第二章 水銀の少女 5

「で、お前、何考えてんだ?」

 凪乃の住所を手配し送り届けてから、ようやくマンションに帰った三人は家のリビングに集まっている。

 凪乃をここに置く。それと、中央都市に行くのを反対しない。加苗の言っていることはわからないことだらけだ。

 それに何より、理解できないのは凪乃の住所の位置だ。別のところに泊めればいいのに、わざわざこのマンション、それも隣に泊めたとは。加苗の考えていることがわからないのはいつものことだが、今回の状況はその中でもダントツだ。

 一方、加苗と言えば、冗談でも言っているかのように笑いながらぺしぺしと透矢の肩をたたいてきた。

「もー、お兄ちゃんったら、すぐ真剣になっちゃうんだから」

「いいから答えろ! 遊びじゃないぞ。あの女、気に食わねぇが実力だけは本物だ」

「透矢がやられちまうぐらいだからな~」

「お前ら……なんでそんなに平然でいられるんだ?」

「だって、なるようになるだろう、普通」

 緊張感のない声で嵐司が答えた。すると、加苗もそーだそーだと口を尖らせて抗議の声を上げてくる。

「それに、あたしは別に何も考えてないわけじゃないよ」

「じゃあ言ってみろよ。なんであいつを泊めたんだ?」

「えー、あのとき言ったじゃん。墓守の新しいメンバーとして一週間動いてもらうためって」

「そこに何の意味があるって聞いてんだ」

「んーとね、最初から説明するほうがいいかな」

 唇に指をあてて少し考えてから、確認するように首を傾げてくる。

「ああ、そうしてくれると助かる」

「あ、俺からも頼むわ。正直、お前の頭ん中は異世界すぎていまいち理解できねぇ」

「ラジャー」

 二人が答えると、加苗は背筋を伸ばして、敬礼のポーズを取る。それから、凪乃からもらった資料を皆に見せるようにテーブルに置いた。

「じゃあ、まずは聞いておくけど、お兄ちゃんとあらしん、羽月ちゃんのこと、どう思う?」

 膝に両手で頬杖を突きながら、にこにこと二人を見る。

 羽月凪乃のことをどう思う。

 そう聞かれると、最初に頭に浮かんできたのはあのときの戦闘だ。

 無駄のない動きに、攻性理論と武器を操るセンス。それと何より、使い方。

 元素かエネルギーを操る第一攻性理論。限定的な現象を操る第二攻性理論。生命に関係する概念を操る第三攻性理論。

 その中で、最もわかりやすいのが第一攻性理論だが、それは敵にとっても同じで、使い手次第では最弱な攻性理論にもなりうる。しかし、凪乃の「水銀」という能力自体こそ平凡だが、使い手のスペックが高すぎた。

 常温では液体のはずの水銀を固体にして髪を挟んだり、質量保存の法則を簡単に歪め、小さいプレートであんな大きい鎌を生み出したり、それを戻したり……何より、あの周辺一帯を巻き込む斬撃。

 電柱などは斬られると風に吹かれるだけで倒れるが、建物は全部、まるで斬られなかったかのように、辛うじて切断面が見えても、その上も、下も元の位置から一ミリもずれていなかった。その証拠に、加苗と嵐司が到着したときでも、廃墟は一つも崩れなかった。

 亜終末を経て、中はボロボロなはずなのに……完全に水平で、超高速で、限りなくないに等しい厚さの刃でないと、そんなことはできない。そして、限りなくないに等しい厚さの刃を作れるということは、水銀をほぼ原子レベルで操作できるということだ。じゃないと、そんな薄い形にできるはずがない。考えるだけで鳥肌が立つ。

 能力自体は平凡、派手なテクニックもなく、斬新な使い方もない。ただ、普通に最善を尽くしている。だからこそ、隙がない。

「……第一攻性理論所持者、実力は半端ない。だが中央都市の傲慢がムカつく」

 それが透矢の凪乃に対する印象だった。

 それに続くように、嵐司もまた口を歪ませ、凪乃に対する印象を口にした。

「概算を出せば、歳は十三から十五ぐらい、身長百五十五、AかBカップだ。ラベンダー色の髪に紫の目。髪質はよさそうなのに、ちゃんと保養していねぇのが見てとれる。透矢の言うことによれば、あの髪飾りみてぇなもんは武器だそうだな。そこはかなりポイントが高ぇ。あとはあの格好だな、ほとんどウインドブレーカーやミニスカート―しか穿いてねぇなんて、本人には気づいていねぇけど、相当にエロい格好だ。なーんか透けて見えるからね。体の曲線も、服が肌に触れればはっきりわかる。ありゃ相当スタイルがいいぞ。顔も整ってるし、性格もどこかミステリアスな感じがするし、話してるとこを見れば、まあ理科少女? そんな感じじゃねぇの? 俺のタイプじゃねぇけど、好きな人は結構好きだと思うぜ。膝枕してもらった透矢くんあたりが」

「……お前どんだけ感想言うんだ?」

「いい女を見たら大体いろいろ思うもんだ。男って生き物は十字架を背負うみてぇに、そーゆー原罪を背負いながら生きていくんだよ」

「世界中の男性をお前と一緒にするな」

「二人とも、これだからバカと言われてるのよ……言ってるのあたしだけど」

 二人のやり取りを見て、加苗もやれやれと首を横に振り、かわいそうなものを見るような目を二人に向ける。それから、教師が生徒を諭すように口を開く。

「いいか、二人の知っているように、羽月ちゃんは管理省の調波官で、お兄ちゃん以上の所持者だ」

「だが俺には敵わねぇ」

「あらしん黙って! 今大事な話してるの! こほんっ、羽月ちゃんの勧誘に、あたしたちには拒否権がない。一時的にやり過ごせても、永遠には逃げられない。だから、あたしは羽月ちゃんをきっかけにしようと思う」

「きっかけ……?」

 加苗の言葉に、眉を顰める。

 冷静に考えると、この勧誘からは逃げられないことはわかる。墓守には対抗手段がないこともはっきりしている。

 そして、確かに最近の墓守にはきっかけが必要だ。今までの墓守は貿易組織から調波器を奪ってきたのだが、対墓守対策として、いつも近くのルートで調波器などを運送する車列も少なくなり、墓守の論外次元を正常に保つための調波器も足りなくなる一方だ。

 しかし、それでも加苗の言っていることは分からない。

「そう、きっかけ」

 だが、言い出す本人は自信に満ちた笑顔で言葉を続ける。

「お兄ちゃんもわかってるでしょう。今の墓守じゃいつまで持てるかわかんない。正直、あたしと存人ありとくんの計算では、三か月が限界ってところ」

「……三か月」

「それを解決するために、直接にほかの都市に行って、調波器を取ってくるしかない。でも、今の墓守はそれができない」

「そう……だね。南はともかく、北が……」

 改めて現実を突きつけられ、透矢が俯いて苦笑を浮かべる。

 南はいい。そこの旧横浜・圏外都市H10には透矢たちの標的、商業、運送を稼業にした組織、ユートピアがある。やつらの保有している調波器さえあれば、墓守はまだ一年持てると、加苗は前に過去のデータで予測した。

 問題は北だ。旧埼玉・圏外都市H8、そこを拠点にしたのはユートピアの交易対象の組織の一つ、鉄宮だ。

 関わり少ない組織だが、機甲歩兵の保有数は軍隊と言えるほどだと、調査に行った人が報告した。それに、情報が少ないので、所持者の有無も確認できない。

 南に進行している途中、背後から襲われたら元も子もない。こっちがほかの組織を狙っているということは、他の組織もまたこっちを狙っているかもしれないのだ。

「そう、北」

 透矢と嵐司の顔を見て、説明はいらないと判断し、加苗が言葉を先に続けた。

「だから、羽月ちゃんをきっかけにするの。墓守は今まで持ってなかった戦力、三人目の所持者として。一週間の約束だけど、その間に動いてもらう」

「つまり、戦力の補填として、H8に行く間も防衛にも戦力を残せるようにするってことか」

「うん、大体そういう感じ」

「そううまく行くか。あいつは中央都市の調波官だぞ。俺らのすることなんて、やつにとって都合が悪いと思うが」

 加苗の考えは大体わかった。それでも、凪乃は加苗の思惑通り動くとは考えられない。彼女は言った、墓守は中央都市に対しては脅威だって、その脅威に手を貸すなど……

「へへ、そこだよお兄ちゃん!」

「は?」

 だが、そのところも考慮済みとばかりに、加苗は腰に手を当て、背筋を伸ばし偉そうに見下ろしてきた。その動きで、この圏外にいても栄養不足にならないと証明しているような、大きい胸が服を押し上げる。

 そんなどうでもいい光景を無視し、もったいぶっている加苗に話の先を急かす。

「なんだ」

「羽月ちゃんからすれば、あたしたち墓守は脅威であるのは、お兄ちゃんたちがいればの話だよ。だから、お兄ちゃんたちを連れていくって決めたら、そのあとの墓守は脅威だと思わない。少なくとも、忙しい中でも対応しなければならない脅威だとは思わなくなると思う」

「証拠あんの?」

「だって、中型調波器を提供するって言ったでしょう」

 言われてみれば思い出す。確かに、透矢たちが中央都市に行くのと引き換えに、中型調波器を提供すると言った。大型調波器のようには行かないが、ある程度は都市を守れる。それも犠牲の上に成り立つものだが。確かに、脅威を守るほど、中央都市は優しくない。

「それに、脅威って圏外のどの組織も同じじゃん。それを一つも多く潰せれば、中央都市にとっても悪いことじゃないはず。だから、中央都市に不利な行動じゃない限り、羽月ちゃんは協力してくれると思う。いや、そうさせる」

 加苗にしては珍しく力強く言い切った。

 それから、彼女はトントンとテーブルに置かれた資料を叩く。

「ちょうど中央都市の調査で、あたしたちの知らない情報もゲットしたから、これだけピースが揃ったら、使わない手はないでしょう」

「知らない情報?」

「うん、あたしたちのいる地域についての分析だけど、あたしたち以外に、鉄宮とユートピアも載ってるよ。あくまであたしたちと組む可能性を考えて、組織の情報についてはすこーししか書いてないけど、これであたしたちの知ってる情報と合わせれば、鉄宮とユートピアの全体像も見えてくる」

「つまり……」

「つまり、今はどうやって勧誘を断るかわかんないけど、羽月ちゃんを動かして、お兄ちゃんたちがいなくてもちゃんとやっていける土台を作れるってこと」

 墓守についての報告を指先で叩く加苗が唇を端を吊り上げる。

 危険な賭けではある、凪乃はもともと墓守の人じゃないから、目論見通りに動いてくれる保証はない。それに、この町を出ると、いつでも血霧か泥に襲われる可能性がある。近くを通過する車列を強盗するとは勝手が違う。自ら侵攻すると、それは圏外の環境そのものとも戦わなければならないことになるのだ。

 血霧や黒屍こそが最高の壁。だからこそ、圏外では無数の組織が存在できるのだ。じゃないと、とっくに生存競争で統一されてもおかしくない。

 だが、このピンチをチャンスに変える手は、これしかない。ピースが揃っても動かないと生きていけないのがこの圏外だ。そして、それを提出、実行するのは、墓守の頭脳たる加苗の仕事だ。

「あたし、ちゃんとやるから」

 最後の許可を取るために、加苗は意思の込めた視線を透矢に向ける。

「そうか……そうだね」

 最初は少しの迷いを見せたものの、透矢はすぐ頭を横に振り、守りに入る考えを捨てる。

 真っ直ぐと加苗を見据えて、凪乃との話し合いからずっとこわばっていた表情を和らげる。

「どうせ今のままじゃだめだからね。よし、お前の計画で行く」

「いいじゃねぇの? こういう綱渡り、結構好きだぜ」

「お、お兄ちゃん、あらしん……!」

 意外にあっさりと了承してもらって、加苗は両手で口を覆い、感動の涙を浮かべる。

「よーし、じゃあ明日から作戦会議だ! そのために、今はまず仕事の分担を……」

 次の瞬間であっさりと嘘泣きを止め、テーブルに置いてあった勧誘状を裏返す。ペンを取り出すと何かを書き始めた。

 自分から提示した時間は一週間。

 今は気楽に言っているが、それの意味することは、今までできなかったことを、この状態で、一週間だけで計画の構成、準備、それと実行をすべてやりのけることだ。

 一秒も無駄にできない、厳しい状況だ。

 とはいえ、墓守にとって、今回の出来事も初めての窮地じゃない。一人ができなくても、今まで通りにやって、計画を成功させ、凪乃を追い返す方法さえ考え出せば――

 そう思いながら、深夜まで計画を練っていた三人の会話を……隣の部屋のベランダで、盗聴用の調波器で、一人の少女が夜空を眺めながら静かに聞いていた。

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