第一章  終末の空の下   4

 夜になりつつある街で、透矢は密かに心の中でため息をつく。

 遠征から戻ってきて、どうしても街の様子が気になるから出掛けたと思えば、予想外の人と出くわしたのだ。

 羽月凪乃といったか。目を離せばどこかに消えそうな少女だ。

 住民からいろいろもらっただろう、イメージのあっていない服を何枚も羽織っていて、右手には高そうなアタッシュケースを持っているのに、左手にはパンの入っているビニール袋が提げられている。

 普通ならそのアンバランスさに眉を顰めて、おかしいと思っただけで済んだだろう。しかし、その間抜けの様子を前に、透矢には笑うどころか、緊張感さえ覚えた。

 少女の雰囲気が違うのだ。

 うまく言葉にできなくても、そこには何か異質なものがあると断言できる。

 直感とはいえ、透矢はそう確信している。――あのガラスのような目は、圏外のものじゃない。

 一切感情がこもっていないというより、最初から感情なんか知らない目だ。そこには、圏外での理不尽な生活から生み出される恨みも、悲しみも、怒りも、生きるための闘志もない。ただ機械のような、人形のような、何も籠っておらず、目が合うだけで吸い込まれそうになる目だ。

 だから、透矢は不安を抑えながら少女に声をかけて、ひとまずその場から連れ出した。それから、いくつの曲がり角を曲がって、しばらく町を歩いていく。

 ある特定な方向へと向かっていると悟られないように、回り道を何度もして、町の外へと少しずつ進んでいく。

 その間、少女の警戒心を薄めるために、何度も言葉を交わしたが、無口の少女から聞き出したものは少なかった。

 分かったことは、少女はすでにこの町の全体像や墓守についての認識を持っているということと、自分のことを最初から知っているということぐらいだ。

(……一応連絡しとこう)

 密かにそう思いながら、透矢はいつも肌身離さず持ち歩く通信機を起動し、加苗と嵐司と連絡を取ることにした。

 こういうときに限って、無線通信網を築いた加苗には感謝する。

 とはいえ、あまり気づかれると元も子もないので、言葉で状況を伝えることはできない。あくまで通信機をこっそりと起動し、何気ない会話の中にキーワードを混ざって、その内容で状況を理解してもらうしかない。

(言いたいこと分かってくれればいいが)

 そう思って通信機をつけたままにし、少女を連れて歩いていく。目的の場所に着いたのは、日はすでに完全に沈んだところだった。

 圏外都市H9の郊外。もう少し先に進めば、血霧に遭遇してもおかしくない場所。

 いつの間にか、町の喧騒は遠くなり、周りにも人気がなくなった。それに気づいたのか、少女も周囲に目を向けてしばらく環境を観察した。その目にはやはり感情らしいものを見当たらなかった。

「ここでいいか」

 ふと、透矢が足を止めた。

 両側は崩れかけた廃墟。カビに蝕まれた壁は蔓に覆われている。月の光に照らされた道がかつての映画のワンシーンのようになっている。

 そこで、透矢は凪乃に向き直る。

「……?」

 立ち止まって見据えてきた透矢の視線を正面から受け取った凪乃の目が、静かに瞬く。

 恐ろしいほど透明感のある目。無機質で、無感動で、何もない故にこれ以上ないほど澄んでいる、紫の目。

 その目から視線を逸らさず、透矢は深呼吸一つしてから質問を口にした。

 今度は厳しい口調とやや乱暴な言葉遣いで。

「で、お前は何もんだ」

「羽月凪乃」

「名前はそのままか。まあいい。もう一度聞くぞ。お前は何もんだ」

「……?」

 なぜ同じことを聞かれたのかと困惑している……ではなく、なぜ透矢が知っている、と聞きたがりそうな顔だ。

 それを目にして透矢は呼吸を落ち着かせる。そして、腰に下がった刀の柄に手をかける。

「俺は、この街の住民全員の顔覚えている。その中で、お前のようなやつはいない。それに、防衛線の外から難民か商人が来れば、誰かが知らせに来るはずだ。それもないってことは、お前は防衛線を潜って、街に潜入したってことだ。そんな侵入者、俺が見逃すと思うか」

「そう」

「だから、もう一度聞く。お前は一体誰だ。どっから来た」

「わたしは、羽月凪乃」

 同じ言葉を繰り返した――かと思えば、桜の唇が微かに動いて、次の言葉を紡ぎ出す。

 それを耳にした瞬間、


「中央都市の調波官よ」


 透矢は、全身の血液が凍り付いたような感覚に襲われた。

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