エピローグ

 積極的にアタシ自身が変わろうと思っても、周りがアタシの認識を変えてくれないことには劇的な変化はない。アタシの中学生活は相変わらず、一人だ。

 だけど、今、世界は大きく変わって見えている。

「カープ、少し待ってて」

 登校途中。目に映った幽霊にアタシは駆け寄る。その幽霊は何処か疲れた顔のOL風の女性だった。

「大丈夫か?」

 アタシの問い掛けに、OL風の女性の幽霊は虚ろな目を向けるだけで反応が薄かった。だけど、アタシはこの人が虚ろな理由を何となく分かっていた。

「もう、ここに居る理由も分からなくなってしまったんだよな?」

 アタシはOL風の女性の幽霊に微笑む。

「誰も助けてくれないここで、よく頑張ったと思うよ。アタシは、あんたは休んでいいと思う。だから――」

 アタシは空を仰ぎ、幾つもの光が集まっていく場所を見つける。その場所を指さし、話し掛ける。

「――あそこに帰っていいんだ」

 OL風の女性の幽霊はアタシの指し示した先を見て、大きく目を見開いた。

「本来、帰る場所だ」

 今一度アタシを見る目は、『本当に戻っていのか?』と問い質している。

 それに対し、アタシは自信を持って頷く。

「人生を終えた後のお休みだ。今まで、ご苦労様」

 OL風の女性の幽霊の頬が緩み、ゆっくりと目が閉じられ、両手が胸で合される。彼女は光の粒子に包まれて、空へと消えていく。

『――ありがとう――』

 アタシの耳にOL風の女性の幽霊の声が聞こえ、そのまま耳に右手を持っていく。

「また幽霊の声が聞こえた……」

 カープが倒した鰐人間の断末魔の声を聞いてから、何度か他の幽霊の声が聞こえる時がある。今思うと、それは幽霊の中の強い思いが高まった時だけ届いているような気がする。恐怖だったり感謝だったり……。

 アタシは、OL風の女性の幽霊が消えていった空を見詰める。

「アイツらが悪いわけじゃないんだ。この世に留まってしまう理由があるだけなんだ」

 その留まる理由があることを理解できるなら――留まってしまうことがあるのを知っているなら、アタシは幽霊とも向き合える。それがアタシの世界を大きく変えている理由だ。

「行くか」

 アタシが歩き出すと、カープも歩き出す。

 カープの存在を感じながら、アタシは話し掛ける。

「カープが繋いでくれた縁なのかもしれないな。アタシがこうやって幽霊を助けられるなんて」

 カープに会って幽霊にも個があることを知って、転校生に会って幽霊を見れるアタシの力の理由を知って……長い年月が掛かったけど、ようやくアタシの中で全てが繋がっている。

 ただ怖い存在だけだと思っていた幽霊が、今は怖くない。気持ちの持ちよう一つで、こんなにも体が軽い。

「アタシは幽霊が見える人間の役割を果たさないといけなかったんだ。そして、ここに居る以上、人として今生きる人とも繋がらないといけない」

 だけど、人と繋がる方は難しい。

「まあ、諦めたわけじゃないし、孤独でいいなんて今は思わないけどな」

 そして、これまで通り自分の信念だけは曲げない。少し欲張りな気もするが、きっと皆が同じことをしている。

「今日から歩くルートを変えるぞ。同じ学校の人間が居る道も歩く」

 その言葉にカープは反抗しないでいる。いつもなら、大通りを歩く道へ進むのに。

「クールだねぇ……。アタシの意見を尊重してくれるんだ。だったら――」

 カープが首を傾け、アタシに顔を向ける。

「――少し濁った気の集まる道を選んでくれるか? ついでに迷ってる幽霊にも積極的に関わるからさ」

 カープが鼻で笑ったように見えた。すると、カープはアタシの先を進み、狭い路地へと入って行った。いつものカープなら絶対に入らない道だ。

「悪霊でも巣食ってんのか?」

 暫く歩くとカープは足を止め、顔だけ向ける。

「幽霊じゃないじゃん……」

 アタシは溜息を吐く。カープが誘導したのはカツアゲの現場だった。被害にあっているのは、うちの中学の女子。面識はあるかもしれないが、記憶には残っていない。

「何で、幽霊を探して濁った気を探したら、こんなところへ来ちゃったんだ?」

 カープは、『あれのせいだ』と言わんばかりの目をカツアゲ現場に向けている。

「……ああいうのも見つけちゃうのか」

 大通りに住まい、運気を呼び込む白虎の力で濁りを感知すれば、道に流れる気を淀ます原因を全て感知してしまう。つまり、あのカツアゲ現場も気を乱す要因だということだ。

「無視もできないか。人間にも積極的に関わるって決めたからな」

 小さく息を吐き出してから背筋を伸ばし、足を進める。

 そして、カツアゲしている男子高校生に向け、アタシは言い放つ。

「朝から不快なもん見せてんじゃねーよ。恥ずかしい奴だな」

 アタシの言葉に鋭い視線と怯えた視線が向かってくる。一人は加害者の男子高校生、もう一人は被害者の女子中学生。

 男子高校生の前に居る女子生徒に近づき、アタシは軽く左の肩を叩いてやる。

「行きな。お前が居るようなところじゃないぞ。それと、今度から人気の少ないところは避けるようにな」

 女子中学生は不良のレッテルを張られているアタシのことを知っているのかもしれない。目には、不安がありありと浮かんでいた。

「ホラ、行け」

 親指で後ろを指すと、何を言っていいか分からないまま、女子生徒は頭を下げながら振り返ると、小走りで走り出した。

「オイ! 逃げてんじゃねーぞ!」

 尚も女子生徒を追おうとした男子高校生の行く先を塞ぐように、アタシは両足のスタンスを広げて立つ。

「アタシが相手をしてやるよ」

「ああ?」

「万が一にも勝てたら、財布ごとプレゼントしてやるって言ってんだよ」

 鞄を足元に投げ捨て、左手を軽く上げて人差し指を自分に向ける。

「早く掛かって来いよ。三十秒で仕留めてやる」

 アタシの挑発に男子高校生の顔がみるみる赤く変わっていく。『ふざけやがって!』と言葉を吐き出すと、男子高校生が猛然と突っ込んできた。

 女のアタシが勝つのに必要な慣性を発生させてくれながら……。

「――楽勝だな」

 見えない鰐人間を相手にした時の悪寒がしない。アタシの危機回避する勘は、何の危険も返していない。

 これなら……。

「踏み込める!」

 左足を大きく踏み込むことで頭を同時に低く持っていき、刹那のタイミングで男子高校生の拳が頭の横を抜ける。

 ここからはアタシの間合い。後出しの右拳がアタシの背中の後ろからアーチを描いて一閃する。手を痛めないために手加減気味に振り切っても手応えは十分だ。

 直後、アタシよりも背の高い男子高校生がヨロヨロと後退して尻餅をついた。

「わざわざ握り込む必要もないな。今度から掌で張り倒すか」

 右手を振って男子高校生を見下ろしながら、アタシは溜息を入れる。

「数秒は動けないと思うぞ」

「クソ……何した?」

 アタシは頭を指さす。

「頭ン中が揺れたんだよ」

 腰に右手を当て、静かに口を開く。

「さて、問題です。アタシは狙ってあなたの自由を奪ったので、同じことを繰り返せば、延々と同じことを繰り返すことが出来ます。その何も出来ないあなたに暴力を奮うことは正しいことでしょうか?」

 軽くステップを踏み、右足を後ろに引く。

「今度は、腕よりも力のある足で試してみようか?」

「う…あ……」

 微笑み掛けると、男子高校生の顔が次第に引き攣り始めた。


 ――もう、十分だな。


 大きく息を吐き出し、アタシは踵を返す。

「今度から、くだらないことをするなよ」

 鞄を拾い上げ、男子高校生を置き去りにすると携帯の時計を確認する。時間は十分も掛かっていない。これならHRにも余裕で間に合うだろう。

「はぁ……。初めて自分から人間に喧嘩を売っちまった……」

 やや自己嫌悪しながら少しだけ肩を落として歩くと、その横でカープが尻尾でアタシの膝を叩いた。

「分かってるよ、自分の意思でやったんだから。でも、こっちから喧嘩を売ったら、本物の不良みたいじゃないか」

 カープは呆れたように息を吐いた。まるで『面倒くさいならやるな』とでも言いたげだった。

「仕方ないだろ。これからは積極的に人とも関わるって決めたし、迷った幽霊も助けるって決めたんだから。――まあ、迷った幽霊を探すつもりで歩いてたら、ああいう場面に遭遇したのは予想外だったけど」

 カープが濁った気を探して人間の淀んだ気も感知してしまう以上、これからは自分から喧嘩を売る場面も増えるんだろうな。

 でも……。

「後悔はない。これがアタシだ」

 どうしようもなく不器用で、上手く立ち回れない。

「だからこそ――」

 アタシは親友に目を向ける。

「――アタシにはカープが必要なんだと思う」

 カープと出会ってからを振り返り、そして、カープと出会えなければということを考える。

 アタシはカープと出会っていなければ、生き方を大きく変えていただろう。もっと、陰険になっていたかもしれない。もっと、ウジウジしていたかもしれない。それだけ酷い状況に居たのは、自分自身がよく分かっている。

 カープの目や仕草が、アタシに勇気を与えてくれていた。自分の失敗と後悔から、やり直す一歩をくれていた。少しの切っ掛けで、心が強いものに変わるのを教えてくれた。

「これからも、アタシを見ててよね」

 カープは何も語らない。振り返りもしない。だけど、それが肯定してくれているということをアタシは知っている。もう、長い付き合いなのだ。

「今日は、天気がよくて気持ちいいね」

 そう言葉に出して、笑みが零れる。

 何を言っているのか……。天気で気持ちが左右されることなんて、一切ないのに。アタシは不愛想な君が隣りを歩いているだけで、いつもご機嫌なのに。

 きっと、不愛想な君を見れるアタシは、世界一の幸せ者に違いない。

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君が変して ~最強のネコ~ 熊雑草 @bear_weeds

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