第三章 抗うものの町 3
墓守が保有する二十個の倉庫、その中の三号倉庫で、加苗の声がだだっ広い空間で響いた。
「あ、うん。うまくやってる。え? なんでこんなこと聞くって? お兄ちゃん冷たい! 妹の知りたいことは早く教えるべきだよ。これ、人間として常識!」
トラックなど車両を置くための倉庫だ。
そこで、加苗がインカム越しに透矢と何かを話している。
「だーかーらー、羽月ちゃんはちゃんと仕事してるかって聞いてるの! うん、うん。大丈夫だよ、泥ぐらい。お兄ちゃん強いから、喋りながらでも倒せるって、自分にもっと自信持……えっ、倒せない? あ、うん、なんかごめん……ってちが――う! ちゃんと仕事してるかって教えるだけでいいのに、なんで言わないの? って――親戚のおばあちゃんって何よ! あたしまだ十七歳だからね⁉ 平和な時代なら花の女子高生だかね⁉」
最初は微笑ましい兄妹のお喋りだが、だんだん微笑ましい兄妹喧嘩のようになっていく中、墓守の内政を任されたが故、加苗とよく一緒に仕事する存人が一つため息をついた。
その後ろでは、墓守の武器整備も任される戦闘員、
あまり表情が出ない顔と、がっしりとした体に加えて、おとなしい性格の持ち主だ。墓守が設立した初期から組織の中にいる彼は、縁の下の力持ちとっていい存在だ。
と、二人が数分待っていると、ようやく会話が無事に終わったようで、加苗が通信を切ると不満を吐き出すようにため息をついた。
「はぁー、疲れたー。ときどきき思うんだけど、あたし、一応賢いほうだよね? なんでお兄ちゃんがそんなに硬いの? 遺伝子がなにかやらかして、賢さが全部あたしのとこにきたせい?」
「いや、加苗さん、透矢さんの実の妹じゃないんじゃ……」
「存人くん黙って」
「透矢さんにも理由があると思う」
「うぅ……大樹くんまで、もう知らない!」
倉庫の奥に進みながら、加苗は拗ねるように口を尖らせ、二人から目を逸らした。
だが、ふと何かを思いついたのか、振り向いて平然とした顔で口を開く。
「あ、それはそれとして、さっきので確認したことがある」
「はやっ! ただこねるならもうちょっと頑張ってくださいよ!」
「えー、いやよ。そんなことしたってなんも得はないし」
ドン引きしたのを隠しもせず顔に出して、存人にバカでも見ているかのような目で一瞥してから、笑顔で言葉を続ける。
「というわけで、さっきので確認したことがある」
もう一度同じ言葉を繰り返す。
「羽月ちゃんは今度の作戦に、本当に使えるって確信した」
そしてそう宣言した。
一時的に意味が分からず、存人も大樹も黙り込む中、加苗はそんな二人の疑問を見透かすわけでもなく、ただ己のしたことを自慢するようにそう言った原因を並べる。
「昨日、お兄ちゃんたちと話し合ってるとき、羽月ちゃんが盗聴したからね」
「えっ。盗聴ってつまり、作戦のことも利用することも全部知られたじゃないですか!」
「さすが存人くん、頭の回転が速い! でも仕方ないじゃん、盗聴しちゃダメだよって言うと、聞かれたくないこと言ってるの、普通に知られちゃうでしょう」
「それでも、無難な話をする手があるでしょう!」
「わかってないなぁ、無難が話したら、次はまた盗聴されるよ、少なくともほしい情報を手に入れるまではね。それに、もし羽月ちゃんは盗聴を監視の手段として使って、ずーっと盗聴を続けたら、あたしもずっと話せなくなるよ?」
「それはそうかもしれませんけど……」
難しい顔で俯いた存人。
さっきの会議が終わったら、加苗はすぐ二人を連れて、この三号倉庫に来たわけだが、途中で二人に、凪乃は実は調波官で、透矢たちを管理省に誘うために来たと伝えた。
その調波官に、こっちは利用しようとしているのがバレたのだ。頭を抱えるのも仕方がない。
「というか、なんで加苗さんは平然といられるんですか」
「え?」
ふと思いついて、当然の質問を口にした存人に、加苗はきょとんとした顔で首を傾げた。
「えっと、聞かれたじゃなくて、聞かせたんだから?」
「え?」
「だから、盗聴されてるってわかって、ちょっと試したの。羽月ちゃんのことを」
「た、試した?」
「うん、試した」
当然のようにうなずく。
「ほら、かわいくても敵でしょう」
「か、かわいいんですか。あの調波官」
「いやいや、あたしがかわいくても、羽月ちゃんにとっては敵でしょうって意味」
「………」
「つまりさ、敵に本当のことを言わないのが普通だとあたしは思うんだ。本当にお兄ちゃんたちの勧誘が目的なら、そう言ってくるのが普通だけど、そうじゃない場合、勧誘をデマにして、本当の目的のためにこっそりと何かをする可能性が高い。だから、こっちはあなたを利用しちゃうよー、でも結果が良ければお兄ちゃんも安心して管理省に行けるよーって、羽月ちゃんの盗聴を利用して伝えたんだ」
「つまり……?」
「つまり、あたしのこの作戦は、羽月ちゃんの本当の目的はお兄ちゃんたちの勧誘の場合、どっちにとってもメリットがある。羽月ちゃんの言ってることが本当なら、乗ってくれるはず。でね、実際今はちゃんと働いていて、点数を稼いでいる」
腰に手を当てて、どうだという顔で自慢する加苗。
「ま、それでも百パーセント裏がないって確信できるわけじゃないんだけど、準備を進んでいい根拠は一応もらったってわけ。だからあたしたちは今ここにいる」
そう言いながら、加苗は身を翻して、倉庫に停まっているトラックに向けて両手を広げる。
そして、高らかな声で宣言する。
「今から、本格的に作戦の準備を開始する!」
「ユートピア侵攻ですね」
「そう! そしてその侵攻は明日から始める!」
「明日ですか……ってちょっと待ってください! 明日って、会議では一週間後って言っていませんでした?」
「言ったよ、だがあれはお兄ちゃんたちのことだ!」
焦って聞いてくる存人に、加苗は胸を反らし無駄に高らかな声で宣言した。
「お兄ちゃんたちは少数精鋭でユートピアの防衛網を無力するのが目標なんだけど、ユートピアから調波器と食料を運び出せないなら、意味がない。だから、今日からはちょっとずつ車を送る」
確かに、今回の行動の目的はユートピア殲滅ではなく、ユートピアの物資で墓守の町を守ることだ。ただ攻め落としては意味がない。
とはいえ、加苗の言っていることも現実味を欠いている。
「送るって言ってますけど、血霧はどうするんですか⁉ ランダムに発生する災変ですよ! 待機してる人たちを守れるほど、僕たちは調波器を持っていません!」
「ランダムじゃないよ。ランダムと言えるほど規則性がないけど、ちゃんと無限因果の数式に従ってる」
「無限因果……加苗さん、あなたまさか……」
「計算して、安全ルートを確保する。ずっと昔から計算してきたからね。この一週間はちょうど血霧の脅威が比較的に弱い時期なんだ。だから、羽月ちゃんに伝えた時間が一週間にしたの」
存人の問いに、今度は口調にも顔にも冗談の欠片がなく、真剣そのものだ。
無限因果の数式。
それは、論外次元が乱された今、災変が発生するのに従っている法則だ。昔、無二の天才が書いた本にも言及されている。
無限因果――名称通り、無限に続くランダムな因果だ。
何の原因が何の結果を生み出すかは数式によって変化し、ランダムに言えるほど規則性のない結果が出てしまう。それが災変の発生する原理。
例えば、風が吹くということ原因が、草が動かされたとか、人が涼しいと感じたとか、そういう結果を生み出すのが普通だが、論外次元が乱されると、風が吹くということが、血霧が発生するという結果に繋がる可能性もある。
そして、血霧や泥の発生は最も導き出されやすい結果であり、現に世界はその二つの災変に蹂躙されている。
逆に言えば、無限因果の数式さえ解ければ、災変を事前に予防できるようになれるのだが、残念ながら、この数式は無二の天才が残した謎と言われる「三つの数式」の一つであり、今は無二の天才しか解を導き出すことができないと言われている。
並みの論外次元学者なら、無限因果の数式の「十秒以内の因果」を導き出すだけで限界だろう。天才でも、一分が限界だ。それほど、不可能な数式の一つに数えられるそれは難しい。
その数式で一週間の因果を解くと、加苗が言っているのだ。
「む、無理ですよ! いや、無理、さすがに無理です!」
「えー」
断言する存人に、加苗が明らかに落胆した顔で肩を落とす。
「あたし、そんなに信用できないの?」
「信用するかしないかの問題じゃないんですよ! 不可能な数式ですよ。解けるならとっくに使ってたはずです。今まで使ってないってことは解けないことで、それは今いきなりできるようになるなんて無理です!」
「ま、確かに無理だけど」
「いや、だから無理ですって、やっても……は?」
頭をめぐらせ、加苗に無駄なことをさせないと説得に頑張っている存人は、今度は潔く認められ、呆気に取られてぽかーんと口を開けた。
「無理だとわかっていて、計算するんですか?」
「勘違いしないでほしいなぁ。あたし、別に『いつどこで血霧がどれぐらい発生するか』を計算するつもりはない。ただ『ここでいつ血霧が発生しないか』を計算するだけ。存人の頭の中に何かがあるのか知りたいではなく、存人は何がわからないかってわかるだけみたいなことだよ」
「……なんでまた僕なんですか」
「ちなみに、女心とか気遣いとかないみたい」
「作戦の話しましょう? ね?」
もう泣きそうになっている存人を見て、加苗はふふーんと鼻を鳴らし、また勝ちと拳を握りしめた。勝ちというか、一方的な虐殺にしか見えないが。
「とにかく! 今から、あたしは計算に入るから。明日まではここにいるトラック、いつでも出せるようにするように! あと、調波器で駆動式を組み込んだやつじゃダメ。壊れられちゃったら困るから、ガソリン車で行く。泥を迎撃するための調波器も準備して。あ、でも基本は交戦を避けるんだよ」
「はいはい……わかりましたよ……」
加苗に振り回され、疲れた顔をしているが、存人はちゃんと命令されたことを頭に刻み込んだ。
「それから、大樹くん」
存人がノートに何かを書き込んでいるのを見て、加苗はさっきまでずっと黙っている大樹に目を向ける。
「H10に行く人選はお兄ちゃん、あらしん、羽月ちゃんの三人だから、防衛に所持者がいないよ。代わりに、沙季たちと六実がいるから大丈夫と思うけど、当日は防衛線の人員と普通戦闘員は町全域を警戒範囲に入るから、準備しといて」
「了解した」
加苗の指示に、大樹は素直に頷いた。
所持者を全部攻撃に出すとか、防衛線だけではなく、町全域も警戒範囲に入れるとか、わからないことがいっぱいあるが、大樹は説明してもらってもわからないタイプの人だ。加えて、指揮官である加苗に対する信頼が厚い。だから、彼は何も問わずに受け取った。
代わりに、口を開いたのは存人のほうだ。
加苗への信頼は存人も同じだが、内政を管理する人としては少し疑問に思うところがある。
「でも、加苗さん、別に無限因果の数式を計算しなくても、運送隊を透矢さんたちと同時に出発させればいいじゃないんですか? 透矢さんたちだけのほうが奇襲の効果があるってわかっていますけど……」
「あー、はは……そうかもね」
存人の質問に、加苗は最初は指を唇に当てて、考える素振りを見せたが、やがてポリポリと頬を掻く。どこか照れくさそうに笑った。
「でも、やるならちゃんとやりたいもん。それに」
そして、その笑みは次第に寂しいものに変わった。
何か、ここにいない眩しい何かを見ているかのように、追いつかないとわかりつつも追いかけようとしているかのように。寂しそうに笑った。
「あたし、それしかできないもん」
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