第一章  終末の空の下   3

 昔は東京であることもあって、圏外都市H9の敷地はそれなりに広い。その中で、人々は過酷な環境を生き延びるために、今日も一生懸命に働いている。

 例えば、放棄された発電所や工場をできるだけ直し、稼働させる。

 例えば、公園だったところを畑にし、食料の安定供給を確保する。

 例えば、川に簡易の浄水場を作り、安全な水を入手する。

 それから、外からの侵攻を防ぐために、第三次世界大戦の残った兵器を使って、防衛線を張った。論外次元の異常で災害が起こらないように、調波器を奪って町の論外次元を正常に保つのに利用した。

 この町では、戦っていないものは一人もいない。

 調波器や調波刀を持って、強敵と戦うもの。

 金づちや道具を持って、旧時代の残した設備と戦うもの。

 鋤や鍬を持って、畑と戦うもの。

 本や筆を持って、計画と戦うもの。

 旧時代の文明を百、原始人の生活をゼロとすれば、今この時代を生きる人々はマイナス十から始まらなければならない。だからこそ、皆が張り切って一刻も早く町を立ち上がろうと頑張っている。

 それが数年続いてきて、今となってようやく成果らしい成果が出た。その成果に素直に喜び、皆も前より一層町作りに力を入れている。

 明日への希望をちゃんと持っているものたちが住む町――この時代では不思議すぎる光景だ。

 そんな騒々しくて皆が忙しく働いている中、一人の少女が音を立てずに町に華奢な足を踏み入れた。

 透き通るような少女だ。

 そこにいるのに、少しでも目を離せばすぐどこかに消えてしまいそうな、生物の概念を超えているではないかと思わせるほど儚い少女。

 無感情で無感動で、無慈悲。そんなイメージが強い彼女だが、その頭は今、あまりにも終末の世界に似合わない、活気に満ちた街の光景に珍しく小さく傾げている。

「おいおい、なんだこれ、違うだろう。もっとこう、ここをこうやって作るんだ。じゃねぇと使い物にならんぞ」

「はーい、今日の昼食ですよ! まだ取ってない人、早くきてくださいね!」

「おい早くしろ! 予定時間に間に合わなくてどうする!」

「よっっし! 魚の養殖、ようやくできたぞ! これで肉がもっと食えるようになる!」

「豚が逃げたぞ! 誰かが捕まってくれ!」

 街は、とても賑やかだった。

「……?」

 その事実に、少女は戸惑わずにいられなかった。

 ここは圏外で、三十年前の災害の爪痕をそのまま残した区域。なのに、ここの人々の顔には、絶望の欠片もない。いや、僅かな希望に縋って、絶望を見ようとしないだけかもしれないが、それでも、この街は少女の想像を超えているほど活気に満ちている。

「おっと、お嬢ちゃん、危ねぇぞ。道のど真ん中に突っ立っちゃ」

 もし、そう声をかけられなかったら、もう少し呆然としていたところだっただろう。

「……?」

 後ろに振り向くと、そこには荷車で食料らしいものを運んでいる男がいた。満面の笑顔で少女を見つめてきている。少女に退いてもらおうとしているだろう。とはいえ、少女にはそんな言葉ではなく、表情や仕草で伝える人の些細なメッセージが分からなかった。

 彼女はただ男を見上げて、ガラスのような目を瞬かせる。

「左雨透矢」

「は? ああ、ボス? ボスがどうした?」

「教えてほしい」

「教える? 何をだ?」

「左雨透矢のこと」

 抑揚もなく、感情もない、音質だけが無駄にきれいな声だった。

 そんな少女の問いに、男は一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐ楽しそうに大爆笑した。

「はははは! 余所者でもうちのボスのこと知りてぇのか! そうかそうか、お嬢ちゃん、分かってんな。透矢さんはな、この町の皆を救った偉いやつだ。ここにいる皆、透矢さんを感謝しねぇやつは一人もいねぇ」

 と、どこか田舎のオヤジが息子を自慢するような口調で言いながら、親指を立てて親切に教えてくれた。

「……?」

 いまいち要領を得ない答えに目を瞬いたが、男は少女が何かを口にする前に、荷台から一枚の服を掴んで、少女の肩にかけてきた。ボロボロした、たぶん旧時代で作られたコートだ。

「それと、んな薄い服しか着てねぇと風邪引くぜ。これいらんからやるよ」

「……?」

「ほら、もう用事ねぇんなら退いた退いた! これを倉庫に届くから、あんま立ち話する暇はねぇ。ま、まだ何か聞きてぇことでもありゃ、誰にでも聞いてくれ。答えてくれるだろう」

 そう言われて、少女はぺこりと小さくお辞儀をして、静かに荷車の前を退いた。

 男が荷車を引いて去っていくのを見送ってから、少女もまた反対方向に足を向けた。

 それから、少女はひたすら透矢の情報を住人から聞きまわった。

 鍛冶屋の人からは、透矢は一人で泥と戦う力を持っていると教えてもらった。ついでに、パーカーをもらった。

 畑で働くお婆さんからは、透矢はすごくかっこよくて、特にあの紺色の目は昔の時代の夜空に似てて、とても魅力的だと教えてもらった、ついでに、果物をもらった。

 料理の人からは、透矢は墓守をほかの二人と立てて、この町を救ったヒーローだと教えてもらった。ついでに、パンをもらった。

 朝から午後まで、日が落ちかけたところまで、少女は町でいろんな人に透矢のことについて聞いていた。そうしている同時に、この町のことについてもだんだん詳しくなってきた。

「……左雨透矢」

 小声で呟く。

 今まで教えてもらった情報をまとめると、彼はこの町を守る組織、墓守のリーダーとして、都市運営から災害対策、外敵駆逐まで、全部こなしているそうだ。実際の状況は一人ではなく、仲間たちと協力しているはずだが、この圏外でこれほどの成果を上げたのは、ありえないに近い。それを成し遂げたのはすごいことだって、感情を持たない少女でも分かる。

 それと、透矢に守られているというこの街だ。特殊な状況に置かれているから、食料などは金で買うではなく、墓守によって配給されているのだ。

 とはいえ、皆は働かなくても食えるからサボることなく、一生懸命に街作りに励んでいる。それによって、まだボロいとはいえ、ほかの圏外都市と比べれば、びっくりするほど人に優しい環境が作り上げられている。

 もともと、血霧や泥など論外次元の乱れによる「災変」があるから、人の営みなど一瞬で消え去るのだが、どうやら墓守には災変が起こるのを防ぐ手段があるようで、それらしい兆しが全く見当たらない。

 ちなみに、これらの情報を入手する中、いつの間にか身にまとう衣類も、手に提げたものも増えてきた。

「……」

 片手にアタッシュケース、片手にパンなどの食べ物、脳内で情報をまとめながら無表情のまま歩く様子は、少女には自覚がないがかなり滑稽に見える。

 と、そのとき、前から喧噪が聞こえてきた。

「あ、透矢さんだ!」

「よう、また派手にやったと聞きましたよ! ありがとうな!」

「透矢お兄さん、聞いてくれよ! 前調査隊に入ろうとしたら断われた!」

 ぴたりと、少女の足が止まった。

 顔を上げると、町人に囲まれ、声かけられた一人の青年が視界に入ってくる。皆、やっていることをいったんおいて、青年の周りに集まっていた。

 その青年はというと、嫌な顔一つせず、ただ少し疲れたような目で皆と話している。その姿は、見た目は中学生ぐらいの少女が言うのもなんだが、組織のリーダーとは思えないぐらい若かった。

 紺色の髪に、夜空と似たような色合いをしている瞳。少女が事前に読んだ資料に載せられた情報や、今日町の住人から聞いた左雨透矢の特徴と合致している。

 しばらく遠くから見ていると、向こうもこちらを気付いたようで、視線を向けてきた。

 その目が一瞬細められて、またすぐ元通りに戻る。その一瞬の変化を少女は見逃さなかった。

「……」

 言葉一つ口に出さずに、音一つしない足取りで透矢の前まで来る。立ち止まると透矢を見上げる。

「……」

 少女の行動自体はほかの町人とそう変わらない。もらった衣類を羽織ったりビニール袋を手にしたりしているところを除けば、ただ透矢を見て話しかけに行く少女に見えなくもない。

 とはいえ、少女は透矢の前で足を止めても、何かを言い出すことなく、ただじーっと透矢を見つめるだけだった。

「見たことない顔だな。お前は?」

 先に声かけたのは透矢のほうだった。

羽月凪乃はつきなぎの

「そうか。初めまして、左雨透矢だ」

「うん、知ってる」

 頷くこともなく、ただガラスのような紫の目で透矢をじーっと見つめる。

「そういや、町のことを聞きまわる子がいるって聞いたけど、それ、お前のことか?」

「うん」

「そうか。どこから来たんだ?」

「……」

「まあ、言いたくないこともあるか。とりあえず、ついてこい。町の案内なら俺がしよう」

 そういうと、透矢は無造作に周りの人混みをかき分け、踵を返すと来た方向へと戻っていった。

 それを見て、少女も何の躊躇もなく透矢の後ろについていった。

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