第二章 水銀の少女 4
話を聞く。
加苗がそう言い出し、凪乃も了承したあと、廃墟の間で話を聞くのは気が進まないとのことで、三人はひとまず別の場所に移動することにした。
正直、透矢からすれば、調波官である凪乃は一刻も早く排除したいのが本音で、嵐司からすれば、強そうな凪乃と戦いたいのが本当の気持ちだ。とはいえ、意見が相違した場合、参謀である加苗に従うのは墓守の決まりだ。それを定めた透矢本人が違反するわけにはいかない。
性格はともかく、加苗は一応、墓守の頭脳たる人物だ。調波官と話がしたいと言い出したのにきっと何らかの理由があるはず。
「レストラン! 中央都市にいっぱいあるの?」
「うん」
「えー、いいなー。あたし、本でしか読んだことないのに。レストランだったところにも入ってみたこともあるけど、食べ物もないから、全然面白くなかった。あ、もしかして服屋さんもある?」
「うん」
「うう……羨ましい……。ここも服屋さんを開いてみよっか。ブランド名は墓守で……」
だから、きっと、途中でずっと凪乃と楽しそうに話しているのにも、何らかの意味があるはずだ。そのはずだ。そう信じたい。じゃないと、後ろで見ているだけで、加苗の頭を叩きたい衝動を抑えられなくなりそうだ。
「な、嵐司」
「なんだ? 女子トークに花咲かせてる妹を見て、お兄ちゃんも男子トークしたくなったか」
「お前、ろくな返事できないな」
「生まれてから一度もやったことないのに、今更できるかよ」
一方、並ぶように隣を歩く人格破綻者は空を見上げて愉快そうに笑った。その声には緊張感の欠片もない。
と思ったら、ふと血を思しき赤い目を向けてきて、仕方ないなぁと言った視線を寄越した。
「で、加苗を信じてるかって聞きたいだろう? もっと自分の妹を信用しろよ」
「妹じゃねぇよ。ってか、なんでわかる?」
「今まで黙ってたけど、俺、実はの心を読む能力持ってるんだ」
「嘘つけ、所持者の能力なんて、一つしか持てないのって常識だぞ」
「ああ、それと、俺は信じてるぜ、加苗のこと。ああ見えても、加苗はお前のことを誰よりも大切に思っているからな」
「……。それはよかった」
視線を逸らしそっけなく答えた。
その反応が面白いのか、嵐司は笑顔のまま横目で透矢を見たが、それ以上何も言わなかった。
少し前を歩きながら、一方的な会話を繰り返している二人の声を黙って聞く。しばらくすると、ようやく目的の場所に到着した。
「よし、とーちゃく! 着いたぞお兄ちゃん!」
「二回言わなくていい」
わざとらしくステップを踏んで振り返り手を振ってきた加苗の後ろにあるのは、墓守の設置した駐在所だ。中でも人気の少ないところにあるものを選んで、係員をしばらく離れてもらったから、盗み聞きされる恐れはない。
「ささっ、上がって上がって」
と、友達家に招待するノリで中へと誘われた三人は、建物に入ってから足を止めずにさらに進み、奥の部屋に入る。透矢、加苗、嵐司の三人が、凪乃と正面で向き合うという形で、椅子に腰かける。
「じゃ、羽月ちゃん。まずは管理省からの提案、教えて」
「うん」
加苗の言葉に、凪乃は案外素直に頷いた。
「左雨透矢、宇多川嵐司」
ガラスのような目が、二人を見つめる。
「亜終末の後始末のため、管理省には人材が必要」
そして、淡々と述べ始める。
「次元管理省は、あなたたちに調波官の職務と、中央都市の居住権を与えると条件を提示した」
この地球で数少ない人類が安心して暮らせる場所を管理する組織からの勧誘の内容を、無感動な声で並べる。
「配属先は探索庁。圏外の探索を務める部門。生活に必要な物資や空間は無料で提供。給料についての情報は了承してから詳細を提示することになっている」
それだけ言うと、凪乃はふと口を閉じた。何も映っていない、だから透き通った瞳で、返事を求めるように加苗のほうを見つめる。これが管理省の誘いの内容らしい。
だが、加苗が何かを言い出す前に、先に透矢が声を上げた。
「あのな……つまりこういうことか? 管理省は人材が足りないって気づいて、それじゃ圏外の所持者を取り入れようって決めたから、俺たちに目を付けやがったのか」
「そう」
顔色変えずに即答した。
あくまで無感情で悪びれ一つもしない態度が気に食わないのか、思わず加苗に任せることを忘れて声を荒げてしまった。
「お前……圏外の環境を見たか」
「見た」
「じゃあ、わかるだろう。ここにいる人々を、中央都市が見捨てたぞ」
感情を何とか制御しているが、声は明らかに震えている。
とはいえ、それも無理のないことだ。
亜終末のあと、政府は中央都市を建てたのはいいが、全日本の中央都市はせいぜい九つ、人民を全部入れるはずがない。だから、政府は悩みに悩んだ末、個人の価値で選抜を行った。
やり方は実に簡単で、会社で面接を受けるようなものだ。自分の能力をアピールしてから、その真偽を測るためのテストを行う。社会に、人類の存続に役立つものが選ばれる。
当然、率先して選ばれたのは、所持者と論外次元の学者。続いては各分野の優秀な人材、それから、衣食住に関連するもの。このようなやり方で、上から下の順で使える人間だけを都市に入れた。
恐ろしく現実的で、旧時代の人道主義やいろいろの思想に反するやり方だが、この壊れた時代では唯一可能なやり方だ。
選抜を行った当初、生きるのも難しいにもかかわらず声を上げた人道主義の組織に、当時の権力者がこう言った。
――「善人ごっこをしてるうちに人類が絶滅したら、人道もクソもねぇだろうが」、と。
結果、選ばれなかった人々は、圏外で災変を怯えながら生きるしかなくなった。それが数十年続いて、透矢たちが圏外で誕生するまで、ずっと続いていた。
「今はいい。ここをなんとか暮らせる場所にできた。だが、俺たちが抜けたらここがどうなるのか、わからねぇはずねぇよな。今、お前らがしようとしていることは、この都市を殺すことだぞ」
「………?」
険悪な目で睨んでくる透矢だが、その言っていることも、感じていることも理解できず、凪乃はただ目を瞬かせることしかできなかった。それでも、勧誘の仕事を果たそうと、少しの逡巡の末、凪乃の中での透矢が求める答えを口にする。
「中型調波器を提供し、圏外都市H9を小型中央都市にすることが可能」
中央都市が提示したもう一つの交換条件だ。だが、それははずれだった。
「中型調波器……んなもん、今のこの町の全体を守れるはずねぇだろう! それに、中央都市のように防衛に使う調波器と変異生命体の災変を止められる壁がないと、泥なんかが気まぐれで攻めて来れば終わりだ! それぐらいお前らもわかっているはずだ」
「範囲を縮小し、調波器の影響範囲を重ねることで、対応可能」
「それは一部の人を切り捨てろって言っているようなもんだ!」
「そう、でも、今の対応策より効率的で、安定性が高い」
「……は?」
真っ直ぐに見つめられながら言われてその言葉に、透矢は一瞬呆気に取られた。
一秒の沈黙。そして、言われた言葉の意味することを理解すると、湧いてきた怒りがだんだんもっと黒い感情になり、理性を奪っていく。
今、凪乃は、一部の人を切り捨てると言う透矢の言葉を、常識でも語っているかのように肯定した。この都市で暮らす人のうちの一部を切り捨てると、何の感情もなく、さも当然のように。
「てめぇ……」
もう話しても無駄。持っている常識そのものが違う。
目の前で何も感じていないかのように座っている凪乃を睨みながら、調波刀の柄に手を伸ばす。
この黒い感情を目の前の少女にぶつけてやりたい。思い知らせてやりたい。この、圏外の人の命を命と思わないものに、自分の手で。
だが、手が柄に触れた前に、手首が掴められた。
「まあ落ち着け」
さっきの話を全部聞いて、それでもいつもの調子のままの嵐司だ。とはいえ、平然とした顔とは裏腹に、手首を掴む力が強く、解こうとしても解けない。
「これ、話しても無駄だぞ」
振り返らず、低い声を返す。
「それは加苗の決めることだろう」
「……」
とはいえ、嵐司の言葉も一理ある。透矢も完全に理性が飛んだわけではなく、その一言で黙り込んだ。そこで生じた一瞬の沈黙を埋めるかのように、加苗がタイミングよく、いつもの笑顔で切り出す。
「大体わかった。と言いたいんだけど、もう一つ聞いていい?」
「うん」
凪乃が小さく頷くと、加苗は少しだけ身を乗り出して、凪乃の目を見つめながら口を開いた。
「断ったら、どうなるの?」
「困る」
「そっか」
「透矢と嵐司を、逮捕することになる」
透き通ったガラスのような目が、一瞬加苗から透矢と嵐司に向けられた。
「墓守。機甲歩兵一機所持。所持者二名、ほかに旧時代兵器を大量保有。管理省では要注意対象」
それから言い出された言葉に、三人が一瞬体を強張った。
硬直した三人に目を向けずに、凪乃は隣に置いたアタッシュケースを膝の上に置く。それを開けて中からまとめた資料を取り出し、加苗に渡してきた。
「管理省は、脅威を残したくない」
それを受け取って目を落とすと、「圏外組織・墓守」とタイトルと思しき文字が書かれている。
凪乃の言いたいことは単純だ。管理省では墓守はとっくに調査済みだ。そして、管理省の勧誘に、透矢たちには条件を要求する権利があれど、拒否権がない。
ここでいったん承諾したふりをしてあとで凪乃をやっつける手もあるが、凪乃は一人で来ている確証もないし、もし本当に成功したとしても、それは一人の調波官を殺しただけのことで、却って管理省に警戒され、今度は潰しに来られるかもしれない。
どう考えても、詰みだ。今の墓守じゃ、全力をあげても中央都市とは戦えない。小さい民間企業は国と対抗できないのと同じことだ。
「それと」
と、透矢たちの考えていることを知るか知らないか、凪乃は顔色一つ変えずに、二つ目の資料を差し出してくる。
今度のタイトルは比較的に普通で、ただ勧誘についての説明と、管理省からの誘いだと証明するための印鑑が押されているだけのものだが、当然、場を和らぐことはできなかったが。
二つの書類を渡して、アタッシュケースを床に戻すと、静かに加苗をじーと見つめてくる。たぶん、ここで決定権を握っているのは加苗だと知っているのだろう。
「うーん」
凪乃の視線にも隣でイラつく透矢にも気を留めず、加苗はページをめくりながら考える素振りを見せ、すぐには答えなかった。
墓守についての調査と勧誘状を数分かけて、じっくり読んでから閉じる。
「うん!」
そして元気よく頷く。満面の笑顔のいつもの加苗だ。そんな彼女が、
「じゃあ、まずは羽月ちゃんの住所を手配しよう」
急にこの場の誰もが理解できないことを口にした。
「は?」
「?」
そして、飛びすぎた話に今度は透矢だけじゃなく、凪乃も疑問に思うように瞬きをした。嵐司だけが楽しそうに笑っているが、あれも加苗の言うことを理解したではなく、未知のものを目にして楽しんでいるものだ。
それらの反応を気にせずに、加苗が言葉を続ける。
「ほら、いきなりすぎて、答えられるものも答えられないでしょう。それに、余裕があるはずだね? あたしなら、勧誘対象に悩む時間ぐらいはあげるし。だから、一週間ぐらい、お兄ちゃんたちに考えさせてよ」
「………。わかった」
余裕。それはたぶん透矢たちに与えられた、勧誘に応じるか応じないかと考えさせる時間だろう。拒否権がないから、ただの心の準備をさせる時間だが。
凪乃が答えると、加苗はにこっと笑って資料を膝の上に置いて口を開く。
「よしよし、話が分かるのはいいこと! 正直、あたしはお兄ちゃんが幸せならなんでもするから、中央都市に入ろうって思ったら入っていいと思うんだ」
「加苗、お前なに言って――」
「はいお兄ちゃんは黙って、と。ついでに、羽月ちゃんの身分がバレたらお互い困るから、もう一つお願いするね」
人差し指を透矢の唇に当てて黙らせながら、凪乃に笑顔を向ける。口調こそ軽くて友好的だが、その内容は至って問答無用なものだった。
とはいえ、加苗はあえてすぐには言い出さず、凪乃の反応を待つ。すると、言葉の先を促すように、凪乃が加苗の目を覗き込むように見つめてきた。
その反応を見て、加苗は新しいいたずらを思いついた子供のように、指をぴんと立ててその「お願い」を口にした。
「この一週間、墓守の新しいメンバーとして行動して」
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