第19話

杉野中央警察署の地下二階に設置された留置所の一室に、禅僧のように胡座あぐらを組み、瞑想しているかのように栗林 源一郎は座っていた。

食事に出される仕出し弁当には、ほとんど手をつけておらず、口にするものも、白米を2〜3口と、野菜や大豆などの惣菜をほんの少しだけで、まるで精進料理のような内容であった。その為か、頬はすっかりとけむしており、口をおおうほどまで伸び切った口髭くちひげが、より一層に頬の痩けを強調していた。


「栗林。取り調べだ」倉本巡査部長が現れ、栗林に手錠と腰紐こしひもを施した。

エレベーターに乗り込み、取り調べ室がある "2" のボタンを押した倉本は、階表示されるパネルを見つめたまま、一人言をつぶやくように口を開いた。

「栗さん、かつての貴方の仲間たちが、刑事としての信念の元に捜査して来ました。真実はもう直ぐそこです。出来れば貴方の口から真実を…」栗林は瞳を閉じたまま、黙って倉本の言葉を聞いていた。

やがてエレベーターは二階に到着し、取り調べ室に入った栗林は、目を見開いた。

「栗林さん、ご無沙汰しています」栗林が良く知るその後ろ姿は、こちらも見ずに、栗林の耳が良く覚えている声でそう言った。

「か…香川か?」今まで階級が警部補以上の刑事が担当していた取り調べであった為、二人の再会は、当に七年振りの事であった。

栗林は倉本により香川の向かいの上座のパイプ椅子に座らされ、腰紐がパイプ椅子にくくりつけられ、手錠が外された。

「栗林 源一郎さん。それでは取り調べを始めます」香川刑事の言葉を聞き、栗林はゴクリとのどを鳴らした。

「栗林さん、我々は貴方が自首して来たその日から、懸命に事件を捜査して来ました。そして、ある一つの結論に辿り着きました」香川はそう言うと、足元に置いていたビニール袋から、ある物を取り出し、デスクの上に置いた。

「これが何か分かりますね?貴方の部屋のベランダから持って来た物です」そこには7号サイズの植木鉢に植えられた、すっかりしおれてしまった白くかわいらしい花弁はなびらをつけた花があった。

「ガーベラ、こんなになって…」栗林は置かれたガーベラをいとおしそうに見つめた。それを見た香川は、自身で導き出した答えに手応えを感じた。

「水上 智恵子さんに会って来ました。以前の彼女は知りませんが、すっかりと変わり果てたご様子でした。僕が見ても辛くなるくらいに」栗林はガーベラに見たまま、目を見開いた。

「僕たちはある一つの答えを導き出しました。でもそれは真相の全てではない事も分かっています。真相は貴方と水上 順子さんの頭の中にしかありません。そして我々が出した答えの裏付けをする為の、証拠もありません」栗林は頭をれて瞳を閉じてしまった。今まで数々の刑事たちが取り調べて来た時と同じく、黙秘権行使の合図だった。しかし香川は構わずに続けた。

「このガーベラは智恵子さんですよね?正しくは智恵子さんの象徴。白いガーベラの花言葉は "希望・純潔" です。まさに智恵子さん、そのものだ。水上さんのご近所の方々が教えてくれました」香川の言葉を受け、栗林はこめかみの青筋をピクリと動かした。

「その希望を、たった一人の下衆げすけがされた。しかも一度ならず、何度も、何度も」

「黙れ!貴様、何様のつもりだ!」栗林は香川の胸ぐらに掴みかかり、狭い取り調べ室に怒号を響かせた。

「何様でもありません。刑事として話しているんでもありません。栗さんに教わった通りに、一人の人間として容疑者たる人間あなたと話しています」そう話す香川の瞳から溢れ出るものを見て、栗林はゆっくりと手を放した。

「成長したな、香川よ。なぁ、そこまで分かってるんなら、俺の気持ちをんでくれるんだろ?」栗林の表情は、一転して、穏やかなものになった。

「違うでしょ?栗さん。我々、警察の仕事は、真実を解き明かす事だ。"決して罪なき人間を罰してはならない。罪人を罰する入り口にいる警察われわれは、絶対にその事を忘れてはならない" 貴方が教えてくれた事です」香川は涙も拭かずに、真っ直ぐに栗林を見た。

「そうだよ。でもな?香川。法律に警察われわれの正義感は勝てないんだよ。どうやったって人間の風上にも置けないような犯罪者やつらに人権保護なんて訳の分からない事を言う奴らがいやがる。。それで良いじゃねぇか?」目を真っ赤にする香川を、栗林は真っ直ぐに見た。

「良くないッスよ!アンタ、コンビを組んだばかりの頃の俺に何て言ったか覚えてます?『もっと他人を信じろ!もっと周りに頼れ!』って。アンタに今、同じ事を言ってやるよ。もっと俺たちを信じろよ!もっと司法を頼れよ!」香川は両手をデスクに叩きつけ、立ち上がった。

「お前みたいな青二才に、何が分かるってんだ。ヤツは…水野は、俺にとって可憐かれんで大切にしていた花を摘み取っていきやがったんだ!ただ、そこに咲いて、道行く人々を和ませるだけの平和な存在を、根が残らないほどに荒らしてしまったんだ!そんな人間が殺されるのは、当たり前だろ?」もはや、栗林自身も、顔をグシャグシャにしていた。

「そうッスよね。だから俺たちに教えて下さい。貴方が出した宿題の答えを」

「宿題?フッ、そうか。そんな風に捕らえてたのか。香川!俺のバトンを受け取る覚悟は出来てるか?」静かにうなずく香川に対して、栗林はゆっくりと話し始めた。

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