く。透矢に、正確に言うと、さっきからずっと透矢の隣で無言を貫く凪乃に目を向ける。

「で、あなたが加苗が言った新人?」

「うん」

 沙季の言葉に、素直に頷く。

「そっか。あたしは沙季、第一小隊の人だ。で、こちらは六実、よろしくね!」

「は、初めまして、六実と言います。えっと、機甲歩兵の操縦士です。よろしくお願いします」

 事前に加苗から連絡を受けただろう。二人は一瞬で自己紹介を済ませた。

 とはいえ、返事がない。

 当の凪乃本人は、透矢の隣に立ったまま首だけ動かし、透矢に目を向けていたのだ。

「なんだ……?」

「わたしは、なに?」

「は? いや、何言ってんだ?」

「……」

 聞いてはみたものの、凪乃からの返事はない。しばし無言で睨みあったが、やがて諦めたのか、凪乃は沙季たちに視線を戻す。

「羽月凪乃」

「そう、羽月ちゃんだね」

「墓守の新メンバー」

「う、うん、知ってる」

「……」

 沙季が気まずげに答えると、言葉の続きを待ってみたが、凪乃はただじーと沙季を見つめているだけで、何も口にしなくなった。

 そこで、ようやく凪乃の問いの意味がわかった。墓守の新メンバーと言っても、何かしらの特技があるはず。それによって配属先も決まる。そういう設定を加苗から聞いていなければ、わたしはなに、なんて質問を口にしてもおかしくない。

「こいつは……」

 沙季と六実、ついでに凪乃にも見つめられる中、透矢は少しの間逡巡する。

「第一攻性理論の所持者だ」

 そして、どうせ加苗は言うだろうと思い至り、本当のことを口にした。

「し、所持者⁉」

「すごい……!」

 同時に驚く沙季と六実。

 攻性理論を持つ所持者なんて、誕生する確率は数千人の中に一人がいるかどうかぐらいだ。加えて、ここは圏外。仮に本当に所持者がいたとしても、すぐ中央都市に招き入れられるだろう。

 墓守の武器保有量はほかの組織を上回っていないのに、ユートピアという、多くの組織にとって大事な貿易組織を強盗の対象にしていても、滅ばされずにすむのも、二人の所持者もいるためだ。

 それが三人に増えるとどうなるのか、目の前の少女二人がやや興奮気味に笑みを浮かべているのを見れば、少しはわかるだろう。

「はァ? 所持者だ? このちっこいの?」

 だが、そうでないものもいる。

 二人の少女に続いて、ようやく口を開いた少年がそう言いながら、凪乃の前まで来ると、不機嫌そうな顔で凪乃を見下ろす。

「先に言っとくけどよ、俺は透矢さんに従ってるのは所持者だからじゃないぜ。所持者だからっていい気になんなよ。親米は親米らしくしてろ」

 見下ろされながら辛辣な言葉を連発されて、普通は何かを言い返したところだろうが、凪乃はただ、機械が何かを検査しているかのように、静かに少年に目を向けるだけだった。

 金色に染めた髪に、不機嫌そうな顔。そして、透矢や沙季と同じように、腰に下げた調波刀と、ベルトにつけた錨倉チャージャー。災変と戦うものの標準装備だ。

「おい、聞いてんのか? 聞いてるなら何か言えよ。それともこの程度でビビったのか? ああ⁉」

「ちょっ、けい、あんた新人にいきなり何言ってんの? バカじゃないの?」

 さすがに見過ごさないのか。沙季が啓の肩を掴んで強引に向き合わせる。

「あ? 所持者だからって調子に乗らないようにしてやってんだ。邪魔すんじゃねぇ!」

「どう見ても乗ってないでしょう!」

「いずれ乗るに決まってる。こういうやつの悪い癖だ。早めに直してやらなければならねぇんだよ」

「早めに直さなきゃならないのはあんたのその口!」

「え、えーと、な、仲良くしよ? ね?」

 今でも調波刀を引き抜け、斬り合いそうな二人に、六実は何とかしようと仲裁に入ったが、睨み合う二人の空気が険悪になる一方だ。さっきまでは連携を取って泥を仕留めたとはとても思えないやり取りだ。

「思ったことを正直に言って何が悪い! てめぇこそ、普段は言いたい放題言ってるくせに、透矢さんの前で猫被ってんじゃねぇよ」

「はぁ⁉ あ、あたしは別に透矢の前――」

「んなことしたって、透矢さんがお前のことなんざ好きにならねぇからやめろ! 見苦しい」

「うう、うるさいわよっ! そんなことないっていつも言っ――」

「もういいだろう。交代だ。早く戻れ」

 と、二人の口喧嘩を止めたのは透矢だった。

「はい……」

「……うす」

 さっきの勢いからは考えられない様子で、二人は力なく項垂れた。

「じ、じゃあ行こう。ほら、防衛線当番ですから、朝食の配給、お肉ももらえますよ」

 困った笑顔の六実はその二人の背中に軽く手を置き、なんとか屋上の縁に誘導してから、透矢に振り返り、胸元で小さく手を振ってきた。

 それから、三人は屋上から降り、防衛線を去っていった。

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